窓ガラスの向こうで、無数の色彩が渦を巻いていた。
市場を行き交う人々の波、積み上げられた荷馬車の列、飛び交う金貨の輝き。
かつて灰と絶望に覆われていた広場は、今や欲望と活気が沸騰する大動脈へと変貌を遂げていた。
「自由市場」の噂を聞きつけた商人たちが、蟻のように列をなして街道を埋め尽くしている。
リリスは執務室の窓枠に手をかけ、その光景を見下ろした。
私が作った景色。
嘘と炎と欺瞞に塗れた種から芽吹いた、毒々しいほどに鮮やかな花。
数字の上では、ガーナー領の経済は劇的な回復を見せている。
父への報告書にも、カシリア殿下への手紙にも、輝かしい成果を書き連ねることができるだろう。
だが、胸の奥に広がるのは達成感ではなく、底のない空洞だった。
成功すればするほど、自分が世界から切り離されていくような感覚。
ガラス一枚を隔てた向こう側の世界は、あまりにも眩しく、そして遠い。
私はあそこには行けない。
あの熱狂の輪に加わる資格など、灰を被った魔女には永遠に与えられないのだから。
「……っ、う」
リリスは小さく呻き、カーテンを閉ざした。
光を遮断した部屋に戻ると、途端に鉛のような重力が全身にのしかかってきた。
足がもつれ、豪華な長椅子へと崩れ落ちる。
指先一本動かすのさえ億劫だ。
最近、ずっとこうだ。
体は泥のように重く、頭の中には常に砂嵐のようなノイズが鳴り響いている。
思考がまとまらない。
『次の税収予測』『倉庫の拡張計画』『商人組合との協定』
重要な案件が山積しているのに、文字を目で追っても、意味が脳に浸透してこない。
ただ滑り落ちていくだけだ。
休まなければ……
理性はそう告げている。
だが、目を閉じても安らぎは訪れない。
瞼の裏に焼き付くのは、良い家族ができた父上の幸せな笑顔と、カシリア殿下の温かい微笑み、そしてエリナの無邪気な瞳。
『リリス!一緒に遊ぼうよ!』
幻聴が鼓膜を震わせる。
心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背中を伝う。
休めない。
止まれば、過去の亡霊たちに追いつかれ、食い殺されてしまう。
走り続けなければならないのに、歯車が錆びついて動かない。
このまま壊れてしまいたいと願う自分と、まだ終われないと足掻く自分が、内側で引き裂き合っている。
コン、コン。
控えめなノックの音が、ノイズを切り裂いた。
「……リリス様。お茶をお持ちしました」
ナミスの声だ。
リリスは重い頭を持ち上げようとしたが、首がカクンと折れ、枕に沈んだ。
「……入って」
掠れた声で答えるのが精一杯だった。
扉が開き、車椅子の車輪が回る静かな音が近づいてくる。
香草の混じった湯気が、部屋の淀んだ空気を僅かに浄化した。
「顔色が……土気色です」
ナミスは枕元にワゴンを寄せ、痛ましげに眉を寄せた。
彼の手が、リリスの額に触れる。
冷たくて、心地よい。
「熱はないようですが……魂が、磨り減っておられる」
彼は的確に、リリスの病巣を言い当てた。
「少し、眠ってください。執務は僕が代行します。父上への説明も、商人たちの対応も、すべて」
「……でも、貴方は」
「僕も、リリス様のお力になりたいです。」
カシリア殿下の手紙よりも、父の言葉よりも、なぜかナミスの言葉のほうが暖かく感じた。
「……ありがとう、ナミス」
市場を行き交う人々の波、積み上げられた荷馬車の列、飛び交う金貨の輝き。
かつて灰と絶望に覆われていた広場は、今や欲望と活気が沸騰する大動脈へと変貌を遂げていた。
「自由市場」の噂を聞きつけた商人たちが、蟻のように列をなして街道を埋め尽くしている。
リリスは執務室の窓枠に手をかけ、その光景を見下ろした。
私が作った景色。
嘘と炎と欺瞞に塗れた種から芽吹いた、毒々しいほどに鮮やかな花。
数字の上では、ガーナー領の経済は劇的な回復を見せている。
父への報告書にも、カシリア殿下への手紙にも、輝かしい成果を書き連ねることができるだろう。
だが、胸の奥に広がるのは達成感ではなく、底のない空洞だった。
成功すればするほど、自分が世界から切り離されていくような感覚。
ガラス一枚を隔てた向こう側の世界は、あまりにも眩しく、そして遠い。
私はあそこには行けない。
あの熱狂の輪に加わる資格など、灰を被った魔女には永遠に与えられないのだから。
「……っ、う」
リリスは小さく呻き、カーテンを閉ざした。
光を遮断した部屋に戻ると、途端に鉛のような重力が全身にのしかかってきた。
足がもつれ、豪華な長椅子へと崩れ落ちる。
指先一本動かすのさえ億劫だ。
最近、ずっとこうだ。
体は泥のように重く、頭の中には常に砂嵐のようなノイズが鳴り響いている。
思考がまとまらない。
『次の税収予測』『倉庫の拡張計画』『商人組合との協定』
重要な案件が山積しているのに、文字を目で追っても、意味が脳に浸透してこない。
ただ滑り落ちていくだけだ。
休まなければ……
理性はそう告げている。
だが、目を閉じても安らぎは訪れない。
瞼の裏に焼き付くのは、良い家族ができた父上の幸せな笑顔と、カシリア殿下の温かい微笑み、そしてエリナの無邪気な瞳。
『リリス!一緒に遊ぼうよ!』
幻聴が鼓膜を震わせる。
心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背中を伝う。
休めない。
止まれば、過去の亡霊たちに追いつかれ、食い殺されてしまう。
走り続けなければならないのに、歯車が錆びついて動かない。
このまま壊れてしまいたいと願う自分と、まだ終われないと足掻く自分が、内側で引き裂き合っている。
コン、コン。
控えめなノックの音が、ノイズを切り裂いた。
「……リリス様。お茶をお持ちしました」
ナミスの声だ。
リリスは重い頭を持ち上げようとしたが、首がカクンと折れ、枕に沈んだ。
「……入って」
掠れた声で答えるのが精一杯だった。
扉が開き、車椅子の車輪が回る静かな音が近づいてくる。
香草の混じった湯気が、部屋の淀んだ空気を僅かに浄化した。
「顔色が……土気色です」
ナミスは枕元にワゴンを寄せ、痛ましげに眉を寄せた。
彼の手が、リリスの額に触れる。
冷たくて、心地よい。
「熱はないようですが……魂が、磨り減っておられる」
彼は的確に、リリスの病巣を言い当てた。
「少し、眠ってください。執務は僕が代行します。父上への説明も、商人たちの対応も、すべて」
「……でも、貴方は」
「僕も、リリス様のお力になりたいです。」
カシリア殿下の手紙よりも、父の言葉よりも、なぜかナミスの言葉のほうが暖かく感じた。
「……ありがとう、ナミス」
