罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

廊下の向こうから、ドタドタという慌ただしい足音が響いてきたかと思うと、休憩室の重厚な扉が乱暴に開かれた。

「いやいやいやいや!私なんも知らないから追いつくなー!」

飛び込んできたのは、息を切らせたエリナだった。

彼女は扉に背中を押し付け、まるで猛獣から逃れてきた小動物のように肩を上下させている。

カシリアは手にしていた羽ペンを止め、眉をひそめてその姿を見つめた。

ここは王族専用の休憩室であり、許可なき者の立ち入りは固く禁じられている聖域だ。

しかし、目の前の少女には、そんな不文律などどこ吹く風といった野性味がある。

「……エリナ?なぜここに?」

「え?」

カシリアの声に、エリナはびくりと肩を震わせて振り返った。

部屋の主がそこにいることに今気づいたかのように、彼女は目を丸くする。

「ここはオレの休憩室だ。勝手に入られたら困る」

カシリアは努めて冷淡な声を装った。

今の彼は、リリスへの贖罪の念に囚われている。

エリナと親しくすることは、遠く離れた婚約者への裏切りになるのではないかという強迫観念が、彼の心を縛り付けていた。

エリナはバツが悪そうに頭を掻いた。

「ご、ごめん。……ちょっと、追われててさ」

「追われてる?誰に」

「……家柄の話、聞いてくる連中に」

エリナの表情から、いつもの快活な色が消え失せた。

彼女は扉の鍵をそっとかけ、カシリアの方へと歩み寄ってくる。

その瞳には、彼女らしくない真剣な光と、隠しきれない不安が揺れていた。

「どうしても避けられなくて。……でもさ、殿下」

彼女はカシリアの机に両手をつき、身を乗り出した。

「リリスの代わりに、私が次期公爵になるって話……本当か?」

時が止まったようだった。

カシリアは息を呑み、即答することができなかった。

その問いは、彼が最も触れたくない、そしてリリスを最も傷つける真実の刃だったからだ。

リリスは公爵家の長女として、厳格な教育を受け、完璧な令嬢として育ってきた。

彼女の誇りの全ては「タロシア家の跡取り」としての自負と、未来の王妃としての責任感の上に成り立っている。

だが、その二つは両立しない。

「……」

カシリアは視線を伏せ、机上の書類に目を落とした。

論理的に考えれば、答えは明白だ。

王族に嫁ぐ者は、実家の籍を抜け、継承権を放棄せねばならない。

これは国の法であり、絶対の不文律だ。

リリスが王妃となれば、タロシア公爵家の跡目は空席となる。

そこに、公爵の血を引く「別の子供」が現れたなら、どうなるか。

「答えてくれよ、殿下」

エリナの声が震えている。

「私が……リリスの家を、奪うことになるのか?」

純粋な問いかけが、カシリアの胸を抉る。

リリスを守りたい。

彼女の居場所を、誇りを、全てを守り抜きたいと誓ったばかりだ。

だが、法は無慈悲だ。

そして、オレがエリナを世に出してしまったことが、この残酷な歯車を回し始めてしまった。

カシリアは拳を握りしめ、爪が掌に食い込む痛みで理性を繋ぎ止めた。

嘘をつくことはできない。

ここで否定しても、いずれ彼女は知ることになる。

そして、その事実は変えようがない。

「……ああ」

カシリアは、絞り出すように声を上げた。

喉が張り付き、砂を噛むような味がした。

「そうなる。……リリスが王妃になれば、彼女はタロシア家の人間ではなくなる」

彼は顔を上げ、エリナの黄金色の瞳を直視した。

そこには、自分自身の罪が映し出されているようだった。

「公爵位を継ぐことはできない。……したがって、血縁者であるお前が継ぐか、あるいは公爵家の他の分家から養子を迎えることになる」

事実を口にするたびに、リリスの笑顔が脳裏に浮かび、ひび割れていく幻覚が見えた。

彼女は知っているのだろうか。

自分が王妃になるということが、実家という「帰る場所」を永遠に失うことと同義であることを。

そして、その空いた席に、忌み嫌う異母姉が座ることになる未来を。

「そんな……」

エリナは絶句し、一歩後ずさった。

「じゃあ、リリスは……何もかもなくなっちまうじゃないか」

「……王妃という、国母の地位を得る」

カシリアは反論したが、その言葉はあまりにも空虚だった。

家を追われ、父を奪われ、そして「王妃」という鳥籠に入れられる。

それが、リリスにとっての幸福なのだろうか。

「違う、そうじゃない!」

エリナは激しく首を振った。

「あの子が大事にしてたのは、そういう肩書きじゃなくて……もっと、こう……」

彼女は言葉を探し、そして無力に肩を落とした。

「……私は、奪いたくない。あの子の邪魔なんて、したくないのに」

その純粋な嘆きが、カシリアをさらに追い詰めた。

誰も悪くない。

法も、エリナも、公爵も。

強いて言えば、全てを丸く収めようとして嘘を重ね、優柔不断な態度を取り続けた、オレの弱さが罪なのだ。

カシリアは椅子から立ち上がり、窓の外へと視線を逃がした。

王都の空は青く澄み渡っていたが、彼にはそれが、リリスを閉じ込める巨大な牢獄の壁に見えた。

「……法は変えられない」

カシリアは自分に言い聞かせるように呟いた。

「だが、リリスを不幸にはさせない。……オレが、彼女の新しい家になる」