罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

翌日、ガーナー領の境界線にある関所は、かつてないほどの熱気に包まれていた。

街道の向こうから、粗末な衣服を纏った若者や、荷物を背負った男たちの列が続いている。

彼らは隣領の貧民街や、重税に喘ぐ農村から逃れてきた者たちだ。

「誰でもここで働けるのは本当か!」

「仕事があるなら何でもやるぞ!」

彼らの目は飢えており、そして必死だった。

リリスが打ち出した「商取引税の撤廃」と「労働者への賃金支払い」の噂は、風に乗って瞬く間に周辺地域へ伝播していた。

ガロス卿が統治していた頃の「閉ざされた桃源郷」の門は開かれ、混沌と活力が濁流となって流れ込んでくる。

広場では、臨時の雇用受付が設けられていた。

タロシア家の騎士が帳簿を広げ、淡々と名前を書き留めていく。

「日当は銅貨5枚。仕事は瓦礫の撤去と、焼失跡地の整地だ」

「やります!ありがとうございます!」

隣領の若者が、提示された安価な賃金に頭を下げる。

その様子を、遠巻きに見つめる集団があった。

ガーナー領の元兵士たちだ。

彼らは腕組みをし、苦々しい表情で新参者たちを睨みつけている。

自分たちの土地が、よそ者に踏み荒らされているような不快感。

そして何より、彼らが自分たちよりも安い賃金で、倍の速度で働いているという事実が、元兵士たちのプライドを逆撫でしていた。

リリスは簡素な外套を羽織り、復興作業の現場を歩いていた。

彼女が通ると、作業の手を止めた労働者たちが敬礼し、あるいは手を合わせる。

彼女のドレスの裾は今日も泥で汚れているが、それを気にする素振りはない。

「リリス様……これほどの人が集まるとは」

車椅子を押す従者が、感嘆の声を漏らす。

「ええ。……彼らの力が必要です」

リリスは悲痛な面持ちで答えた。

彼女は一人の老人の前で足を止めた。

老人は瓦礫を運ぶ手を休め、荒い息を吐いていた。

「無理をしてはいけません。……重いものは若い者に任せなさい」

リリスは懐からハンカチを取り出し、老人の額の汗を拭った。

その手つきは優しく、慈愛に満ちている。

「申し訳ありません。……新しい支援金がくるまで、どうか少し我慢してください」

彼女は潤んだ瞳で周囲の労働者たちを見渡した。

「王都へは支援を要請していますが、届くまでには時間がかかります。それまでは、この少ない賃金で……貴方たちに苦労を強いること、許してください」

「滅相もありません、リリス様!」

「働けるだけでありがたいです!」

労働者たちは口々に叫ぶ。

リリスは胸の前で手を組み、深く頭を下げた。

伏せた顔の下で、彼女の瞳は冷たく考えてしている。

嘘は、低賃金を正当化する最高の免罪符だ。

そして、「申し訳ない」という態度は、彼らの不満を「忠誠心」へと変換させる。

彼らはリリスのために、身を粉にして働くことを「名誉」だと錯覚し始めている。

夕刻、配給の時間となった。

広場の一角には、二つの列ができている。

一つは、労働を終えた者たちが賃金を受け取る列。

もう一つは、働けない者、あるいは働かなかった者たちが「救済糧食」を受け取る列だ。

救済糧食の列は短く、そして陰鬱だった。

配られるのは、水で薄めた薄い麦粥と、硬い黒パンの欠片のみ。

生きることはできるが、腹は満たされない。

そして何より、その列に並ぶことは「敗者」の烙印を押されることに等しかった。

「……おい、あれを見ろよ」

元兵士の一人が、顎でしゃくった。

賃金を受け取った隣領の若者たちが、市場で肉や野菜を買い、笑い合っている。

彼らの手には、自分たちの汗で稼いだ金が握られている。

一方、元兵士の手にあるのは、施しの薄い粥だけだ。

「俺たちは……ガロス様の元で戦った精鋭だぞ。あんな若造どもに負けてたまるか」

屈辱が、男たちの顔を赤く染める。

彼らはプライドが高い。

慈悲によって生かされることを「良し」としていた昨日までの価値観は、リリスが持ち込んだ競争社会の熱気によって焼き払われた。

今、ここで「働かない」ことは、死ぬことよりも恥ずかしいことになったのだ。

リリスはその様子を、執務室の窓から見下ろしていた。

「……動き始めましたね」

彼女は呟いた。

救済糧食の列にいた一人の元兵士が、粥を机に戻し、雇用の列へと走り出したのが見えた。

それに続き、二人、三人と、男たちが走り出す。

彼らのプライドが、彼らを最強の労働力へと変える。

「ガロス卿の優しさは、彼らを去勢していました。……牙を取り戻させるには、飢えと恥辱を与えるのが一番です」

リリスは窓枠に手をかけ、強く握りしめた。

これは正しいことなのか。

彼らの平穏を奪い、残酷な道へ突き落とすことが。

だが、迷っている暇はない。

この領地を富ませ、王都のカシリア殿下に、そしてあの姉エリナに見せつけなければならない。

私が、誰よりも有能な統治者であることを。

例え、どう足掻こうとも婚約破棄される結末になるとしても

数十日もしないうちに、ガーナー領の風景は一変した。

焼け落ちた備蓄庫の跡地は更地となり、新しい市場の基礎が組まれ始めている。

街道は商人たちの馬車で溢れ、宿屋は満室となった。

朝から晩まで、槌の音と掛け声が絶えない。

誰もが競うように働き、稼ぎ、そして消費する。

金が回り、物が動き、人が流れる。

それは、停滞していたこの地が、巨大な心臓を得て脈打ち始めた証だった。

リリスは執務机に積み上げられた報告書に目を通した。

生産性は劇的に向上している。

復興の速度は、当初の予定を遥かに上回っていた。

「……素晴らしい成果です」

ナミスが車椅子を進め、リリスに茶を差し出した。

「領民たちの顔つきが変わりました。以前のような穏やかさはありませんが……生きる力に満ちています。全て、リリス様のおかげです」

彼の純粋な称賛が、また一つリリスの罪を重くする。

穏やかさを奪ったのは私だ。

彼らを焦燥と競争の檻に閉じ込めたのは私だ。

「ええ……。彼らが頑張ってくれているからですわ」

リリスは微笑み、カップを受け取った。

紅茶の香りが立ち上るが、彼女には泥と汗の匂いしか感じられなかった。

領地は救われた。

だが、その代償として、かつての「幸福な貧困」は永遠に失われた。

働けない人は、ネズミのように無様に生きることしかできなくなった。

リリスは一口だけ茶を含み、その苦味を噛み締めた。

これが、支配の味。

孤独な王座で飲む、泥のような蜜の味だった。