罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

夜空は未だ赤く染まり、崩れ落ちた倉庫の残骸からは黒煙が立ち昇っていた。

リリスは膝をつき、熱を持つ地面にその白い手を置いた。

舞い落ちる灰が、雪のように彼女の髪と睫毛に積もっていく。

周囲を取り囲むのは、家と食糧を失った領民たちの、沈黙と啜り泣きだけだった。

彼らの視線は、全てこの一点、灰の中に跪く一人の少女に注がれている。

「……神よ」

リリスは濡れた瞳を天に向け、震える唇を開いた。

その声は鈴の音のように澄んでいながら、悲痛な響きを帯びて夜気に溶けていく。

「どうか、この罪なき民をお救いください。彼らの糧が失われたのは、私の不徳の致すところ……。どうか怒りを鎮め、慈悲の光をお与えください」

計算された涙が一筋、煤けた頬を伝い落ちる。

その姿は、宗教画に描かれる聖女そのものであった。

自らも火消しに奔走し、泥と煤にまみれながら、それでも民のために祈る高貴な令嬢。

その圧倒的な「美」と「献身」は、絶望の淵にいた人々の心に、強烈な信仰心として刻印された。

「おお……リリス様……」

「俺たちのために、泣いてくださっている……」

「聖女様だ……」

誰からともなく、祈りの声が上がった。

一人、また一人と、領民たちがリリスに倣って地面に跪く。

失意の底にあった彼らは、今、新たな縋るべき希望を見つけたのだ。

リリスは伏せた瞼の裏で、密かにその光景を観察していた。

泣きなさい。崇めなさい。貴方たちのその盲目な信仰こそが、私が次に打つ手のための最強の盾となるのです

彼女は胸の前で手を組み、さらに深く頭を垂れた。

その心臓は、罪悪感という名の氷柱で貫かれながらも、規則正しく冷徹なリズムを刻み続けていた。

夜明けが近づく頃、仮設の救護テントの中でガロス卿が目を覚ました。

彼は身を起こすと同時に、うわ言のように呻いた。

「燃えた……私の、食糧が……」

その瞳には正気の色がなく、ただ喪失の闇だけが広がっている。

リリスは静かに彼の寝台の傍らに歩み寄った。

傍らには、車椅子に乗ったナミスも控えている。

「……ガロス卿」

彼女は母が子を諭すような、柔らかく慈悲深い声で呼びかけた。

ガロスは弾かれたように顔を上げ、リリスの姿を認めると、その場に崩れ落ちるように土下座した。

「リ、リリス様……!申し訳ありません!貴女様をお招きしておきながら、このような……このような失態を!」

老いた領主の背中は激しく震え、床板に涙のシミを作っていく。

「私が……私が管理を怠ったからです……。長年の備蓄を一瞬で……。民になんて詫びればいいのか……死んで償うしか……」

「顔をお上げください」

リリスは膝を折り、ガロスの震える両手を包み込んだ。

その手は温かく、しかし逃れられない枷のように強く彼を拘束した。

リリスは真っ直ぐに彼の目を見つめた。

その瞳には、反論を許さない神聖な光が宿っていた。

「ガロス卿。貴方の優しさは尊い。ですが、その優しさだけでは、この火を消すことはできませんでした」

彼女は言葉を切り、残酷な事実を突きつけるように、声を潜めた。

「今、領地に必要なのは、優しさではなく『強さ』です。灰の中から立ち上がるための、冷徹なまでの決断力です」

ガロスは呆然と口を開いた。

リリスの言葉は、彼の心の最も脆弱な部分を正確に射抜いていた。

自分のやり方では守れなかった。

自分の優しさが、結果として民を路頭に迷わせた。

その強烈な自己否定と罪悪感が、彼の思考能力を奪っていく。

「私には……無理です……。もう、何も考えられない……」

ガロスは子供のように首を横に振った。

堕ちた。

「ならば、その重荷を私が背負いましょう」

リリスは聖母の微笑みを浮かべ、甘い毒を含んだ提案を口にした。

「ガロス卿。……この領地の全権限を、一時的に私に委任していただけませんか?」

リリスの言葉に、ナミスが息を呑む気配がした。

しかし、ガロスにとっては、それは地獄に垂らされた救いの糸だった。

「リリス様が……?」

「はい。カシリア殿下の名代として、私が責任を持って復興を指揮します。王家への報告も、資金の手配も、全て私が処理いたしましょう」

それはつまり、ガロスの失政を帳消しにし、全ての責任を肩代わりするという申し出だ。

罪の意識に押し潰されそうな彼にとって、これほど救いとなる言葉はない。

「ああ……なんという慈悲深さ……」

ガロスはリリスの手を額に押し当て、嗚咽した。

「お願いします……!どうか、愚かな私をお救いください……!この領地の全てを、貴女様に捧げます……!」

「承りました」

リリスは厳かに頷いた。

「私が必ず、みんなを救ってみせますわ」

その瞬間、支配の契約は成立した。

ガロスは名目上の領主としての地位を残しながら、実質的な権力と意思決定権の全てをリリスに譲り渡したのだ。

リリスは立ち上がり、テントの入り口へと向かった。

外からは、白々と夜が明ける光が差し込んでいる。

これでいい

彼女は心の中で呟いた。

善良な領主を精神的に殺し、その亡骸の上に玉座を築いた。

ナミスが涙ながらに「ありがとうございます」と感謝の言葉を投げかけるのを背中で受け止めながら、リリスは朝日の中に踏み出した。

「本当の貴族と支配者は、こういう汚いものなんですよ。」