罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

夜の帳が下りると同時に、ガーナー領の広場は、地上に落ちた星々のような焚き火の群れで埋め尽くされた。

爆ぜる薪の音、肉を焼く香ばしい煙、そして酒精に酔いしれる人々の喧騒。

それら全てが混然一体となり、熱気となって夜空へと立ち昇る。

その広場を見下ろすように設えられた演台。

リリスは、緋色の絨毯が敷かれた階段を、一歩ずつ踏みしめて上っていった。

純白のドレスが、松明の明かりを受けて黄金色に揺らめく。

その姿は、闇夜に咲いた一輪の白百合のようであり、あるいは、これから行われる儀式の生贄となる聖女のようでもあった。

彼女が壇上の中央に立ち、群衆を見下ろした瞬間。

波が引くように、広場から音が消えた。

数千の瞳が、彼女一点に吸い寄せられる。

期待、憧憬、そして希望。

それらの視線が、物理的な熱量を持ってリリスの肌を刺す。

リリスはゆっくりと息を吸い込んだ。

肺に満ちる夜気は冷たいが、吐き出す息は熱い。

今、この瞬間、私は女優になる。

国を傾けるほどの悪女を演じきる。

「愛するガーナーの民よ」

リリスの声は、夜風に乗って朗々と響き渡った。

鈴を転がすような美声でありながら、決して風に消えない芯の強さがある。

「今宵、この素晴らしい祭りに招かれたことを、カシリア殿下の名代として、心より感謝いたします」

彼女は優雅に手を広げた。

その仕草一つで、民衆の吐息が漏れる。

「貴方たちの勤勉さ、そしてガロス卿の慈悲深い統治が、この地に安寧をもたらしました。……ですが、私たちの歩みはここで終わりではありません」

リリスは一拍置き、瞳に力強い光を宿して語りかけた。

「カシリア殿下は約束されました。このガーナー領こそが、王国の新たな希望となると!備蓄された食糧は、単なる保存食ではありません。それは、貴方たちがこれから迎える、輝かしい未来への種籾なのです!」

嘘だ。

その種籾の中身は、枯れ葉と木屑だ。

けれど、民衆はその言葉に酔いしれた。

「おお……!」

「リリス様万歳!カシリア殿下万歳!」

歓声が波紋のように広がり、やがて轟音となって広場を揺るがす。

リリスはその熱狂を、冷ややかな心の目で見つめていた。

彼らは信じている。

明日も、明後日も、変わらぬ平穏が続くと。

私の言葉が、彼らの生活を保証する契約書だと信じている。

なんと愚かで、なんと愛おしい羊たちだろうか。

私はその信頼を、これから裏切り、焼き払う。

演台の袖では、ガロス卿が涙を拭っていた。

「素晴らしい……。リリス様は、真の指導者だ」

その横で車椅子に座るナミスもまた、潤んだ瞳でリリスを見上げている。

「あの方こそ、この国の光だ。……私は、あの方にお仕えできて幸せだ」

彼らの言葉が、リリスの耳に届く。

称賛の言葉。

感謝の言葉。

それらは全て、鋭利な刃物となってリリスの胸を抉った。

やめて。

私をそんな目で見ないで。

私は光ではない。

貴方たちが拝んでいるのは、破滅を招く死神だ。

リリスは微笑みの形を崩さぬまま、心の中で血の涙を流した。

ガロスの純朴な善意が、ナミスの盲目的な忠誠が、リリスを逃げ場のない罪の檻へと閉じ込めていく。

もし、ここで「全て嘘だ」と叫べば、私は楽になれるだろうか。

いいえ、できない。

私はカシリア殿下の婚約者。

タロシア公爵家の娘。

その誇りと立場を守るためには、この身がどれほど汚れても、悪魔とダンスを踊り続けなければならない。

「さあ、祝いましょう!今宵の宴が、永遠の語り草となるように!」

リリスが高らかに叫ぶと、広場は爆発的な歓喜に包まれた。

空には花火が打ち上がり、色とりどりの光がリリスの白皙の顔を照らす。

民衆は踊り、歌い、リリスの名を叫ぶ。

その熱狂の中心で、リリスは完全に独りだった。

誰一人として、彼女の仮面の下にある凍てついた絶望を知らない。

この完璧なアリバイ。

数千人の証人。

祭りの最中、ずっと壇上で民と触れ合っていたリリスに、放火の疑いなどかかるはずがない。

心理的な防壁は完成した。

後は、あの倉庫で火の手が上がるのを待つだけ。

「……燃えなさい」

歓声にかき消されるほどの小さな声で、リリスは呟いた。

その瞳に映るのは、打ち上げ花火の光ではなく、間もなく訪れる紅蓮の炎だった。

私の心も、希望も、愛も。

全て燃え尽きて、灰になればいい。

そうすれば、私は本当の意味で、感情のない人形になれるのだから。

リリスは聖女の仮面を完璧に貼り付けたまま、地獄の業火が上がるその瞬間を、静かに待ち続けた。