罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

祭りの足音が、日増しに大きくなっている。

ガーナー領の空気は、かつてないほどの熱気に包まれていた。

通りには色とりどりの旗が掲げられ、広場では屋台の準備に追われる領民たちの笑い声が絶えない。

誰もが浮き足立ち、来るべき「豊穣の感謝祭」を心待ちにしている。

その中心にあるのは、ガロス卿が約束した「備蓄庫の開放」という甘い餌だ。

私は、領主館の窓からその光景を見下ろしながら、冷たい汗が背中を伝うのを感じていた。

「……リリス様、顔色が優れませんが」

背後から、ナミスの心配そうな声がかかる。

彼はまだ車椅子の上だが、私の語る「未来」に希望を見出し、以前より少しだけ血色が良くなっていた。

私は振り返り、完璧な令嬢の微笑みを浮かべた。

「いいえ、ただ……皆の喜びようを見て、責任の重さを感じていただけですわ」

嘘だ。

私が感じているのは、バレることへの恐怖と、彼らを地獄へ突き落とす罪悪感だけ。

私の胃の腑では、焦燥という名の虫が暴れ回っている。

もし、私兵たちの搬入作業が見咎められたら。

もし、ガロス卿がふと気まぐれを起こして、袋の中身を確認したら。

私の計画は水泡に帰し、私は稀代の詐欺師として断罪されるだろう。

「大丈夫です、リリス様。貴女の計画は完璧です。……私たち親子も、全力で支えますから」

ナミスの無垢な信頼が、私の心臓を雑巾のように絞り上げる。

「ええ……ありがとう、ナミス」

私は震える指先をドレスのひだに隠し、今日もまた、ありもしない未来の繁栄を語り続けた。

この舌が紡ぐのは希望の詩ではなく、彼らへの鎮魂歌だとも知らずに。

その日の午後、王都からの早馬が到着した。

届けられたのは二通の手紙。

一つは、重厚な王家の封蝋が施された、カシリア殿下からの親書。

もう一つは、見慣れない可愛らしい封筒に入った手紙だった。

私は自室に鍵をかけ、震える手で殿下の手紙を開封した。

インクの匂いと共に、懐かしい彼の筆跡が目に飛び込んでくる。

『親愛なるリリスへ』

その一文だけで、張り詰めていた糸が切れそうになるほど安堵した。

『本日、対帝国用の騎士候補選抜を行った』

『選抜は順調だ。有望な男子生徒が数名見つかった。彼らを鍛えれば、コリンダ王子とも十分に渡り合えるだろう』

『君の予言のおかげで、準備は万全だ。王都のことは心配せず、今は領地のことに専念してほしい』

読み進めるごとに、胸の奥が温かいもので満たされていく。

殿下は、私の言葉を信じてくださった。

私の予言を重んじ、着実に行動してくださっている。

文面から滲み出る配慮と優しさ。

私を心配させまいとする、彼の誠実さ。

「……よかった」

私は手紙を胸に抱きしめ、長椅子に深く沈み込んだ。

私は独りではない。

遠く離れていても、殿下と心は繋がっている。

この汚れた計画も、全ては彼の隣に立つため。

彼が私を信じてくれるなら、私はどんな泥でも被れる。

そう思えた。

……もう一通の手紙を開くまでは。

私は不思議に思いながら、もう一通の封筒を手に取った。

差出人の名は書かれていないが、封蝋の代わりに押されたスタンプは、どこか見覚えのある花の形をしていた。

ペーパーナイフで封を切り、中身を取り出す。

そこには、踊るような奔放な文字で、衝撃の事実が綴られていた。

『リリスへ!元気ですか?』

呼吸が止まった。

この馴れ馴れしい口調。

この筆跡。

エリナだ。

『驚かないでね。私、なんと王家学院の剣術指南役になっちゃいました!』

『騎士選抜のテストがあったんだけど、カシリア様が「お前ならできる」ってチャンスをくれてね。ちょっと頑張ったら、みんなビックリしちゃって!』

指先から血の気が引いていく。

『カシリア様のおかげで、すごいお給料もらっちゃいました。だから、半分リリスに送りますね!領地の管理、大変だと思うけど頑張って!』

『カシリア様ってば、厳しいけど本当は優しいよね。私たちのこと、すごく考えてくれてるみたい』

同封されていた為替証書が、パラリと床に落ちた。

それは、平民が一生かかっても稼げないような大金だった。

善意。

純度100%の、混じり気のない善意と親愛。

そして、それと同じ質量の、残酷な真実。

私は二通の手紙を並べ、交互に見比べた。

カシリア殿下の手紙には、「エリナ」の文字は一つもない。

「有望な男子生徒が数名見つかった」としか書かれていない。

エリナの手紙には、「カシリア様がチャンスをくれた」「指南役になった」と書かれている。

矛盾。

欺瞞。

隠蔽。

私の脳裏で、何かが音を立てて崩れ落ちた。

「……あ、は」

乾いた笑いが漏れた。

なぜ?

なぜ、殿下は私に隠したの?

『有望な男子生徒』?違う、選ばれたのはエリナでしょう?

貴方がチャンスを与え、貴方が認め、貴方が傍に置いたのは、私の最も恐れる「姉」でしょう?

なぜ、嘘をつくの。

私を安心させるため?

それとも、私には言う価値もないことだから?

「……っ!」

私はカシリア殿下の手紙を握り潰した。

優しさだと思っていた文面が、今は嘲笑のように見える。

『王都のことは心配せず』

それはつまり、蚊帳の外にいろということか。

エリナと二人で、新しい物語を紡ぐから、邪魔な婚約者は辺境で大人しくしていろということか。

「酷い……」

涙が溢れて止まらない。

いずれは奪われると、覚悟はしていた。

彼女は光のヒロインで、私は悪役令嬢だから。

でも、こんなに早く、こんなにあっけなく。

しかも、私が彼のために手を汚し、心をすり減らしている、まさにその瞬間に。

「もう少しだけでも……私のことを配慮してほしかった」

嗚咽が部屋に響く。

嘘をつくなら、最後までつき通してほしかった。

エリナに手紙なんて書かせないように、完璧に管理してほしかった。

この中途半端な優しさが、一番私を傷つける。

「殿下……例え貴方の婚約者になったとしても、貴方も、私を裏切るのですね」

床に落ちたエリナの手紙が、無邪気な顔で私を見上げている。

私はそれを拾うこともできず、ただ膝を抱えて震えた。

窓の外からは、祭りの準備をする楽しげな音楽が聞こえてくる。

その明るさが、今の私には耐え難いほどの拷問だった。

誰も信じられない。

ナミスも、ガロスも、そしてカシリア殿下さえも。

私にあるのは、この薄暗い部屋と、これから実行する「放火」という罪だけ。

私は涙を拭い、虚ろな瞳で顔を上げた。

期待するから傷つくのだ。

愛されたいと願うから、絶望するのだ。

最初からわかるはずだった。

すべては、母を殺した、温かい家を壊した私が背負うべき罪であった。

でも、それでも、やらなければならないことがある。

カシリア殿下が私を見捨てても、エリナが全てを奪っても、このガーナー領の計画だけは成し遂げる。

それが、タロシアの娘としての、最後の意地だから。

私は握り潰した手紙を丁寧に広げ、蝋燭の炎にかざした。

紙が黒く焦げ、炎が文字を舐め尽くしていく。

『親愛なるリリスへ』

その言葉が灰になって崩れ落ちた。