罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

エリナが視線を落とし、握りしめた木剣の柄を見つめる。

肩の力が抜け、それまでの獣のような威圧感が消え失せる。

周囲の学生たちは興奮冷めやらぬ様子で彼女を遠巻きに称賛しているが、彼女自身はその喧騒から切り離された場所にいるようだった。

「……本当は」

ぽつりと、独り言のような声が漏れる。

カシリアは一歩近づき、その言葉を拾う。

「こんな風に、目立ちたくなかったのにな」

エリナは苦笑いを浮かべ、乱れた前髪を指で梳いた。

その表情には、勝利の喜びも、英雄としての誇りもなかった。

あるのは、ただ深く沈殿した諦念と、寂しさだけ。

「目立ちすぎると、またお母様が悲しむから。……私はただ、静かに暮らしたかっただけなんですよ、殿下」

彼女の瞳が、一瞬だけ揺らいだ。

その言葉は鋭い針のように、カシリアの胸を刺した。

そうだ。

彼女もまた、タロシア公爵家の「秘密」という呪縛の中にいる。

目立つことは、すなわち彼女の出生が掘り起こされることを意味する。

それは母ミカレンを、そして異母妹リリスを傷つける刃となる。

彼女はそのことを、誰よりも理解していたのだ。

あの野蛮な戦い方は、彼女の本質であると同時に、生きるために身につけざるを得なかった悲しい習性なのかもしれない。

カシリアは拳を握りしめた。

私は何をした。

帝国の脅威に対抗するためとはいえ、彼女を表舞台に引きずり出し、衆目に晒した。

それは王族としての英断か、それとも一人の少女の願いを踏みにじる暴挙か。

「……すまない」

カシリアの唇から、謝罪の言葉がこぼれ落ちた。

だが、その声は歓声にかき消され、誰の耳にも届かなかった。

夜の執務室は、蝋燭の炎が揺れる音さえ聞こえるほど静かだった。

カシリアは机に向かい、一枚の羊皮紙を広げていた。

リリスへの定期報告の手紙だ。

彼女を辺境へ送り出してから数日。

王都の情勢、特にコリンダ王子の件と、それに対する準備状況を伝える必要がある。

羽ペンをインク壺に浸し、ペン先から余分なインクを落とす。

『親愛なるリリスへ』

書き出しは滑らかだった。

彼女の安否を気遣い、ガーナー領への道中が無事であったことを願う言葉を連ねる。

だが、筆が止まったのは、その次だ。

『本日、対帝国用の騎士候補選抜を行った』

そこまでは事実だ。

しかし、その続きをどう書く?

『そこで君の姉、エリナが圧倒的な強さを見せ、私が彼女を指南役に任命した』

書けるはずがなかった。

リリスは、エリナを憎んでいるだろう。

自分から全てを奪っていく「侵略者」として恐れている。

そのエリナが、カシリアの公認を得て、王都で名声を得つつあるなどと知れば、彼女はどうなるか。

辺境の地で、ただでさえ孤独と戦っている彼女の心が、完全に砕け散ってしまうのではないか。

カシリアの脳裏に、リリスの泣き顔が浮かぶ。

手首の傷跡。

絶望に染まった瞳。

彼女を守ると誓った。

彼女の心をこれ以上、脅かさないと約束した。

だが、真実を伝えることは、その誓いを破ることになる。

カシリアの手が震え、ペン先から落ちたインクが紙の上に黒い染みを作った。

その染みは、まるで自身の心の闇のようにじわりと広がっていく。

「……言えない」

カシリアは呟いた。

言えば、リリスは傷つく。

隠せば、それは裏切りになる。

どちらを選んでも、私の手は汚れる。

ならば、リリスが傷つかない方の汚れを選ぼう。

それは愛ゆえの選択か、それとも保身のための欺瞞か。

カシリアは新しい羊皮紙を取り出し、深呼吸をしてから、再びペンを走らせた。

『選抜は順調だ。有望な男子生徒が数名見つかった。彼らを鍛えれば、コリンダ王子とも十分に渡り合えるだろう』

嘘だ。

エリナの存在を完全に消し去った、虚構の報告。

『君の予言のおかげで、準備は万全だ。王都のことは心配せず、今は領地のことに専念してほしい』

滑らかな筆致で、偽りの安心を綴る。

文字の一つ一つが、リリスへの背信の証となって紙面に刻まれていく。

書き終えた手紙を折り、封蝋を垂らす。

赤い蝋が溶け落ちる様は、まるで血の涙のようだった。

カシリアは王家の印章を押し付け、固まるのを待った。

冷え固まったその封は、二人の間に横たわる秘密の壁そのものに見えた。

「許してくれ、リリス」