罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

朝の光が執務室の窓から差し込み、宙を舞う埃をきらきらと照らしていた。

リリスは簡素な木の机に向かい、目の前に積み上げられた書類の山を見つめた。

それは、ガーナー領の過去五年分の財政記録だった。

対面に座るガロス子爵は、まるで自慢の戦果を報告するかのように、晴れやかな表情で口を開いた。

「どうぞ、ご覧ください。全て包み隠さず記してあります。我が領の経営に、一点の曇りも不正もございません!」

その声は大きく、自信に満ちていた。

リリスは無言で革表紙を開いた。

ページをめくる指先だけが、彼女の動揺を隠していた。

赤い。

数字が、赤いインクで埋め尽くされている。

収入の欄は細々としているのに対し、支出の欄は膨れ上がり、ページを跨いで延々と続いている。

「……ガロス卿」

リリスは顔を上げず、静かに問いかけた。

「この『特別人件費』というのは?」

「ああ、それは怪我をして働けなくなった者や、身寄りのない老人たちへの生活手当です」

ガロスは即答した。

「では、こちらの『公共事業費』は?内訳を見ると、既に完成している用水路の補修工事が、毎年行われていますが」

「仕事がない者たちに、仕事を作るためです。彼らにも家族がいますからな。ただ金を渡すのではなく、労働の対価として支払う。それが武人の矜持というものを守るのです」

ガロスは大きく頷いた。

悪びれる様子など微塵もない。

彼にとって、これらの赤字は「損失」ではなく「名誉ある出費」なのだ。

リリスは眩暈を覚えた。

これは経営ではない。

巨大な慈善事業だ。

収入という血管から血を抜き取り、傷ついた者たちに分け与え続けている。

その結果、本体である領地そのものが貧血を起こし、壊死しつつある。

「……素晴らしい慈悲の心ですわ」

リリスは、仮面のような微笑みを張り付けたまま言った。

「ですが、このままではあと半年も持ちません。貯蓄も底をついています」

「はっはっは、ご心配なく!カシリア殿下が支援金を送ってくださると約束してくれましたからな!あの御方はお優しい。私の父としての苦労も、領民の苦しみも、全て理解してくださっているのです」

ガロスの屈託のない笑顔が、リリスの胸を抉った。

彼は知らない。

その「優しさ」が、カシリア殿下自身の立場を危うくする可能性があることを。

そして、他者の善意に依存した経営が、いかに脆い砂上の楼閣であるかを。

その時、廊下から慌ただしい足音が響き、ノックもそこそこに扉が開かれた。

ザロが息を切らして立っていた。

「リリス様!王都より早馬が……ビアンナ卿からの急使です!」

ザロの手には、王家の封蝋が施された一通の書簡が握られていた。

リリスの心臓が早鐘を打つ。

ビアンナ卿から?カシリア殿下ではなく?

嫌な予感が背筋を駆け上がる。

「……よこして」

リリスは立ち上がり、書簡を受け取った。

指先が微かに震えるのを悟られぬよう、素早く封を切る。

中から現れたのは、無機質な事務的な筆致で記された、一枚の羊皮紙だった。

リリスの視線が、文字の上を滑る。

『通達。昨今の国境付近における緊張の高まりに伴う軍事費増大のため、ガーナー領への支援金額を以下の通り変更する』

その下に記された数字を見て、リリスの呼吸が止まった。

五分の一。

当初予定されていた金額の、わずか五分の一だ。

『なお、本決定は最終的なものであり、異議申し立ては受理しない。……貴殿の健闘を祈る』

文末には、ビアンナの署名があった。

だが、リリスには分かった。

この文章の背後にいるのは、ビアンナではない。

冷徹な計算と、絶対的な権力を持つ者。

カナロア国王陛下だ。

リリスの手から、羊皮紙がハラリと床に落ちた。

「リリス様?いかがなさいました?」

ガロスが心配そうに覗き込んでくる。

「……」

リリスは言葉を発することができなかった。

カシリア殿下の優しさは、届かなかったのだ。

いいえ、違う。

殿下は約束を守ろうとしたはずだ。

だが、それを王が握り潰した。

「軍事費増大」などという理由は、ただの口実に過ぎない。

これは試練だ。

あるいは、宣告だ。

『お前が王太子の婚約者に相応しいか、その泥の中から証明してみせろ』

『できなければ、野垂れ死ね』

王の冷酷な嘲笑が、耳元で聞こえるようだった。

リリスは窓の外を見た。

市場を行き交う人々。

昨夜、美しい笛を吹いていた片腕の男。

ガロスを慕う傷痍軍人たち。

彼らの穏やかな日常を守るための「蜘蛛の糸」は、プツリと切断された。

今、リリスの手元に残されたのは、莫大な赤字と、無邪気な領主と、絶望的な未来だけ。

「……リリス様?」

ガロスの声が遠くに聞こえる。

リリスはゆっくりと彼の方を向いた。

その瞳から、いつもの完璧な光が消え、暗く冷たい深淵が覗いていた。

「いいえ、なんでもありません。十分な支援金が、まもなく来ると思います。」