白銀鬼譚 -星見の巫女姫は愛をほどく-

 それからすぐに婚儀の日取りが決められた。
 当事者である芹を置いて、楊憲と神威家の使いがとんとん拍子で話を進めてしまったのだ。
 由緒ある家に生まれたからには、いずれは両親のように互いの家のためになる人と結婚することになるのだと思ってはいたが、まさかこんなにも早く訪れるとは。
「──支度ができましたよ、花嫁様」
 時は父の告白から早ひと月。
 亡き母が婚儀の時に着たという白無垢に袖を通した芹は、鏡越しに映る自分の姿を見て、思わず息を呑んでいた。
「……これが、わたし?」
「とてもお綺麗にございます。旦那様もさぞ御喜びになられることでしょう」
 芹の身支度を整えてくれたのは神威家の侍女たちだ。使用人ひとりいない縹家に出向き、芹の支度を手伝ってくれていた。
 芹は美人だった母親の血を濃く引いている為か、元々の顔立ちは良い方だが、蝶よ花よと育てられた姫君とは違い、お転婆に野山を駆け回り土いじりをしてきた為、頬には薄らとそばかすが散り、手も荒れている。
 だが、今の芹は化粧を施され、見違えるように美しくなっていた。
「神威家から迎えの牛車が到着いたしました」
「それでは参りましょう、花嫁様」
 侍女たちが道を開けるように左右に分かれていく。
 芹はごくりと喉を鳴らしてから、重い着物を引き摺るように歩き出した。

 婚儀は滞りなく終えた。
 芹の夫となる神威天也は想像以上に美しい人で、立っているだけで様になる男だった。そこらの草木や花々、青く澄み渡った空でさえも彼を引き立てるために存在しているのではないかと思うほどである。
 儀式の最中、芹は目が回る思いをしていた。顔と態度には出さなかったものの、こんなにも美しい人の隣に立つのが自分で良いのか、自分では不釣り合いではないかと何度も考えたものだ。
 そう思う一方で、こうも思っていた。
 この先、どんな生活が待っているのだろう。この人はどんなふうに笑いかけてくれるのだろう。十年後、二十年後、五十年後──芹を選んでよかったと言ってもらえるように、頑張ってみよう、と。
 不安はあるが、芹の胸の大部分を占めていたのは、天也の妻になれることへの喜びやこれからの生活への期待だったように思う。
「──それでは、わたくし共は下がらせていただきます」
 婚儀の宴の後、芹の湯浴みを手伝い夜の身支度まで整い終えた侍女たちが、深々と頭を下げ部屋を後にした。
 芹は今、何の飾り気もない白い装束を纏っている。今宵のために用意されたというそれは、夫となる男──天也と揃いのものだそうだ。これを着て床入りをすることで、形だけでなく本当の天也の妻になれるそうだが、母を早くに亡くした芹にそのことを教えてくれる人はおらず、これから行われることはぼんやりとしか分からない。
(ああ、どうしましょう……粗相でもしたら)
 芹は御帳台の手前で手に汗を握りながら正座をしている。
 もうじきに天也が来るだろう。そうしたら、頭を下げて──それからどうすればよいのだろうか。
 緊張と不安で膝の前に手をついたまま固まっていると、すっと襖が開いた。
 天也が来たのだろうか。しかし、声を掛けられるまで顔を上げてはならないのが決まりだ。
(き、来てしまったわ、この時がっ……!)
 静かに襖が閉まる。二人だけしかいない部屋に、ゆったりとした足音が響き、芹に近づいてきた。
 いよいよかと思い、畳の目を見つめながら軽く息を吸ったその時、ヒュンと空気を切る音が鳴り、何かが肩を掠めた。
 目の前にぱらぱらと髪の毛が落ちる。それが自分の髪だと気づいた時にはもう、赤い花が散っていた。
(──椿の、花?)
 左の肩が熱い。そこから何かがあふれ、滑り落ちていっているような気がして、恐る恐ると目を向けてみる。
 すると、肩口からは真っ赤な鮮血がこぼれていた。
 一体何が起きているのだろうか。何が何だか分からないが、一つだけ分かっていることがある。
 それは、芹は目の前にいる──恐らく天也に斬られたということ。
 ──でも、なぜ?
 芹は肩を押さえながら、顔を振り上げ──そして目を見開いた。
「──────」
 すとんと、視界がずり落ち、次に目を瞬いた時にはごろりごろりと景色が転がる。
 目が回る。髪に邪魔をされてよく見えないが、ようやく止まったところで、びっくりするくらい近くに畳の目があった。
 ごそりと、何かが突き立てられる音が響く。
 朧げになっていく視界の端では、紅い水たまりを踏む足と白い装束、そして翡翠の色の刀身が見えた。
(──ああ、わたしは)
 ころされてしまったのだと、ただ漠然と、そう思った。