「恋ってさ、砂みたいだと思わない?」
それは、無意識のうちに、口をついて出た言葉だった。わたしの隣でわたしと同じようにしゃがんでいた彼は、一瞬呆気に取られたようにしたが、すぐにいつもの晴れの間のような笑顔でこう言った。
「なんだそれ?それってあれか?なんていうか、シテキヒョウゲンってやつ?」
「もう。何となく思っただけだから。馬鹿にしないで」
わたしはそう返すと、彼を睨んでみせる。しかしそこまでの迫力がなかったのだろう、彼は「なに変な顔してんだよ」とわたしをからかってきた。でもまぁ、本気で怒っていたわけではないから、そこまで嫌な気持ちにはならなかった。
「で?なんでそう思ったわけ?」
「え?」
「恋が砂みたいだってやつ。あゆみは、なんでそう思ったの?」
「え、マジで聞いてくるんだ」
「だって気になるし。なんか面白そうだし」
「……」
小学生のときから変わらない、好奇心旺盛なその眼差しから、わたしは目を逸らす。そして、目の前に広がるグラウンドの砂を少し持つと、それをサラサラと水に流すように手の力を抜き、落としてみせた。
「砂ってさ。こんな感じで手で掴んでもすぐ落ちていくでしょ?まるでそこになにもなかったかのようにさ。でも、手には感触は残る。手元にはなにも残らないのにね。そーいうのが、なんか恋みたいって思って」
「ふーんなるほど。要するに、あゆみは恋はずっと掴んでいられるものじゃないって言いたいんだ?」
「別にそういうんじゃないよ。深い意味はないし。なんかふと思っただけだもの」
「そっかー」
そして彼は、うーんと大きく伸びをした。先程のわたしの話に興味がなかったわけではないと思うが、彼はふと思い出したように、別の話題を持ちかけてきた。
「にしても、何となーくこの町に来てみたらさぁ。小学校で運動会はやってるし、そこであゆみに会えたしで、帰って来て良かったよホント」
「あ~そうだよね。君、小6で中学に上がるのと同時に引っ越して以来、一度もここに帰ってきたことないんだったっけ?」
「ん?いや、中1の頃に、一度だけこの町の市民文化祭には来た気がするなぁ。そーいや、そのときにお前、クラス対抗の合唱発表かなんかで指揮者やってなかったっけ?めっちゃ必死でちょっと笑った」
「なによそれ。そりゃ、初めての経験なんだから緊張もするでしょ!てか、君来てたんだ。全然気づいてなかった」
「んだよそれ、お前って本当ドライだよなぁー。他のやつらは、おれが来てめっちゃ嬉しそうだったのに」
そう言って、不貞腐れたかのように、ブーブーと文句を言う彼。わたしはその様子に思わず吹き出すと、今は100メートル走をやっているのか、たくさんの父兄や教師や子どもたちの歓声に身を委ねるように、当時を思い返した。
今は地方の短大に通いながら一人暮らしをしているわたし。高校生までは地元であるこの町に暮らしていたが、進学と同時に実家を離れ、かれこれ一年ぶりにこの町に帰って来たのだった。お正月は残念ながらインフルエンザに罹ってしまい、泣く泣く帰郷を断念したのだ。
一年ぶりの故郷は、自然とわたしの心を解放的にしてくれた。もちろん、都会での生活に不満があるわけではない。短大にも友達はいるし、勉強は楽しい。気がかりなことといえば就活くらいだが、自分の希望する職種の会社には何度もインターンで通い、徐々に絞れそうである。
だから間違いなく、今の暮らしは充実している。でも故郷に帰って来たことであの頃の気持ちを全て思い出してしまいそうで、それが怖くもあり嬉しくもあった。
「プッ」
そうやってわたしが運動会の競技に見入っていると、彼は突然吹き出した。
「なに?」
「……いや、なんかふと思い出してよー。小6のときだったかな?ほら、小学校っていわゆるクラブ活動があるじゃん?そのときに、あゆみのバットの持ち方がめちゃくちゃだったの思い出して……」
「あー……。あのときね。……てか、なに笑ってるのよ!仕方ないじゃん、野球とかあまりしたことなかったんだから」
「あはは!ごめんごめん……。でも、あまりにも心配になるレベルだったぞ?」
「もう、だからやめてって……」
「てか、なんであのときスポーツクラブに入ってたんだよ?あゆみのことなら、イラストクラブとか、読書クラブとか、そこら辺を選びそうだったのに?何故にスポーツクラブだったんだ?」
「さぁー何故でしょう?多分、運動音痴なりに新しい挑戦をしたかったんだと思うよ?自分でも全然覚えてないけどね」
「運動音痴かぁ……。今も運動音痴なの?」
「……ご想像にお任せします」
「アハハ」
わたしの言葉を聞いて、空を見上げながら声を上げる彼。だからなんでそんなに面白いんだと内心で毒付きつつも、彼は当時とまったく変わってないなと少し安心した。
彼はいつも明るくて、いつも周りに人が寄ってくるような、いわゆる人気者だった。そのうえ容姿も整っていて、運動も勉強も出来るという完璧ぶり。それは多分今も変わっていないのだろう。先程、再会したときに身の上話をしていた際に知ったことだが、今は医学部に通っているとのことだった。明るく、とても心優しい彼のことだ。絶対良いお医者さんになるだろう。わたしはそう、漠然と考えていた。
「てか、あゆみってやっぱりシテキヒョウゲンが得意だよな」
「え?今度はなんの話?」
「今ふと思い出したんだけどさ。お前、国語の作文かなんかで、『わたしは、男の子が好きです』みたいなこと書いてなかったっけ?」
「!」
「あれってどういう意味?もしかして、いわゆる男好き……」
「ち、違うよ!あれは、ほら!わたしあの頃少女漫画にハマってて!それで、少女漫画に出てくるような男の子が好きってニュアンスじゃ……なかったんじゃないかな!?」
「いや、なんで疑問形?そしてなんで焦ってんの?」
「もう!焦ってなんかないし!」
わたしは、彼に背を向けるようにしゃがみ直すと、手でパタパタと顔を扇いだ。人の黒歴史をほじくり返すなんてやめて欲しいものだ。わたしだって、あんな作文を何故書いてしまったのかと、今も少し後悔しているのに。
彼は特に悪気はないのだろう。それはわかるし、わたしだって怒ってはいない。でも、正直あの作文には触れて欲しくなかった。だって自分の面倒臭さと彼の分からず屋だったところを、一気に直視してしまうから。
ーー♪♪。
そのときだった。どこからか電話が鳴る音が聞こえる。
「あ、おれじゃん」
そう背後から聞こえる声。彼のスマホが鳴ったのだろう。振り返ると、「もしもし?」とスマホを耳に当てる彼の姿が目に入った。
「あー。ミキ?そうそう、今日、久しぶりに小さい頃に住んでた町に来たんだけど……」
その、彼の表情を見て、わたしは悟った。
彼が、小学生の頃も、再会したあともみせたことがなかった表情。とても初々しいのに、この世界がその人中心に回っているかのような、世界が広がるのに狭まるような、そんな甘酸っぱいなにかを抱えた表情。あの頃好きだった漫画のヒロインやヒーローたちがしていたその表情を、目の前の彼も、確かにしていた。
「今のって、もしかして彼女?」
通話を終えた彼に、わたしはなんの気なしに聞く。わたしの内心などもちろん気づかずに、彼は今も競技で盛り上がる人々の方を向きながら、とつとつと話し出した。
「そっ。彼女。なんつーかその……。初めて出来た彼女でさ……。おれ、ぶっちゃけ今までスポーツとか勉強ばっかしてきたから、彼女とか初めてなんだけど。でも、なんか、アイツと一緒にいると、めちゃくちゃ楽しいし安心するんだよ」
「そうだね。顔を見ればわかるよ。めちゃくちゃ気持ち悪いもん」
「え……。なんだよおれ、そんなに惚気てる?」
「うん。それはもう、恥ずかしいくらいに」
「なんだよそれーー……。あ、なら、あゆみは?」
「え?」
「あゆみは、彼氏とか、今好きなやつっていないわけ?」
「……」
今は6月初旬。今日は運動会日和の快晴だ。実際に、先程まで、グラウンドの地面の砂の熱さが、じわじわと体温をあげていたはずだった。でも今は、どこか涼しい。体は熱いのに、思考よりももっと深い場所は、一瞬だけ冷たく感じた。
わたしは、先程までと変わらないテンションで口を開いた。自分の淡々とした話し方を、今だけはありがたく感じた。
「好きだった人なら、いるけど?」
その時、不意にあの日の記憶が蘇った。あの日の勇気と今日の勇気は、多分精一杯のわたしの勇気だから、多分この先後悔することはないだろう。
「へぇ~。あゆみに好きだった人がいたのかぁ……。それって、少女漫画の男の子とか?」
「うん。そう、そういうこと。少女漫画に出てくる男の子が好きというか憧れだった気がする」
「ハハッ!なんつーか、何気に例の作文の伏線回収してる?」
「もう……!作文の話はいちいち出さなくて良いよ!」
「アハハ……。あ、もう昼だ」
ふと、腕時計に目をやった彼。そういえば、小学生の頃の同級生たちと、これから食事に行くって言ってたっけ。
「てかあゆみも一緒に来れば良いだろ?みんな会いたがってるだろうし」
「うーん。わたしも会いたいんだけどね。でも、午後のバスで帰らないといけないから」
「そっか。就活で忙しいもんな。頑張れよ」
「うん」
そう頷いて立ち上がるわたしと彼。そして、そのまま別れの挨拶をし、歩き出そうとしたけど。
「あ、待ってあゆみ。これさ」
そう言って、ポケットからあるものを取り出す彼。彼の手の中にあったのは、かなり古ぼけた、歪な形の白い糸で編んだミサンガだった。
「これをあゆみがくれたからさ。慣れない暮らしの中でも、小学生のときのことを思い出したら頑張って来られたんだよ。マジで感謝してる。ありがとう」
「まだ持っててくれたんだ」
「当たり前だろ!おれは人から貰ったものは大事にする主義だからな!ちなみに、手紙もまだ持ってるぞ」
「そんなに得意げに言わなくても……。ふふっ、そうか。手紙まで取っておいてくれてるんだ。なんて書いたっけ?わたし」
「うーん。ひらがなで、『新しいばしよでも、がんばってね』みたいな?なんで場所を漢字で書かないんだってめっちゃ爆笑したわ」
「仕方ないでしょ!漢字苦手だったんだし!それに、急いで書いたってのもあるし!」
「はいはい。それでも、あゆみの手紙とミサンガに助けられたのは事実だからな?」
「どういたしまして!」
そして、少し談笑したあと、再びわたしたちは別れの挨拶をして、それぞれの目的地へと歩き出した。彼は小学生の頃の同級生たちの元へ。そしてわたしは荷物を取りに実家へ。
かつて歩いていた通学路を歩きながら、わたしは不意に抑えていた言葉をこぼした。
「アイツ、彼女出来てるんだ。良かったぁ……」
空は運動会日和の真っ青な快晴。でも今のわたしの視界はどこか霞んでいて、淡いコバルトブルーはなにも見えなくなっている。空だけじゃない。思い出の風景が、どれも霞んで見えた。
「つーかアイツ本当ムカつく。ちょっとは悟ってくれれば良いのに。バーカ」
普通、みんなに好かれる人気者が市民文化祭に来ているのを気づかないわけないだろう。指揮者の役目だって、君が見ていると思ったら、絶対に失敗は出来ないと思っただけなのに。
スポーツクラブのことだってそうだ。君がスポーツ少年なんかじゃなかったら、わたしだって自分のやりたいクラブに入っていた。そもそもバットの持ち方だって君がさり気なく教えてくれたくせに、そういうことは覚えてないんだ。頭良いくせに。
『わたしは、男の子が好きです』……。これは、確かに男好きって思われても仕方ないとは思う。だってこれは、周りにわたしには好きな人がいると気づいて欲しいけれど、誰のことが好きかは気づいては欲しくなかったから、ふと思いついた言い訳みたいなものだから。
「あ~あ、なんか、あの日と同じじゃん。わたし」
あの卒業式の日、突然彼にミサンガの入った手紙を押し付けるようにして立ち去ったわたし。そのときのわたしはこの通学路を全力で走りながら、せり上がってくる熱いものを、拭うことも出来なかった。
だけど、あの日を後悔しているかというとそうではないと思う。あのときのわたしにとってはあれが最善だったし、手紙を渡さなかったら、多分一生後悔していたから。
「なにが、『砂って手で掴んでもすり抜けてくる』だよ。全然違うじゃん」
グラウンド一面に広がる砂は、いくら数えても数えてもキリがない。どこまでも終わりがない。それでもいつかは終わりがくるのだろうけど、その終わりはいつ来るかもわからないだろう。多分一生かもしれないし、それ以下かもしれないし、それ以上かもしれない。少なくとも、明日明後日で数え切ることはわたしには出来ないなと、そう考えて歩く。
少しだけ、あの日よりも視界は晴れてきたし、熱さもないなぁとわたしは笑う。少なくとも、今日町を散歩してた際に何年ヵぶりに見かけた彼を呼び止めたことを、わたしは後悔はしてないだろう。
「『健吾!』って思わず呼び止めちゃったけど、ちゃんとアイツもわたしのこと覚えてくれて嬉しかったな……」
恋が砂だとしたら、この気持ちを否定などしなくても良いのかもしれない。だって人を好きになるということは、何年経っても年を重ねても、静かに砂を数え続ける途方もないことなのかもしれないのだから。
end.
それは、無意識のうちに、口をついて出た言葉だった。わたしの隣でわたしと同じようにしゃがんでいた彼は、一瞬呆気に取られたようにしたが、すぐにいつもの晴れの間のような笑顔でこう言った。
「なんだそれ?それってあれか?なんていうか、シテキヒョウゲンってやつ?」
「もう。何となく思っただけだから。馬鹿にしないで」
わたしはそう返すと、彼を睨んでみせる。しかしそこまでの迫力がなかったのだろう、彼は「なに変な顔してんだよ」とわたしをからかってきた。でもまぁ、本気で怒っていたわけではないから、そこまで嫌な気持ちにはならなかった。
「で?なんでそう思ったわけ?」
「え?」
「恋が砂みたいだってやつ。あゆみは、なんでそう思ったの?」
「え、マジで聞いてくるんだ」
「だって気になるし。なんか面白そうだし」
「……」
小学生のときから変わらない、好奇心旺盛なその眼差しから、わたしは目を逸らす。そして、目の前に広がるグラウンドの砂を少し持つと、それをサラサラと水に流すように手の力を抜き、落としてみせた。
「砂ってさ。こんな感じで手で掴んでもすぐ落ちていくでしょ?まるでそこになにもなかったかのようにさ。でも、手には感触は残る。手元にはなにも残らないのにね。そーいうのが、なんか恋みたいって思って」
「ふーんなるほど。要するに、あゆみは恋はずっと掴んでいられるものじゃないって言いたいんだ?」
「別にそういうんじゃないよ。深い意味はないし。なんかふと思っただけだもの」
「そっかー」
そして彼は、うーんと大きく伸びをした。先程のわたしの話に興味がなかったわけではないと思うが、彼はふと思い出したように、別の話題を持ちかけてきた。
「にしても、何となーくこの町に来てみたらさぁ。小学校で運動会はやってるし、そこであゆみに会えたしで、帰って来て良かったよホント」
「あ~そうだよね。君、小6で中学に上がるのと同時に引っ越して以来、一度もここに帰ってきたことないんだったっけ?」
「ん?いや、中1の頃に、一度だけこの町の市民文化祭には来た気がするなぁ。そーいや、そのときにお前、クラス対抗の合唱発表かなんかで指揮者やってなかったっけ?めっちゃ必死でちょっと笑った」
「なによそれ。そりゃ、初めての経験なんだから緊張もするでしょ!てか、君来てたんだ。全然気づいてなかった」
「んだよそれ、お前って本当ドライだよなぁー。他のやつらは、おれが来てめっちゃ嬉しそうだったのに」
そう言って、不貞腐れたかのように、ブーブーと文句を言う彼。わたしはその様子に思わず吹き出すと、今は100メートル走をやっているのか、たくさんの父兄や教師や子どもたちの歓声に身を委ねるように、当時を思い返した。
今は地方の短大に通いながら一人暮らしをしているわたし。高校生までは地元であるこの町に暮らしていたが、進学と同時に実家を離れ、かれこれ一年ぶりにこの町に帰って来たのだった。お正月は残念ながらインフルエンザに罹ってしまい、泣く泣く帰郷を断念したのだ。
一年ぶりの故郷は、自然とわたしの心を解放的にしてくれた。もちろん、都会での生活に不満があるわけではない。短大にも友達はいるし、勉強は楽しい。気がかりなことといえば就活くらいだが、自分の希望する職種の会社には何度もインターンで通い、徐々に絞れそうである。
だから間違いなく、今の暮らしは充実している。でも故郷に帰って来たことであの頃の気持ちを全て思い出してしまいそうで、それが怖くもあり嬉しくもあった。
「プッ」
そうやってわたしが運動会の競技に見入っていると、彼は突然吹き出した。
「なに?」
「……いや、なんかふと思い出してよー。小6のときだったかな?ほら、小学校っていわゆるクラブ活動があるじゃん?そのときに、あゆみのバットの持ち方がめちゃくちゃだったの思い出して……」
「あー……。あのときね。……てか、なに笑ってるのよ!仕方ないじゃん、野球とかあまりしたことなかったんだから」
「あはは!ごめんごめん……。でも、あまりにも心配になるレベルだったぞ?」
「もう、だからやめてって……」
「てか、なんであのときスポーツクラブに入ってたんだよ?あゆみのことなら、イラストクラブとか、読書クラブとか、そこら辺を選びそうだったのに?何故にスポーツクラブだったんだ?」
「さぁー何故でしょう?多分、運動音痴なりに新しい挑戦をしたかったんだと思うよ?自分でも全然覚えてないけどね」
「運動音痴かぁ……。今も運動音痴なの?」
「……ご想像にお任せします」
「アハハ」
わたしの言葉を聞いて、空を見上げながら声を上げる彼。だからなんでそんなに面白いんだと内心で毒付きつつも、彼は当時とまったく変わってないなと少し安心した。
彼はいつも明るくて、いつも周りに人が寄ってくるような、いわゆる人気者だった。そのうえ容姿も整っていて、運動も勉強も出来るという完璧ぶり。それは多分今も変わっていないのだろう。先程、再会したときに身の上話をしていた際に知ったことだが、今は医学部に通っているとのことだった。明るく、とても心優しい彼のことだ。絶対良いお医者さんになるだろう。わたしはそう、漠然と考えていた。
「てか、あゆみってやっぱりシテキヒョウゲンが得意だよな」
「え?今度はなんの話?」
「今ふと思い出したんだけどさ。お前、国語の作文かなんかで、『わたしは、男の子が好きです』みたいなこと書いてなかったっけ?」
「!」
「あれってどういう意味?もしかして、いわゆる男好き……」
「ち、違うよ!あれは、ほら!わたしあの頃少女漫画にハマってて!それで、少女漫画に出てくるような男の子が好きってニュアンスじゃ……なかったんじゃないかな!?」
「いや、なんで疑問形?そしてなんで焦ってんの?」
「もう!焦ってなんかないし!」
わたしは、彼に背を向けるようにしゃがみ直すと、手でパタパタと顔を扇いだ。人の黒歴史をほじくり返すなんてやめて欲しいものだ。わたしだって、あんな作文を何故書いてしまったのかと、今も少し後悔しているのに。
彼は特に悪気はないのだろう。それはわかるし、わたしだって怒ってはいない。でも、正直あの作文には触れて欲しくなかった。だって自分の面倒臭さと彼の分からず屋だったところを、一気に直視してしまうから。
ーー♪♪。
そのときだった。どこからか電話が鳴る音が聞こえる。
「あ、おれじゃん」
そう背後から聞こえる声。彼のスマホが鳴ったのだろう。振り返ると、「もしもし?」とスマホを耳に当てる彼の姿が目に入った。
「あー。ミキ?そうそう、今日、久しぶりに小さい頃に住んでた町に来たんだけど……」
その、彼の表情を見て、わたしは悟った。
彼が、小学生の頃も、再会したあともみせたことがなかった表情。とても初々しいのに、この世界がその人中心に回っているかのような、世界が広がるのに狭まるような、そんな甘酸っぱいなにかを抱えた表情。あの頃好きだった漫画のヒロインやヒーローたちがしていたその表情を、目の前の彼も、確かにしていた。
「今のって、もしかして彼女?」
通話を終えた彼に、わたしはなんの気なしに聞く。わたしの内心などもちろん気づかずに、彼は今も競技で盛り上がる人々の方を向きながら、とつとつと話し出した。
「そっ。彼女。なんつーかその……。初めて出来た彼女でさ……。おれ、ぶっちゃけ今までスポーツとか勉強ばっかしてきたから、彼女とか初めてなんだけど。でも、なんか、アイツと一緒にいると、めちゃくちゃ楽しいし安心するんだよ」
「そうだね。顔を見ればわかるよ。めちゃくちゃ気持ち悪いもん」
「え……。なんだよおれ、そんなに惚気てる?」
「うん。それはもう、恥ずかしいくらいに」
「なんだよそれーー……。あ、なら、あゆみは?」
「え?」
「あゆみは、彼氏とか、今好きなやつっていないわけ?」
「……」
今は6月初旬。今日は運動会日和の快晴だ。実際に、先程まで、グラウンドの地面の砂の熱さが、じわじわと体温をあげていたはずだった。でも今は、どこか涼しい。体は熱いのに、思考よりももっと深い場所は、一瞬だけ冷たく感じた。
わたしは、先程までと変わらないテンションで口を開いた。自分の淡々とした話し方を、今だけはありがたく感じた。
「好きだった人なら、いるけど?」
その時、不意にあの日の記憶が蘇った。あの日の勇気と今日の勇気は、多分精一杯のわたしの勇気だから、多分この先後悔することはないだろう。
「へぇ~。あゆみに好きだった人がいたのかぁ……。それって、少女漫画の男の子とか?」
「うん。そう、そういうこと。少女漫画に出てくる男の子が好きというか憧れだった気がする」
「ハハッ!なんつーか、何気に例の作文の伏線回収してる?」
「もう……!作文の話はいちいち出さなくて良いよ!」
「アハハ……。あ、もう昼だ」
ふと、腕時計に目をやった彼。そういえば、小学生の頃の同級生たちと、これから食事に行くって言ってたっけ。
「てかあゆみも一緒に来れば良いだろ?みんな会いたがってるだろうし」
「うーん。わたしも会いたいんだけどね。でも、午後のバスで帰らないといけないから」
「そっか。就活で忙しいもんな。頑張れよ」
「うん」
そう頷いて立ち上がるわたしと彼。そして、そのまま別れの挨拶をし、歩き出そうとしたけど。
「あ、待ってあゆみ。これさ」
そう言って、ポケットからあるものを取り出す彼。彼の手の中にあったのは、かなり古ぼけた、歪な形の白い糸で編んだミサンガだった。
「これをあゆみがくれたからさ。慣れない暮らしの中でも、小学生のときのことを思い出したら頑張って来られたんだよ。マジで感謝してる。ありがとう」
「まだ持っててくれたんだ」
「当たり前だろ!おれは人から貰ったものは大事にする主義だからな!ちなみに、手紙もまだ持ってるぞ」
「そんなに得意げに言わなくても……。ふふっ、そうか。手紙まで取っておいてくれてるんだ。なんて書いたっけ?わたし」
「うーん。ひらがなで、『新しいばしよでも、がんばってね』みたいな?なんで場所を漢字で書かないんだってめっちゃ爆笑したわ」
「仕方ないでしょ!漢字苦手だったんだし!それに、急いで書いたってのもあるし!」
「はいはい。それでも、あゆみの手紙とミサンガに助けられたのは事実だからな?」
「どういたしまして!」
そして、少し談笑したあと、再びわたしたちは別れの挨拶をして、それぞれの目的地へと歩き出した。彼は小学生の頃の同級生たちの元へ。そしてわたしは荷物を取りに実家へ。
かつて歩いていた通学路を歩きながら、わたしは不意に抑えていた言葉をこぼした。
「アイツ、彼女出来てるんだ。良かったぁ……」
空は運動会日和の真っ青な快晴。でも今のわたしの視界はどこか霞んでいて、淡いコバルトブルーはなにも見えなくなっている。空だけじゃない。思い出の風景が、どれも霞んで見えた。
「つーかアイツ本当ムカつく。ちょっとは悟ってくれれば良いのに。バーカ」
普通、みんなに好かれる人気者が市民文化祭に来ているのを気づかないわけないだろう。指揮者の役目だって、君が見ていると思ったら、絶対に失敗は出来ないと思っただけなのに。
スポーツクラブのことだってそうだ。君がスポーツ少年なんかじゃなかったら、わたしだって自分のやりたいクラブに入っていた。そもそもバットの持ち方だって君がさり気なく教えてくれたくせに、そういうことは覚えてないんだ。頭良いくせに。
『わたしは、男の子が好きです』……。これは、確かに男好きって思われても仕方ないとは思う。だってこれは、周りにわたしには好きな人がいると気づいて欲しいけれど、誰のことが好きかは気づいては欲しくなかったから、ふと思いついた言い訳みたいなものだから。
「あ~あ、なんか、あの日と同じじゃん。わたし」
あの卒業式の日、突然彼にミサンガの入った手紙を押し付けるようにして立ち去ったわたし。そのときのわたしはこの通学路を全力で走りながら、せり上がってくる熱いものを、拭うことも出来なかった。
だけど、あの日を後悔しているかというとそうではないと思う。あのときのわたしにとってはあれが最善だったし、手紙を渡さなかったら、多分一生後悔していたから。
「なにが、『砂って手で掴んでもすり抜けてくる』だよ。全然違うじゃん」
グラウンド一面に広がる砂は、いくら数えても数えてもキリがない。どこまでも終わりがない。それでもいつかは終わりがくるのだろうけど、その終わりはいつ来るかもわからないだろう。多分一生かもしれないし、それ以下かもしれないし、それ以上かもしれない。少なくとも、明日明後日で数え切ることはわたしには出来ないなと、そう考えて歩く。
少しだけ、あの日よりも視界は晴れてきたし、熱さもないなぁとわたしは笑う。少なくとも、今日町を散歩してた際に何年ヵぶりに見かけた彼を呼び止めたことを、わたしは後悔はしてないだろう。
「『健吾!』って思わず呼び止めちゃったけど、ちゃんとアイツもわたしのこと覚えてくれて嬉しかったな……」
恋が砂だとしたら、この気持ちを否定などしなくても良いのかもしれない。だって人を好きになるということは、何年経っても年を重ねても、静かに砂を数え続ける途方もないことなのかもしれないのだから。
end.
