狐の窓

「けしやうものか、ましやうものか。けしやうものか、ましやうものか。けしやうものか、ましやうものか。」

 いつも通り狐の窓を手でつくり、そう唱えて窓を覗く。
 見えるのは部屋の白い壁だけ。
 無意識にため息が漏れる。
 --今日もダメだったか。
 何度目かもわからない、期待が裏切られるような胸の痛みを抱えながらベッドに潜った。

 "狐の窓"

 それは、人間に化けた妖怪や狐の正体を見破るために使われる呪術の1つである。特定の形に指を組み、呪文を唱えることで、異界を覗くことができるともいわれている。
 しかし、妖怪や魔物に正体を見破ったことを気づかれてはいけない。気づかれてしまえばこちらの身に危険が及んでしまう。そんなおまじないである。

 私、佐孤牡丹は、この狐の窓を習慣的に行っている。
 オカルトが特別好きだとか、妖怪や魔物をこの目で見てみたいからだとかそのような理由ではない。妖怪や魔物に全く興味がないわけではないが、私がこんなにも狐の窓に思いを寄せている理由は別にある。
 それは”異世界に行きたい”という夢があるからだ。
 くだらない、子供じみた夢であることはわかっている。この憧れを抱いたとき、自分のロマンチストさに飽き飽きしたくらいだ。けれど、決して思い付きで言っているわけではない。私はただひたすらに、この汚く、息苦しい世界から逃げ出したいだけだ。

 そう自分の意思を指でなぞるように、四角い夜空を眺めながら再確認した。
 部屋についた窓から、星が手を振っている。思わず手を振り返しそうになる。
 この世界の好きなところといったら夜くらいかもしれない。
 夜は心地いい。
 窓から見える星の瞬きと、藍色で澄んだ夜空の美しさが、幻想的な気持ちにさせてくれる。非現実的な美しさと、静寂な雰囲気が、まるでこの世界に私とこの美しい空しか存在しないのではないかと錯覚させてしまうほどだ。
 夜に窓を覗いているこの時間だけが、一瞬でもあの世界から逃れられた気分になれる。
 それなのにおかしい。なぜ人間はこんなにも美しい夜を差し置いて、眠りに誘われなければならないのだ。そして、暑苦しい太陽の照らす、昼間に活動しなければならないのだ。
 夜になると自動的にくるこの眠気もうざったい。早く眠れ、と急かされている気分だ。
 私はただ夜空の下でゆっくりと時間を過ぎるのを感じていたいだけなのに。顔を上げると必ずそこにある、この空たちに癒されたいだけなのに。月が沈み太陽が昇ることを、この時間だけでも否定したいだけなのに。
 毛布に潜り、頭に流れてくる不満の数々を考えては消え、考えては消えと繰り返しているうちに、いつの間にか眠りの世界に引きずり込まれていた。

 
 鳥のさえずりが耳から脳に伝わった頃、顔面を強烈な光が照らした。反射的に毛布で顔を守ろうとしたが、もう遅かった。脳みそは一気に活動モードに切り替わってしまったのだ。
 私の心を煽るように眩しく輝く太陽は元々嫌いだったが、今回の一件でさらに嫌いになった。
 布団に身を包み、枕元にあるスマホを無造作にひったくる。
 スマホの画面を叩くと、太陽とは異なる青白い光が目を照らし、再び目を細めた。
 画面に表示された、”5:50”の数字を見て思わずため息をつく。起床時間の十分前だ。まだ十分も眠れたというのに、太陽、許さない。
 無理矢理眠りの世界へ引きずった挙句、起きる時間の十分前という絶妙な時間に起こしやがって、私の意志などお構いなしに、なんと無慈悲なのだろう。せめて目覚めの良くなる夢でも見せてくれればいいが、そんな記憶もない。
 心に浮かんだ沸々と込み上がる太陽への怒りを抑え込みながら、適当にスマホ画面をタップしていると、あるサイトを開いてしまった。最近ハマっているオカルト系YouTuberのサイトだ。
 何度読んだかわからないサイトに目を通す。手順は覚えているのに、なぜかいつも引用サイトの注意喚起だけが目に止まる。再度読み直し、スマホを閉じる。
 枕元にあった牡丹模様の手鏡を手に取る。そこには少々寝癖が気になるが、それを除けば完璧な美少女が映っていた。その美少女はもちろん私だ。
 おはよう、私。今日も可愛い。

「朝ご飯できてるから、早く降りてきなさい!」

 櫛を取り、鼻歌を歌いながら寝癖を直していると、お母さんの声で我に返った。そうか、今日も学校があるんだった。
 
 学校という名の監獄が。

          *****

「おはよー!」
『おはよー牡丹』
 
 得意の作り笑顔で明るく挨拶をする。
 
『ねー見たー?昨日のテレビ』
「あー見た見た!森健!かっこよかったよねー」 
『月6のドラマの最新話もやばかったよね!ガチメロい…』
「わかるーイケメンだった!」

 そう言った私はどんな内容かも知らないまま、相手の求めている言葉を並べた。
 森健こと森健太郎は、最近若者に人気な俳優兼アイドルで、今年の国宝級イケメンランキングでトップ5に入るほどの人気っぷりである。
 友達の舞美は、この森健の地下アイドル時代からの大ファンで、遠征してイベントに通うほどの森健オタクなのだ。
 今までの会話でわかる通り、舞美の中で私は”森健ファン”ということになっている。私がそう言及した記憶はないが、いつのまにかそうなってしまっていた。
 だから私は、誤解を解くのも面倒だったので、舞美からの認識から外れないように、自分の時間を削ってまで見たくもないテレビを毎週見ているのだ。
 自分への護身法として。
 
『うわ…見てあそこ。根暗本また独り言喋ってる。きも…』

 舞美の声に反応して前を向くと、そこには見覚えのある姿があった。
 貞子みたいに腰まで伸ばした髪に、猫背の姿勢で、いかにも近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
  
「あ…ホントだ…」

 クラスで除け者扱いされている倉本さん。
 みんなに嫌われていることに気づいているくせに、なぜ溶け込もうとしないのかわからない。周りに合わせれば、今よりは息がしやすくなるだろうに。
 私はああはなりたくない。
 私たちは根暗本と呼ばれた彼女を横目に、速足になった舞美の背を追いかけ、スタスタと笑いながら通り過ぎていった。
 
「おはようー牡丹」
「おはよー!昨日さー」
「牡丹おっは~」
「よっ!佐狐」
「おはよう、牡丹ちゃん」

 いろんな声があたりを飛び交う。流れ作業で1つ1つ声を処理していく。
 道を歩けば誰かしら声をかけてくる。自他共に認める人気者である私には、この立ち位置が苦痛でしかない。

「牡丹おはよう!今日も相変わらずの美貌をお持ちで笑」
「そんなことないって〜美穂のほうが可愛いよ!」

 いや、言われなくても知ってるわ。
 こうやってみんな私に媚を売る。
 そこらへんで笑って私の名前を呼ぶみんなはどうせ、”可愛い牡丹の友達”というポジションが欲しいだけ。

「うわ笑あいつまたヘラヘラしてるよ笑笑」
「ほんとだぁ笑ひかりのほうが何倍も可愛いのにね笑笑」
「みんなに媚び売って何したいんだか笑まじイキんな……?」

 わざとらしい大声が飛んでくる。
 ……聞こえてるっつうの。
 そこらへんで笑ってる連中も、安全なところから私への嫉妬垂れてるやつも、本当の私のこと知らないくせに。都合のいいようにレッテルを貼り付けているくせに。
 そんなことを心の中でぼやきつつも、顔面に笑顔を貼り付けていた。
 

『佐孤、少し頼みがあるんだが』

 担任の山田先生。私を都合のいい、いい子ちゃんだと思い込んでいる人。
 この人は適度な距離でいることを好むから、礼儀正しく、丁寧な言葉遣いで接さなければならない。

『体育館倉庫から、空いた段ボールを持ってきてほしんだ。お願いできるか』
「わかりました。職員室に届けておきましょうか?」
『そうだな。頼む』
「了解です」

 ペコっと軽く一礼する。先生が職員室に入るのを見送った後、深々とため息をこぼした。
 あの担任はなぜいつも私に頼るのだ。ほかにもそこらへんに生徒がゴロゴロいるだろう。てか自分で取りに行けよ。
 よりにもよって体育館倉庫なんて。あんな埃っぽいところ行きたくない。が、理由もなく断って機嫌を損ねられるのは極力避けたい。面倒事ほど、関わりたくないものはない。
 

 ゴホゴホッ
 体育館倉庫は思っていた以上にじめじめとしていて、ここだけ一年中梅雨の時期で止まってるかのように、埃っぽかった。肺に息を送り込むだけで、咳が止まらなくなる。何年掃除してないんだここ。
 この学校の体育館倉庫は校舎から地味に遠くて、ボーボーと生い茂った青臭い草の中を通らなければならない。虫も多いし、植物独特の癖のある匂いがとにかく不快だ。良いところといえば、人気が少ないところくらいだろう。
 辺りをざっくり見渡すと、錆びた机といす、昔体育祭で使われていたであろう大玉や大繩、チアダンスで使うようなポンポンが目に入った。ほかにも行事で使われていたらしきものが、息を引き取ったように物寂しく集められている。
 こんなにたくさんものがあるのに、肝心な空の段ボールがない。どの段ボールにも何かしら物が入っている。
 適当にひっくり返して持っていけばよいのではと思ったが、埃で手を汚すのは癪なので時間をかけてでも探すことにした。
 雑に積まれた木材をくぐり、空気中に舞った埃を払いながら奥まった場所へ入ると、やっとたたまれた段ボールの束を見つけた。灰色の埃から時々茶色が顔を出した段ボールは、とても触れがたかった。
 昼休みだから時間はあったものの、授業間の休み時間に頼まれていたらきっと見つからなかったに違いない。
 埃の被った段ボールを触ることに躊躇していると、肘が乱雑に積み重なった木材にぶつかった。
 木材がギシギシと嫌な音を立てている。崩れそうな気配がする。

「キャー!!!!!」
 
 ガシャーン
 木材の崩れる鈍い音と共に、甲高い悲鳴が響き渡った。一瞬その悲鳴が自分の声から出たものだとは気づかなかった。
 幸いにも私の上に落ちることはなく、足元で雪崩はおさまった。
 バクバクと嫌に鳴った心臓を抑えようと深く深呼吸をする。
 抜けそうになった重たい腰を上げる。
 すぐにでもこんなところから抜け出そう、そう思い床に散らばった木材に手を伸ばした時、「牡丹ちゃん!」と背後から声がした。ビクッと体を震わせる。
 その張りのある声と、柔らかな口調を聞いただけで、ある1人の人物が私の頭に浮かんだ。不快感が雨雲のように塊を作り私の心に棲みつく。
 どうしてここに。
 恐る恐る後ろを振り返ると、(私には劣るが)整った顔立ちの男性がうっすらと笑みを浮かべそこに立っていた。微かだが肩が上がっている。
 顔を見るとますます嫌悪感が増す。

「……祐希…くん……どうしてここに?」

 さっきまで緩めていた口の筋肉を上げる。
 1mmの心の乱れすらもバレないように、細心の注意を払いながらそう声をかけた。
 中村祐希くん。学年で一、二を争うと言われているイケメン男子で、端的にいうとモテ男だ。一日最低五人に告白されているという噂もたっているくらいだ。
 なぜそんなモテ男が私の目の前にいるのかというと、私にもわからない。心当たりがあるといえば、先週彼に告白されたことくらいだろうか。もちろん振った。顔がいいという理由だけでも妬まれるのに、人気男子を彼氏にするなんて、言語道断だ。
 私の質問を聞くと、彼は困ったように眉を下げ、言いづらそうに口を開いた。

「……えっと……体育館倉庫、危ないって聞いて、すごい音が鳴ったから、心配で…………勝手についてきちゃってごめん……」

 そう言った彼の声は走った後のように声が上擦り、息が上がっていた。薄暗いからか、頬が微かに赤くなっているように見える。
 きっと、少女漫画だったら「え!心配してついてきてくれたの!?キュン!」みたいになっているんだろうけれど、私にはそう思えない。
 彼の話を要約すれば、つまり彼は私を尾行してきたということだろう。心配だという理由をこじつけて適当についてきたのではないか。身震いがする。
 
「あ…そー…なんだ。心配してくれてありがとう。…じゃあもう用事終わったから…行くね。じゃあね」

 声のトーンが下がるのをぐっと堪え、動揺がバレないように段ボールを手に取って、駆け出した。
 なぜ彼は私に絡んでくるのだ。断り方が悪かったのか?自分の美貌があればきっと私を落とせると自惚れているのか?避けていることにどうして気づかないのだ。もうそろそろ諦めてほしい。未練たらしいのが目に見える。
 別に彼のことが嫌いなわけではない。でもできれば関わりたくない。彼はモテ男なのもあってファンが多い。よって私が近くにいたり、彼が私に告白したことを知られると、度が過ぎたファンによって厄介事に巻き込まれる可能性がある。
 それに彼もどうせ、みんなと同じだろう。私を何も知らずに告白してきたに違いない。私という可愛い彼女がいる、というステータスを求めているだけだろう。
 あ、木材片付けるの忘れてた。
 ……まぁいっか。
 彼への少しの罪悪感を感じていた頃、私の体は職員室の前にあった。
  
          *****

『牡丹、じゃあねー』
「じゃあね!また明日」

 舞美と別れた後、深々とため息をついた。やっと肩の力が抜けた。作り笑いのしすぎで、顔の筋肉がはちきれそうだ。
 それに今日はいろいろ災難だった。いつも以上に気疲れする。
 これだから学校は嫌なのだ。気を張って、気を遣って、愛想ふりまいて。バカみたいだ。
 それでも私はこうするしかない。
 少しでも周りと違うことをすれば、白い目で見られて、その日のお笑いトークとしてティッシュのように消費される。学校という世界では、浮いた行動をすることが罰に値する。だからみんなと同じ行動をして、熱々のコーヒーに入れた砂糖のように周りに溶け込まなければならない。本当に息が詰まる。
 きっと私は学校という名の監獄に囚われていて、これは一種の刑務作業なのだ。
 部屋に着くと、私はバッグを放り投げ、ベッドに飛び込んだ。体は鉛のように重く、心も体もひどく疲れ切っていた。
 外では私の心を移すかのように、水が地面を叩きつける音が鳴り響いていた。さっきまでサンサンと輝いていた太陽は、役目を取った雨雲を嫉むように顔を覗いていた。この水の音が今の私には心地よかった。
 水の音を耳に入れ、ボーッとただ月の浮かぶ白い天井を見つめる。すると今日起きた不快な出来事が自然と頭に浮かんでくる。
 みんなから私への期待に満ちた表情、陰でされる根も葉もない噂、私を都合よく使う先生、未練ったらしい祐希くん、私を嘲笑う冷たい視線。
 どれだけ身を削って、どれだけ慎重に言葉選びをして、どれだけ気を遣えばあの空間で呼吸が楽になるのだろう。前世の私は相当重い罪を背負って死んだのだろうな。
 いったいいつになったらあの監獄から抜け出せるのだろう。
 明日も学校、明後日も学校、明々後日も学校、その次も学校、その次も、その次も、その次も…
 あの監獄で続く、あの空気感、あの雰囲気、あの眼差し、あの視線、あの息苦しさ、あの居心地の悪さ、あの場所、あの地獄、あの、あの、あの!
 あー。
 私の中で何かが弾けた。
 もう、学校になんか行きたくない。
 あんなやつらに身を削ってまで気を遣いたくない。
 もうやだ。なんで私ばかりこんな。
 あんな何も考えず猿みたいに声を上げて笑ってるやつが羨ましい。
 
 あー、異世界に行きたい。
 
 そう心の中で呟いたとき、私の両手は無意識のうちに狐の窓を作っていた。

「けしやうものか、ましやうものか。けしやうものか、ましやうものか。けしやうものか、ましやうものか」

 (って、何も起きないよな)
 
 心の中で自分を嘲笑う。
 ため息をついて目を閉じる。
 深々と呼吸をする。
 一体自分は何をしているのだろう。
 こんなお遊びに振り回されて、一喜一憂して。馬鹿馬鹿しい。
 こんなこと、もう今日きりで終わりにしよう。
 再び目を開いたとき、私は自分の目を疑いそうになる光景を目の当たりにした。
 指の間に作られた小さな窓には、森のような山のような雪景色が広がっていたのだ。しとしとと雪が降り積もっている。木々の間には小さく列が見えて、こちらに向かってきているようだった。
 あまりの衝撃に体を起こす。
 今は7月。雪など降っているはずがない。降っていたとして、今自分の部屋の天井を向いている私の指の間に、このような景色が見えるわけがない。
 私は声にならない声をあげ、胸いっぱいに満ちた喜びと安堵が涙となって体内から溢れた。
 私はとうとう夢にまで見た異世界につながることができたのだ。
 いろいろ思うことはあるが、私は溢れそうな声を押し殺し、狐の窓から見える1つの参列を見つめた。20~30人程度で構成された行列がゆっくりと一定のペースでこちらに近づいてくる。
 先頭に歩く人の様子が見えるほど近づいてきたとき、私は息をのんだ。
 そこには白無垢に身を包んだ黄褐色の狐と、黒五つ紋付き羽織袴を着た、クリーム色に黒が混ざった毛の狐が二足歩行で横に並び歩いていたのだ。後ろには2匹(2人?)を雪から守るように狐が野点傘を差していた。その前には、狐の体の半分くらいの大きさの小孤が、明かりのついた提灯を持って列を率いていた。
 狐なのに人間のようなことをするんだなぁと、現実離れした光景に尻込みすることも忘れ、冷静に観察している自分がいた。無性にわくわくさえもしていた。
 しばらく狐の行列を見つめていた。私の目は、あの小さな行列に釘付けになっていた。
 長い狐の行列が、私が覗く窓には見向きもせず(あちらからは見えないのかもしれないが)私の前を通り過ぎていくと、最後尾に一際異なったオーラを放つ白狐がいた。
 ほかの狐が黒や茶など地味な袴を着ているのに対して、その白狐はスカイブルーのグラデーションの華やかな袴を身に纏っていた。結晶の模様が刺繡された羽織は、周りの雪も相まって引き立てるられるように輝いている。堂々とした雰囲気に、上品な佇まいは、やはりはっきりと周りとの差を見せつけた。

ビクッ

 え?
 
 背筋が凍る。
 首元にナイフを突きつけられているかのような緊張が走った。
 
 今……目が合った?
 
 いやいやそんなまさか…
 気のせいだと思いたいのに、体全体の血の気が引き、心拍数は上昇していた。杭に打たれたかのように、その場から一歩たりとも動けなかった。
 信じたくない、受け入れたくない事実だったが私の脳にははっきりと残っていた。あの白狐の睨み顔が。獲物を見るような、全て見透かされているような恐ろしさがあった。瞬きを忘れ一瞬たりとも目が離せなかった。
 狐の行列が小さくなるまで、私の体は硬直して動かなかった。
 真っ白な雪と木と草だけが残ったとき、この雪景色は不気味なほどに静まり返っていた。雨の音も消えていた。
 ようやく自分の息が吹きかえった。
 ほっと安堵して、両手を離そうとしたときだった。
 一瞬の出来事だった。
 目の前を色白い光が包んだ。
 何が起きたのかわからず、目をつぶっていることしかできなかった。

          *****
 
 頬に冷たい感覚がしたとき、私は目を覚ました。周りの景色を見て、初めて自分が雪の上で横になっていたことに気づく。さっきまでベッドの上にいたのになぜ私こんなところに。
 むくっと立ち上がり、辺りを見渡す。服は制服のままだ。まさか、と1つの可能性が頭をよぎったが、私は自分で首を横に振った。
 いやいや、そんなわけがない。少し似ているだけだろう。
 あんな場所、世界を見ればそこら中にあるはずだ。
 この時期に雪が降るなんておかしいし、指の隙間から行列が見えるわけがないし。しかも狐が二足歩行で歩いているわけないし。
 きっと夢でも見ているのだろう。
 きっといろいろ考えた後、そのまま眠りについてしまったのだろう。
 ”窓の景色”に似ているなんて、そんなわけ。
 頭の中でぐるぐると言い訳の言葉が飛び交う。
 必死に言い訳をしたいのに、私の額に降り注ぐ雪が、指先を冷やす風が、私の体に冷たいと感じさせる。これは現実だと突き付けてくる。
  
 え、本当に叶っちゃった…?
 
 ここは異世界ってこと?

 
 私、異世界にこれたんだ。


 
 やっと、夢が叶ったんだ!
 
 嬉しいはずなのに、顔には確かに笑顔があるはずなのに、どうしてだろう。こんなに不安なのは。こんなに孤独を感じるのは。

「寒い…」

 凍える。このままだとやばい。
 私はその場にへたりと座り込んだ。
 ザクザクと雪の上を歩く音が聞こえる。だんだんと音のテンポが速くなりこちらに近づいてくる。

「貴様!なぜここに…!」
 
 声に反応し顔を上げる。そこには狐の行列で最後尾を歩いていた、あの白狐が立っていた。
 何かしゃべろうと口を動かすが、声が出ない。聞きたいことがたくさんあるのに。
 視界がぐらつく。パタンとその場に倒れこむ。体の感覚もなくなってきた。あの狐が何か言っている気がするが、何も聞こえない。

 ああ、せっかく異世界にこれたのに、私、ここで。

 意識が朦朧の中、サイトの文字だけが頭に浮かび上がっていた。