陽平が青葉台へ戻り、美陽の家の前を通りかかる。ちょうど郵便物を取りに外へ出ていた美陽と鉢合った。美陽の姿を見つけると、陽平はいつもと変わらない調子で駆け寄る。
「今日もおばさん帰り遅いん?」
陽平の問いに答える代わりに質問で返す。
「どこ行ってたん?」
「え?」と陽平が聞き返す。とぼけたわけではない。唐突な質問が予想外だった。
「連絡してんけど」
あっと陽平が思い出す。
「ごめん。見た。見たけど返すの忘れてて。後で返そうって―」
「ふーん」と冷たく言い放たれた言葉が陽平の心臓を刺した。
「南と、南と買い物行ってて。ずっと歩いてたし携帯触るヒマなくて。いや、あったけどその」
ふっと美陽の表情が和らぐ。
「別になんも言ってないやん。楽しかった?」
「うん、普通に」
「南になんか言われた?」
一瞬帰り際のバス停での事を思い出した。それでも「いや」と言葉を濁した。
「そっか。楽しかったならよかったやん」
美陽が玄関へ戻っていく後ろ姿を見送る。ドアが閉まる直前に美陽が手を振り、またなと声を掛けた。それにならい陽平も手をあげる。ドアが閉まる音がすると、陽平もその場から離れた。家に戻ろうときびすを返した時、さっきまで気づかなかった光景が目に入った。
美陽の家の庭に二羽、スズメが落ちていた。落ちていたという表現が正しい気がした。たぶんそれらは死んでいたから。ゾクっと背筋を何かが這い上がる。それが何を意味するかは分かっていたはずなのに。その時はそれを見て見ぬふりしてしまった。
台風が来ているわけでもないのに、風がどんどんと強くなる。黒い雲が空を覆い、夏の夕方は夜のように暗くなる。ぱたぱたと大粒の雨が風に乗って吹き荒れる。窓の外は黒い景色に黒い雨が降りそそいでいる。
「ええ!? 佳織ちゃんが?」
リビングで携帯をいじっていると、母親の驚く声が聞こえた。ちらっと母親の方を見ると誰かと電話で話している背中が目に入った。
「そうね、後は任せるしかないものね。無事だといいのだけど」
そのような話をして通話を切る。南が? 無事? 何の話かと心がざわついた。
「南が何?」
無機質な声で問いかける。別に不機嫌なわけではない。いつの間にかこういう接し方をするようになっていた。
「まだ帰ってないんですって。こんな天気なのに。連絡もつかないって」
時計を見ると十九時半をさしている。それほど遅い時間ではない。しかし以前南が十八時の門限がダルいと言っていたのを思い出した。
「誰か探しに出てんの?」
「お父さんが帰ってきたら車出すって。こんな雨だから、安易に外に探しに行くわけにもいかないでしょ」
会話をしていても母親の背中しか見えない。それでもどんな顔で話しているかは想像がつく。その表情しか、最近の母親の記憶がないからだ。
陽平がバタバタと階段を駆け上がり、自分の部屋へ向かう。急いで携帯のアプリを立ち上げ美陽の名前を探した。メッセージ画面から通話ボタンを押す。
―出ろよ出ろよ出ろよ。
焦る気持ちと共に嫌な気持ちが腹の奥をしめつけ、全身が緊張したようにぞわぞわとした。
鳴りっぱなしの呼び出し音が陽平の脳内に響く。
「くそっ」
きっとこの天気だから、具合が悪くなって寝ているのだ。そう言い聞かせ心を落ち着かせる。美陽へメッセージだけ送ると、もう一度連絡先の一覧を表示させる。ゴロゴロと雲が鳴り出した。こんなにも耳障りに感じたのは初めてだった。
浅い眠りが続き、頭がまだぼんやりとしている。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。携帯を見ると午前七時六分の文字。その下に、美陽からの通知が表示されていた。慌ててメッセージ画面を開く。急いで電話をかけるとあっさりと美陽が電話に出た。
「ハル!? 昨日―」
「聞いた。南まだ帰ってないって。近所の人も探しに出てるらしい」
意外なほどにいつも通りの美陽の声。やはり自分の杞憂だったのかと、少しだけ肩の力が抜けた。
「……行くか?」
探しに行くかと美陽がたずねる。
「すぐ行く。待ってて」
顔も洗わずTシャツを着こみパンツを履くと外へと飛び出す。自転車にまたがると同時に走り出した。美陽の家に行くと美陽はすでに玄関前で陽平を待っていた。珍しく自転車を携えている。
「おま、顔洗ったんか?」
きちんと身なりが整った美陽とは反対に寝ぐせだらけの陽平が頭をかく。疲れたような陽平の顔を見た美陽がため息を付いた。
「寝れてへんの?」
「心配で!」
「分かるけど、南だって子供じゃないし、状況分からへんのに焦ってもしょうがないやろ」
それだけじゃないと陽平が思う。きっと心配なのは南よりも―。
「はい」といって美陽が袋を差し出す。
「食べながらいくで」
袋の中を見るとクリームパンとパックのカフェオレが入っていた。
「どうせヨウは寝起きで来るから」
自転車にまたがり漕ぎだした美陽を陽平が追いかける。翔也の時のように怯える様子も悩んでいる様子もない。
普段はバスか車で行くショッピングモールへの道を自転車で走る。高校方面や厳霊山方面はすでに大人が向かったと聞いた。あとは遠出をするとすればショッピングモールの方かと予想した。
「南、どうしたんやろ」
陽平はいつだって他人の心配をする。誰にでも、等しく心配をする。
「ヨウは南と仲いいもんな」
「友達やからな」
「……」
カラカラと周る車輪の音を聞きながら田んぼが広がる道を走る。キョロキョロと周りを見渡し、人を探す。
「南は、友達と思ってないんと違う?」
「ああ」と陽平が言葉の意図を察した。
「南が俺の事どうか思ってくれてても、俺は応えられへんし。でもほんまに大切な友達。俺らが転校してきたときも、からかうヤツらを一掃してくれた。俺だけじゃ、ハルを守れんかった」
陽平の目に憂懼の色が滲み出る。その色に美陽の心臓に突き刺さった何かがどんどんと溶けていくようだった。陽平には悲しい思いはさせたくない。陽平にはやっぱりバカみたいに笑っていてほしい。
「ヨウ、もうちょっと遠くまで探しに行こうか」
ペダルを踏み込む足に力を入れる。「うん」と返事をした陽平の声が少し明るくなったように感じた。
一日中探し回ったが、南は見つからなかった。仕方なく、日が落ちる前に二人はいったん解散した。しかし事は急な展開を見せる。
夕ご飯を食べ終えた頃、携帯にメッセージが届く。それは陽平と美陽が半ば無理やり作らされた蘆屋とのグループトークだった。
『佳織ちゃん帰ってきたで』
蘆屋からのメッセージに陽平がすぐに反応する。再び自転車にまたがり走り出す。すると同じタイミングで外へ飛び出したのであろう美陽と鉢合った。二人の視線に緊張が走る。言葉を交わすことなく南の家へと急いだ。
南の家の前には近所の住民がちらほらと集まっていた。田舎の町は、隣人の家庭事情も個々の素行もすぐ噂になる。どうして南が帰ってこなかったのか。家出か非行か、はたまた別の理由かと無責任に言い囃す。
陽平と美陽が自転車を乗り捨て、集まった人をかき分けていく。その中に山下を見つけた。
「山下のおっちゃん! もう大丈夫なん?」
山下にとって同じ小田地区に住む南は幼少期から知る子供だった。山下は心配そうに家を見つめていた。
「ああ、俺はなんともない。それにしてもこの数か月、えらい雨が降ったかと思えば妙なことが続く。なんとも不気味やな」
「うん」と陽平が頷くと、美陽がくいっと袖をひっぱってきた。美陽が指し示す方に蘆屋の姿が見えた。
二人が近づいていくと気づいた蘆屋が振り向いた。
「連絡ありがとう」
礼を言う陽平の後ろに隠れるように美陽が立っている。美陽をのぞき込むと、蘆屋が薄く笑顔を見せた。
「厳霊山で遭難してたらしいわ。あんだけ大人が探しても見つからへんかったのに、今しがたあっさり自分から帰ってきたらしい。ただ―」
「ただ?」
「精神状態はヤバいっぽいで」
陽平たちから見える位置に南の部屋があった。しかし今はカーテンが閉められ中の様子は見えない。少しでも南の顔を見て無事を確かめたかったのだが、今は諦めた方がよさそうだった。
「ハル、出直そうか」
「あ、うん。とりあえず戻ってきたなら、安心やろ」
部屋の窓に背を向けようとした瞬間、ちらっとカーテンの隙間から人影が見えた。
「南!」
陽平の声が聞こえたのか、南がカーテンを薄く開け外をのぞいた。ふわっと明るくなった顔が陽平に向けられる。陽平が嬉しそうに手を振ろうと、腕をあげた瞬間だった。南の目がおぞましさを含んでいく。挙動不審になったかと思うと取り乱したように叫び出した。暴れる南を駆け付けた両親が抑制する。窓越しにうつる光景は無声映画のようで、まるで別の世界で起こっている何かを見ているような感覚だった。
唖然とする陽平に対し、蘆屋と美陽は冷静にこの光景を見つめていた。
「君らは帰った方がええんとちゃう?」
蘆屋が陽平の肩をたたく。見透かした様な蘆屋の目に、陽平が肩の手を叩きはらう。「そうしよう」と美陽が淡々と返すと、先に歩き出す。陽平はその背中をポンと軽く押した。
「ハル、ちょっと、先行ってて」
不審には思ったのかもしれない。しかし美陽は理由を聞くことはせずそのまま歩き出し、人ごみから出ていった。美陽がその場を離れると陽平が蘆屋に向き直る。「なに?」と余裕の表情の蘆屋はいつだっていけ好かない。
「蘆屋の言う通り、登下校は沼の道を通るようにしてる。祠には近づいてない。やのにハルの体調もよくならん」
「今回のことも美陽くんのせいやと思ってるんや」
「ハルやない。ハルの中にいる鬼やろ」
「ああ、そうやった」と蘆屋が肩をすくめる。
「それに、南のことは鬼とは関係ないやろ。ヒがどうとか、飯を一緒に食ってもない」
「言うたやん。鬼は孕んでる人とリンクするって」
「は?」と陽平が眉を動かす。
「ハルが南をどうにか思ってるってことか? ありえんやろ」
美陽の事を微塵も疑わない陽平にいよいよ蘆屋の口角がゆるむ。
「それより、ハルの中から鬼はおらんくなるんやろうな。ほんとに信じてええんやろうな?」
まるでかぶりつかれそうなほど詰め寄られると、蘆屋も降参と手をあげる。どれだけ真剣な顔をむけても蘆屋ののらりくらりとした態度は変わらない。埒が明かないと苛立ったまま美陽の元へ戻ろうとした陽平の腕を蘆屋が掴む。ぐいっと引き寄せられると蘆屋の顔がすぐ目の前に迫る。蘆屋の細めた目はまるで愉快犯のように楽しそうで、思わず背筋がぞわついた。
「なあ、俺が美陽くんを助けてあげる。言ったやろ。俺はミステリアスな子が好きやねん。もし美陽くんがずっと俺に飼われてくれるなら―」
陽平が蘆屋の手首をつかむ。その手にぐっと力が入る。陽平の顔からいつもの愛想は消え、不快と憎悪がむき出し滲みだす。
「―ったぁ」
ぎりぎりと手首を握られ、痛みに歪んだ蘆屋のその顔には悦の感情が入り交じっていた。
「やっぱり。こっちが本当の陽平くんなんや」
蘆屋のいやらしい目に陽平が我に返る。握っていた手をぱっと離した。
「他に方法があるなら早よ言えよ」
掴まれていた手首が解放されるとぱたぱたと手を振る。
「親に訊こうと思ってんけどな。最近ずっと帰ってきてへん。ろくに連絡もつかへん」
未だ疑いの目を辞めない陽平だったが、今度は蘆屋が嘘を付いているようには見えなかった。なぜならこの時の蘆屋は少し寂しそうに見えたから。
「今日はいいわ。また連絡する」
陽平が蘆屋に背を向けた時、集まった人の中に見覚えのある顔を見つけた。それは積祈神社の神主、墨馬香住だった。同じく墨馬を見つけた蘆屋が陽平の肩に腕をかけもたれかかってくる。
「あれ? 来てたんや」
その時初めて蘆屋と墨馬が知り合いなのだと知った。しかし今の陽平はこれ以上蘆屋と話す気になどなれなかった。
「みんなミーハーやなあ」
蘆屋が陽平の体にぴたりと寄り添い腕を回してくる。二人に気付いた墨馬がこちらに顔を向けた。蘆屋がにかっと笑って手をあげる。墨馬が蘆屋を見た瞬間、あからさまに眉をひそめる。しかし隣にいる陽平に気付くと、今度は驚いたように目を見開いた。コテンと首を傾げた蘆屋が、目を細め薄く笑う。何かを察した墨馬がじっと陽平を見つめていた。
言葉のないやりとりに、陽平は突っ立ったまま入り込むことが出来ないでいた。
「美陽くん待ってるやろ。行ったら?」
蘆屋が陽平の肩をぽんぽんと叩く。陽平が最後に南の部屋をもう一度見上げる。取り乱した彼女の姿が脳裏に焼き付いている。最後にバス停で会った明るく元気で、すこし恥じらった南。あの時の記憶さえ上塗りされてしまいそうなほどに、それほどに衝撃的だった。南は元に戻るだろうか。まさかこのままと嫌な予感がよぎる。
「蘆屋、頼むで」
「陽平くんにそんな顔似合わんて。はい笑って笑って」
どうも蘆屋には調子が狂わされる。確かに今ぼやぼやと考えても状況は変わらない。物事を嫌な方にも考えたくはなかった。
「今日もおばさん帰り遅いん?」
陽平の問いに答える代わりに質問で返す。
「どこ行ってたん?」
「え?」と陽平が聞き返す。とぼけたわけではない。唐突な質問が予想外だった。
「連絡してんけど」
あっと陽平が思い出す。
「ごめん。見た。見たけど返すの忘れてて。後で返そうって―」
「ふーん」と冷たく言い放たれた言葉が陽平の心臓を刺した。
「南と、南と買い物行ってて。ずっと歩いてたし携帯触るヒマなくて。いや、あったけどその」
ふっと美陽の表情が和らぐ。
「別になんも言ってないやん。楽しかった?」
「うん、普通に」
「南になんか言われた?」
一瞬帰り際のバス停での事を思い出した。それでも「いや」と言葉を濁した。
「そっか。楽しかったならよかったやん」
美陽が玄関へ戻っていく後ろ姿を見送る。ドアが閉まる直前に美陽が手を振り、またなと声を掛けた。それにならい陽平も手をあげる。ドアが閉まる音がすると、陽平もその場から離れた。家に戻ろうときびすを返した時、さっきまで気づかなかった光景が目に入った。
美陽の家の庭に二羽、スズメが落ちていた。落ちていたという表現が正しい気がした。たぶんそれらは死んでいたから。ゾクっと背筋を何かが這い上がる。それが何を意味するかは分かっていたはずなのに。その時はそれを見て見ぬふりしてしまった。
台風が来ているわけでもないのに、風がどんどんと強くなる。黒い雲が空を覆い、夏の夕方は夜のように暗くなる。ぱたぱたと大粒の雨が風に乗って吹き荒れる。窓の外は黒い景色に黒い雨が降りそそいでいる。
「ええ!? 佳織ちゃんが?」
リビングで携帯をいじっていると、母親の驚く声が聞こえた。ちらっと母親の方を見ると誰かと電話で話している背中が目に入った。
「そうね、後は任せるしかないものね。無事だといいのだけど」
そのような話をして通話を切る。南が? 無事? 何の話かと心がざわついた。
「南が何?」
無機質な声で問いかける。別に不機嫌なわけではない。いつの間にかこういう接し方をするようになっていた。
「まだ帰ってないんですって。こんな天気なのに。連絡もつかないって」
時計を見ると十九時半をさしている。それほど遅い時間ではない。しかし以前南が十八時の門限がダルいと言っていたのを思い出した。
「誰か探しに出てんの?」
「お父さんが帰ってきたら車出すって。こんな雨だから、安易に外に探しに行くわけにもいかないでしょ」
会話をしていても母親の背中しか見えない。それでもどんな顔で話しているかは想像がつく。その表情しか、最近の母親の記憶がないからだ。
陽平がバタバタと階段を駆け上がり、自分の部屋へ向かう。急いで携帯のアプリを立ち上げ美陽の名前を探した。メッセージ画面から通話ボタンを押す。
―出ろよ出ろよ出ろよ。
焦る気持ちと共に嫌な気持ちが腹の奥をしめつけ、全身が緊張したようにぞわぞわとした。
鳴りっぱなしの呼び出し音が陽平の脳内に響く。
「くそっ」
きっとこの天気だから、具合が悪くなって寝ているのだ。そう言い聞かせ心を落ち着かせる。美陽へメッセージだけ送ると、もう一度連絡先の一覧を表示させる。ゴロゴロと雲が鳴り出した。こんなにも耳障りに感じたのは初めてだった。
浅い眠りが続き、頭がまだぼんやりとしている。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。携帯を見ると午前七時六分の文字。その下に、美陽からの通知が表示されていた。慌ててメッセージ画面を開く。急いで電話をかけるとあっさりと美陽が電話に出た。
「ハル!? 昨日―」
「聞いた。南まだ帰ってないって。近所の人も探しに出てるらしい」
意外なほどにいつも通りの美陽の声。やはり自分の杞憂だったのかと、少しだけ肩の力が抜けた。
「……行くか?」
探しに行くかと美陽がたずねる。
「すぐ行く。待ってて」
顔も洗わずTシャツを着こみパンツを履くと外へと飛び出す。自転車にまたがると同時に走り出した。美陽の家に行くと美陽はすでに玄関前で陽平を待っていた。珍しく自転車を携えている。
「おま、顔洗ったんか?」
きちんと身なりが整った美陽とは反対に寝ぐせだらけの陽平が頭をかく。疲れたような陽平の顔を見た美陽がため息を付いた。
「寝れてへんの?」
「心配で!」
「分かるけど、南だって子供じゃないし、状況分からへんのに焦ってもしょうがないやろ」
それだけじゃないと陽平が思う。きっと心配なのは南よりも―。
「はい」といって美陽が袋を差し出す。
「食べながらいくで」
袋の中を見るとクリームパンとパックのカフェオレが入っていた。
「どうせヨウは寝起きで来るから」
自転車にまたがり漕ぎだした美陽を陽平が追いかける。翔也の時のように怯える様子も悩んでいる様子もない。
普段はバスか車で行くショッピングモールへの道を自転車で走る。高校方面や厳霊山方面はすでに大人が向かったと聞いた。あとは遠出をするとすればショッピングモールの方かと予想した。
「南、どうしたんやろ」
陽平はいつだって他人の心配をする。誰にでも、等しく心配をする。
「ヨウは南と仲いいもんな」
「友達やからな」
「……」
カラカラと周る車輪の音を聞きながら田んぼが広がる道を走る。キョロキョロと周りを見渡し、人を探す。
「南は、友達と思ってないんと違う?」
「ああ」と陽平が言葉の意図を察した。
「南が俺の事どうか思ってくれてても、俺は応えられへんし。でもほんまに大切な友達。俺らが転校してきたときも、からかうヤツらを一掃してくれた。俺だけじゃ、ハルを守れんかった」
陽平の目に憂懼の色が滲み出る。その色に美陽の心臓に突き刺さった何かがどんどんと溶けていくようだった。陽平には悲しい思いはさせたくない。陽平にはやっぱりバカみたいに笑っていてほしい。
「ヨウ、もうちょっと遠くまで探しに行こうか」
ペダルを踏み込む足に力を入れる。「うん」と返事をした陽平の声が少し明るくなったように感じた。
一日中探し回ったが、南は見つからなかった。仕方なく、日が落ちる前に二人はいったん解散した。しかし事は急な展開を見せる。
夕ご飯を食べ終えた頃、携帯にメッセージが届く。それは陽平と美陽が半ば無理やり作らされた蘆屋とのグループトークだった。
『佳織ちゃん帰ってきたで』
蘆屋からのメッセージに陽平がすぐに反応する。再び自転車にまたがり走り出す。すると同じタイミングで外へ飛び出したのであろう美陽と鉢合った。二人の視線に緊張が走る。言葉を交わすことなく南の家へと急いだ。
南の家の前には近所の住民がちらほらと集まっていた。田舎の町は、隣人の家庭事情も個々の素行もすぐ噂になる。どうして南が帰ってこなかったのか。家出か非行か、はたまた別の理由かと無責任に言い囃す。
陽平と美陽が自転車を乗り捨て、集まった人をかき分けていく。その中に山下を見つけた。
「山下のおっちゃん! もう大丈夫なん?」
山下にとって同じ小田地区に住む南は幼少期から知る子供だった。山下は心配そうに家を見つめていた。
「ああ、俺はなんともない。それにしてもこの数か月、えらい雨が降ったかと思えば妙なことが続く。なんとも不気味やな」
「うん」と陽平が頷くと、美陽がくいっと袖をひっぱってきた。美陽が指し示す方に蘆屋の姿が見えた。
二人が近づいていくと気づいた蘆屋が振り向いた。
「連絡ありがとう」
礼を言う陽平の後ろに隠れるように美陽が立っている。美陽をのぞき込むと、蘆屋が薄く笑顔を見せた。
「厳霊山で遭難してたらしいわ。あんだけ大人が探しても見つからへんかったのに、今しがたあっさり自分から帰ってきたらしい。ただ―」
「ただ?」
「精神状態はヤバいっぽいで」
陽平たちから見える位置に南の部屋があった。しかし今はカーテンが閉められ中の様子は見えない。少しでも南の顔を見て無事を確かめたかったのだが、今は諦めた方がよさそうだった。
「ハル、出直そうか」
「あ、うん。とりあえず戻ってきたなら、安心やろ」
部屋の窓に背を向けようとした瞬間、ちらっとカーテンの隙間から人影が見えた。
「南!」
陽平の声が聞こえたのか、南がカーテンを薄く開け外をのぞいた。ふわっと明るくなった顔が陽平に向けられる。陽平が嬉しそうに手を振ろうと、腕をあげた瞬間だった。南の目がおぞましさを含んでいく。挙動不審になったかと思うと取り乱したように叫び出した。暴れる南を駆け付けた両親が抑制する。窓越しにうつる光景は無声映画のようで、まるで別の世界で起こっている何かを見ているような感覚だった。
唖然とする陽平に対し、蘆屋と美陽は冷静にこの光景を見つめていた。
「君らは帰った方がええんとちゃう?」
蘆屋が陽平の肩をたたく。見透かした様な蘆屋の目に、陽平が肩の手を叩きはらう。「そうしよう」と美陽が淡々と返すと、先に歩き出す。陽平はその背中をポンと軽く押した。
「ハル、ちょっと、先行ってて」
不審には思ったのかもしれない。しかし美陽は理由を聞くことはせずそのまま歩き出し、人ごみから出ていった。美陽がその場を離れると陽平が蘆屋に向き直る。「なに?」と余裕の表情の蘆屋はいつだっていけ好かない。
「蘆屋の言う通り、登下校は沼の道を通るようにしてる。祠には近づいてない。やのにハルの体調もよくならん」
「今回のことも美陽くんのせいやと思ってるんや」
「ハルやない。ハルの中にいる鬼やろ」
「ああ、そうやった」と蘆屋が肩をすくめる。
「それに、南のことは鬼とは関係ないやろ。ヒがどうとか、飯を一緒に食ってもない」
「言うたやん。鬼は孕んでる人とリンクするって」
「は?」と陽平が眉を動かす。
「ハルが南をどうにか思ってるってことか? ありえんやろ」
美陽の事を微塵も疑わない陽平にいよいよ蘆屋の口角がゆるむ。
「それより、ハルの中から鬼はおらんくなるんやろうな。ほんとに信じてええんやろうな?」
まるでかぶりつかれそうなほど詰め寄られると、蘆屋も降参と手をあげる。どれだけ真剣な顔をむけても蘆屋ののらりくらりとした態度は変わらない。埒が明かないと苛立ったまま美陽の元へ戻ろうとした陽平の腕を蘆屋が掴む。ぐいっと引き寄せられると蘆屋の顔がすぐ目の前に迫る。蘆屋の細めた目はまるで愉快犯のように楽しそうで、思わず背筋がぞわついた。
「なあ、俺が美陽くんを助けてあげる。言ったやろ。俺はミステリアスな子が好きやねん。もし美陽くんがずっと俺に飼われてくれるなら―」
陽平が蘆屋の手首をつかむ。その手にぐっと力が入る。陽平の顔からいつもの愛想は消え、不快と憎悪がむき出し滲みだす。
「―ったぁ」
ぎりぎりと手首を握られ、痛みに歪んだ蘆屋のその顔には悦の感情が入り交じっていた。
「やっぱり。こっちが本当の陽平くんなんや」
蘆屋のいやらしい目に陽平が我に返る。握っていた手をぱっと離した。
「他に方法があるなら早よ言えよ」
掴まれていた手首が解放されるとぱたぱたと手を振る。
「親に訊こうと思ってんけどな。最近ずっと帰ってきてへん。ろくに連絡もつかへん」
未だ疑いの目を辞めない陽平だったが、今度は蘆屋が嘘を付いているようには見えなかった。なぜならこの時の蘆屋は少し寂しそうに見えたから。
「今日はいいわ。また連絡する」
陽平が蘆屋に背を向けた時、集まった人の中に見覚えのある顔を見つけた。それは積祈神社の神主、墨馬香住だった。同じく墨馬を見つけた蘆屋が陽平の肩に腕をかけもたれかかってくる。
「あれ? 来てたんや」
その時初めて蘆屋と墨馬が知り合いなのだと知った。しかし今の陽平はこれ以上蘆屋と話す気になどなれなかった。
「みんなミーハーやなあ」
蘆屋が陽平の体にぴたりと寄り添い腕を回してくる。二人に気付いた墨馬がこちらに顔を向けた。蘆屋がにかっと笑って手をあげる。墨馬が蘆屋を見た瞬間、あからさまに眉をひそめる。しかし隣にいる陽平に気付くと、今度は驚いたように目を見開いた。コテンと首を傾げた蘆屋が、目を細め薄く笑う。何かを察した墨馬がじっと陽平を見つめていた。
言葉のないやりとりに、陽平は突っ立ったまま入り込むことが出来ないでいた。
「美陽くん待ってるやろ。行ったら?」
蘆屋が陽平の肩をぽんぽんと叩く。陽平が最後に南の部屋をもう一度見上げる。取り乱した彼女の姿が脳裏に焼き付いている。最後にバス停で会った明るく元気で、すこし恥じらった南。あの時の記憶さえ上塗りされてしまいそうなほどに、それほどに衝撃的だった。南は元に戻るだろうか。まさかこのままと嫌な予感がよぎる。
「蘆屋、頼むで」
「陽平くんにそんな顔似合わんて。はい笑って笑って」
どうも蘆屋には調子が狂わされる。確かに今ぼやぼやと考えても状況は変わらない。物事を嫌な方にも考えたくはなかった。
