二学期が始まると、不思議と好天が続いていた。晴れた日が続いている事を「不思議だ」と感じているのは陽平と美陽くらいだろう。学校の帰りに駅に降り立つと、高々とあげた手をこちらに向けぶんぶんと振っている陽平の姿が見えた。
「ハルー! おかえり!」
相変わらず元気な陽平に呆れつつも、その顔を見られて嬉しかった。
「また待ってたんか? 一回帰ったらいいやん」
「天気いいし、昼寝しながら待ってた」
「勉強しとけよ」
いつもの調子、いつもの会話をしながら歩き出す。その足は青葉台へと向いていた。しかし、目的地はそこではなかった。青葉台を通り過ぎたその先、積祈神社に二人が向かう。
「あいつは?」
「同じ電車やったけど、先行った。待ってるんとちゃう?」
「そうか」と美陽が小さく返事をする。きっと蘆屋は墨馬と二人きりの時間を過ごしたいのだろう。そんな想像が出来るまでになっていた。
しかし積祈神社に着くと、階段の下に蘆屋はいた。てっきり社務所で待っているとばかり思っていた二人が顔を見合わせる。
「おつかれー! よく誘ってくれたやん。嫌われてるんかと思ってたけど」
「おーおー、嫌いは嫌いや。でもハルのためなら話しくらいするわ」
つんけんと受け答えする陽平をやはり楽しそうにする。
「中に入ってなかったん? 墨馬さんは?」
階段をのぼりながら話す美陽に蘆屋が振り向く。
「香住? いるで」
以前なら「じゃあなぜ外で待っていたのか」と疑問に思っていただろう。しかしこの短い期間でだいぶと蘆屋の性格がつかめて来た。蘆屋は墨馬に甘えている。普段の横柄で高圧的な態度は、単に不器用故なのだ。そして、たぶん蘆屋は墨馬に叱られた。理由は知らないが、ただそれだけ。二人きりになるのが気まずいなんて子どもじみているが、蘆屋は墨馬の前では子どもなのだ。そしてこういうところが美陽も陽平も蘆屋を憎みきれなでいるカラクリなのだ。
社務所のチャイムを鳴らすと墨馬が三人を出迎える。いつもなら我が物顔でずかずかと入っていく蘆屋が陽平たちの後ろに並んでいる。
「わざわざありがとう。上がって」
墨馬が促すと「お邪魔します!」と陽平が元気に部屋に上がる。陽平と美陽を迎え入れると、最後に大人しく着いて来た蘆屋と目が合った。しょうのない子だと眉をひそめれば蘆屋がふてくされた態度で墨馬の前を通り過ぎた。
四人がテーブルを囲み座る。墨馬の席の横には蘆屋。そして蘆屋の前に陽平と美陽が座った。
「オレンジジュースでいい?」と墨馬が問うと、「お茶」とぶっきらぼうに蘆屋が答える。頬杖を突きそっぽを向いたままの蘆屋に「そうだったね」と墨馬が優しく返す。その様子をあんぐりと口を開けたまま見ていた美陽と陽平に「なんやねん」と蘆屋が楯突いた。飲み物を持ってくるとようやく墨馬も落ち着いてテーブルに腰掛けた。
「で、なんで三人で押し掛けて来たの?」
「いや、蘆屋は俺が誘いました。ハルと相談して」
「そっか」と墨馬が目の前のコップに視線を落とす。氷の入った麦茶に自分の目元がうつる。
「僕もね、ちょうど累に話があったし、陽平君と美陽君にも知ってもらった方がいいと思ってたから」
墨馬の言葉に「え」と蘆屋が短い声をあげる。
「まずは君たちの話から聞こうか」
墨馬の穏やかな空気感が陽平の逸った気持ちを落ち着かせる。蘆屋はまだ顔をそむけたままだった。
「この前墨馬さんと話した時に、ハルが鬼になることが心配じゃないのかと訊かれました。心配です。心配じゃないはずはありません。だったら、そんなことを訊くなら、教えてください。ハルを助ける方法を。墨馬さんだけじゃ無理なら蘆屋も」
澄ましたままの蘆屋にも声は届いているはずだ。知っているのに口を開かないのは、墨馬が口を割るまで待っているから。そんな風に思えた。
「なあ、蘆屋もそろそろ話してや。隠してる事あんねやろ?」
ふっと蘆屋が鼻で笑う。もうその態度には慣れていた。今更鼻につくこともない。
「なんで蘆屋は組織の言いなりになってるん。親の仕事のため? オニモチの家系やから? それとも、他に何か理由があるん?」
蘆屋がようやく陽平の方に顔を向けた。
「だって、気になるやん。俺が初めて鬼に出会って十年。あれ以来オニモチの知識、加持、呪法、いろーんな事叩き込まれて使われてきた。それで初めて見られるんやで? 鬼が産まれる瞬間。見たいやん」
だんだんと興奮気味になるとテーブルに身を乗り出す。口角が上がり、目がぎらつく。そんな蘆屋に拒否反応を示したのか、美陽の眉間にしわが寄る。陽平はその狂った考えを前に理解に苦しみ言葉を失くす。しかし墨馬だけは表情を変えない。蘆屋の本心がどこにあるかを唯一知っていた。
「ねえ、累。まだご両親と、連絡取れてないよね」
このタイミングでなんの話かと怪訝そうに墨馬に振り向く。そんな事今は関係ないと言いたげだった。
「怪異対策局で監禁状態にあるとみていい。あの牟婁島の元で」
牟婁島の名前を聞いた途端、蘆屋の顔が青ざめる。
「は? なんで?」
明らかに動揺する蘆屋を初めて見た。いつも透かして余裕をかました態度の蘆屋が焦り出す。その空気感に陽平たちも異常を察知する。蘆屋にとって聞きたくない名前なのだろうか。
「二日前ここに来た。それでちょっと鎌をかけてみた」
今の会話には入らない方がいいのだろう。陽平も美陽も同じ考えだった故に傍観をきめこむ。
「牟婁島は累を人質にご両親を脅しているのだろうね。累に鬼を産むよう仕向けさせれば、累の安全は保障するだとか、そんなところじゃないかな」
「は……? なんだよ、それ。ふざけんなよ! 俺をいいように弄んで、飼い殺して、解放する代わりに最後の頼みだって。だから親もアイツに協力するって」
取り乱した蘆屋が墨馬に縋る。墨馬に触れようとした指先は震えていただろうか。
幼いころに神童と呼ばれ、もてはやされた蘆屋。大人たちに囲まれ育ち、幼いながらに驕傲とも取れる態度で周りに壁を作っていた蘆屋。しかしそれは蘆屋自身がそう語っただけ。周りの人間にそう見えていた事実。しかし本人の中にある真実は違うものなのではないか。今の蘆屋からはそう感じざるをえなかった。
陽平の救いが美陽だったように、蘆屋の救いが墨馬なのかもしれない。
「そんなヤバイ人なんですか、牟婁島って」
項垂れる蘆屋をよそに美陽が切り込んだ。
「そうだね。僕の姉の話は聞いたかな。姉を鬼にしたのも、扱いきれなくなって手を下したのも牟婁島だよ」
後は蘆屋の今の状態でだいたいは想像出来た。
「累、ご両親の解放は約束する。だから美陽君に手を貸してあげてほしい。何があっても累を救う。それが僕の宿命。そう決めてるから」
蘆屋の、何て情けない顔だろう。怯えか怒りか苦しみか。自負と卑しめがなければ蘆屋は自己肯定を保ってこられなかったのではないか。
「なんで、なんで鬼に助けられなあかんねん。鬼を救うのは俺やろ。香住はずっと俺に縋ってればええねん。この先ずっとずっとずっと、一生」
「分かった。分かってる。僕はそれでいいから」
どれだけどやされようが墨馬が蘆屋を見る瞳の色は変わらない。
目の前の二人を見て陽平は思った。
―ねえ、墨馬さん。前に俺に言った言葉、そのままお返しします。貴方と俺は同じです。
そんなことはあえて口に出す言葉ではない。他人から見たものなんて、すべて幻なのだ。
「蘆屋が協力してくれたら、めっちゃ心強いやん」
時にあっけらかんと明るい言葉は力を持つ。陽平に向いた三つの目に宿る思惑はそれぞれ違っている。だが今は一所に集まっている。
「美陽君、鬼ってのは一生体から落ちることはない。だから僕は累の加持がなければ人として生きてはいけない。美陽君は半分は人、半分は鬼の状態。君もこれからは加持によって今の状態を保っていかなくてはいけない」
「それでも、その牟婁島って人に実験台にされるよりは蘆屋に頼る方がマシみたいですね」
悲しいほどに美陽が冷静に事態を飲み込む。「ヒドイいい草やなあ」と蘆屋が口を尖らせた。
「美陽君の状態なら蘆屋家じゃなくてもオニモチなら加持できると思うし、未来の可能性はあるよ」
大丈夫だと向けられた笑顔を美陽は素直に喜べなかった。じゃあ、墨馬と蘆屋はどうなる。ずっと鬼に縛られ、人生を制限され生きていかなくてはいけないのか。さきほどの墨馬と蘆屋の会話を美陽が思い出す。そういうことかと、納得できない頭でも事態を押し込め理解せざるを得なかった。
「最近はハルの体も良くなってるみたい。天気が荒れることもないし。やっぱり沼に近づかんくなったおかげ? 鬼になるん、止まってるんかな?」
蘆屋を責めようだとか、今の陽平にそんな考えはない。だからこそ蘆屋は気まずさを感じずにはいられない。伏せられた目は、そっぽを向いている。
「ああ、それはね。僕が累に頼んだ。沼に術をかけて、因果の結びつきを弱くしてもらった。だから美陽君のなかの鬼も大人しくなってるのかも」
「おいっ」と蘆屋が焦った顔で墨馬の話を遮る。「あ、言わない約束だった」と墨馬がわざとらしくごまかすと、蘆屋の盛大な舌打ちが部屋に響いた。
「すげえやん蘆屋! マジでなんでも出来るんな!」
身を乗り出しキラキラした目で蘆屋を見れば、キラキラに当てられた蘆屋は耳の先まで赤くし「は!?」と虚勢を張る。
「そんな目で見んな。後ろの蛇みたいなんが睨んできて怖いやろうが」
「失礼な。俺だって感心してるんやけど」
美陽がむっとした顔になるとふいっと顔をそむける。
「ありがとうな!」
きっと言えないでいるその言葉を、美陽の代わりに陽平が代弁した。
なぜ墨馬が蘆屋の家の事情をあえて話したのかも、蘆屋を突き刺激し素を引きずり出すような真似をしたのかも、陽平には分かった気がした。きっと陽平と美陽から誤解を拭い去りたかったためだ。
「じゃあ今後は美陽君も累の加持を受けて。日にちはまた連絡するから」
面白くなさそうな顔をする蘆屋が美陽には気にかかった。
「いいのか、蘆屋?」
「別に、それは構わんよ。美陽くんは状態も軽いし、一人増えたところで大した負担にはならん」
「蘆屋ああああ」と陽平がまるで飛びついて来る犬のように叫ぶ。しっぽを振っているのが見えるかのようだ。そして乗り出した身を墨馬へと向ける。
「これで、蘆屋の親のことも解決してくれるんですよね?」
美陽だけでなく、自分の事も心配してくれていたことに蘆屋の目が驚いている。
「うん。それは大丈夫。ただ―」
墨馬の漆黒の瞳孔が美陽をまっすぐ捕える。陽平と蘆屋にも張りつめた空気が伝わる。美陽は動揺する事なく墨馬の言葉を待っていた。
「もう一度だけ耐えてほしい。明日一日。それで終わらせる」
一気に渇きだした喉を潤すように生唾を飲み込む。嵐が来る予感がした。しかしそれで方が付くのだと墨馬は断言した。
「陽平君は美陽君の傍にいてあげて」
それだけ言うと墨馬がゆっくりと席を立つ。すでに日は傾き、窓の外は薄暗くなっていた。陽の刺さなくなった窓を背に、墨馬が立ち上がる。黒くもやもやとした決意で、重苦しい何かを背負おうとしている。そんな墨馬の姿を前にしても、ただ任せることしか出来なかった。
「ハルー! おかえり!」
相変わらず元気な陽平に呆れつつも、その顔を見られて嬉しかった。
「また待ってたんか? 一回帰ったらいいやん」
「天気いいし、昼寝しながら待ってた」
「勉強しとけよ」
いつもの調子、いつもの会話をしながら歩き出す。その足は青葉台へと向いていた。しかし、目的地はそこではなかった。青葉台を通り過ぎたその先、積祈神社に二人が向かう。
「あいつは?」
「同じ電車やったけど、先行った。待ってるんとちゃう?」
「そうか」と美陽が小さく返事をする。きっと蘆屋は墨馬と二人きりの時間を過ごしたいのだろう。そんな想像が出来るまでになっていた。
しかし積祈神社に着くと、階段の下に蘆屋はいた。てっきり社務所で待っているとばかり思っていた二人が顔を見合わせる。
「おつかれー! よく誘ってくれたやん。嫌われてるんかと思ってたけど」
「おーおー、嫌いは嫌いや。でもハルのためなら話しくらいするわ」
つんけんと受け答えする陽平をやはり楽しそうにする。
「中に入ってなかったん? 墨馬さんは?」
階段をのぼりながら話す美陽に蘆屋が振り向く。
「香住? いるで」
以前なら「じゃあなぜ外で待っていたのか」と疑問に思っていただろう。しかしこの短い期間でだいぶと蘆屋の性格がつかめて来た。蘆屋は墨馬に甘えている。普段の横柄で高圧的な態度は、単に不器用故なのだ。そして、たぶん蘆屋は墨馬に叱られた。理由は知らないが、ただそれだけ。二人きりになるのが気まずいなんて子どもじみているが、蘆屋は墨馬の前では子どもなのだ。そしてこういうところが美陽も陽平も蘆屋を憎みきれなでいるカラクリなのだ。
社務所のチャイムを鳴らすと墨馬が三人を出迎える。いつもなら我が物顔でずかずかと入っていく蘆屋が陽平たちの後ろに並んでいる。
「わざわざありがとう。上がって」
墨馬が促すと「お邪魔します!」と陽平が元気に部屋に上がる。陽平と美陽を迎え入れると、最後に大人しく着いて来た蘆屋と目が合った。しょうのない子だと眉をひそめれば蘆屋がふてくされた態度で墨馬の前を通り過ぎた。
四人がテーブルを囲み座る。墨馬の席の横には蘆屋。そして蘆屋の前に陽平と美陽が座った。
「オレンジジュースでいい?」と墨馬が問うと、「お茶」とぶっきらぼうに蘆屋が答える。頬杖を突きそっぽを向いたままの蘆屋に「そうだったね」と墨馬が優しく返す。その様子をあんぐりと口を開けたまま見ていた美陽と陽平に「なんやねん」と蘆屋が楯突いた。飲み物を持ってくるとようやく墨馬も落ち着いてテーブルに腰掛けた。
「で、なんで三人で押し掛けて来たの?」
「いや、蘆屋は俺が誘いました。ハルと相談して」
「そっか」と墨馬が目の前のコップに視線を落とす。氷の入った麦茶に自分の目元がうつる。
「僕もね、ちょうど累に話があったし、陽平君と美陽君にも知ってもらった方がいいと思ってたから」
墨馬の言葉に「え」と蘆屋が短い声をあげる。
「まずは君たちの話から聞こうか」
墨馬の穏やかな空気感が陽平の逸った気持ちを落ち着かせる。蘆屋はまだ顔をそむけたままだった。
「この前墨馬さんと話した時に、ハルが鬼になることが心配じゃないのかと訊かれました。心配です。心配じゃないはずはありません。だったら、そんなことを訊くなら、教えてください。ハルを助ける方法を。墨馬さんだけじゃ無理なら蘆屋も」
澄ましたままの蘆屋にも声は届いているはずだ。知っているのに口を開かないのは、墨馬が口を割るまで待っているから。そんな風に思えた。
「なあ、蘆屋もそろそろ話してや。隠してる事あんねやろ?」
ふっと蘆屋が鼻で笑う。もうその態度には慣れていた。今更鼻につくこともない。
「なんで蘆屋は組織の言いなりになってるん。親の仕事のため? オニモチの家系やから? それとも、他に何か理由があるん?」
蘆屋がようやく陽平の方に顔を向けた。
「だって、気になるやん。俺が初めて鬼に出会って十年。あれ以来オニモチの知識、加持、呪法、いろーんな事叩き込まれて使われてきた。それで初めて見られるんやで? 鬼が産まれる瞬間。見たいやん」
だんだんと興奮気味になるとテーブルに身を乗り出す。口角が上がり、目がぎらつく。そんな蘆屋に拒否反応を示したのか、美陽の眉間にしわが寄る。陽平はその狂った考えを前に理解に苦しみ言葉を失くす。しかし墨馬だけは表情を変えない。蘆屋の本心がどこにあるかを唯一知っていた。
「ねえ、累。まだご両親と、連絡取れてないよね」
このタイミングでなんの話かと怪訝そうに墨馬に振り向く。そんな事今は関係ないと言いたげだった。
「怪異対策局で監禁状態にあるとみていい。あの牟婁島の元で」
牟婁島の名前を聞いた途端、蘆屋の顔が青ざめる。
「は? なんで?」
明らかに動揺する蘆屋を初めて見た。いつも透かして余裕をかました態度の蘆屋が焦り出す。その空気感に陽平たちも異常を察知する。蘆屋にとって聞きたくない名前なのだろうか。
「二日前ここに来た。それでちょっと鎌をかけてみた」
今の会話には入らない方がいいのだろう。陽平も美陽も同じ考えだった故に傍観をきめこむ。
「牟婁島は累を人質にご両親を脅しているのだろうね。累に鬼を産むよう仕向けさせれば、累の安全は保障するだとか、そんなところじゃないかな」
「は……? なんだよ、それ。ふざけんなよ! 俺をいいように弄んで、飼い殺して、解放する代わりに最後の頼みだって。だから親もアイツに協力するって」
取り乱した蘆屋が墨馬に縋る。墨馬に触れようとした指先は震えていただろうか。
幼いころに神童と呼ばれ、もてはやされた蘆屋。大人たちに囲まれ育ち、幼いながらに驕傲とも取れる態度で周りに壁を作っていた蘆屋。しかしそれは蘆屋自身がそう語っただけ。周りの人間にそう見えていた事実。しかし本人の中にある真実は違うものなのではないか。今の蘆屋からはそう感じざるをえなかった。
陽平の救いが美陽だったように、蘆屋の救いが墨馬なのかもしれない。
「そんなヤバイ人なんですか、牟婁島って」
項垂れる蘆屋をよそに美陽が切り込んだ。
「そうだね。僕の姉の話は聞いたかな。姉を鬼にしたのも、扱いきれなくなって手を下したのも牟婁島だよ」
後は蘆屋の今の状態でだいたいは想像出来た。
「累、ご両親の解放は約束する。だから美陽君に手を貸してあげてほしい。何があっても累を救う。それが僕の宿命。そう決めてるから」
蘆屋の、何て情けない顔だろう。怯えか怒りか苦しみか。自負と卑しめがなければ蘆屋は自己肯定を保ってこられなかったのではないか。
「なんで、なんで鬼に助けられなあかんねん。鬼を救うのは俺やろ。香住はずっと俺に縋ってればええねん。この先ずっとずっとずっと、一生」
「分かった。分かってる。僕はそれでいいから」
どれだけどやされようが墨馬が蘆屋を見る瞳の色は変わらない。
目の前の二人を見て陽平は思った。
―ねえ、墨馬さん。前に俺に言った言葉、そのままお返しします。貴方と俺は同じです。
そんなことはあえて口に出す言葉ではない。他人から見たものなんて、すべて幻なのだ。
「蘆屋が協力してくれたら、めっちゃ心強いやん」
時にあっけらかんと明るい言葉は力を持つ。陽平に向いた三つの目に宿る思惑はそれぞれ違っている。だが今は一所に集まっている。
「美陽君、鬼ってのは一生体から落ちることはない。だから僕は累の加持がなければ人として生きてはいけない。美陽君は半分は人、半分は鬼の状態。君もこれからは加持によって今の状態を保っていかなくてはいけない」
「それでも、その牟婁島って人に実験台にされるよりは蘆屋に頼る方がマシみたいですね」
悲しいほどに美陽が冷静に事態を飲み込む。「ヒドイいい草やなあ」と蘆屋が口を尖らせた。
「美陽君の状態なら蘆屋家じゃなくてもオニモチなら加持できると思うし、未来の可能性はあるよ」
大丈夫だと向けられた笑顔を美陽は素直に喜べなかった。じゃあ、墨馬と蘆屋はどうなる。ずっと鬼に縛られ、人生を制限され生きていかなくてはいけないのか。さきほどの墨馬と蘆屋の会話を美陽が思い出す。そういうことかと、納得できない頭でも事態を押し込め理解せざるを得なかった。
「最近はハルの体も良くなってるみたい。天気が荒れることもないし。やっぱり沼に近づかんくなったおかげ? 鬼になるん、止まってるんかな?」
蘆屋を責めようだとか、今の陽平にそんな考えはない。だからこそ蘆屋は気まずさを感じずにはいられない。伏せられた目は、そっぽを向いている。
「ああ、それはね。僕が累に頼んだ。沼に術をかけて、因果の結びつきを弱くしてもらった。だから美陽君のなかの鬼も大人しくなってるのかも」
「おいっ」と蘆屋が焦った顔で墨馬の話を遮る。「あ、言わない約束だった」と墨馬がわざとらしくごまかすと、蘆屋の盛大な舌打ちが部屋に響いた。
「すげえやん蘆屋! マジでなんでも出来るんな!」
身を乗り出しキラキラした目で蘆屋を見れば、キラキラに当てられた蘆屋は耳の先まで赤くし「は!?」と虚勢を張る。
「そんな目で見んな。後ろの蛇みたいなんが睨んできて怖いやろうが」
「失礼な。俺だって感心してるんやけど」
美陽がむっとした顔になるとふいっと顔をそむける。
「ありがとうな!」
きっと言えないでいるその言葉を、美陽の代わりに陽平が代弁した。
なぜ墨馬が蘆屋の家の事情をあえて話したのかも、蘆屋を突き刺激し素を引きずり出すような真似をしたのかも、陽平には分かった気がした。きっと陽平と美陽から誤解を拭い去りたかったためだ。
「じゃあ今後は美陽君も累の加持を受けて。日にちはまた連絡するから」
面白くなさそうな顔をする蘆屋が美陽には気にかかった。
「いいのか、蘆屋?」
「別に、それは構わんよ。美陽くんは状態も軽いし、一人増えたところで大した負担にはならん」
「蘆屋ああああ」と陽平がまるで飛びついて来る犬のように叫ぶ。しっぽを振っているのが見えるかのようだ。そして乗り出した身を墨馬へと向ける。
「これで、蘆屋の親のことも解決してくれるんですよね?」
美陽だけでなく、自分の事も心配してくれていたことに蘆屋の目が驚いている。
「うん。それは大丈夫。ただ―」
墨馬の漆黒の瞳孔が美陽をまっすぐ捕える。陽平と蘆屋にも張りつめた空気が伝わる。美陽は動揺する事なく墨馬の言葉を待っていた。
「もう一度だけ耐えてほしい。明日一日。それで終わらせる」
一気に渇きだした喉を潤すように生唾を飲み込む。嵐が来る予感がした。しかしそれで方が付くのだと墨馬は断言した。
「陽平君は美陽君の傍にいてあげて」
それだけ言うと墨馬がゆっくりと席を立つ。すでに日は傾き、窓の外は薄暗くなっていた。陽の刺さなくなった窓を背に、墨馬が立ち上がる。黒くもやもやとした決意で、重苦しい何かを背負おうとしている。そんな墨馬の姿を前にしても、ただ任せることしか出来なかった。
