オニツキ

 蘆屋から墨馬の正体を打ち明けられ、状況が呑み込めないままブランコに項垂れ考えをまとめようと頭をぐるぐるさせる。蘆屋はキーコキーコとブランコを揺らしながら、どこか遠くを眺めている。その視線の先にあるのは積祈神社だった。ここから神社の建物は見えていない。しかし確かにその方向をぼうっと眺めていた。
「じゃ、陽平くん。またなんかあったら相談してや」
 ぱっと立ち上がった蘆屋を見上げる。蘆屋の背後から差した光のせいで表情が分からなかった。どうしてこのことを陽平に伝えたのだろう。墨馬を信じさせたくないのだろうか。いや、何となく蘆屋の気持ちが分かる気がした。
『これ以上香住に近づくな。頼るな。俺の香住に気安く触るな』
 蘆屋の気持ちを想像するのは容易だった。
「分かった。蘆屋にも相談する」
 そう言ったのは嘘ではなかった。
自分がのけ者にされる苦しさを、陽平も知っていた。
 蘆屋の住む杉田地区へは小学校の正門が帰り道となる。正門へと手を振り歩いていく蘆屋を見送ると、陽平は反対方向へと歩き出した。北門を出ると積祈神社の鳥居が現れる。蘆屋は会えないと言っていたが、やっぱり気になっていた。境内の階段をのぼっていく。すぐに会えなくても、待てる時間まで待とう。そう考え、陽平が階段の一番上に腰掛ける。
「蘆屋にバレたらめっちゃ怒られそう」
 すまん蘆屋と心の中で謝り、墨馬が姿を現すのを待つ。陽平からはアプローチはせず、会えないのであれば諦めようと考えていた。それがせめてもの蘆屋の気持ちへのけじめだった。
 しかし思いもよらず墨馬の方から陽平の前に姿を現した。期待していなかっただけに驚いたのは陽平の方だった。
「墨馬さん!」
「あれ、陽平君。今日は一人?」
 墨馬があたりをキョロキョロと見回す。美陽を探しているのだろう。
「はい、今日は一人で。ちょっと、いろいろ話したくて」
 迷うことなく墨馬が社務所へと陽平を誘う。これが好機だと思っているのは陽平だけではないようだった。
 陽平が墨馬の家に上がったのは二回目だった。初めてではないのに、一人で来るとまた違った緊張感を感じる。しかし墨馬はにこやかに陽平を迎え入れ、テーブルに座らせると自分はお菓子の準備に取り掛かった。
「陽平君はお茶? ジュース? オレンジならあるけど」
「あ、いえ、お気を使わずに。でも、オレンジジュースでもいいですか?」
 素直な陽平に墨馬がふふっと笑いを零す。濃いオレンジ色の液体は果汁一〇〇%だと見た目で分かる。いつも陽平が飲んでいる無果汁の炭酸オレンジジュースとは匂いからして違った。口に含むとまるでオレンジにかぶりついたような、それ以上の濃厚な味と酸味を感じる。
「おいしっ!」
 陽平の反応に墨馬も嬉しそうにしている。
「累もこれくらい可愛げがあったらいいのに」
 そう言って陽平の前に腰掛ける。蘆屋の名前が出ると、陽平が思い出したようにはっとする。その様子に「やっぱり」と墨馬が何かを察した。
「僕に聞きたいことがあった?」
「はい、あの、それは」
 言いづらそうにしている陽平に、「じゃあまずは僕からいい?」と問いかける。なんの用だろうと陽平が不思議がる。墨馬は陽平と違い、吐き出す言葉に迷いはなかった。
「美陽君の鬼については何とかしたいと思ってる。これは本当。だから先に君の方を解決しないとと思って」
 なんのことだと陽平が固まる。墨馬が言い出したことに心当たりなど一つもない。
「君のご両親、お父様とお母様はあまりいい関係じゃなかったようだね」
「は?」と思わず声が漏れる。あまりにも鬼とは関係のない話に唖然となった。
「君の他人に対する明るさが、少し異常だと思ってたんだ。それは君が育った家庭環境から来ているんじゃないかって」
「いきなり何? 全然話関係ないし、そもそも親はまだ別れたわけでもないし」
「でもお父様は何年も帰ってきていない。お母様はもうお父様にも君にも興味はない」
 ぎりっと陽平が奥歯を噛みしめる。何だっていきなりこんなことを詮索されなければいけない。
「幼いころから何度もご両親の喧嘩を聞いた。何度も別れ話を聞いた。自分という存在がいるのに、自分では二人を止める理由にもなれない。自分が親にとって大切な存在じゃないと証明されることがこわい。怒った顔を向けられることがこわい。怒らないで、怒らないで、そう願いながら育ってきた」
 ひざの上に置いた陽平の拳に力がはいる。垂れた頭は感情を押し殺し我慢していた。
「その時君の心を助けたのが美陽君だった。美陽君が君を頼る。頼るように仕向けた。それが君の心の安寧を生み出した」
 陽平の唇が微かに動く。垂れた(こうべ)は顔に影を落としている。
「君は怒りを向けられるのがこわい。それは自分の存在を否定される感覚に近いから。必要とされたいという欲求が人よりも強いのが君でしょ? だから君は美陽君が怒る事を恐れている、ずっと。そして自分を求めてくれることに至福を感じる」
「うっっっさい! やめろよ‼」
 ふーふーと息を荒げた陽平の姿は誰もが見たことのないものだった。怒る陽平を、敵意をむき出しにする陽平を、誰も知らない。それでも墨馬はそんな陽平を冷静な目で見る。恐れるところはそこではなかった。
「別に僕は君の家庭の問題を指摘したいわけじゃない。僕が心配しているのは、君は美陽君が鬼を孕んでいることを嬉しいと思っている。そのことだよ」
「何。そんなこと……」
「そんなことない? 美陽君の脅えを癒せること、頼れる存在になれること、優越感を感じてない?」
 下を向いたまま答えようとしない陽平にため息をつく。コツコツと眉間の間を叩くと深く息を吐いた。
「美陽君の中の鬼が喜んでる。欲しがる君に同調するように、鬼が君を欲しがってる。美陽君はそれが自身の感情か鬼の感情か区別がついていない。鬼がどんどんと美陽君に癒着してしまう。これは危険な状態なんだよ」
「ハルの気持ちは、鬼によるものってことなん!?」
 どうして、どうしてこの子は論点がズレる。今心配すべきところは美陽の気持ちではないはずだと墨馬が顔を曇らせる。
「美陽君が鬼になることが心配じゃないの?」
「心配じゃないわけないだろ!」
 墨馬がずるっと背もたれに体を預ける。陽平と美陽、二人の心は思ったよりも複雑だった。一本の糸だけで繋がっているわけではない。複数もの糸が絡まり、そのもつれ合った状態は酷い。ひとつの糸の先がどの糸と繋がっているかなんて、本人たちでさえ分かっていない。人の心とは本来その様なものなのかもしれないが、二人のそれはあまりにも歪だった。
「それに、鬼に感情なんてあるんですか?」
 その問いに気を害したのは墨馬だった。
「墨馬さんも鬼なんでしょ。だからハルの気持ちが分かるとか、そういうのですか?」
「累から聞いたの?」
 黙る陽平に「そうか」と墨馬が息を吐く。
「確かに累が加持してくれなきゃ、僕は正気を失くし災いをもたらし人を駆逐する鬼だよ。でもすべての鬼は、元々は人なんだよ」
 どうしてこの人を責め立ててしまったのかと陽平の良心が痛んだ。この人は鬼にされてしまった被害者なのに。
「すみません」と謝る陽平を墨馬は責める気などない。
「鬼がどういう存在か、人にどこまで影響を及ぼせるのか、分かっていることなんてないんだよ。だからその力を調べ、手に入れたい。悪用せんと企てる輩が出てくる。僕や美陽君、累、そして姉を実験道具としかみてない輩がいる」
 陽平が墨馬の姉の事を思い出した。
「そういえば、お姉さんは。お姉さんも蘆屋に加持っていうのをしてもらってるんですか?」
 墨馬の表情から、そうではないことを察した。
「姉が組織に引き取られた時はまだ累も小さかったから。もう分かってると思うけど、鬼なんか傍に置いてちゃ、いつ災難が自分に降りかかるか分からないからね」
「だから……」
「とはいっても、僕がここに来たとき累はまだ小学三年生だったんだよ。すごいよね、あの子」
 墨馬が姉の話をはぐらかす。言いたくない事をしつこく聞くほど陽平は悪趣味ではない。それに「あの子」と言った墨馬の目は心底心配しているようだった。どうすればみんながこの呪縛から逃れられるのだろう。陽平が自分の非力さに目を伏せる。
「だからね、陽平君。もう少しだけ協力してくれないかな。もう少しだけ、美陽君を僕に預けてほしいんだ」
「守るから」と付け足されると、陽平は何も言う事ができなかった。
蘆屋だって敵じゃない、行動には理由があるはずだ。墨馬が陽平たちを騙し嘘を付くようにはどうしても思えない。これは陽平のただの勘なのかもしれない。だけど陽平にとってやっぱり人を疑う事は不得手だった。
 
 夏休みが明けると積祈神社は騒がしさを増す。朝から夕方まで子供たちの声が溢れ、陰陰とした空気を拭い去ってくれる。天気のいい日が続いてくれていることに墨馬も安心し、境内の掃除に精を出していた。玉砂利に落ちた葉を掃いていると、じゃりじゃりと足音が近づいて来た。
「やあ、墨馬君。久方ぶりだね。ご無沙汰してしまってすまない」
 墨馬が顔をあげると、そこにはパンパンに張らした高級そうなスーツを纏った男が手をあげこちらに向かって来ていた。境内の外の道路には黒塗りの高級車が停まっている。
「なんであなたが!?」
 思わず墨馬が一歩足を引く。そんな事は気にかけず中年男性が距離を詰めて来た。
牟婁島(むろしま)さんが連絡もなくお越しになるなんて」
 牟婁島と呼ばれた男が境内を満足そうに見回す。
「いやあ、いつ来ても相変わらずの田舎だけどいいところだねえ」
「はあ」と相槌を打つ墨馬はいい顔をしない。
「いやねえ、鬼がねえ、産まれそうって聞いてねえ」
 ぴくりと墨馬の聞く耳が動く。その表情にやっぱりと目を細めた牟婁島がニヤぁと笑う。
「困るよぉ墨馬君。報告を怠ってくれてはあ」
「すみません。確証がなく」
「思ったより早かったな」と心の中で墨馬が呟く。
「ええ、そうなのお!? 蘆屋君からはもう三ヵ月も前に話聞いてたんだけど」
 ニヤつく顔に嫌悪を抱く。それでも表には出さないよう丁重にふるまった。
「蘆屋ご夫妻はお元気で?」
 その話題に触れられるとニヤけていた顔が歪んだ。
「ああ!? そんな話はどうでもいいんだよ。鬼が産まれたなら俺らが監察保護しなきゃだろお!?」
 探られたくない腹を探られれば攻撃的になりはぐらかす。牟婁島の性格は長年の付き合いで把握している。
「そうですね。牟婁島さんは責任感がお強いですから。怪異対策局長としての責務でしょうか。御立派です」
「うんうん、そうなんだよなあ。大変なんだよこの局はさあ。表立って動くこともままならん上に功績も表に出ることはない。請け負う器量があるヤツは私くらいだ」
 反対に褒めておだてては機嫌を取る常套手段。
「それで、例の子供は?」
「今は夏休みも終わったので学校でしょう。未だ鬼のことや怪異対策局の事は知りません。脅かさぬよう丁寧に行きませんと」
「そうだな。だが私も忙しい。数日しかこっちに滞在できんから、事は早く進める」
「分かりました」と墨馬が頭を下げる。
「お前もこれからが使い道だ。せいぜい奉仕したまえよ。まさか私から逃げられるなんて思わんことだな」
「いえそんな」としずしずと頭を下げる墨馬を、がははと下品に笑い飛ばす。
「君らが人に逆らうことなど出来んのだから。そう、君たちの逃げ場はこの国にはない。それはそうと、今度は茶くらい出してくれたまえよ」
「これは失礼いたしました」
 墨馬が頭を下げたまま受け応える。
「いやいや、いいんだ。久しぶりに会えてよかった。まあ、これからはずっと私の元だがな」
 牟婁島が手をあげると機嫌よく立ち去っていく。
「こちらこそ、貴方に来ていただけて好都合」
 聞こえないほどの小さな声で墨馬がその背中に言い放った。