オニツキ

「いきなり呼び出してくれるなんて、どうしたん」
 慣れた様子で蘆屋が部屋に上がると、先ほどまで美陽が座っていた椅子に腰かけた。墨馬が冷たいお茶を差し出し、蘆屋の前に座った。両肘で頬杖を突いた蘆屋が嬉しそうに目の前の墨馬を見つめる。
「ねえ、ここの前で美陽くんと陽平くんに会ったんやけど、何話してたん?」
「二人に嘘を教えてたでしょ」
「何の事?」
 しらばっくれる蘆屋に怒ったような墨馬の顔。そんな墨馬にますます上機嫌になる。まるで気を引いて怒らせて、それを構ってくれたと喜ぶ子供のよう。そんな蘆屋にしかめっ面で叱るように墨馬が問う。
「鬼を産むようにしむけたのは、誰に言われて?」
「だって、俺はオニモチの家のもんやで? なんでそんな責める言い方するん」
「本当に美陽君を鬼にして、累はそれでいいの?」
「いいも何も、鬼を産むのも殺すのも、指示されてやるのがオニモチやろ? これって悪いことなん? 俺には出来るから、俺しか出来んから。相手が誰だって、やるのが当たり前やろ!?」
「じゃあ、なんでそんなに悲しい顔してるの。そんなに傷ついた顔をするのなら、友達を売るなんて事はやめなさい」
 傷ついた顔? そんな顔を誰がしているのだろうか。蘆屋は自分が今どんな表情をしているのか気付いていなかった。美陽や陽平に拒否され、突き放されたことがどれだけ心を突き刺しているのかも分かっていなかった。
 幼いころから大人に囲まれて育った。「神童だ」などともてはやされ、のぼせ上がった子どもは驕慢を覚える。子供のせいではない。周りの大人がそうさせた。そうであればあるほど、扱いやすいと考えた。
「だって、やらないと、おとんとおかんの立場が」
「そんなこと、子どもが考えることじゃない」
 子ども扱いをされることに蘆屋が苛立つ。
「ご両親、帰ってないんでしょ?」
 ぴくりと蘆屋の耳が動いた。
「今は文化・自然省の中の自然現象研究庁にいるの?」
「いたら?」
「表立っては気象や天体、自然に暮らす生物の調査を行う機関。でもその中には隠された組織が存在する」
 蘆屋が睨み上げるような目を墨馬に向ける。
「怪異対策局。累のご両親が所属している政府機関」
「それが何」
「美陽君を鬼の調査対象として累に経過報告させてたのは両親だね?」
 チっと小さな舌打ちが聞こえた。
「だから何やねん。仕事なんやからしょうがないやろ、仕事なんやから」
 今度悲しそうな顔をしたのは墨馬だった。そんな墨馬をうっとおしそうにする。腰を浮かせ墨馬に迫る。ずずっと近づいた蘆屋の顔からは先ほどまでの幼さが消え、支配欲に飢えた相形が覆っていた。
「香住だって協力してくれるんやろ? 俺のお陰で存在してられるんやから、当たり前やんな?」
「僕は累のためを思って、手を引いてほしいんだよ」
「じゃあ、なんで? 二人には教えてないやろ。鬼化を食い止める方法。それを俺ならできるって」
 テーブルに置いていた墨馬の手首を蘆屋が握る。ぎゅっと力を込められると墨馬が苦しそうに眉間にしわを寄せた。
 蘆屋がここに来る前、陽平たちとすれ違ったときに察していた。自分の話も聞かず立ち去ろうとする二人は、まだ聞かされていない。鬼化を止める事が蘆屋なら出来ると知っていれば、完全に突き放すことはしない。いや、出来ない。
 手首を握っていた力を弱める。次は優しく墨馬の手に自分の手を添える。
「香住は俺の味方やろ?」
「な?」と問いかけた蘆屋は生ぬるく恍惚とし、墨馬は顔をそむけるしか出来ない。
「なあ、次はいつヤる? 辛いとか、しんどいとかない?」
 すっかり子供の顔に戻った蘆屋の手を振り切ると椅子から立ち上がる。
「別に。いつも通りで大丈夫だから」
「そお?」と残念そうにするとテーブルに寝そべる。気まずそうに振り向いた墨馬に笑いかける。その顔だけを見れば、純粋で、純朴で、ただ慕う人に向けたそれそのものだった。
 
 神社からの帰り道、陽平が公園に寄りたいと言い出したので美陽も大人しく付き合うことにした。夏休みももう終わる。いつもなら宿題が終わらないとか、始業が億劫だとか、嫌な事を忘れるように遊び倒したり、そんな風に過ごしていた。それがいかに日常だったのかを思い知る。今はそんなことはどうでもよくなるくらいに憂虞が頭の中を支配していた。公園に来たいと思ったのは、少しでも子供の頃に戻りたかったのかもしれない。なんの心配もなくただ美陽と楽しく遊んでいた、そんな感覚を思い出したかったのかもしれない。錆びれたジャングルジムの横、寂びれたベンチに腰掛ける。すっかり夕方になってしまった。それでも外はまだ明るい。明るいはずなのにどこか寂しい。太陽が低くなり、夜空が覆いかぶさり始めていた。足元に一匹の蝉の死骸が落ちている。夏が過ぎていくのを感じる。
「怖くないん?」
 美陽がそう切り出すことを予想していたのか、陽平はベンチに浅く腰掛けたまま一点を見つめ続ける。
「怖いんは俺じゃなくて、ハルやろ?」
「本当に鬼になったらどうする。今もお前を襲うかもしれんのやで」
「襲われることよりも、ハルが俺を忘れる方が怖い」
「なんやそれ」と吐き捨てた美陽も気持ちは同じだった。
「俺がカラス襲ってた日さ、その瞬間をヨウは見たんやろ? 俺は、醜くなかったか?」
「あー、あれはビビったなー。正直めっちゃ怖かった。ハルが戻って来んかったらどうしようって。めっちゃ怖かった」
 二人の論点はズレている。墨馬がこの会話を聞けばそう思っただろう。鬼に蝕まれ我という存在を失くすことよりも、お互いを失くすことを恐れている。しかし二人の間ではそれが自然な感情だった。
「南さ、引っ越し明日なんやって」
 気まずそうに話す陽平の気持ちを察し、「そうやったな」と短く返した。
「本当はもっと早く引っ越したかったらしいけど、いろいろ手続きとか大変やったみたいで」
「南に会いに行ったん?」
 陽平が首を横に振る。
「行ったは行ったけど、会えそうもなかった。外に出んのとか、人に会うの怖いみたいで。南のおばさんとおじさんもここから離れたら状況変わるやろうって。仕事のこともあるから県外へは出んみたいやけど、やっぱりこの町が目に入らんとこまで離れるって」
「そうか」と言うと美陽が身をかがめうずくまる。
「なあ、ヨウ。南はちゃんと戻れるかな。前みたいに、明るくて元気で。ヨウを好きやって言った南に、戻れるかな」
「ハル……」
 苦しそうに歪んだ顔は横から見ても分かるほどだった。
「俺が南を―」
「やめよう。やめよう、ハル」
「俺がこんなヤツじゃなかったら」
 自分を卑しめる美陽の背中に腕がまわされる。陽平の肩に顔がうずまると優しい体温を感じる。ぽんぽんと背中を叩かれると、どんどんと嫌なものが零れだしそうになる。それをこらえるので精いっぱいだった。
 ―可哀そうなハル。賢くて真面目で、人の心が分かるからこそ苦しむ。俺のようにバカで幼稚で察しが悪ければよかったのに。辛いんよな、苦しいんよな。もっと早く、俺が間違いに気づいていたらよかったのに。
「今度は墨馬さんもいるから、大丈夫。良くなる」
 陽平は本当に美陽を心配しているのだろう。鬼を孕んでいると聞かされた時から、なんども陽平は心配し手を差し伸べた。こうやって陽平が案じ思いやってくれる瞬間、美陽の中で何かがざわつく。それを前からずっと感じていた。しかしそれが何なのかつかめずにいる。今だって確かに感じている。体を流れる血が沸き立つような感覚を。こんなに苦しい気持ちなのに、陽平の肩に埋めた口元には微笑が浮かんでいた。
 
 夏休みが明けて、学校が始まる。新学期は大きな区切りであり、新しい出発である。夏休みを経てまた少し人が成長するようにも感じる。ただ陽平の中では、まだ過去を引きずっているような、そんな感覚だった。夏休み前から抱えていた気持ちが、ずるずると大きくなっただけだった。
 始業式では蘆屋の姿もあった。あちらが陽平を見つけると、変わらず人懐っこい笑顔を向けてくる。そんな蘆屋から顔を背けてしまった。校舎が違う為普段顔を合わすことはない。しかし体育や特別授業などで陽平を見かけては馴れ馴れしく声を掛けて来た。陽平は一貫して関わらないようにしていたが、次第にそんな蘆屋が健気にうつってくる。罪悪感を押し込めるように過ごし二週間ほどが過ぎた学校の帰り道、突然後ろから肩をポンと叩かれた。振り返って現れた顔にさほど驚きはなかった。相変わらず余裕の表情を携えた蘆屋が背後に立っていた。
「つれなくない?」
 軽い言葉に悪びれた様子はない。許した覚えもないのに肩を並べて歩き出す。まだ陽平は蘆屋と言葉を交わす気にはなれていない。
「ね、ごめんね。騙すつもりはなかってんけど。ほら、こっちにもいろいろあってさ」
 むすっとした顔の陽平の横で軽快にしゃべりだす蘆屋。
「悪いとは思ってんけど、こんな早よバレると思ってなかって。ちょっと美陽くんのこと観察したかってん」
 美陽の名前を出されて我慢が出来なかった。陽平が歩を止めるといきなり蘆屋の胸ぐらを掴む。同じく下校していた生徒たちが何事かと振り返ったが、気に留める事無く再び時間は動き出した。蘆屋の表情は変わることもない。それがさらに陽平を腹立たせる。
「なんでハルを鬼にしようとした!」
 蘆屋に掴みかかったまま陽平が顔を寄せる。蘆屋は怯むことなく平然としている。
「なんで? なんでって、聞いたんやろ? 俺はオニモチの家の子。組織に有益に動く役目。親もそれで食ってんねんから、それが宿命やん。仕方なくない?」
「はあ?」と陽平が顔を歪める。陽平の目が蘆屋を突き刺す。蘆屋にはその目が面白くなかった。まっすぐで、人の表側しか見ない、正義の目のような。人は裏側にこそ本質があると、考えてもみないその目が気に食わなかった。
「俺を疑うのもええけど、じゃあなんで香住の事は信じれるん?」
 蘆屋が陽平の手を払う。そのまま駅へと歩き出したので、陽平が追いかけるようにその後をついて歩く。
「墨馬さんは積祈神社の神主で、鬼からあの町を守ってる。足立さんからも聞いた。疑うもなにも」
「はあ。ほら、陽平くんってそうやん。最初はそうやって俺の言う事信じて疑いもせんかったくせに」
「なに」と言い返そうとしたが、蘆屋の言う通りでもあった。今度こそ美陽を助ける道を間違えてはいけない。不本意にも蘆屋の言葉が陽平の頭を冷やさせる。
「だっておかしない? 古から鬼を抑えて来た神社の神主が? 何も手立てを教えてくれないまま? 美陽くんを放置?」
 ぐっと喉が詰まったのを感じる。蘆屋の言葉がずぶずぶと腹を刺す。信じてはいけないもの、信じないといけないもの。どうやって見極めればいいか陽平が惑う。
「こっちが持つ情報やけどさ。香住の姉も鬼になってるんよね」
 えっと陽平の小さな声が漏れる。その反応に蘆屋が満足げに口角をあげた。
「あれ、香住は話してくれへんかったん? 国が表立って立てた組織が自然現象研究庁。そして隠されて存在しているのが怪異対策局。それがどんな組織なのか、教えてくれへんかったん? 戻ってこれへんその場所に、姉を送り込んだことも?」
「そ、それは蘆屋が言ってたやん。鬼になった人を保護する機関って」
 あっははと蘆屋が声をあげて笑う。何がおかしいのか、それを唖然として見る事しかできなかった。
「だから、陽平くんはなんで俺の言葉信じるん。なあ、どっち? 疑ってんの? 信じてんの?」
 あー面白いと蘆屋が上機嫌に歩いていく。もうその背中をどんな感情で見ればいいのか、陽平には分からなくなっていた。
「俺は、疑うとか信じるとか、分からん。ハルを助けたい。ハルがハルのままでいられる方法を知りたい。蘆屋は知ってるなら教えてくれ、マジで、頼む」
 後ろを振り返り陽平を見つめる蘆屋が目を細める。美陽の気持ちがよく分かる。光は強ければ強いほど影を濃く映し出す。近くにいればいるほどくっきりと輪郭を投影する。自分の影を自覚すれば、光をうらやむと同時に汚したくなる。自分のようなものの近くに置きたくなる。
「陽平くんは、優しいね」
 しょうがない子だと、蘆屋が眉をひそめる。そのままとぼとぼと歩き出してしまう蘆屋を目で追うしかできなかった。しょうがないとは、陽平と蘆屋、どちらだろう。そんな顔を見てしまえば、陽平はまだ蘆屋を嫌いにはなれなかった。