オニツキ

豪雨の中、公園の掘っ立て小屋で美陽を見つけた後の事だった。
 雨の中美陽を抱き、小屋を後にする。美陽の家に戻ると、ずぶ濡れの自分たちをどうしたものかと考えた。まずは濡れた美陽の体をタオルで拭くと着替えさせた。意識のない人を着替えさせるのはこんなにも大変なものなのかと四苦八苦する。冷えた体を心配しながら布団にくるんでやった。陽平もバスタオルで簡単に雨を拭うと時計を見る。朝の五時前だった。
「……今なら会えるかもしれん」
 持ってきていた服に着替えて外へ出る。スニーカーは雨に浸され使い物にならなかったので美陽のサンダルを借りた。あんなにも止まなかった雨がぴたりと止んでいた。雲の隙間からは光さえ漏れだしている。とぼとぼと歩き陽平が向かったのは小山だった。蘆屋から近づくなと言われていた小山。実は陽平はそれから何度も一人で訪れていた。最初は躊躇いもあった。しかし自分は当事者ではないとかこつけて山に登っていた。なぜなら、陽平は蘆屋の事など信用してはいなかった。蘆屋の話をきっかけに、鬼に関する手がかりを探していた。蘆屋の「近づくな」は何かを隠している合図だと考えた。美陽を救うのは自分でありたいと、利己的な考えがあったのかもしれない。
 何度も山に登るうちに、誰かが祠に訪れている事に気づく。祠のいつも綺麗に佇むその姿。探りを入れるように置いて行った供え物が撤去されていたことも引っかかっていた。山に登る時間帯は毎回ずらした。そうするうちに、人が訪れているとすれば早朝ではないかと推測された。
 頂上に着くとまずは祠の様子を見てまわる。昨日の大雨のせいで、今日は祠の屋根には落ちた葉っぱや枝が被さり、足元も泥まみれになっていた。何を祀られているかも、存在さえも知られていないのにそこそこに立派な祠。それにはガラスの扉がついていて、開ければお供え物を置いたり、線香を焚いたりする為のスペースがある。しかしいつもそこは空っぽだった。ガラス越しに陽平が中をのぞく。中には大きな石が鎮座している。一体どういう意味があるのだろう。裏側に何か書かれていたりするのか、覗いてみたことはあったが特になにも見つからなかった。
 しかし今日は石の裏側、石の下に挟まる何かを見つけた。
「祟るなら俺を祟ればいいからな」
 陽平が思い切ってガラス扉を開く。そして石の裏に手を回し、その何かを抜き取った。それは古びた一枚の紙だった。ぱりぱりになった茶色い紙が折りたたまれている。それを丁寧に開く。そこに書かれていたのは瓢箪のような形。そして上の小さい円の中に「山」。くびれ部分に「地」。下の大きな円に「黄泉」と文字が書かれていた。
「山……地……黄泉。……泉」
 これは蘆屋が言っていた山地泉の法を示しているのではないか。しかし泉、ではなく黄泉となっている。深い意味はないのだろうか。陽平は祠の前に立ちすくみ紙を見つめていた。
「こら! この罰当たりが!」
 突然叫び声が聞こえると、一人の老婆が背後に立っていた。
 階段からではなく、獣道から上がってきたのだろうか。つかつかと向かってくる老婆にひるみ、祠の前を空けるように後ずさる。
「あの、おばあちゃん。もしかして祠の……」
 掃除をしているのかと聞く前に持っていたバケツからぞうきんを取り出し拭き掃除を始める。やはりこの祠を守っている人がいたのだ。陽平は彼女に会いたかった。ずっと待っていた。美陽が昔に出会ったと言った老婆を探していた。
「ねえ、これってどういう意味?」
 陽平が持っていた紙を差し出す。それをチラリとみた老婆は興味なさそうに掃除を続けた。
「あんた、この辺の子か?」
「この辺もなにも、青葉台に住んでる」
 答えを聞いた老婆はそれ以上会話を続ける気配はない。
「おばあちゃんはずっと祠の世話しとんの? この祠って何を祀ってるん? どうして階段に背を向けて建ってるん? ねえ、知っとる?」
 拭き掃除が終わるとほうきで屋根に落ちた葉っぱや枝を掃っていく。高い場所は老婆が背伸びし手を伸ばしても届かない。陽平が老婆からほうきを取り上げる。驚いた老婆をよそに屋根の掃除を始めた。
「昔から建っとるで知らん」
 老婆がぽつりと言い放つ。
「だあれも掃除もせんかったら罰が当たるやろ。そこ下ったとこが私の家や。罰当たりは嫌やからな。掃除しに来てるだけや」
「じゃあ、祠の意味は知らない?」
「さあな」
「この紙に書かれてることも?」
「勝手に取り出して、最近の子は」
「じゃあ―」
 先ほどまでの馴れ馴れしい口ぶりが突然真剣みを帯びたのを老婆が感じ取る。
「じゃあ、六年くらい前、猫を預けに来た男の子は?」
 雑巾を片付ける老婆の手が止まる。
「俺は、いろいろと教えてもらう必要がある」
 迷いのない陽平の顔を見ると、老婆がため息をついた。
「そこに住んでる足立トシ子や」
 足立が獣道を下ったふもとの方を指さす。そこにはとても立派な家が建っていた。昔からある家だとすぐに分かる。白い塗装と黒瓦の数寄屋門の向こう側には庭があるのだろう。塀の上からは松の木が見えていた。もちろん家の存在は知っていたが、住人に会うのは初めてだった。
「あんたは?」
「禰宜陽平。猫を預けた子は俺の友達」
「そうか……」
「ここで俺たちが行ったのはクダショウの儀だと聞いた。それがハルが鬼を孕む原因になった事も」
 そこまで知っていたのかと足立が驚く。
「なんでそんな事を知っとる。あんたそれ、誰から聞いた」
「蘆屋。蘆屋累って同級生」
 その名前を聞き、足立が深く息を吐く。どうしたものかと視線が地面をうろうろと彷徨う。
「足立さんも、何か知ってるん? ハルがどんどん悪くなってて。昨日も―」
 足立が昨晩の豪雨を思い出す。そういう事かと何度か頷いた。
「ハル君言うんか? あんたの友達。一度うちにおいでなさい。あんまり状況は良うない」
「分かった」と陽平が頷く。足立の態度で、やはり蘆屋の言う事には偽りがあったとようやく確信ができた。
 
 今朝がたの事を美陽に話す。まだ具合が悪いのか、美陽は布団にもぐったまま陽平の話を聞いていた。
「一人でそんな事してたんか」
「ごめん。ハルを山に連れてくのはリスクあるやろ?」
「怒ってるんじゃなくて、感心してんねん」
 蘆屋についてどこで疑いをもったのか美陽には分からない。
陽平は人に悪などないと、性善説を平気で信じているものだと思っていた。そんな陽平がヒーローのようだとずっと思っていた。でも実際は、ヒーローをしていたのは美陽に対してだけなのかもしれない。本当の陽平はどんな人間なのか、美陽は知らないのかもしれない。鬼とは関係ない事を考え難しい顔になる。
 すると美陽が被っていた布団が突然もぞもぞと動く。
「え、ヨウ何してるん」
 ベッドへと侵入してきた陽平に押され、美陽が端に追いやられる。
「俺全然寝てなくて……結構、限界……」
「自分の布団で寝ろって」
「ふふ……ハルのベッド、気持ちええな……」
「おい、おまっ」
 声をかけようとしたが、すでにすうすうと寝息が聞こえていた。陽平の髪からほんのりと雨のにおいがする。ぼさぼさになった髪はずぶ濡れになったまま雑に拭いただけなのだろう。美陽に向けられた背中からは疲労が伝わる。身体的にもだが、それより精神的な疲れを感じた。そんな陽平を起こすわけにはいかなかった。かといって自分が布団からでることもしない。陽平はきっと、今美陽から離れることが不安なのだろう。美陽の体温が消えればまた動揺するかもしれない。
 ―こいつは、俺の事こわくないんか―?
 美陽も大人しく狭いベッドで再び目をつむった。
 
 午後三時を回ったころ。陽平と美陽は足立の家に来ていた。あらかじめ足立が指定した時間、二人が揃って訪れる。客間に通されると、外観とは違いレトロな洋風の机と椅子が出迎える。部屋の中はカントリー風なかわいらしいインテリアでまとめられている。足立が持ってきたものも、アイスティーと焼き菓子という意外に思えるチョイスだった。ただし、事情を知っているからだろう。二人の皿は分けられていた。
「念のためや」と足立は言う。
「あんたが美陽君やね。はじめまして」
 美陽が礼儀正しく頭を下げる。陽平の印象からか、正反対なイメージの美陽に意外そうな顔をする。
「あの、足立さんは」
 美陽が切り出すと、困った顔で足立が笑う。
「せやね。どっから話すべきか、どこまで話すべきか迷って。相談したんやけど、もうあんたたちも子供じゃないからって。累くんと同い年で同級生なら、話すべきだと言われてたんよ」
「誰に?」と二人に疑問が浮かんだが、訊くより早く足立が話し始めた。
「うちの家系はずっとあの祠を守っていてね。まずはこの地にある鬼に関する習俗から話さなあかんね。ずっとずっと昔よ。伝承じゃ西紀前の話になるとも言われとる。この辺りの人は厳霊山と共に歩んできた。厳霊山はずっと昔、神の宿る山やと言われとった。それが時代を重ねるにつれ、人の怨念を集め出し邪馬台国の時代になると鬼を産みだす山になった。それでも人は神鬼を崇め神社を建て鬼を祀った。それでうまいこと鬼と付き合って来とった。厳霊山にはよう雨が降り雷が落ちる。それは鬼が住むからやとも思われてたし、厳霊山が災害を請け負ってくれとるとも思われとる。それが寛永二十一年。ここいらに経験したこともないほどの雨が降ったらしい。それで町は大洪水。特に被害が出たのは厳霊山で、地盤はゆるみ、地滑りを起こし、山が大きく崩れた。それは山の形が変わるほどやったと言われとる。その時に鬼を祀っていた神社も押し流され潰された。山に留まってくれていた鬼たちが解放され山からどんどんと下り始めた。それからは人と鬼とのせめぎ合いが続いたそうやけど、鬼を封じるために企てていたものがようやく完成する。それがあの祠と小山、そして積祈神社であって―」
 美陽がちらりと横に座る陽平を見遣った。真剣な顔で、身を乗り出すように、顔をしかめながら話を聞いている。まるで難しい方程式を延々と聞かされているような顔。頑張って理解しようという気持ちがくいしばった口元に現れていた。
 ぶはっと美陽が吹きだす。そしてケラケラと笑いだした。
「え、ハル何笑ってんの」
「だって、ヨウ、絶対分かってないやろ」
 ひとしきり笑った美陽は目じりに涙まで浮かべている。
「分かるように頑張って聞いてたの!」
「それで、今の話は分かったん?」
「ぅぅう……理解しようとしとるとこやろ」
「ごめんごめん。怒んなや」
 目じりの涙をぬぐい目を開ける。すると美陽を見つめたまま、真顔の陽平がぽろぽろと涙をこぼしている。
「は? なんで!?」
「だって、ハルが笑ってるから。そんなに笑ってるとこ、見たの久しぶりやから」
「嬉し泣き!? お前感情どうなってんの」
 止まることのない涙が次々と零れる。ぐいぐいと陽平の頬をぬぐってやる。陽平だって不安だったのだろう、心配だったのだろう。一番辛いのは、怖いと思っているのは美陽だからと我慢していたのだろう。守ってやらないと、自分がなんとかしないとと、必死だったのだろう。やっぱり美陽にとって陽平はヒーローだった。
「あんた、この子が怖ないんか?」
 ずびっと鼻をすすった陽平が当たり前だと答える。
「怖ない。ハルが鬼になったって、何したって俺はハルを守る。でもハルが俺のこと分からんくなるんは、やっぱり嫌や」
「うん。俺も俺じゃなくなってヨウの事忘れてしまうのは嫌やな」
 二人を見た足立が唖然とする。人が鬼を孕めば、仕方ないが処置の手筈をするのも足立の役目だった。例外はない。しかしどうにか手を貸してやりたくなった。
「累君からいろいろと話を聞いたんやね?」
 二人が同時に頷く。
「蘆屋家の様な鬼に関する儀式を行う家系をオニモチと呼んどる。でもほとんどのオニモチは組織と繋がっとる。繋がっているというより、配下にある。中でも蘆屋の家は昔からのお抱えやった。完全にあちら側や」
「あの、組織って、あちら側って」
「今オニモチを仕切っとるのは政府機関。国や」
 思った以上の大きな後ろ盾に二人が驚く。しかしこれで納得もできた。他では噂にもならない異常気象。いくら小さいとはいえメディアに出ることのない事故。いくら調べても出てこない鬼の情報と、組織の情報。すべて操作できるのは、国ぐらいなものだった。静かに、巧妙に、この町は閉ざされていた。それは住民たちでさえも気付かないほどに。
「累君は美陽君を実験としか思ってない可能性がある。分からんよ、私に本当の事は。でも信頼できる相談者というなら、積祈神社に行きなさい」
「墨馬香住さんですか?」
「そこまで知っていたのか」と足立が肩を落とす。
「あの人なら正しい道へ導いてくださる」
 陽平と美陽が顔を見合わせる。二人がお互いの存在を守るために、行くべきところがようやく定まった。