たとえ陽が何になろうと、何を犯そうと俺はそばにいると思う。
たとえ陽の心を利用したとしても、俺はそばにいたいと思う。
五月に入ると春の初々しさも浮かれ立った空気も落ち着いてくる。今年新高校一年生になった禰宜陽平が駅のホームにぽつんと佇んでいた。上下線一本しか通らない山中の駅だった。木造の駅舎は陽平が初めてみた頃から変わっていない。
普段は無人駅で、構内への出入りは自由も同然だった。待合室には一時間に一本だけの出発を知らせる時刻表と、ぎりぎり四人が座れそうな長椅子が置かれているだけ。駅周辺には店もなく、徒歩圏内にコンビニもない。この駅で降りる乗客が一人だけなんてざらだった。
陽平の明るく染めた髪と学ランにパーカースタイルは一年生にしては派手でだと、たぶん誰もが思うだろう。しかし陽平が通っていた田舎の中学校ではそんな生徒は珍しくない。「荒れている」と大人たちは表現することもあったが、学校という箱の中では未知の世界である都会に憧れただけのオシャレだった。
自転車圏内にも高校がないこの地域では、高校生になると電車通学を余儀なくされる。陽平の入学した工業高校も電車で一時間とかなり不便を強いられるが、その代わり嬉しい事もあった。
「おい、ヨウ。キセルする気じゃないやろな」
改札を入った辺りでそわそわとしている陽平が後ろから声を掛けられる。その声に振り向く陽平の顔は嬉しさがダダ漏れになっていた。
「ハル! お帰り」
「不審者みたいやぞ、お前」
陽平に声を掛けて来たのが同い年の温羅美陽。小学校からの幼馴染だった。当時から二人はいつも一緒にいるほど仲が良かった。しかし美陽は中学生になると中高一貫の学校へ通いだしたため、一足早く電車通学を始める。そのせいで中学生時代は遊ぶ事も減ってしまい、陽平はそれを嘆いていた。しかし高校生になればおのずと電車通学になる。嬉しい事とはそう、美陽と会える日が増えるという事だった。
「失礼な! ハルに怒られたからちゃんと定期買いました」
当たり前の事を自慢げに披露する。しょうもないと美陽があしらい改札へと向かう。
「前の電車乗ってたん? もしかして一時間待ってた?」
「んー。待ってた! ハルおらんかったから、次ので帰って来るかなって」
美陽がピッとICカードを簡易改札機に当て改札を通る。そのうしろから改札機をスルーした陽平が付いて出て来た。
「あんな、いくら電車乗らんくても勝手に改札通んな。モラルやろが」
咎める美陽の背中を追い越すと、陽平が美陽の前に回り込む。
「ごめんごめんごめん。次から気を付けるし、怒らんとって、な?」
大げさに謝りながら美陽の顔を覗き込む。「怒ってない」と伝えると「ほんまにほんま?」としつこく聞き返す。
「怒ってない。いつも言ってるやろ。俺はお前に本気で怒らん」
「ありがとう、ハル」
陽平の顔がほっとやわらぐ。美陽の隣に並び、歩き始めた陽平の顔は次の瞬間にはご機嫌な様子に変わっている。さっきまで美陽の気色を伺っていたのに、コロコロと変わる情緒はどうなっているのかと美陽が呆れる。無愛想な顔で歩く美陽とは反対に、うざったいくらいに明るい笑顔を向けてくる陽平。いつもそんな調子の陽平を煙たがる事無く好きにさせてやっていた。
並んでみると背は陽平の方が少し高い。着崩した学ラン姿の陽平と違い、美陽はきっちりとブレザーを着込む。誰がどうみても優等生の美陽と不良の陽平。不釣り合いに見えるのは他人からだけで、二人の間に天秤もシーソーも存在しない。あるのは心を許した平等な関係性だけだった。
「こうやってまた一緒に帰れて嬉しいなあ」
「家まで二〇分くらいやねんから先帰っとけよ」
「なんで? 一緒に帰れるならその方が楽しいやん」
二人が住むのは青葉台という新興住宅地。まだ新しい団地で、陽平と美陽も小学一年生の時にこの地に引っ越してきた。もともと関東から来た美陽も今では方言が身に付いてしまっている。とはいっても染まり切れていないその言葉が陽平は好きだった。
青葉台へは駅から西に延びるまっすぐな道を歩いていく。道のわきには雑草が茂った更地や古い駐車場、稼働しているところをほとんど見たことがない運送会社が並ぶ。いわゆる人気のない道がただただ続いている。
「あの時もこれくらいの時期やったよなー」
突然の話題に何のことかと美陽が首をかしげる。
「ほら、のどかな日やったのにさ、いきなり台風みたいな大雨と風でさ」
陽平が話そうとしている内容に気付いた美陽の顔が一瞬曇る。
「小三くらいやっけ? 二人で猫ひらって小山の上にさ―」
「ヨウ! その話すんなって!」
珍しいほどに声を張り上げた美陽に陽平がびくっと驚く。
「前も言ったやろ」
今度は低く暗いトーンが陽平の腹に響いた。
「ごめん! ほんまごめん、つい口滑って。もう絶対話さへんから」
「ええって謝らんでも。怒ってないから。その話すんの嫌なんやって」
もう一度「ごめん」と言うと陽平がしょんぼりと肩を落とす。そんな陽平の様子に、はあっと息を吐いた。いきなり怒鳴ったことをさすがに悪いと思ったのか、今度は優しい声で提案する。
「まだ時間早いし、公園寄ってこか」
「あ、ええやん! 行こ! 久しぶり」
すっかり元のテンションに戻った陽平が大股で先を急ぐ。そんな陽平に合わせるように美陽が少し歩を急がせた。
二人が団地へ向かい歩いていると、後ろからプップと車のクラクションを軽く鳴らす音が聞こえた。道路側を歩いていた陽平のすぐ隣に白い軽トラックが停まる。
「陽平に美陽。学校帰りか?」
「うお! 山下のおっちゃん! こんにちは」
大げさに驚く陽平に大口を開け山下と呼ばれた男が笑う。
「ほんまお前らは仲ええなあ。あ、そうや美陽。この前もらった梅酒、うまかったわ」
「いえ、お口に合ってよかったです」
「今度うちで採れた野菜持っていくし、またよろしく頼むわ」
美陽が礼儀正しく頭を下げると山下が窓から出した手を振った。車を走らせ去っていく山下を見送る。
「梅酒って、ハルのお母さんが作ってるやつ?」
「そう。毎年あげてて、山下さん気に入ってるみたいで母さんも張り切ってて」
「へー」と陽平が感嘆をもらす。山下は駅から一キロほど南に行った小田地区と呼ばれる場所に住んでいる。そこは昔からの家が多い。その辺りの住民はみな明るく、青葉台よりも少しあけっぴろげなイメージがあった。陽平たちも転校してきた当初、小田地区に住む同級生たちにいろいろとお世話になっていた。
山下と別れ五分も歩かないうちに青葉台に着く。
二人が公園と呼んでいるそれは体育館ほどもないただの広場で、団地の寄り合いに使う掘っ立て小屋と錆びたジャングルジムが一つあるだけの場所だった。しかし幼い頃の二人にとってそこは走り回ったりキャッチボールやサッカーができる唯一の場所で、ずっと公園と呼んでいた。
青葉台は元々川であった場所を埋め立てた土地だと聞いたことがある。住宅地の境目には少しだけこんもりと盛り上がった道路の切り替わりがある。それが境界線というイメージを持たせていた。そしていつからかこの境目を踏み込むとき、ずしりと何かが纏わりつくような違和感を覚えるようになった。小学生の頃は感じていなかったこの感覚をいつから持つようになったのかは覚えていない。陽平が感じている違和感を美陽も抱いているのか聞いたことはない。
団地に入ると網目状に揃った道を歩いていく。隣り合っている家などなく、一〇m、二〇m、それ以上距離をあけてぽつぽつと一軒家が建っている。陽平たちのように引っ越してきた家がほとんどだったが、子どもがいる家は少なかった。
老夫婦が住んでいるらしいが休日には外までもれるほどの念仏が聞こえてくる家。玄関に「戦争反対、飢餓のない世界を」と物騒な文字で書かれたチラシが張り巡らされた家。子どものころは気にもしなかったが、今では無意識に目を逸らしてしまう。住人に出会った事がない家もある。そんな家々の前を通り過ぎながら思う。陽平が感じていた違和感はきっと顔の見えない住人たち、閉鎖的空間を作り出している青葉台そのものへの薄気味悪さだった。それでも美陽と並んで歩けばそんなことは気にすることもない些細な事だった。
青葉台に入ると公園はすぐに見えてくる。公園は道路より小高い位置に作られていた。それ故に小学生の頃は公園の入り口となる階段まで回り込まなければいけなかった。それが高校生になった今なら、低い石積みをひょいと越えられる。
「あったあった」
陽平が一目散に駆けて行ったのはジャングルジム。鉄棒を掴んだところからぼろぼろと塗装が剥がれ、手に錆が付く。そんなことも気にせずにどんどんとのぼっていく。美陽はゆっくりと公園の中を歩いていた。
「うわ! 低っ!」
何が楽しいのかケラケラと笑う陽平。まるで小学生と変わらないその姿に美陽が呆れる。ようやく美陽がジャングルジムの傍まで来ると陽平が頂上から笑顔で迎えた。ジャングルジムの下から見上げた陽平の姿は、雲の間から滲み漏れる太陽の光を浴び、靄がかかったようにぼうっと陰影を浮き上がらせる。光とも陰ともつかないその姿に美陽が目を細めた。
「やっぱり大人になってからのぼると大して高くないのな」
「大人」と自分で言ってしまうにはあまりに幼いと思ったが、あえて突っ込むことはしない。陽平がジャングルジムの頂上から西側を眺める。その視線の先には小さな山があった。山のふもとから頂上へは土を固め丸太でステップを作った階段が続く。子供の足でも三分もあれば登れてしまう。山と言うよりも築山と言った方がいいのだろうか。埋め立てた造成地であるはずのこの地に存在する不自然な山。人工のものとしか考えられないその山の頂上には祠があった。何のための祠なのか、何を祀っている祠なのか聞いたことがない。移住者が多い団地の中で、それを知っている人に出会ったこともない。美陽はこの時も山の方を見ようとはしなかった。
美陽が山というよりも祠を避けている事を陽平は知っていた。顔を伏せた美陽とは反対に陽平が山をじっと見つめる。きっと美陽が山を敬遠する理由はここへ来る途中遮った話題が原因だろう。二人で拾った「猫」。美陽が話したがらない二人だけの思い出。それは小学三年生の時だったと記憶している。
たとえ陽の心を利用したとしても、俺はそばにいたいと思う。
五月に入ると春の初々しさも浮かれ立った空気も落ち着いてくる。今年新高校一年生になった禰宜陽平が駅のホームにぽつんと佇んでいた。上下線一本しか通らない山中の駅だった。木造の駅舎は陽平が初めてみた頃から変わっていない。
普段は無人駅で、構内への出入りは自由も同然だった。待合室には一時間に一本だけの出発を知らせる時刻表と、ぎりぎり四人が座れそうな長椅子が置かれているだけ。駅周辺には店もなく、徒歩圏内にコンビニもない。この駅で降りる乗客が一人だけなんてざらだった。
陽平の明るく染めた髪と学ランにパーカースタイルは一年生にしては派手でだと、たぶん誰もが思うだろう。しかし陽平が通っていた田舎の中学校ではそんな生徒は珍しくない。「荒れている」と大人たちは表現することもあったが、学校という箱の中では未知の世界である都会に憧れただけのオシャレだった。
自転車圏内にも高校がないこの地域では、高校生になると電車通学を余儀なくされる。陽平の入学した工業高校も電車で一時間とかなり不便を強いられるが、その代わり嬉しい事もあった。
「おい、ヨウ。キセルする気じゃないやろな」
改札を入った辺りでそわそわとしている陽平が後ろから声を掛けられる。その声に振り向く陽平の顔は嬉しさがダダ漏れになっていた。
「ハル! お帰り」
「不審者みたいやぞ、お前」
陽平に声を掛けて来たのが同い年の温羅美陽。小学校からの幼馴染だった。当時から二人はいつも一緒にいるほど仲が良かった。しかし美陽は中学生になると中高一貫の学校へ通いだしたため、一足早く電車通学を始める。そのせいで中学生時代は遊ぶ事も減ってしまい、陽平はそれを嘆いていた。しかし高校生になればおのずと電車通学になる。嬉しい事とはそう、美陽と会える日が増えるという事だった。
「失礼な! ハルに怒られたからちゃんと定期買いました」
当たり前の事を自慢げに披露する。しょうもないと美陽があしらい改札へと向かう。
「前の電車乗ってたん? もしかして一時間待ってた?」
「んー。待ってた! ハルおらんかったから、次ので帰って来るかなって」
美陽がピッとICカードを簡易改札機に当て改札を通る。そのうしろから改札機をスルーした陽平が付いて出て来た。
「あんな、いくら電車乗らんくても勝手に改札通んな。モラルやろが」
咎める美陽の背中を追い越すと、陽平が美陽の前に回り込む。
「ごめんごめんごめん。次から気を付けるし、怒らんとって、な?」
大げさに謝りながら美陽の顔を覗き込む。「怒ってない」と伝えると「ほんまにほんま?」としつこく聞き返す。
「怒ってない。いつも言ってるやろ。俺はお前に本気で怒らん」
「ありがとう、ハル」
陽平の顔がほっとやわらぐ。美陽の隣に並び、歩き始めた陽平の顔は次の瞬間にはご機嫌な様子に変わっている。さっきまで美陽の気色を伺っていたのに、コロコロと変わる情緒はどうなっているのかと美陽が呆れる。無愛想な顔で歩く美陽とは反対に、うざったいくらいに明るい笑顔を向けてくる陽平。いつもそんな調子の陽平を煙たがる事無く好きにさせてやっていた。
並んでみると背は陽平の方が少し高い。着崩した学ラン姿の陽平と違い、美陽はきっちりとブレザーを着込む。誰がどうみても優等生の美陽と不良の陽平。不釣り合いに見えるのは他人からだけで、二人の間に天秤もシーソーも存在しない。あるのは心を許した平等な関係性だけだった。
「こうやってまた一緒に帰れて嬉しいなあ」
「家まで二〇分くらいやねんから先帰っとけよ」
「なんで? 一緒に帰れるならその方が楽しいやん」
二人が住むのは青葉台という新興住宅地。まだ新しい団地で、陽平と美陽も小学一年生の時にこの地に引っ越してきた。もともと関東から来た美陽も今では方言が身に付いてしまっている。とはいっても染まり切れていないその言葉が陽平は好きだった。
青葉台へは駅から西に延びるまっすぐな道を歩いていく。道のわきには雑草が茂った更地や古い駐車場、稼働しているところをほとんど見たことがない運送会社が並ぶ。いわゆる人気のない道がただただ続いている。
「あの時もこれくらいの時期やったよなー」
突然の話題に何のことかと美陽が首をかしげる。
「ほら、のどかな日やったのにさ、いきなり台風みたいな大雨と風でさ」
陽平が話そうとしている内容に気付いた美陽の顔が一瞬曇る。
「小三くらいやっけ? 二人で猫ひらって小山の上にさ―」
「ヨウ! その話すんなって!」
珍しいほどに声を張り上げた美陽に陽平がびくっと驚く。
「前も言ったやろ」
今度は低く暗いトーンが陽平の腹に響いた。
「ごめん! ほんまごめん、つい口滑って。もう絶対話さへんから」
「ええって謝らんでも。怒ってないから。その話すんの嫌なんやって」
もう一度「ごめん」と言うと陽平がしょんぼりと肩を落とす。そんな陽平の様子に、はあっと息を吐いた。いきなり怒鳴ったことをさすがに悪いと思ったのか、今度は優しい声で提案する。
「まだ時間早いし、公園寄ってこか」
「あ、ええやん! 行こ! 久しぶり」
すっかり元のテンションに戻った陽平が大股で先を急ぐ。そんな陽平に合わせるように美陽が少し歩を急がせた。
二人が団地へ向かい歩いていると、後ろからプップと車のクラクションを軽く鳴らす音が聞こえた。道路側を歩いていた陽平のすぐ隣に白い軽トラックが停まる。
「陽平に美陽。学校帰りか?」
「うお! 山下のおっちゃん! こんにちは」
大げさに驚く陽平に大口を開け山下と呼ばれた男が笑う。
「ほんまお前らは仲ええなあ。あ、そうや美陽。この前もらった梅酒、うまかったわ」
「いえ、お口に合ってよかったです」
「今度うちで採れた野菜持っていくし、またよろしく頼むわ」
美陽が礼儀正しく頭を下げると山下が窓から出した手を振った。車を走らせ去っていく山下を見送る。
「梅酒って、ハルのお母さんが作ってるやつ?」
「そう。毎年あげてて、山下さん気に入ってるみたいで母さんも張り切ってて」
「へー」と陽平が感嘆をもらす。山下は駅から一キロほど南に行った小田地区と呼ばれる場所に住んでいる。そこは昔からの家が多い。その辺りの住民はみな明るく、青葉台よりも少しあけっぴろげなイメージがあった。陽平たちも転校してきた当初、小田地区に住む同級生たちにいろいろとお世話になっていた。
山下と別れ五分も歩かないうちに青葉台に着く。
二人が公園と呼んでいるそれは体育館ほどもないただの広場で、団地の寄り合いに使う掘っ立て小屋と錆びたジャングルジムが一つあるだけの場所だった。しかし幼い頃の二人にとってそこは走り回ったりキャッチボールやサッカーができる唯一の場所で、ずっと公園と呼んでいた。
青葉台は元々川であった場所を埋め立てた土地だと聞いたことがある。住宅地の境目には少しだけこんもりと盛り上がった道路の切り替わりがある。それが境界線というイメージを持たせていた。そしていつからかこの境目を踏み込むとき、ずしりと何かが纏わりつくような違和感を覚えるようになった。小学生の頃は感じていなかったこの感覚をいつから持つようになったのかは覚えていない。陽平が感じている違和感を美陽も抱いているのか聞いたことはない。
団地に入ると網目状に揃った道を歩いていく。隣り合っている家などなく、一〇m、二〇m、それ以上距離をあけてぽつぽつと一軒家が建っている。陽平たちのように引っ越してきた家がほとんどだったが、子どもがいる家は少なかった。
老夫婦が住んでいるらしいが休日には外までもれるほどの念仏が聞こえてくる家。玄関に「戦争反対、飢餓のない世界を」と物騒な文字で書かれたチラシが張り巡らされた家。子どものころは気にもしなかったが、今では無意識に目を逸らしてしまう。住人に出会った事がない家もある。そんな家々の前を通り過ぎながら思う。陽平が感じていた違和感はきっと顔の見えない住人たち、閉鎖的空間を作り出している青葉台そのものへの薄気味悪さだった。それでも美陽と並んで歩けばそんなことは気にすることもない些細な事だった。
青葉台に入ると公園はすぐに見えてくる。公園は道路より小高い位置に作られていた。それ故に小学生の頃は公園の入り口となる階段まで回り込まなければいけなかった。それが高校生になった今なら、低い石積みをひょいと越えられる。
「あったあった」
陽平が一目散に駆けて行ったのはジャングルジム。鉄棒を掴んだところからぼろぼろと塗装が剥がれ、手に錆が付く。そんなことも気にせずにどんどんとのぼっていく。美陽はゆっくりと公園の中を歩いていた。
「うわ! 低っ!」
何が楽しいのかケラケラと笑う陽平。まるで小学生と変わらないその姿に美陽が呆れる。ようやく美陽がジャングルジムの傍まで来ると陽平が頂上から笑顔で迎えた。ジャングルジムの下から見上げた陽平の姿は、雲の間から滲み漏れる太陽の光を浴び、靄がかかったようにぼうっと陰影を浮き上がらせる。光とも陰ともつかないその姿に美陽が目を細めた。
「やっぱり大人になってからのぼると大して高くないのな」
「大人」と自分で言ってしまうにはあまりに幼いと思ったが、あえて突っ込むことはしない。陽平がジャングルジムの頂上から西側を眺める。その視線の先には小さな山があった。山のふもとから頂上へは土を固め丸太でステップを作った階段が続く。子供の足でも三分もあれば登れてしまう。山と言うよりも築山と言った方がいいのだろうか。埋め立てた造成地であるはずのこの地に存在する不自然な山。人工のものとしか考えられないその山の頂上には祠があった。何のための祠なのか、何を祀っている祠なのか聞いたことがない。移住者が多い団地の中で、それを知っている人に出会ったこともない。美陽はこの時も山の方を見ようとはしなかった。
美陽が山というよりも祠を避けている事を陽平は知っていた。顔を伏せた美陽とは反対に陽平が山をじっと見つめる。きっと美陽が山を敬遠する理由はここへ来る途中遮った話題が原因だろう。二人で拾った「猫」。美陽が話したがらない二人だけの思い出。それは小学三年生の時だったと記憶している。
