冷酷無情な射手の吸血鬼に救われた、人として生きることを諦めた娘

「……しばらく歩けないけれど、でも。この綺麗な着物を着てみたい。これを着て、歩いてみたい。もう、裸足で歩くのは、殴られるのは……嫌。大事なものを奪われるのは、一番、嫌」
 優月はぽつぽつと話し始め、ヴォーグに視線を向ける。その目はとても怯えていた。
 野々宮が怯えなくても大丈夫と、背を撫で続ける。
「足が治れば、それらはすべて叶う。望むことそのものは、罪ではない。あとは、そうさな……。大事なものを奪われて壊されるのが嫌ならば、それを手離さなければいい。要は、自分の意思を曲げずに突き通せるか、だな。まあ、そこは心配していないが」
 ヴォーグは、くつくつと嗤う。
「大事なものを手離さない……。どうして?」
 優月が、不思議そうな顔をする。
「お前の意思は、充分すぎるくらい強い」
 肩越しに優月を見つめたヴォーグは、すっと目を細めた。
 その目を見た優月はドキッとしてしまう。顔が熱くなったのに気づいて、優月は顔を伏せた。
「おや、もうできたみたいだねぇ。ほら、着てごらん?」
 優月から離れずにいた野々宮が、仕立終わった着物を受け取る。いつの間にか女達に、指示をしていたらしい。
 流石だなと、ヴォーグは苦笑した。
「すごく、綺麗……」
 優月が言いながら、そうっと袖を通す。
「旦那、ちょいと整えるから手伝っておくれ」
 ヴォーグは顔を見ないようにして、優月を抱き上げる。
 その間に野々宮が動いて、裾を直していく。
「ほら、見てみなよ。旦那」
 野々宮が、悪戯っぽく微笑む。
 ヴォーグは顔を上げると、言葉を無くした。
 そこには青系の勿忘草色の、着物を着た優月がいた。
 優月の白い肌によく似合う。きっと誰も、優月が美しい人間であることを知らなかったのだろう。着物でここまで変わるとなると、そうとしか考えられない。
 優月は本当に、美しい人間だ。誰かが、虐げてはならない。
 ヴォーグはあらためて、思った。
「よく似合うじゃないか」
「ありがと」
 照れくさそうに笑う優月を見て、ヴォーグは薄く笑った。
「小物と下駄は、ここに入れておいたから」
 野々宮は中くらいの風呂敷を、優月に渡す。
 ぎこちなく笑った優月は、それを受け取って大事そうに撫でた。
「全身を隠さなくても、いいな」
 ヴォーグは念のため尋ねると、優月がうなずいた。
 コートに袖を通したヴォーグは優月を抱き上げ、洋服店を出た。
 
 洋服店を出た優月は、心臓が飛び出るのではないかと思うほど、鼓動が早くなっているのを感じていた。
 誰からの視線も集めやすい状態であると、分かっていたからだ。
「大丈夫だ。堂々としてろ」
 そんな優月の心境を感じ取ったかどうか分からないが、絶妙なタイミングでヴォーグが言う。
「うん……」
 優月は少し不安を覚えながらも、うなずいた。
 ヴォーグは優月を抱き直して、歩調を早めて歩いていく。
 何故その必要があるのかまでは、今のヴォーグには分からなかった。
 
 帰宅し、優月を部屋のベッドに下ろす。
 優月はありがとうと言ってくれたが、正直礼を言われるようなことはしていない。
 ただ休め、としか言えなかった。

 自室に戻ったヴォーグはワインのコルクを開けた。
 小気味よい音を聞きながら、グラスに注ぐ。
 ふと思い立ち、グラスが収まっている右隣の棚に手を突っ込む。
 中から取り出したのは、漆黒の煙管(キセル)
 洋装のヴォーグには似合わない代物だが、これは彼にとって特別なモノ。とある人が愛用していたのだ。
 少し目を細めたヴォーグは、無言で煙管に火をつける。
 慣れた手つきでくゆらせながら、ワインを飲む。
 ふう……と、息が漏れた。