冷酷無情な射手の吸血鬼に救われた、人として生きることを諦めた娘

 時は獲弩(えど)時代。国の連中は開国派と鎖国派に分かれ、争いが続いている()の国が舞台。
 どちらの派にもつかない〝射手の神〟という名が浸透し、恐れられていた。
 その国には『代償を差し出す者は、悪ではない』『咎人を憎んではいけない』という二つの掟があった――。
 
 ここは陽の国の最北端にある、(さかな)という町。
 国の最北端だというのに、雪は降らない。冬が少し長いのが特徴とも言える。
 
 冬の中ごろ、町の外れにこの時代には珍しい洋館がある。
 そこで暮らしているのは、洋装の男で、グラスに入ったワインを片手に町を眺めている。
 男は百八十センチと背が高く、チャコールグレーで前髪のあるショートミディアムウルフで、切れ長で目つきの悪い蘇芳(すおう)色の目。肌は白く、着ている服の間から、刀傷と思われる古傷が覗く。ネクタイのないダークスーツに、黒の革靴。足首まででフードがついた(てつ)(ぐろ)のロングコートを、颯爽と着こなしている。黒の指ぬきグローブを()めている。
 ワインを飲み干した男は、腰にポーチを巻き、テーブルに置いてあった〝なにか〟を手に取る。
 慣れた手つきで、それらを身につけると、洋館を出た。
 
 曇り空の中、小柄な女が逃げている。町の中を掻き分けるように。追いつかれぬように。見れば女はぼろぼろで、柄が分からぬほどすり切れた着物を着ていて、裸足であった。
 目を惹くのは江戸紫色の長い髪。そして、怯えの色が濃い、薄色の目。顔が苦痛に歪む。
 草履の作り方を知らないし、買うほどの金の余裕もない。
 とにかく足を動かす。足の裏が痛いと思いつつも、走ることをやめなかった。
 しかし、別の連中に退路を塞がれて、女は同い年の男達五人に囲まれてしまう。
 見覚えはあった。いつも何かと理由をつけて、女を殴ってくる最低な奴ら。
 それから逃れたかっただけなのに、足が擦れてしまったのか、もう走れなくなっていた。
 辿り着いたのは、町の外れの洋館の近くの広場。
 女は痛みに耐えるため、身体を丸めることしかできなかった。
「おらおら! 黙って殴られてろっ!」
 そのうちの一人が言いながら殴ってくる。
 女はただ呻くことしかできない。
 こいつらの暴力は、どれも重いだけでなく、回数が多い。
 女は思う。
 ――いくら逃げようとしても、こいつらは追ってくる。あたしはなにもしていないのに。こんな見た目だから、いつも狙われるのかもしれない。見た目だけ変えてもきっと駄目なんだろうな。
 その間も容赦のない暴行が続く。
 彼女の心はとっくの昔に()し折られていた。
 だから、嵐が過ぎ去るのを待つように、ただただ耐える。
 どれだけ強い痛みがこようとも、耐えるしかないのだと、女は思っていた。

 そのころ、男はというと男達に追われる女を見つけて、気づかれぬように、物陰に隠れて見つめる。
 男達に取り囲まれているので、追われた女の様子を窺い知ることができない。
 状況から判断するに、女が彼らの怒りを買ったのか、そうではなくただ殴られているだけなのか、そこまでは分からない。
 けれど、あの殴り方を見て、見て見ぬふりはできないと思った。
 人の命をこの上なく軽く見て、罰が下ることがないと、信じ込んでいる連中のように思えた。
 女は逃げたいのに逃げられないから、抵抗しないのか、はたまた抵抗できないのか。
 どっちにしろ、助ける必要がある。
 男は腰に装備していた何かを構えた。

 女はひたすら殴られ続けていた。
 心も身体もボロボロであることは分かっていた。しかし、できることがこれしかなかった。今日はやけに長いと思っていた。
 殴られる痛みに耐え続けていた女は、身構えていた痛みが唐突にやんだことに気づき、恐る恐る視線を上げる。
 そこには、右手から血を流している男の姿があった。手の甲を見るとなにかの弾が埋め込まれていて、出血源となっているようだ。
「……?」
 女はなにが起こったのか、分からず混乱する。
「誰だ!」
 血を流している男が言い放つ。
 さらに背後から出てきた男の手には、銃口から煙を上げる一(ちょう)のリヴォルバーが握られていた。
 男が持っている銃器は全部で三種類。リヴォルバー二挺と、背に背負ったライフル。
 この国ではかなり珍しい武器なので、不意を突くには最適なのだろうなと、銃器を持った男は思う。
「寄って(たか)って、人を殴って楽しんでいる貴様らに、腹が立ってな」
 その声は恐ろしいほど、冷ややかなものだった。
 女はのろのろと視線を上げて、目を(みは)る。
 こんなあたしを救い出そうとしているこの男、とても綺麗な目と髪の色をしてるなと思ったのだ。
 こんな状況なのに、その男から視線を離せなかった。
「お前に関係ないだろ。異国民風情が、口出すなよ!」
 銃器を持った男の髪の色と目の色はどう見ても、陽の国出身者のものではない。彼は遠い異国の出身なのだろう。
「黙れ」
 男の声のトーンが一段階下がる。
 女は肩が震えるのを抑えられなかった。こんなところで死ぬのかもしれないと思ったからだ。
「うるせぇ!」
 殴っていた男が拳を片手に襲い掛かる。
 男はただ銃口を向けるだけだ。
 ――バシュッ!
 その弾丸は頭を貫通し、血とその他もろもろを零して倒れる。頭を撃ち抜かれたのだから、その男が動くことは二度とない。
「よくもっ!」
 そこにいた男達が殺気立つ中、女に異変が起こる。
「は、は、は、は……っ!」
 骸を目にしたまま、浅い息を繰り返している。こういう時はなにも言えなくなってしまうのが、女は悔しくてたまらない。
「お? 始まったぞ? こいつ、骸を見るたびにこうなるんだぜ? 無力にもほどがあるよなぁ?」
 嘲笑う声を聞き、男の頭の中でなにかがぷつんと切れた音を聞く。
「おい、おい、おい!」
 男は女に駆け寄り、肩を揺さぶる。
「は……?」
 女はぽかんとした顔をする。
「今から言うことをよく聞け。耳と目を塞いでくれ。俺が軽く肩を叩いたら、耳から手を離せ」
 女はきょとんとしながらも、素直にそれに従った。
 目と耳を塞いだ女は、がくがくと震えていた。恐怖がその身体に沁みついて離れないのだろう。
 そんな女を哀れに思いながら、男はリヴォルバーを構える。
「貴様らの命はここで潰える」
「やれるもんならやってみろ!」
 四人の男達がいっせいに襲い掛かる。
 時折蹴りも混ぜながら男達を翻弄し、次々に命を奪う。
 最後の一人が叫ぶ。
「何なんだ⁉ お前!」
「吸血鬼、だよ」
 男は冷たい笑みを浮かべた。
「ひっ!」
 恐怖に歪んだ顔を睨みつけながら、男はとどめを刺した。
 
 男は一度空を見上げる。日の光が射してこないことを確認し、ふうっと息を吐く。
 リヴォルバーを仕舞って、ロングコートを脱ぐ。
 ロングコートを肩から足にかけてやり、そのまま抱き上げて、彼女の肩を叩く。
「終わった、の?」
 耳から手を離した女が尋ねる。
「ああ。移動するから、悪いがそのままじっとしていてくれ」
「ん? ……うん」
 自分の置かれている状況が理解できないため、分からないながらも女がうなずく。
「名は? 俺はヴォーグ、という」
 ヴォーグは尋ねる。
()(づき)。え、え? ヴォーグさん?」
「いい名だな、さん付けは勘弁してくれ」
 ヴォーグは苦笑しながら言う。
「じゃあ、ヴォーグ」
「おう」
 ヴォーグは鼻で嗤った。
 
 骸からだいぶ離れた町中までいくと、ヴォーグが声をかける。
「あの場所からは、だいぶ離れた。目を開けてくれ」
「えっ⁉」
 優月はそうっと目を開けて、仰天した。
 全身を黒い布のようなもので(くる)まれていて、初対面の男にお姫様抱っこされていたからだ。
「驚いてもいいが、暴れるなよ? 少し足を見させてもらった。あれだけの傷と出血だからな。痛みを我慢してでも、歩かせるわけにはいかねぇ。だから、じっとしてろ」
「……うん。今は、どこへ?」
「なにかと世話になっている、腕のいい医者のところへな。……何故、骸を見ただけでああなったんだ?」
 ヴォーグが尋ねる。
「そう。……いつの日からかそうなっていて。初めて骸を見たときから、ずっと続いてる。なんでなのか、あたしでも分からなくて」
 優月は困った顔をする。
「そうか。いつからあんな目に遭っていた?」
「小さいころから、ずっと」
 ヴォーグは足を止めて、優月の顔を凝視する。
「そんな昔から……」
「足はいつも傷だらけだった。我慢し続けても酷くなるばっかりで、もういいやって思ってたの。別に、死んでも、よかった」
 低い声で言葉を紡いだ優月は、とても暗く辛そうな目をしていた。
「あんまりだ。自棄になりすぎなんだよ」
 ヴォーグは抱き上げている腕に力を込める。
「え……?」
 優月はきょとんとしている。
「あんなクズには誰の命であろうと、くれてやる気はねぇ。さんざん人を(おとし)めた連中が、なんの罰もなく暮らしている方がおかしい」
 ヴォーグは低い声で、吐き捨てる。
「どうして、あたしなんかを助けたの? 医者に連れていくって言ったって、お金ないよ?」
 優月は疑問を口にする。
「その理由は、治療の後にする。金なら俺が払う。だから、大人しく治療を受けてくれ」
「……ええ?」
 優月はなぜヴォーグがそこまで言うのか、まったく分からなかった。
 
「着いたぞ」
 びっくりした優月は、建物を見上げる。
 看板を見た優月は読み書き能力がないため、首をかしげることしかできなかった。
「なんて読むの?」
坂埜(さかの)診療所だ。腕がいいようでな。……おい! 開けてくれ!」
 ヴォーグが声を張る。
「ったく! 引き戸くらい自分で開けて! って、え?」
 白衣を身に纏った男が、きょとんとした顔をする。
「今回は彼女を診てくれ。足の出血が止まらん」
「色々聞いても?」
「最初っからその気だろ」
 ヴォーグは溜息を吐きながら、吐き捨てる。
「もちろん! ささ、中へ」
 男がにっこりと笑うのを見て、優月は困惑する。
「こんな奴だが、腕は確かだ」
「一言多いんだよ!」
 ふっと笑うヴォーグを見た優月は、とりあえず、身を任せてみることにした。
 ――この二人は少なくとも、あたしが見てきた人達とは違うかもしれない。
 そうであってほしいと願いながら。
 
 ヴォーグは診察室に入ると、ベッドに優月を横たえて、コートを(めく)った。
「っ⁉」
 ヴォーグはあらわになった優月の姿を見て、目を見開く。
 肌が見えているところは、痣がいくつもある。
 柄が分からないほどすり切れた着物を着ていて、何か所も(つくろ)われている。
「ん?」
 優月が小さな声で聞くと、我に返ったヴォーグはなにごともなかったかのような顔をして、診察室を出た。

「ちょっと怪我してるところ、全部見せてね?」
「どうしてですか? 足だけでもいいくらいです。しかも、他人のお金で見てもらうなら、必要最低限で構いません」
 優月は言葉を紡ぐ。
「お金はヴォーグが払うって言ったのかい?」
「……ええ」
 優月がうなずくと、男は顎を掻く。
「自己紹介がまだだったね。私は坂埜。ヴォーグとは顔見知りなんだ。ヴォーグは金に困ってないから、治療代くらいどうってことないよ。それよりも。君は多分、一人で頑張りすぎだ」
「え……?」
 優月は混乱した。
「こんなに傷だらけでぼろぼろで。足が一番酷い。治療してすぐには歩けないよ?」
「え……。歩けないんですか……?」
 優月は顔を青くする。
「これまでずっと、痛いのを我慢して歩いていたんでしょう? せめて、歩いても痛みがないくらいになるまで、きちんと治さないといけない。それに、家以外の場所ではちゃんと履物を使うこと。できれば家でもなるべく歩かないか、履物を使って。裸足で外を歩くなんて、もう二度としないで?」
「あたしには、履物を買うなんて、治療のために通うだなんて、そんな余力はありません。あたしは独りで、生きないといけないんです」
 青ざめた顔をしながら、優月が言う。
「そう。まあ、それはおいおい考えよう。なにか困っていることはないかい?」
「……骸を見ると、呼吸が早くなって、なにも言えなくなるんです。それを嘲笑われたりしてきました」
 優月はそれだけ口にする。
「辛かったね。きっとそれは、骸を見たくないっていう、強い拒絶反応かも」
「拒絶、反応?」
「君の場合はどうしても見ていられない、見ていたくないモノが骸、というだけだ。見たくないのなら、見ないですむ方法を考えて、それを徹底的に避ければいいだけ。全身全霊で拒絶しているのに、それを嘲笑う馬鹿のことなんてね、さっさと忘れていいんだよ」
 凄みのある笑みに、優月は少し引いてしまう。
「でも、あたしはいつも、誰かに殴られ続けてきました。心を折られたり、してきました。それが当たり前だと、思ってます」
「物心ついたときからそうだったんなら、そう思っても仕方がないよね。でも、君はヴォーグに出会ってよかったと思うよ?」
 優月は首をかしげることしか、できない。
「え?」
「君は自分の身体がこんなになっても、生きようと足掻いてた。そんな過酷な道、変えちゃえばいいんだよ。そんなに辛い荷物なら、ポイって捨てちゃえばいいんだよ。ヴォーグにはできないって言われたけど、君ならできると思うよ」
「ん……?」
 優月はずきんと走った足の痛みに、顔をしかめた。
 痛む両足を労わるように、塗り薬と油紙を押し当てられ、ぐるぐると晒し木綿を巻かれた。
「あと、化膿止めの粉薬も一緒に出しておくから、ちゃんと飲んでね。それから」
「それから……?」
「君は心も身体も酷使しすぎた。ゆっくり休むんだよ」
 とびきりの優しい笑顔に、優月は戸惑った。
 
「終わったか。金なら払った」
 坂埜に呼ばれたヴォーグが入ってくる。
「うん」
 うなずいた優月を見ながら、ヴォーグはコートを脱ぐ。
 きたときと同じように全身をくるむと、さっと抱き上げた。
「坂埜」
「なに?」
「次はいつくればいい?」
「明日。こまめに換えて、清潔にしておきたいから」
「ん」
 なにか言いかけた優月を、ヴォーグは目で制した。
 
「お前の家に行く」
「どうして?」
「この目で見ておきたい。それと別れはしておくべきだ」
 優月は首をかしげることしか、できなかった。
 ぽつぽつと優月が道を案内し、辿り着いた場所には〝家〟と呼べない建物があった。
 ヴォーグは絶句した。
 雨風を防げない。寝具もない。暖など取れない。せいぜい近くに井戸水があるだけ。
 こんなところに居続けるのは、いくらなんでも無理だ。
「ここにくることは、もうない」
 ヴォーグは言い放った。
「なんで?」
 優月が聞き返す。
「ここはただの廃墟。家じゃあない。こんなところに置いて帰れない」
「じゃあ、どこに行くの?」
「俺の家。空き部屋ならある」
「ええ……」
 優月は言葉を失う。
「俺は困らんから、余計なことをいちいち考えるな」
「初めて会っただけなのに、どうしてそこまで……?」
「お前は誰よりも、人の痛みが分かる。それに、あんな状態のお前を放っておけなかった」
 低い声でヴォーグが言う。
「……あたしなんか放っておいてくれてよかったのに」
 優月は唇を尖らせる。
「俺はあんなにボロボロなのに、必死に耐えているお前を見て驚いた。強い意思を感じたんだ。〝こんな奴らに負けてたまるか〟という言葉が聞こえてきたくらいだ」
 ヴォーグは苦笑した。
 優月は困ったような顔をするので、精いっぱいだった。

 この出会いが、優月の中の〝普通〟をひっくり返すものであった。
 そして、優月が感じた激しい痛みの数々が〝過去〟に変わった瞬間だった。