戦上手の冷遇妃は軍師となり溺愛される

 黄虎の砦から帰ってきてから一ヶ月、私は塀を越えてはいない。
 男装することもなく、大人しく新月宮にいる。
 涼には会いに行けない。
 だって会えば、心は傾いてしまう。

「何でしょうね、青菜に塩を振りかけたみたいなのって、今の白蓮お嬢様のことを言うんでしょうね」

 夕夏が呆れる。
 私は、夕夏に言い返さず、ただ窓の外を眺めている。
 膝には、ヤミヨが丸くなって寝ている。

「涼様ですか……何者だったんでしょうね」

 私は、帰ってから夕夏に頼んで調べてもらった。
 だが、黒羽の名はあったが、涼の名前は軍にはなかった。
 でも、確かに涼は存在したし、黒羽と一緒にいた。
 黒羽の知人で、やはり私のように偽名で忍び込んでいたのだろうか。

「キャラバンで見かけた少年だったんですってね」

 とても可愛らしい少年だった。
 私は、少年からたくさんの異国の話を聞いた。
 一生懸命に話す彼のキラキラした明るい笑顔が素敵だった。

「会いたいな……」

 つい口から出てしまった言葉に、涙がはらりと落ちる。

「無理です。白蓮お嬢様は、もう側妃とはいえ西寧王の妃なのですから」
「分かっているってば」

 顔を伏せて、心を落ち着かせる。

「失礼いたします」

 外から急に声がして、私は慌てる。

「どなたでしょう? 来客の予定なんてなかったのに」
「新しい下女でございます」
「あら? そんな予定は……」

 夕夏が部屋の扉を開けた瞬間に入って来たのは、長いベールを纏った人物だった。
 下女というには、豪華なベールを纏った大柄な人物に私達は戸惑う。

「人手が足りていらっしゃらないとか」
「えっとどこの誰から言われて来ましたか?」

 夕夏が女性の様子を確かめようと近づいた瞬間、女性は、夕夏の腕を掴む。

「え……」

 夕夏があっという間に部屋の外に出されて、部屋の鍵を掛けられてしまった。
 肩幅が広い。これは男の人だ。
 に、逃げなきゃ。
 私は、慌てて窓から出ようとするが、男の動きは俊敏だった。
 あっさりと侵入者に捕まってしまった。
 男は、私を背中からぎゅっと抱きしめてきた。

「会いたかった。白蓮」

 絞るような震える声で、私を呼ぶ。
 この声は知っている。
 この温もりは知っている。

「涼様?」
「ああ、そうだ。白蓮。ずっと、ずっと会いたくて、会える方法を考えていた」

 離れたくないと、涼の声が耳元で震えている。
 後ろを向いてベールをはぎ取れば、愛しい涼の姿がそこにあった。
 最後にあった時から少しやつれて見えて心配になる。
 涼は、私に会いたくて、女装してまで後宮に侵入してきたというのか。
 私は、愛おしくなって涼を抱きしめ返す。

「私も会いたかった。でも、お願い、教えて。貴方は誰なの?」
「それは……まだ、言えない」

 涼の輝く瞳が、狼狽えている。
 
「言えば、きっと白蓮を苦しめる。俺は、白蓮を苦しめたくはない」

 涼の顔には、苦悶の表情が浮かんでいる。

「でも、必ず白蓮を幸せにするから。だから信じてほしい」

 涼が、無茶苦茶なことを言う。
 正体を明かせないのに、どうやって私を幸せに?
 私は、この後宮の冷遇妃なのに。
 こんなに胸が苦しいのに、もっと苦しくなるなんて、有り得ないのに。
 私は、抱きしめて涼の頬に口づけと落とす。
 まさか私が口付けるなんて思っていなかった涼が、キョトンとしている。

「貴方が、涼が幸せでいてくれたら、それでいいのに」
「俺は、白蓮がいなければ、幸せにはなれない」
「涼……」
「正直、俺は、白蓮に嫌われたと思っていた」
 
 ああ、だって、前に会った時に私は逃げるように涼から去ったもの。
 涼に忘れてもらおうと思ったから。
 その方が、涼のためだと思ったから。

「ううん。違うの。ご覧の通り、私は冷遇されているとはいえ後宮妃だから。だから……」

 涼に会うべきではない。
 頭では分かっていることが、どうしても心が邪魔して言葉にならない。
 喉が詰まる。

「待っていてほしい。俺は、必ず白蓮を迎えに来るから」
「そんなの駄目。駄目なのよ」

 私の目からこぼれた涙を涼が拭ってくれる。

「綺麗だ。もっと見せて」

 頬に当てた大きな涼の手で捕らえられた私の顔に涼の口付けが降りてくる。
 唇が重なり、柔らかい感触に私は、驚く。

「愛している」

 涼が、私に微笑む。
 駄目なのに、私は、涼に駄目だとは言えなかった。

「白蓮お蝶様! 大変です! 玉葉様がお越しに!」

 夕夏の焦る声が扉の外から響く。
 涼が何者かは知らないが、玉葉に会ってただで済むとは思えない。

「逃げて……ええっと……」
「にゃーん」

 ヤミヨが鳴く。ヤミヨはスルスルと上に登って、天井裏に入り込む。
 新月宮に来た初日の幽霊騒ぎを思い出す。

「そうだ。天井裏! 天井裏に!」

 私は、涼を天井裏に押し込める。
 天井板を閉めて、私は、息を整えて扉の鍵を開ける。
 扉の外には、鬼のような形相の玉葉が立っていた。

「これはこれは、玉葉様、このような場所に突然のお目見え、いかがなさいました?」

 私は、膝をついて何事もないように玉葉を迎え入れる。
 玉葉は、ギロリと部屋の中を見回す。

「むさ苦しい部屋ね。殺風景でなんの風情もないわ」
「申し訳ございません」

 私は、玉葉に頭を下げる。
 
「西寧様は?」
「え?」
「西寧様よ! 貴女が西寧様を誘惑して、隠しているのは、分かっているのよ!」
「何のことでございましょう」

 よもや涼の姿を誰かが見て、西寧王と勘違いしたのだろうか。
 私は、訳が分からず、戸惑う。

「獏が、妖術師が、西寧王が新月宮にいるって占ったのよ!」
「占い? そんな馬鹿な」
「獏が、貴女は災いをもたらす傾国の女だと占ったわ! だから、西寧様に近づけないように気を配ったし、早く国へ帰るように仕向けたというのに、この下賤め!」

 私の頬を打とうと、玉葉が右手を振り上げる。
 
 ガタン!

 天井板が一枚外れて、玉葉の傍に落ちてくる。

「にゃーん」

 続けざまにヤミヨが飛び降りて、窓から逃げ去ってしまった。

「す、すみません! 猫が粗相を!」

 本当は、天井板を落としたのは、涼だろう。
 私が叩かれると思って、天井板落としたのだろうが、じっとしていてほしい。

「本当に……猫なの?」

 怯えながら玉葉が天井を見つめる。

「ここは、幽霊の巣と有名な場所でございますから、なにぶん、おかしなことばかり起こりますので」
「ゆ、幽霊……」

 占いに傾倒しているだけあって、玉葉は幽霊も信じているのだろう。
 さっと顔色が青くなる。

「いいから、一緒に来なさい」

 玉葉に命じられた宦官が、私を取り囲む。
 
 ガタンッ!

 天井で大きな音がする。

「出てこないで! 幽霊!」

 私は、叫ぶ。
 涼の姿を今見られたら、とても困る。
 玉葉に私を罰する口実を与えてしまう。

「お、お嬢様!」

 不安そうに夕夏が私を見ている。

「大丈夫。すぐ戻ってくるから」

 私は、涼の真似をしてできるだけ明るい笑顔を夕夏に向けた。