戦上手の冷遇妃は軍師となり溺愛される

 
 砦の堅牢な城壁の前で、黒羽が馬からおり涼も馬からおりたので、私もおりようすると、涼が手を差し出してくる。

「いいから。もう! ちゃんと白夜として扱ってください」

 私は、涼の手をパシンと叩く。

「後ろを振り返らない内に……ずいぶん仲が悪くなったようにみえますが?」

 黒羽が呆れている。
 まずい。さすがに手を叩くのはやりすぎたかも。

「気にしないでいい。通常通りだ」
「まあ、涼様がそれでいいなら……」

 隙あらば私をエスコートしようとする涼に、私はヒヤヒヤする。
 
「お前ら、傭兵志願者か?」

 砦の門番が、ジロリと私達を睨む。

「ええ、良い仕事しますよ」

 黒羽が応える。

「まあ、お前は確かにそうだが……」

 私と涼を見て、門番は眉間に皺を寄せる。

「もう一人は何とかなるだろうが、あの一番のちびは無理だろう。腕も細すぎてとても武具を扱えぬ」
「腕っぷしはごらんの通りですが、私には、知恵がありますから!」
「しかしな。この砦は、すでに兵でいっぱいなのだ」
「え、それはどうしてですか?」

 私は、もちろん、別の砦から逃げて来た者が大勢いることを知っている。
 知った上でとぼける。

「他所から逃げて来たらしい。おかげで、どこも人でいっぱいで迷惑しているんだ」

 はあッと大きなため息をついたところをみると、この兵士は、元々のこの砦の兵で、新しく来た連中を良く思っていないようだった。

「え、まさか! そもそもいた兵士を優遇してはくれないんですか?」

 涼が兵士を煽る。

「普通はそうだよな。だが、ウチの領主様は、そうはなさらないかったんだ」
「そりゃあ変ですぜ。騙されてはいませんか?」

 黒羽も大げさに手を広げて驚いてみせる。

「古今東西、キャラバンにくっついて色々な国に行きましたが、そんな話を聞いたことがない」

 涼が、首を傾げる。
 
「あ……だったら、あの噂は本当なのかも」
「噂? なんだ、言ってみろ」
「いや、無理です。だって、嘘だったら、困るじゃないですか」

 私は、わざと話すのを渋る。

「不確かならまあ……」
「なんだよ。気になるじゃないか」

 諦めようとした兵士を遮って、涼が聞いてくる。

「いや、ここの領主様に関わることだから」
「何? 領主様? なんだ」
「絶対に言わないで下さいよ」

 私は、念を押す。
 もちろん、これは砦の中に噂を拡散してほしいという信号だ。
 言うなと言われてたほうが、案外噂は早く回る。

「新しい領主様は、女好きな方ではありませんか?」
「ああ、確かにそうだ」
「やっぱり……」

 本当だったんだと、私は唾を飲む。

「俺も酒場で聞いたぞ、あの噂か!」

 涼が、嘘を吐く。
 私は、嘘に頷いて、調子を合わせる。

「領主の寵妃は、実は赤虎の間者で、砦を易々と明け渡したのは、寵妃が裏切っていたからだそうです」

 私は、兵士に話す。
 兵士の顔が、さっと蒼褪める。

「いや、まさかそんな……義兄弟で領主様が唯一信頼なすっている相手だぞ?」
「この砦の領主は、義兄弟を信じていらっしゃるのでしょうが、寵妃は、同じようには信用できないでしょ?」
「確かに……」
「それに、私は聞きました。向こうの砦は、たった六人に陥落させられたんだと。これって、寵妃がグルだったって考えないと、成り立たないのではないですか?」

 本当は、私が、やったこと。
 寵妃と内通していたなんて、でたらめだ。
 だが、六人に陥落させられたという事実よりも、寵妃が内通していたという話の方が、現実味がある。
 現実味がある話ならば、真実よりも『本当』になりうるのだ。

「ああ、だったら、士官は辞めたほうがいいな」

 黒羽が、やれやれと肩をすぼめる。

「確かにそうだ。そんな女狐が中にいるならば戦に勝てるわけがない」

 涼も帰り支度を始める。

「お、おい」

 そもそも新しい兵士達に不満を持っていた門番は、顔を蒼褪める。

「もしこの砦を守る気があるならば、まず寵妃様をなんとかすべきだ」
「ああ、そうだね。俺達は帰るが、上手くやりな」

 私達は、口々にそう言うと、馬を引いて砦を後にした。
 帰り道。
 私は、頼んで黒羽の馬に乗せてもらう。
 黒羽の後ろに座って、馬に揺られる。

「あの……すみません。涼様の視線が痛いのですが……」
「ごめんなさい。ちょっと事情がありまして……」

 だって……来た時のように抱きしめられたら、心が揺らいでしまうもの。
 チラリと涼を見れば、切なそうに私を見ている。
 フラれたと思っただろうな。
 涼を傷つけるのは嫌だけれども、私が彼の想いを受け入れれば、もっと涼を苦しめることになるもの。

「あの程度の噂で、揉めますかね?」

 黒羽が話題を変える。

「それは平気。十分すぎるくらい。兵士は、死にたくないもの。噂を確かめるために、仲間に話すわ」
「それはそうでしょうね」
「そして、六人の兵士に陥落させされたことも、寵妃を異常なくらい溺愛していることも事実」

 嘘を信じ込ませるなら、真実の中に混ぜればいい。
 人間が、その中で都合の良い物を『本当』として受け入れる。

「そして、妻を殺すほど疑り深い領主が、義兄弟の居候とその妻を疑うのも時間の問題。きっと、寵妃を信じすぎるなと忠告するだろうけれども、女好きのあの男が、それを受け入れるとは思えないもの」

 私のことも、舐め回すように見て来た視線を私は思い出して、身震いする。
 
「念のため、国境の警戒は解きません」
「ええ、そうしてちょうだい。でもね、黒羽」
「なんでしょう?」
「小さな石が投じられた水面には、波紋は意外と大きく立つものよ」

 その後、大きな戦は起きなかった。
 そして砦から、義兄弟に追い出された男が、寵妃と共に流浪の度に出ることになるのには、それほど時間はかからなかった。