わたしの可愛い狆が皇帝陛下だなんて聞いてません!

 驚いたことに、その日の夕方には金子と寝具一式がユェシャンのもとへ届けられた。
 寝具はすべて肌触りの良い絹製で、軽くて暖かそうだ。間違いなく一級品だろう。
 ヂョンヂョンの一存なのか関係各所に働きかけてくれたのかはわからないが、とりあえずありがたく頂戴しておく。
 さらには【狆狆専用】と記された箱もあった。
 中身を確かめると衣類が数着入っている。ここで狆から人間の姿へ戻った場合に必要だと判断したのだろう。
 ユェシャンは、ふふっち笑いながら箱を閉じた。

 夕餉を受け取って戻ると、小屋に隠れていたヂョンヂョンが狆の姿で現われた。
「クウ~ン」
 薄暗くなった辺りを見回して誰もいないことを確認し、中へ入れる。
「荷物の場所を突き止めてくれた?」
「キャン、キャン!」
 嬉しそうに飛び跳ねている様子から、成功したのだろうとわかる。
「お見事ね。すごいわ」
 ユェシャンは拍手でヂョンヂョンの労を称えた。
 しかし、狆の姿ではどこにあったのか言葉を交わして聞き出すのは無理だ。
 ユェシャンは苦笑して卓子に夕餉を並べる。
「ご飯まだでしょう? 一緒に食べましょ」
「キュウン」
 うれしそうに膝に飛び乗って来たヂョンヂョンの柔らかい毛を撫でた。
 あの偉そうな男が狆になると、途端に可愛らしくなるのがおもしろい。

 夕餉を分け合って食べ終えると、ヂョンヂョンは我が物顔で寝台に寝そべった。
 ふさふさした羽のような尻尾をうれしそうに振っている。
「なるほど……自分も寝るから高級な寝具にしたのね」
 狆に変身している時間は日に日に長くなる。
 その姿のままウロウロしているところを見つかれば、捕らえられて処分される恐れがある。
 だから事情を知るユェシャンのもとで過ごすのが一番安全だ。
「しょうがないわねえ。人間に戻ったら、まず服を着てから起こしてちょうだい」
 ユェシャンはヂョンヂョンの温かい体を懐に抱いて眠りに落ちていった。


「おい、起きろ」
 無粋な低い声でユェシャンは起こされた。
 人間に戻ったヂョンヂョンの顔が目の前にある。視線を窓に移すと外はまだ暗い。
 もう少し寝ていたかったと、顔に書いてあったのかもしれない。
「人間に戻ったら起こせと言ったのはそっちだからな?」
「はいはい、わかってます」
 ユェシャンは、眠い目を擦りながら体を起こした。
(狆の時はあんなに可愛いのに、どうして人間に戻ったらこんなにも偉そうなのかしら!)

「それで、わたしの荷物はどこにあったの?」
「第一妃の宮にある小さな蔵の中だ」
「タオリン様の……?」
 ユェシャンは一方的に彼女の顔と名前を知っているが、十三妃としての面識はない。
 皇帝陛下の寵愛を競う相手にすらならないはずなのに、なぜタオリンが関係しているのか。
「どうする?」
 尋ねられてユェシャンの思考が止まる。
「夜が明けたら取り返しにいってくるわ。調べてくれてありがとう」
「……大丈夫なのか?」
 眉をきつく寄せるヂョンヂョンがおかしくて、思わず笑った。
「もしかして心配してくれているの? ありがとう、大丈夫よ」
 策はある。
「わかった、無茶はするなよ。明日また来る」
 そう言い残してヂョンヂョンは帰っていった。

 翌日。
 朝餉を済ませたユェシャンは、さっそくタオリンの宮を訪れた。
「十三妃様の輿入れの荷物の件でお尋ねしたいことがございます」
「あなたはどなた?」
 宮女がユェシャンのみすぼらしい身なりに引いている。
「十三妃様の宮に仕える宮女でございます」
 ここで洗濯物を入れた桶を持った宮女が出てきた。
「あら……たしかにこの人は、あの宮仕えの宮女ですよ」
 十三妃と声に出すことすら憚られるらしい。
 頷いた宮女がユェシャンに向き直る。
「あなたの身元はわかりました。それで要件は?」
「ですから、十三妃様が輿入れの際に運んでいらした荷物が、この宮にあるようなのです」
 宮女は明らかに困惑している。
 その様子から察するに、本当に知らないのだろう。
「知っている方がいらっしゃるはずです。呼んできてください。さもなくば――」
 言葉を切ったユェシャンが、にちゃあっと笑う。
「大変なことになりますよ」
 宮女は青ざめて奥に引っ込んだ。

 代わりに出てきた年配の女官は……ユェシャンから荷物を取り上げた張本人だった。
(女官長なのかと思っていたら、ここの女官だったの!?)
 ユェシャンは前髪で目を隠しているため、本人が来ていると気づかれずに済んだ。
「なんの騒ぎですか」
「十三妃様が輿入れされてから二年経ちます。そろそろ蟲毒が完成する頃合いだとおっしゃっています」
「蟲毒……」
 蟲毒とはさまざまな毒虫をひとつの壺に入れ、共食いさせて最後に残った一匹を最強の毒虫にする呪術だ。
 とても有名であるため、誰だって知っている。
「荷物の中にその壺があったそうです。なぜここにあるとわかったかと言うと、強い毒の波長を感じたからとのことです」
 女官が唇を震わせる。
「そんな物騒なものを後宮に持ち込んだのですか?」
「わたしは一介の宮女ですので詳細はわかりかねますが――」
 ユェシャンは笑いをこらえながら続けた。
「荷物の検査をするからと取り上げられてそれっきりだったので、危険物とみなされ適正に処分されたものと思っておられたようです」
 女官の目が泳ぎだした。
「わかりました。なにかの手違いで荷物がまぎれた可能性があります。蔵を調べる許可を出します」
「助かります!」

 案内された蔵の奥には、ユェシャンが輿入れした時のままの状態で荷物が置かれていた。
 処分されていなくてよかったと、ホッと胸を撫でおろす。
 下手に中身を触るのも処分するのも怖かったのだろう。
(だったら妙な嫌がらせなどしなきゃいいのに)
 箱から小壺を取り出したユェシャンは、女官を振り返った。
「この壺かもしれません! 開けて中身を確かめても?」
 女官がヒッと喉を鳴らす。
「そのまま持ち帰りなさい!」
「ではどの壺かわからないので、このあたりの箱一式を持ち帰りますね」
 壺類の中身はもちろん蟲毒ではない。薬草を入れているだけだ。
 ユェシャンはほくそ笑みながら自分の荷物をすべて宮の外へ出した。

「さてと、また誰かに取られないうちに運ばなきゃ」
 体力には自信があるが、さすがに一度では運びきれない量だ。
 ひとまず一番大事な書物の入った箱を持ち上げた。
「おや、どうなさいました?」
 のんびりした声に振り返ると、宦官長のバイリーがいる。
 タオリンの宮は後宮内でも中央に近い位置にあるため、悪目立ちしているのだろう。
「すぐに荷物を移動しますのでご容赦を」
「お手伝いしましょうか」
「え?」
 バイリーの笑みがどうにも胡散臭いが、断れない圧を感じてお願いすることにした。

 線は細いが、さすがは男性だ。
 バイリーは大きな箱を積み重ね、軽々持ち上げて運ぶ。
「十三妃様はお元気でしょうか」
 なにをいまさら……と思いながら、ユェシャンは頷いた。
「寝具をありがとうございました。大変喜ばれておりました」
 一番喜んでいたのはヂョンヂョンだったけれど。
 バイリーのおかげで二往復するだけで荷物を運び終えた。
「助かりました! ありがとうございます」
「十三妃様によろしくお伝えください」
 ユェシャンは、最後まで胡散臭い笑みのバイリーを薄気味悪く思いながら見送った。