大陸の南方に位置する瑞華国の首都、華西京。
皇帝が政務を行う宮殿の奥には、妃たちの暮らす後宮が存在している。
その後宮の片隅に粗末なあばら家があった。
大木の枝が絡まり、傾いだ幹に押しつぶされるようにかろうじて建っている状態だ。
最後にいつ手入れされたのかすらわからないまま放置された小屋で月香は暮らしている。
寒さでかじかむ手にハアッと息を吹きかけた彼女は、縫い針を握りなおして繕い作業を再開した。
艶のない伸び放題の髪を紐でくくってひとつにまとめ、特徴的な菫色の目は前髪を下ろして隠している。
一見きらびやかな後宮で暮らしているのは、妃、女官、宦官だけではない。
彼女たちの暮らしを陰から支える専門職の職人や、雑用を請け負う宮女たちが大勢いる。
しかし、ユェシャンがそんな宮女のひとりかといえば、そうではない。
ユェシャンは、皇帝・玄偉の十三番目の妃だ。
十六歳で輿入れして二年が過ぎようとしている。
本来であれば豪奢な衣服を身に纏い、手入れの行き届いた宮で何不自由なく暮らせる身分のはずなのだが……。
十三妃の末席・蠱氏の族長の娘は後宮で忌み嫌われ、いないも同然の扱いを受けている。
蠱氏は山奥で自然と共に暮らし、呪術や薬草――特に毒草の知識に長けた一族だ。
そのせいで気味悪がられているのだろう。
ユェシャンが黙々と繕い作業に没頭していた時だった。
遠くからキャーキャーと悲鳴のような甲高い声が聞こえて、顔を上げる。
「どうしたのかしら……?」
立ち上がり、戸を開けて外へ出た。
今はちょうど妃たちの夕餉の準備をする時間帯。
(御膳房で火事でもあったのかもしれない)
火事のような非常事態では、男子禁制の後宮であっても火班の男たちが入って消火活動に当たる。
しかし、ボヤ程度で済みそうな場合は手の空いている宮女たちの出番だ。
好奇心も相まってユェシャンは、悲鳴の聞こえる方へと駆け出した。
騒ぎは御前房から少し離れた場所で起きていた。
回廊に食盒がいくつも転がり、中に入れていたと思われる夕餉の料理が床に広がっている。
尻もちをついて茫然としている女官や、なにかを喚きたてている女官がいた。
まるで、つむじ風でも起きたかのようだ。
騒ぎを聞きつけて、宦官やほかの宮女たちもやってくる。
「どうなさいました?」
宦官に助け起こされた女官が、オロオロしながら答えた。
「狆がいたのです。私たちが膳を運んでいると飛びかかってきて、こんなことに……」
狆とは、白と黒の毛色をした小型犬だ。
妃の中には愛玩犬として狆を飼っている者もいる。
ユェシャンも、美しい妃が狆を抱きかかえている姿を遠目に見たことがある。
その犬がどうやら悪戯でもしでかしたらしい。
「おい、そこの者。掃除を頼む」
宦官がユェシャンを手招きした。
拱手を返すことで了承の意を示し、ユェシャンは掃除道具が収められている小屋へと急ぐ。
彼女がただの宮女だと思われたのも仕方ない。
なにせユェシャンは、干してある洗濯ものから拝借した本物の宮女の襦裙を身に着けているのだから。
この格好をして後宮を闊歩すれば、どこからどう見ても後宮で働く若い宮女だ。
竹織のちりとりと箒を持って戻ったユェシャンは、無惨に散らばった料理を手早く片付けていく。
割れた皿の破片のうち、再利用できそうなものは分けておく。
料理の油分は灰をまいて吸着させた。
「厨番に至急追加の料理を作らせなさい。夕餉の時間は遅れないように」
ユェシャンの働きぶりに満足したのか、宦官の意識は台無しになった料理をどう補填するかに移ったらしい。
ひたすら黙々と掃除していたユェシャンの口元がわずかに緩んだことに気づく者はいなかった。
「やった……!」
掃除を終えて納屋へ戻ったユェシャンは、小躍りした。
片付けた食事のうち、ちまきやライチなどまだ食べられそうな物をこっそりくすねてきたのだ。
卑しい行為だとわかっているが、背に腹は代えられない。
後から”十三妃様の夕餉”も、本人がなに食わぬ顔をして受け取りに行くつもりだ。
しかし今日のように不測の事態で料理が足りなくなった日は、忘れられた存在の十三妃には粥ぐらいしか出ないだろう。
ユェシャンはふふっと笑った。
「狆に感謝しないとね」
袖から小ぶりな荷葉飯を取り出す。
葉を丁寧に開くと、棗と茸とともに蒸されたもち米が現れた。
まだ温かく、湯気を立てている。
「うわあ……!」
溢れでる唾をゴクリと呑み込んだ。
「いただきます!」
しかし、かぶりつこうとしたところで鳴き声が聞こえた。
「キュウゥゥン」
ユェシャンは慌てて荷葉飯を包みなおし袖に入れると、背後を振り返る。
「鼠!?」
いい匂いに釣られてもうやってきたんだろうか。
(布をかじられたらマズい!)
鼠はなんでもかじる上に、その体についているダニも厄介だ。
鼠にしては鳴き声がちがった気もするが、なにか小動物が入り込んでいるのはまちがいない。
ユェシャンは立ち上がると、ハギレの山を持ち上げた。
この小屋は後宮で出た廃材やゴミを一時的に保管する灰場に近いところに位置している。
ハギレはそこへ捨て置かれた衣類から使えそうな部分を切り取って集めたものだ。
「これは、わたしのお布団になるんだからダメよ!」
ハギレを繋ぎ合わせて、これから迎える本格的な冬の寒さをしのごうと思っているのに、鼠にかじられたらたまらない。
ところが驚いたことに、そこにいたのは鼠ではなかった。
白と黒の柔らかそうな毛に覆われた小さな犬。潰れた鼻は愛らしく、大きな黒目を潤ませてこちらを見上げている。
「狆……」
以前、遠目で見た妃が抱えていた狆とそっくりな容貌だ。
同一個体なのか否かはさておき――。
「あの騒動の原因は、あなたなのね?」
夕餉の食盒を運ぶ女官たちの列に突っ込み、足元を駆けまわって混乱に陥れた犯人だ。
「キュゥゥン」
言葉がわかるのか、狆はまた情けない声をあげ潤んだ瞳で見上げてくる。
ユェシャンの故郷である蠱氏一族の暮らす山でも犬を飼っていた。
彼らは狩猟で獲物を追い込む重要な役割を果たす良き相棒だ。
だから犬が賢い生き物であることは知っている。その一方で、やんちゃで稀に自制が利かなくなることも。
つまりこの狆は、ひととき我を忘れて後宮内を駆け回ったのだろう。
「やらかしの重大さに気づいて、ここに逃げ込んだってわけね?」
「クウゥン……」
狆がしょんぼり肩を落とした。一応反省しているらしい。
(狆を飼っているのは第四妃だったかしら)
たしか御膳房の厨番が、第四妃の犬の餌が……と話しているのを耳にしたことがある。
ユェシャンの情報源はたいてい宮女たちの噂話だ。
狆に手を伸ばすと、抵抗することなく体を預けてきた。
抱き上げて目線を合わせる。
「あなたの飼い主は、蓮美様?」
ユェシャンの問いに、狆は首を傾げただけだった。
ちがうという意思表示なのか、それとも質問が理解できなかったのか。
「びっくりしてここに逃げ込んだのよね」
狆は遊んでじゃれていたつもりが、人間たちが大騒ぎするものだから驚いてしまったのだろう。
首の周りの柔らかい毛を撫でると、狆が気持ちよさそうに目を細めた。
犬は帰巣本能があるから、ひとりで飼い主のもとへ帰れるだろう――ユェシャンがそう考えていると、狆が袖の匂いを嗅いでいる。
袖の中に美味しい物が入っていると気づいたようだ。
「うふふっ、一緒に食べる?」
ユェシャンは袖の中から再び荷葉飯を取り出した。
犬に与えてはならないとされる韮や葱が入っていないのを確認して指で小さくちぎり、狆の口元に差し出す。
狆は可愛らしい桃色の舌でぺろりと舐めた後、顔を傾けてかじりついた。
「クウン!」
どうやら気に入ったらしい。
もっとよこせと言わんばかりに、前肢でクイクイ引っ掻いてくる。
(可愛いっ!)
ユェシャンが故郷の集落で飼っていたのは狩猟犬だった。
それに引き換え愛玩犬のこのひたすらな愛らしさといったら、見ているこちらが蕩けてしまいそうだ。
ユェシャンは荷葉飯をまた少しちぎって狆に食べさせる。
そうして、ほとんどを狆に分け与える結果となってしまった。
しかしユェシャンはとても満ち足りた気分だ。
「誰かと一緒に食事をするって、楽しいわね」
里で暮らしていた時は、毎日家族と食卓を囲んでいた。それがここへ来てからというもの、ずっとひとりぼっちだった。
狆のやわらかい手触りとぬくもりに、自然と頬が緩む。
「でも!」
雑念を振り払うように立ち上がるユェシャンを、狆が不思議そうに見上げる。
「情が移る前に、早くご主人様のところへお帰り」
情が移れば離れがたくなってしまう。
戸を開けて外へ出ると、狆もおとなしくついてきた。
「もうイタズラしちゃダメよ。元気でね」
背後から小さくクウンと鳴く声が聞こえたが、ユェシャンは振り返ることなく足早に御膳房へ向かった。
「十三妃様の夕餉を受け取りに参りました」
ユェシャンが御膳房の中を覗くと、竈の前でまだ皆が忙しく調理をしていた。
ひっくり返した料理を作り直すこととなったのだろう。
通りかかった顔見知りの厨番にもう一度声をかける。
「十三妃様の……」
「ああ、すまないね。今日はちょっと事故が起きて、これだけなんだ」
めんどくさそうに差し出されたのは案の定、麦粥のお椀のみ。
(食べられそうな物を拾っておいて正解だったわね)
お椀を受け取ったユェシャンは、小屋へと戻った。
狆の姿はすでになかった。
「きっと、ちゃんと帰れたわよね」
ユェシャンは寂しく思う気持ちに蓋をして、己に言い聞かせるように呟いたのだった。
皇帝が政務を行う宮殿の奥には、妃たちの暮らす後宮が存在している。
その後宮の片隅に粗末なあばら家があった。
大木の枝が絡まり、傾いだ幹に押しつぶされるようにかろうじて建っている状態だ。
最後にいつ手入れされたのかすらわからないまま放置された小屋で月香は暮らしている。
寒さでかじかむ手にハアッと息を吹きかけた彼女は、縫い針を握りなおして繕い作業を再開した。
艶のない伸び放題の髪を紐でくくってひとつにまとめ、特徴的な菫色の目は前髪を下ろして隠している。
一見きらびやかな後宮で暮らしているのは、妃、女官、宦官だけではない。
彼女たちの暮らしを陰から支える専門職の職人や、雑用を請け負う宮女たちが大勢いる。
しかし、ユェシャンがそんな宮女のひとりかといえば、そうではない。
ユェシャンは、皇帝・玄偉の十三番目の妃だ。
十六歳で輿入れして二年が過ぎようとしている。
本来であれば豪奢な衣服を身に纏い、手入れの行き届いた宮で何不自由なく暮らせる身分のはずなのだが……。
十三妃の末席・蠱氏の族長の娘は後宮で忌み嫌われ、いないも同然の扱いを受けている。
蠱氏は山奥で自然と共に暮らし、呪術や薬草――特に毒草の知識に長けた一族だ。
そのせいで気味悪がられているのだろう。
ユェシャンが黙々と繕い作業に没頭していた時だった。
遠くからキャーキャーと悲鳴のような甲高い声が聞こえて、顔を上げる。
「どうしたのかしら……?」
立ち上がり、戸を開けて外へ出た。
今はちょうど妃たちの夕餉の準備をする時間帯。
(御膳房で火事でもあったのかもしれない)
火事のような非常事態では、男子禁制の後宮であっても火班の男たちが入って消火活動に当たる。
しかし、ボヤ程度で済みそうな場合は手の空いている宮女たちの出番だ。
好奇心も相まってユェシャンは、悲鳴の聞こえる方へと駆け出した。
騒ぎは御前房から少し離れた場所で起きていた。
回廊に食盒がいくつも転がり、中に入れていたと思われる夕餉の料理が床に広がっている。
尻もちをついて茫然としている女官や、なにかを喚きたてている女官がいた。
まるで、つむじ風でも起きたかのようだ。
騒ぎを聞きつけて、宦官やほかの宮女たちもやってくる。
「どうなさいました?」
宦官に助け起こされた女官が、オロオロしながら答えた。
「狆がいたのです。私たちが膳を運んでいると飛びかかってきて、こんなことに……」
狆とは、白と黒の毛色をした小型犬だ。
妃の中には愛玩犬として狆を飼っている者もいる。
ユェシャンも、美しい妃が狆を抱きかかえている姿を遠目に見たことがある。
その犬がどうやら悪戯でもしでかしたらしい。
「おい、そこの者。掃除を頼む」
宦官がユェシャンを手招きした。
拱手を返すことで了承の意を示し、ユェシャンは掃除道具が収められている小屋へと急ぐ。
彼女がただの宮女だと思われたのも仕方ない。
なにせユェシャンは、干してある洗濯ものから拝借した本物の宮女の襦裙を身に着けているのだから。
この格好をして後宮を闊歩すれば、どこからどう見ても後宮で働く若い宮女だ。
竹織のちりとりと箒を持って戻ったユェシャンは、無惨に散らばった料理を手早く片付けていく。
割れた皿の破片のうち、再利用できそうなものは分けておく。
料理の油分は灰をまいて吸着させた。
「厨番に至急追加の料理を作らせなさい。夕餉の時間は遅れないように」
ユェシャンの働きぶりに満足したのか、宦官の意識は台無しになった料理をどう補填するかに移ったらしい。
ひたすら黙々と掃除していたユェシャンの口元がわずかに緩んだことに気づく者はいなかった。
「やった……!」
掃除を終えて納屋へ戻ったユェシャンは、小躍りした。
片付けた食事のうち、ちまきやライチなどまだ食べられそうな物をこっそりくすねてきたのだ。
卑しい行為だとわかっているが、背に腹は代えられない。
後から”十三妃様の夕餉”も、本人がなに食わぬ顔をして受け取りに行くつもりだ。
しかし今日のように不測の事態で料理が足りなくなった日は、忘れられた存在の十三妃には粥ぐらいしか出ないだろう。
ユェシャンはふふっと笑った。
「狆に感謝しないとね」
袖から小ぶりな荷葉飯を取り出す。
葉を丁寧に開くと、棗と茸とともに蒸されたもち米が現れた。
まだ温かく、湯気を立てている。
「うわあ……!」
溢れでる唾をゴクリと呑み込んだ。
「いただきます!」
しかし、かぶりつこうとしたところで鳴き声が聞こえた。
「キュウゥゥン」
ユェシャンは慌てて荷葉飯を包みなおし袖に入れると、背後を振り返る。
「鼠!?」
いい匂いに釣られてもうやってきたんだろうか。
(布をかじられたらマズい!)
鼠はなんでもかじる上に、その体についているダニも厄介だ。
鼠にしては鳴き声がちがった気もするが、なにか小動物が入り込んでいるのはまちがいない。
ユェシャンは立ち上がると、ハギレの山を持ち上げた。
この小屋は後宮で出た廃材やゴミを一時的に保管する灰場に近いところに位置している。
ハギレはそこへ捨て置かれた衣類から使えそうな部分を切り取って集めたものだ。
「これは、わたしのお布団になるんだからダメよ!」
ハギレを繋ぎ合わせて、これから迎える本格的な冬の寒さをしのごうと思っているのに、鼠にかじられたらたまらない。
ところが驚いたことに、そこにいたのは鼠ではなかった。
白と黒の柔らかそうな毛に覆われた小さな犬。潰れた鼻は愛らしく、大きな黒目を潤ませてこちらを見上げている。
「狆……」
以前、遠目で見た妃が抱えていた狆とそっくりな容貌だ。
同一個体なのか否かはさておき――。
「あの騒動の原因は、あなたなのね?」
夕餉の食盒を運ぶ女官たちの列に突っ込み、足元を駆けまわって混乱に陥れた犯人だ。
「キュゥゥン」
言葉がわかるのか、狆はまた情けない声をあげ潤んだ瞳で見上げてくる。
ユェシャンの故郷である蠱氏一族の暮らす山でも犬を飼っていた。
彼らは狩猟で獲物を追い込む重要な役割を果たす良き相棒だ。
だから犬が賢い生き物であることは知っている。その一方で、やんちゃで稀に自制が利かなくなることも。
つまりこの狆は、ひととき我を忘れて後宮内を駆け回ったのだろう。
「やらかしの重大さに気づいて、ここに逃げ込んだってわけね?」
「クウゥン……」
狆がしょんぼり肩を落とした。一応反省しているらしい。
(狆を飼っているのは第四妃だったかしら)
たしか御膳房の厨番が、第四妃の犬の餌が……と話しているのを耳にしたことがある。
ユェシャンの情報源はたいてい宮女たちの噂話だ。
狆に手を伸ばすと、抵抗することなく体を預けてきた。
抱き上げて目線を合わせる。
「あなたの飼い主は、蓮美様?」
ユェシャンの問いに、狆は首を傾げただけだった。
ちがうという意思表示なのか、それとも質問が理解できなかったのか。
「びっくりしてここに逃げ込んだのよね」
狆は遊んでじゃれていたつもりが、人間たちが大騒ぎするものだから驚いてしまったのだろう。
首の周りの柔らかい毛を撫でると、狆が気持ちよさそうに目を細めた。
犬は帰巣本能があるから、ひとりで飼い主のもとへ帰れるだろう――ユェシャンがそう考えていると、狆が袖の匂いを嗅いでいる。
袖の中に美味しい物が入っていると気づいたようだ。
「うふふっ、一緒に食べる?」
ユェシャンは袖の中から再び荷葉飯を取り出した。
犬に与えてはならないとされる韮や葱が入っていないのを確認して指で小さくちぎり、狆の口元に差し出す。
狆は可愛らしい桃色の舌でぺろりと舐めた後、顔を傾けてかじりついた。
「クウン!」
どうやら気に入ったらしい。
もっとよこせと言わんばかりに、前肢でクイクイ引っ掻いてくる。
(可愛いっ!)
ユェシャンが故郷の集落で飼っていたのは狩猟犬だった。
それに引き換え愛玩犬のこのひたすらな愛らしさといったら、見ているこちらが蕩けてしまいそうだ。
ユェシャンは荷葉飯をまた少しちぎって狆に食べさせる。
そうして、ほとんどを狆に分け与える結果となってしまった。
しかしユェシャンはとても満ち足りた気分だ。
「誰かと一緒に食事をするって、楽しいわね」
里で暮らしていた時は、毎日家族と食卓を囲んでいた。それがここへ来てからというもの、ずっとひとりぼっちだった。
狆のやわらかい手触りとぬくもりに、自然と頬が緩む。
「でも!」
雑念を振り払うように立ち上がるユェシャンを、狆が不思議そうに見上げる。
「情が移る前に、早くご主人様のところへお帰り」
情が移れば離れがたくなってしまう。
戸を開けて外へ出ると、狆もおとなしくついてきた。
「もうイタズラしちゃダメよ。元気でね」
背後から小さくクウンと鳴く声が聞こえたが、ユェシャンは振り返ることなく足早に御膳房へ向かった。
「十三妃様の夕餉を受け取りに参りました」
ユェシャンが御膳房の中を覗くと、竈の前でまだ皆が忙しく調理をしていた。
ひっくり返した料理を作り直すこととなったのだろう。
通りかかった顔見知りの厨番にもう一度声をかける。
「十三妃様の……」
「ああ、すまないね。今日はちょっと事故が起きて、これだけなんだ」
めんどくさそうに差し出されたのは案の定、麦粥のお椀のみ。
(食べられそうな物を拾っておいて正解だったわね)
お椀を受け取ったユェシャンは、小屋へと戻った。
狆の姿はすでになかった。
「きっと、ちゃんと帰れたわよね」
ユェシャンは寂しく思う気持ちに蓋をして、己に言い聞かせるように呟いたのだった。

