その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件

縁側に置きっぱなしの将棋盤。駒の代わりに、桜の花びらが布陣を成している。

「…桜も綺麗に咲いたな。」

縁側に腰掛け、日本庭園に咲き誇る薄紅色を眺める真誠。
その肩に身を寄せながら、美雪も月明かりに照らされた花吹雪にため息を漏らした。

「…こんなにゆっくり桜を見たの…久しぶり。」
「…そうか。」

真誠の手が、美雪の肩を抱き寄せる。

「…その頃はどこで?」
「……」

港町の思い出を呼び起こす美雪。覚えてる景色の多くに、この花は優しく咲いていた。

「…確か、父様と母様に連れられて…、どこかのお屋敷の、お庭に遊びに行きました。…色んな人が、そのお屋敷のお花見に来ていたような…。」
「…そうか。」

風がふわりと2人を包む。
揺れる黒髪。川面のような黒を飾る桜の花びらに、真誠はそっと手を伸ばす。

「…なら、今年も来るといい。」
「…それって…」

花びらを取った彼の手が、美雪の髪を撫で、耳にかけた。
美雪のことを、ただ一人の愛しい女性と見つめる瞳。桜をまとうその優しい顔に、美雪はなぜか既視感が募る。

ゆっくり、2人の呼吸が重なろうとした。

「なぜうちの庭で貴様らが花見してるんだ!!」

だがその呼吸は、響き渡った大声ど正論によってキュッと絞られてしまった。
美雪の肩が大きく跳ねたのは言うまでもない。
頭上で聞こえた舌打ちを、彼女はそっと聞かなかったことにした。

「……お帰り、政府の犬。」
「ただいま、不法侵入者!!」
「…お、お邪魔してます…晴明(はるあき)さん…。」

じと…と、文句たらたらの挨拶をする真誠。
仁王立ちの晴明は、カラッとそれを受け流す。
二人の軽口は流石に慣れたが、美雪はまだ堂々とは入れない。

「で?なんでお前らが我が物顔で花見してるんだ。」
「うちの庭よりお前の家の庭の方が桜が綺麗だからだが?夜桜見頃だぞ。」
「こっちはいまやっと帰ってきて明日も朝早いんだよ!!この時期忙しいの知ってるだろ貴様ぁ!!」
「お前が忙しいのはいつもだろ?」
「うるさい暇人!!さっさと帰れ!!」

止まらない言い合い。話しながら晴明は、テキパキとフロックコートを脱ぎ衣桁にかけ、ネクタイとベストも外していく。
あまりにいつも通りな様子に、真誠はそっと美雪の視線を遮った。

「お前な…美雪もいるんだぞ。」
「だからさっさと帰れと言ってるだろうが。」

真誠の文句を聞き流しながら、晴明は仕方なしに薄手の羽織をシャツの上から雑に羽織ったのだった。

「…あぁ、そうだ。」
「…ん?」

ふと、トーンの落ちる真誠の声音。
戸棚からだした羊羹を切り分けていた晴明は、手を止めて彼に視線を送る。

そして真誠は至極真面目に、悪魔の笑みを浮かべて腐れ縁への本題を口にした。

「おば様とおじ様に、美雪を俺の妻としてやっと紹介出来た。…おば様が、お前と許嫁殿の不仲を嘆いてたぞ?」
「…は?」

晴明の顔色が変わる。
乱雑に羊羹を小皿に乗せ、美雪に差し出しながら彼は悪友に詰め寄った。

「余計なことしかしないのか貴様はァ!!」
「余計なことぉ…?昔からお世話になってるお前のご両親に、妻を紹介しない訳にはいかないだろう。」
「先日の社交会でしてただろ!!」
「あんな簡易的なもので済ませるような礼儀知らずを、俺にしろと言うのか?安倍家嫡男ともあろうお前がぁ?」
「んぐぅ…!!」

ニヤニヤと楽しそうな真誠。一方晴明は、今にも真誠の着物に掴みかかりそうだ。

そんな中お屋敷の奥から聞こえてきたのは、晴明を呼ぶ女性の声。圧のあるその声音に、怯えた猫のように彼の肩が跳ねる。

「…!!たっ、ただいま参ります、母上!!」

廊下に向けてそう声を張り上げる。
立ち上がり羽織を脱ぎ捨てると、歯を食いしばって晴明は真誠を振り返った。

「覚えてろよ、貴様…!!」

捨て台詞を残し、尻尾のような髪を翻して彼は廊下の奥へと姿を消した。

「…仲、いいですよね。」

頂いた羊羹を小さく切り分け口に運ぶ美雪。
羨望混じりの呟きに、真誠は悪戯好きの子どものような笑みで答えた。

「あぁ。あの男で遊ぶのは飽きないな。」
「…”で”、なんですね…。」

おねだりをするように口を開けたので、真誠にも羊羹を差し出す美雪。
嫁の手ずから食べた甘味に、彼は満足げだ。

「…さて。話が逸れたな。」

仕切り直すようにそう言うと、真誠は美雪にこんな提案を伝え始めた。

「近々、うちの商会主催の花見を横浜でやるんだ。…一緒に行くか?美雪。」
「…!…はい!」

断る理由など、美雪にあるはずがなかった。



馬車でお屋敷から移動し、到着したのは新橋駅だ。
石畳に佇む、煉瓦造りの西洋風の駅舎。沢山の人が並んでいるのは、切符売り場だろう。

真誠のエスコートで、人混みの横を抜けていく。
彼は懐からチケットを取り出すと、慣れた手つきで駅員に見せた。そしてするすると列車の中へ。

「わぁ…!」

柔らかい木目の車内。クッションが置かれた対面型のボックス席が並んでいる。
静かな車内には、外国人や洋装の男性などが腰掛けていた。

「…?そんなに珍しかったか?」

美雪に席を促し、真誠は自分も向かいに腰掛ける。
彼の言葉に、美雪は気まずげに視線を彷徨わせた。乗り慣れている真誠との差を実感して、拗ねたように唇を尖らせる。

「だ、だって初めてだから…。つい…。」

彼女の返答に、真誠は完全に虚を突かれてしまった。目を瞬かせ、彼は口を開く。

「…黒龍会の拠点は東京なのか?てっきり横浜かと思っていたが…。」
「…??どういう意味…?」
「…?いや、俺の屋敷まで来ただろう?美雪は。横浜が拠点だとしたら、移動は列車かと思っていたが…。」

お互いの発言が互いに疑問を引き起こす。夫婦揃って首を傾げていたが、先に合点がいったのは美雪だった。

「あ…。」
「…?」
「…仕事先までは、適当に運ばれたので…。」
「………は??」

何でもないことのように言われた爆弾発言。
口をあんぐりと開けている真誠に対し、美雪はすらすらと彼の予想外の現実を話し続ける。

「幹部に言われた荷物で寝転んでれば、次に開けられた時は仕事先のそばで…。そこで標的を教えられて、終わったらその辺りに行けば適当に回収されました。だから拠点がどこにあるのかは、私もさっぱり…。」
「……。」

蒸気機関の汽笛の音が鳴り響く。シューッと蒸気が白い煙をあげ、ゆっくりと列車が動き出した。
ガタンゴトンと、車輪の動きに合わせて座席が揺れる。
馬車とは比較にならない速さで、どんどん過ぎ去る景色。

「すごい…!」

美雪は思わず、窓の外に釘付けになった。無邪気に感動する横顔は、年相応にキラキラと輝いている。

そんな愛しい人を見て、真誠は気づかれないように長く長く息を吐いた。

(…荷物に寝転ぶ??気づいたら仕事場ぁ??)

頭を抱える彼の内側に沸々と煮えているのは、彼女を蝕んだ異国の闇への底しれぬ怒り。
手のひらに薄く残る短刀の傷跡に、彼の爪が食い込んでいく。

(どこまで彼女を道具扱いすれば気が済むんだ…!!)

敵はある程度物流や交通網に毒牙を剥いている可能性がある。
それがわかっただけ良しとして、真誠はやり場のない思いをどうにか静めるのだった。



くすくすと、楽しげに笑いながら美雪は列車を降りた。そんな彼女を見守りながら、真誠が続く。

「…さっきの、晴明にやったらキレられるから気をつけろよ?」

少々呆れ顔の真誠。うたた寝をしていた彼を起こしてくれたのは、美雪の悪戯な殺気と懐刀だった。

もちろん傷一つ付けられてないが、美雪は上機嫌だ。

「ふふ、真誠さんにしかしませんよ?」

海風に美雪の黒髪と着物が波打つ。
花のような笑顔と共に告げられる、殺し屋なりの愛情表現。

「…そうか。」

下がる眉とは裏腹に、真誠の瞳は柔らかく細められた。

向かう時と同じように、人の波を避けて改札を通過する。
煉瓦の階段を降りるとそこは、異国情緒漂う港町。

吹き付ける風が、泣きそうになるほどの胸の痛みを美雪に突き付けた。

(あれ…?ここ、知ってる……??)

動けなくなってしまった彼女の背に、そっと真誠の手が添えられる。

「普段なら馬車なんだが…。」

隣から聞こえた柔らかい声に、美雪は顔を上げる。
見上げた彼の髪も風に揺れ、木漏れ日を受けて光る瞳が温かい。

「せっかくだ。歩いて屋敷跡まで向かわないか?…少し、坂がキツイかもしれないが。」
「…!」

それは、願ってもない提案だ。

「はい、ぜひ…!」

零れ落ちそうだった涙は花に変わる。
美雪は真誠の手に指を絡ませ、引っ張るように歩き出した。

「…!美雪、」
「行きましょ?真誠さん。」

目を丸くする彼の手が汗ばんでいることなど、美雪は全く気づかなかった。



海沿いの馬車道を二人並んで歩く。足を進めるほど、美雪は霧が晴れていくような感覚だった。

いつも聞こえる船の汽笛、当たり前のようにすれ違う洋装の人々。
舶来の品が並ぶ商店、袴姿で駆けていく少女たち。
潮の匂い、石畳をヒールが叩く音、海と空の青。

その全てが胸に訴えてくるのだ。「おかえり」、と。
胸が踊る。息が上がるほど道の隅々まで見て、駆けて、触れて。

その感動は、山手の坂道をのぼっている時にはピークを迎えていた。

「真誠さん…!真誠さん、私ここも知ってる…!!ここ、この坂道、母様といつも散歩した道なの…!毎日、家から街まで向うのに通ってた道…!」

興奮で上ずる声。だが、後ろにいるはずの真誠から、なぜか返事がない。

「ねえ、真誠さん…!」

袖を踊らせて美雪は振り向く。足元の砂利が円を描いたところで、美雪は飛び上がって驚いた。

「す、すまん…ちょっと待ってくれ…。」

なんと、あの真誠が手をついて俯いているではないか。

「きゃあ!ごめんなさい…!!」

慌てて坂を駆け下りる美雪。
真誠の元まで戻れば、彼は小さく肩を上下させている。僅かながら脂汗もかいていた。
右足をさする彼の手。重心は左足に寄っているように見える。

今更ながら、彼の歩行の大変さを美雪は思い出した。

「ま、真誠さん、ごめんなさい…!私、つい興奮して…。」

咄嗟に着物の裾で彼の汗を拭う。珍しく彼が袴姿なのも、洋装よりも足が楽だからだったのだろう。
少し気を使えばすぐに分かるはずのこと。己の浅はかさが嫌になる。

だがそんな美雪の手を、真誠はそっと下ろさせた。

「平気だ…。こっちこそすまない。せっかく楽しげだったのに、水を差してしまったな。」

気遣いに対し、ふるふると首を振る美雪。
お花見をしているお屋敷はこの坂の上だと言うので、改めて二人並んでゆっくりと歩き始めた。
真誠の右側を自分の定位置にする。美雪にとっては、そう決意した一歩だった。

「…この坂を自分で登るのは、本当に久しぶりだ。…地獄のようだった機能回復訓練を思い出して、つい速度が落ちてしまった。」

まだ白い顔で、苦笑い混じりに真誠が言う。
彼がこれほどまで弱るとは、いったいどれほど厳しかったのか。

「嫌過ぎて逃げたこともあったな…。結局坂を下りられなくて、膝を抱えて隠れてるしか出来なかったんだが。」
「そう…だったんですね。」
「あぁ。」

初めて本人の口から聞く昔話。自嘲するように笑って、真誠は乾いた声で続ける。

「まだ義足で立つのが精一杯だった頃だ。…松葉杖引っ掴んで、庭を這って家出した。……ハハ。」
「わ、笑い事ではないのでは…?」

当時の司の心労を思うと笑えない。しかも、かっこつけの塊のような真誠が庭を這うだなんて。
今では考えられない暴挙に、美雪はつい引きつった笑みになってしまった。

ふと、桜の木を見上げた真誠の表情が柔らかくなる。彼の視線は桜から、根本の茂みへ移り、そして、美雪へ。

「…?」
「ふ…。いや、その日を思い出してな。」
「…家出された日…?」
「あぁ。」

今度は真誠から、指を絡められる。目を細め、桜色に染まる彼の頬。穏やかに笑みを浮かべる唇が語る、その日のこと。

「この辺りだった。…茂みを掻き分けて、ある少女が俺のことを見つけたんだ。そのまま、流れでかくれんぼをすることになって…。初めて、子供らしく遊んだ気がする。」
「…。」
「足を失くして…1人で歩けもしなくて…。色んな重圧でぐちゃぐちゃだったあの日の俺にとって、君の小さな手と笑顔がどんなに温かったか…。」
「…………えっ?」

思い出話の中、サラリと言われた言葉に理解が追いつかない。
美雪の反応さえ、まるで分かっていたかのように真誠は笑う。握る手に力がこもり、もう離さないと伝えてくる。

「…やっと、”またね”が果たせたな。美雪。」

緩やかな風が花吹雪を起こす。
薄紅色の中に映える彼の笑顔が、強烈なデジャブとなって襲いかかった。

「……えっ?……えぇ!?」

美雪は覚えていない。かくれんぼも、手を繋いだことも、彼をみつけたことも。
思い出せもしないけれど、胸が締め付けられる。じわりじわりと広がる安堵。

「…長々と話してしまったな。さ、あと少しで屋敷だ。」
「えっ、あの、」
「ん?」

甘い声は、美雪が真誠との出会いを覚えていないことなど、何一つ気にしていない。

頰が火照る。真誠の顔をまともに見上げることもできないまま、美雪は彼に手を引かれていった。