その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件

真誠が屋敷に帰ってきたのは、夕食も終わって随分経ってからだった。

おかえりなさいと駆け寄る陽。当然のようにそれを受け止め、頭を撫でる真誠。
花が綻ぶように可愛らしく、陽は笑う。

ーー私の方がずっと昔からボスのこと大好きなのに!

昼間聞いた彼女の言葉が、美雪の脳裏によぎる。
真誠が陽といる場を見るのは、まるで底冷えしていくような感覚がした。

今日聞くことができた真誠とアヘンの因縁から、美雪の中に思い浮かぶある仮説。
それを確かめるのは今夜しかない。

真誠がこちらを見たのに気づいたうえで、彼女は何も言わずに身を翻した。



夜の様々なことを終え、真誠は書斎に向かう。
和館の最奥にある自室に戻るのは、どうにも面倒だ。

司から聞いた、今日の会議の様子。
美雪が黒龍会のことを話してくれたと聞いて、真誠はホッと息を漏らしてしまった。
名前を呼ばれた時と同じか、それ以上の嬉しさ。

(…陽のことは、早急に納得させなければな…。)

だからこそ真誠は、彼女にとっての不安を早めに取り除いてあげたかった。

書斎の扉を開け、中へ入る。
ジレとシャツを脱ぎながら進み、寝台に腰掛けた。
脱いだ服と取り替えで、畳まれている浴衣をサイドテーブルから手に取る。それを羽織り、靴とズボンをゆっくり脱いでいく。この作業だけは、どうしても面倒だ。
それを終えて浴衣の帯を締めた後、やっと彼は義足を取り外した。

「ふ…」

息が漏れ、身体の力が抜ける。義足の接合部が痛むのは日常のものとはいえ、やはり辛い。
身体を倒し、寝台横にある棚の引き出しを開ける。軟膏をとりだすと、慣れた手つきで患部に塗り始めた。

今日はまだマシな方だ。けれど、真誠は顔をしかめる。毎晩傷口に触れるこの時間は、己の弱さを突きつけられる気分だった。

手入れを終え、薬を棚に戻す。
そのまま無造作に寝台の布団へ倒れ込んだ。

その時

「っ、…!?」

壁からぬっと闇が動いたかと思えば、息も付けぬ間に闇が真誠に馬乗りになった。

突きつけられた刃を、辛うじて白刃取り。
眉間の先に光る切っ先。その冷たい光を辿れば、束ねた黒髪がハラリと真誠の頬を擽った。

「美雪…?」

黒い着物に、黒い袴。まさに武器屋たる彼女が、真誠に跨っていた。

的確に左足の膝を抑え込まれた。彼女の膝が真誠の腹を圧迫する。
腰に乗った重心は、真誠が起き上がるのを許さない。

「…最初から、こうしていればよかった。…私、やっぱり殺し屋向いてませんね。」
「……。」

きりきりと、短刀を介した力比べは続いている。
美雪の瞳は、猜疑心と殺意で冷え切っていた。

「私を助けてくれたのは…」
「…?」

震える声が暗い部屋に落ちる。
美雪の刃を、細い一筋の赤が伝った。

「あなたの、弟さんと…私を、重ねたからですか?」
「は?」

脳を殴られたような衝撃だった。
なぜその2人が重なるのか、真誠には全く分からない。

しかし美雪は、傷口をさらけ出すように叫んだ。

「あなたが黒龍会と対立するのは、私や弟さんのような人をださないためと聞きました…!私は…、弟さんの、代わりですか?助けられなかった弟さんにしたかったことを、私に代わりにしてるんですか?」
「なぜそうなる…!?そんな訳ないだろう!!」
「だってわかりません!!」
「っ…、」
「なぜあなたが私なんかに執着するのかがわからない!!あなたには、私なんかよりちゃんと可愛いくて、ちゃんとあなたを好いている女性が身近にずっといるのに!!だったら、あなたが私を娶ろうとする理由なんて、弟さんの代わりを探してたとしか思えない!!」
「……」

切っ先を伝った赤が、ポタリと真誠の眉間に落ちる。

「私は……私は、冷泉美雪です。あなたの弟じゃない。」
「…あぁ。」
「だからもし!…もし、あなたが、私を助けた目的が、弟さんに出来なかったことを私にして、自分を慰めたいだけなら…!」
「…」

ぐ、と一段と彼女の力が、刃が、深く真誠を抉ろうと伸し掛かった。
アヘンの悪臭が、2人の肺を突き刺す。

「……武器屋として…あなたを、ここで殺します……。」
「……。」

絞り出すような声。彼女の手は、闇の中でもわかるほど震えていた。

「…話を、聞いてくれるか?美雪。」
「……。」

状況は変わらない。だが真誠は、美雪の無言を肯定と受け取った。

「まず、前提が間違っている。」
「ぜん、てい…?」
「あぁ。」

真誠の言葉の意味がわからず、呆然と繰り返す美雪。
真誠は両手で短刀を挟んだまま、その切っ先を布団の方へ徐々にずらしていった。

「アレとは、お互いに「お前さえ居なければ」と思っていた。…会った時からだ。」
「…えっ?」

トス、と刃が柔らかい布団に突き刺さる。
衝撃で体勢を崩した美雪を、真誠の薄い胸板が受け止めた。

「会った時から…って、双子の兄弟なんじゃ…?」

尋ねながら、美雪は真誠の顔を見上げる。その表情は、見たこともないほど冷たい。

「…アレは、俺の予備だ。」
「…よ、び…?」
「そう。アレがこの本邸に、足を踏み入れたことはない。向こうは俺のことを知ってたかもしれん。だが…俺が初めてアレを見たのは、7歳かそこらの時だ。姿形が瓜二つだったのが…気味が悪かった。」
「…!」

一貫して、弟のことを人ではないかのように話す真誠。それは、恐ろしいほどの無。
彼も裏社会の人間なのだと、急に剥き出しになった彼の刃で美雪は実感した。

「つまりアレに対して、救えなかっただとか、何かしてやりたかったなんて思いは、端からない。全くだ。…アレと君が重なるなんて、天地がひっくり返っても、あり得ない。」
「…」

否定のしようがない断言。これには美雪も面食らってしまった。

「じゃ、じゃあ…なんで私のこと…?」

最初の疑問に立ち返る。困惑する美雪の頬を、真誠の親指が優しく撫でた。

「…美雪。」

彼女が襲ったあの夜から、ずっと変わらない甘い声。

「俺は、ただの可愛らしい少女だった君を知っている。…冷泉美雪を、知ってるんだ。」
「…!」

大木のような温かい瞳に見つめられ、ゆっくりと美雪の体温が上がっていく。
とくんとくんと早足をするのは、いったいどちらの心だろうか。

「だから、助けたい。そのために君を探していた。」
「っ…」
「…昔から惚れている女性に、妻になってほしいと願うことは、おかしなことか?」
「い、いえ…。」

真っ直ぐ過ぎる愛の言葉に、毒気が抜かれていく。

「…う、疑ってごめんなさい。」
「かまわない。」

ぎゅっと、真誠の両腕が美雪を強く抱きしめた。

「俺こそ…、誤解を招いてすまない。」
「…いえ…。」

体中に真誠の愛情が染み渡っていく感覚。
柔らかい視線が交差する。

混ざり合う吐息。
唇が触れ合ったのは、もはや自然な流れだった。



書斎の扉を、内側から短刀が貫いている。外からの介入を拒絶するように。
部屋の外から、主人を守る機会を伺っていたスナイパーはゆっくりと、斬り傷を受けた銃口を下ろした。

中から聞こえるのは、組長「夫妻」の幸せそうな声。こちらに聞かれないよう、2人は声を落とす。
ならば、早く退散しなければ。

けれど彼女は、動きたいのに動けなかった。

「…陽。」

階段の方から、兄の声がした。
それでも立ち尽くしていると、兄の優しい気配が近づいてくる。

「…俺達の部屋に戻ろう。」
「ッ……。」

跪く兄。彼は銃もろとも、妹を抱きかかえた。
組長の部屋に背を向け、彼は歩き出す。

「…まけた。」
「……。」

濡れる肩口。首を絞めるようにしがみつく腕を諌めもせず、兄はただ妹の言葉を聞く。

「ボスが探してたの…あの()だった。」
「……。」
「勝てないよ……そんなの……。」

岩を打つ波のように、砕けてものを思う彼女の小さな胸の内。

霞は黙って、妹の長い髪を撫で続けていた。