薄紅色に色づく街。海の見える山手の丘の上。
葛原院家別邸の庭では、特別な花見の準備が進んでいた。
「丸田殿ぉ!パウンドケーキの大皿は、組長らの席の近くでいいですかな?」
大柄で快活な重鎮が、その逞しい腕で豪快に皿を持つ。劉商襲撃の際の大怪我の跡は、未だその筋肉に刻まれていた。
「もう、おっちゃん!!座っててって言ったじゃんー!!やっと退院できたばっかでしょ!!」
そんな老人に駆け寄る陽。彼からケーキ皿を取り上げてしまった。
怪我人扱いに重鎮は困り顔だが、周りも陽の味方だ。
騒がしくも温かい様子を見ながら、丸田は頭を下げる。
「み、皆さん、手伝って貰ってすみません…」
だが葛原組の面々は、腰を低くする丸田の背を叩き肩を組む。組長夫妻が気に入っている彼の洋菓子は、彼らにとっても特別だ。
「組長も奥様も、喜ばれますよ。」
山のようにビスケットの入った風呂敷を抱え、霞が微笑む。周囲の様子に、丸田自身が桜のように染まっていった。
「ほらほら兄者ぁ!!はやくお皿に並べよっ!!準備終わんないよぉー!!」
「…あぁ。」
重鎮のそばで、陽が手を振る。霞は丸田と共にそちらへ足を進めていく。
洋菓子たちを飾るのは鮮やかな青の景徳鎮たち。
それは丸田がかつて、冷泉商店から購入した宝物だった。
庭の騒がしさは室内にも届いている。
どうにか準備は進んでいるらしいことを確認して、司はため息をついた。
衣桁にかかるのは、この日のために仕立てた燕尾服。
風にそよぐその服を眺めながら、和服を着こなす女医は静かに口を開いた。
「それでぇ?」
温かい茶を一口。
「こないなキッツイ洋装を着る前に、腹と脚の傷を診るよう言うたのに…」
女傑の鋭い瞳が、司を射抜く。
「あのアホ組長は…どこにおるん?」
「…!!」
春の陽気はまだ冷たい。とは言え、それでは説明出来ないほどの鳥肌が司を襲った。
「ほんっと、お待たせしてごめんなさいね、仙波医師…!朝から探してるんだけどぉ…」
司の笑顔が引きつる。葛原専属の女医は、そんな側近を横目に茶を啜った。
「別にうちはやることやるだけやさかい。遅れて困るのんは彼なんやし、放っといてもええんとちがう?」
「ええっとぉ…」
女医の言葉はご尤も。とはいえ、今日の花見は例年と違う。真誠が居ないと始まらない。
(全く…!!どこ行ったのよあの子は…!!!)
司の火山は、噴火間際だった。
「あ、あの…私、探してきます…!」
「えっ!?あ、ちょっと…!!」
司の制止も聞かず、駆けていくもう1人の主役。
けれど確かに、この状況を打破できるのは恐らく彼女しかいなかった。
◇
風に舞う花びら。青空とのコントラストはまるで絵画だ。
山手の坂の中腹、茂みに背を預けるようにして、真誠は地面に座り込んでいた。
地獄の再来どころではなかった、機能回復訓練。
社交界に復帰するのに2カ月はかかった。
右の腹も脚も、ふとした時の激痛には息が詰まる。屋敷を抜け出したくなるのも、致し方ないだろう。
真誠はぼんやりと考える。
(前は…司と仙波に見つかるのが嫌で、茂みの中で蹲ってたか…)
16年前になったあの日は、今でもありありと思い出せた。
そこへふと、小さな影が真誠の頭上に差し込む。
気づいた彼は、ゆっくりと顔をあげた。
「みぃつけた。」
「…!」
青空の中に、桜にも負けない花が1人。はにかんだ笑顔は温かく、可愛らしい。
それだけで、真誠の胸は熱くなった。
「…また、見つかってしまったな。」
「もう…お着物が汚れますよ?真誠さん。」
美雪が差し出した手を取り、杖をついて真誠は立ち上がる。
彼の着物の土を叩くと、美雪は彼を支えるようにピッタリと寄り添った。真誠の、右側。
艶やかな黒髪が目に入る。甘えるように真誠は鼻先を彼女のつむじにおしつけた。腹いっぱいに吸う美雪の香り。
「ふふ…擽ったいです。」
「ん?」
杖をついていると、右にいる彼女を抱きしめられない。それがひどく口惜しい。
互いの療養で会えなかった期間を埋めようと、真誠は隙あらば美雪に触れていた。
もう、鼻を突く異臭はしない。
桜が舞う。2人並んで、薄紅色の傘を見上げた。
「…さ、真誠さん。お屋敷に戻りましょう?」
「…そう、だな。」
「仙波先生と司さん、怒ってましたよ?」
「………………」
「もう。そんな顔してもだめです。」
僅かに膨らむ真誠の頬を美雪はつつく。
まるで子供のようなやりとりに、2人して吹き出した。
ゆっくり、坂を登る。桜の花が、あの日と同じように見守っていた。
◇
西洋には、神様の前で婚姻を誓う風習があるらしい。
それを真似るなら神社で行うものなのだろう。だが、それも仰々しい。
だったら、と。毎年行われるお花見が特別仕様になった。
真誠と美雪の、婚姻の祝賀会だ。
「………で?」
狩衣姿の晴明は、困り顔で腕を組んだ。
「西洋を真似るのはいいとして、その神父?とやらの代役はホントに俺でいいのか…?神職じゃないぞ俺は。」
彼はぼやく。目の前にいるのは、燕尾服を着た真誠だ。
「いいんじゃないか?まあそれっぽいし。」
「雑か…?重要な役なんじゃないのか、その神父ってやつ。」
「そうらしいが、別に完璧に模倣するのも面倒くさい。」
「あぁ、そう…」
そこに、一際大きな歓声があがる。食事や酒を楽しんでいた人々の視線が、1人の女性に集まった。
一歩、一歩、真誠の元へ歩み寄る美雪。
真っ白なシルクのドレス。桜の刺繍がまるでグラデーションのように鮮やかだ。
胸元を飾るダイヤモンド、両手に握られた花束。
華やかにまとめられた髮には、真珠の花飾り。
頬紅も、口紅も、彼女の美しさを際立たせている。
その姿は、まさに西洋のお姫様。
彼女が幼い頃、母が読み聞かせた海外のおとぎ話にも、負けはしない。
ほう…と見惚れたようなため息が、どこからともなく聞こえてきた。
隣を歩く丸田の支えを離れ、美雪が真誠の右に並ぶ。
それを見届け、晴明は咳払いをひとつ。
「あー…っと…夫婦として…支え合うことを誓いますか?」
照れが滲む棒読み。そんな彼に、やんやと野次が飛んだ。晴明は噛みつき返さずにはいられない。
だが、笑顔の圧を放つ両親と姉夫妻の姿に、彼は動きを止めた。
変わらない騒がしさ。自然と、美雪の頬に笑みが浮かぶ。
「誓います、晴明さん。」
「…俺も誓う。」
親友夫婦の柔らかい声。2人の纏う澄み切った気。
それに気づき、晴明の胸も熱くなった。
彼の口元も、自然と綻ぶ。
「So…, you may kiss the bride.」(それでは…、花嫁にキスをどうぞ。)
祝福を込めて、晴明はしっかりと台詞を紡いだ。
その言葉に背を押され、真誠と美雪の唇が重なる。
物足りないほどの甘さ。はにかむ笑顔は、互いにとって何よりの宝物。
拍手が沸き起こる。夫婦の礼をもって、祝賀会は宴へと移行していった。
べしょべしょに泣いている丸田と司。保護者同然の2人は、お酒が止まらない。
安倍家当主夫妻は、美雪を抱き締め真誠の頭を撫でてくれた。彼らもまた、真誠にとっては親と変わりない。
陽は夫婦の礼装にメロメロだ。美雪のドレスに目を輝かせている。
はしゃぐ妹に、思案顔の霞。
そんな兄妹に、真誠は次の段取りを浮かべる。陽に見合いをさせるなら、霞にまず話すべきだろう。
相変わらず幸人は距離が近い。幸彦と並んで美雪を可愛がり、真誠は気が気じゃない。
一介の商人とその双子に振り回される侯爵家当主。親友の情けない姿を、晴明は大声で笑ってやった。
彼の隣で微笑むのは、彼を支える巫女の妻。
ひと通り騒いだだろうか。提灯の灯りが灯る頃、真誠はそっと、美雪を縁側に座らせた。
「大丈夫か?」
尋ねながら、隣へ腰掛ける。心なしか、美雪の顔は白い。
「えぇ…。でも、やっぱりお腹は大事だから…。着替えて、こようかな。」
「あぁ、そうするといい。」
コルセットが辛いのだろう。単純にそう思ったが、隣に座る妻の様子に真誠は動きを止めた。
慈愛に満ちた笑みで、優しく自身の腹部を撫でる美雪。
「……お腹が大事……って……」
恐る恐る、真誠は声を絞り出す。
気づいた美雪が彼を見上げる。
「…ふふ」
桜の中に咲く笑顔。それは救いで、希望だ。
「っ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「きゃっ…!」
花びらひとつ入らせないほどの抱擁。
互いの髪を撫で、頬に触れ。傷を抱えた男の背中に、小さな両手が回る。
互いを確かめるように、2人の呼吸が混ざり合っていった。
その花嫁は、元殺し屋につき。
暗殺先で標的から受けた求婚は、まさに白銀の蜘蛛の糸だった。
【了】

