その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件

興ざめだった。

(…つまらん)

(ワン)は低く深くため息を零す。
踏みつけた男から、音もなく銃口の向きを変えた。

欲しいのは、この国だ。
アヘンで壊す。裏側から。

「…じゃあな」

最強と名高い男は、邪魔なのだ。

「ボス!!ひなちゃん!!」

甲高い女の声を無視して、頭蓋骨めがけて王は発砲した。

赤が散る。
だがその赤は、真誠の背中に咲いていた。

「ッが…!!ぅ、」
「…!」

彼の肩越しに王を射抜くのは、灰褐色の瞳。
響く破裂音。

「ぐ…!」

武器屋による正確無慈悲な弾丸は、王の手から銃を弾き落とした。

横から続く銃声。肘に走る激痛。

「…!?」

血が溢れ、力が抜ける。だらりと下がる王の右腕。憤怒のままに彼は睨みつけた。
硝煙をまとうのは、陽だ。

「…小娘が…!」

そちらへ踏み出そうとする王。だが、脚の奥にバチンとゴムが切れたような熱が走った。

「ッ〜〜〜!!」

脚の腱から血が噴き出す。その赤を顔に浴びたまま、霞は王をソファから引きずり下ろした。

「貴様ッ…!!」

霞の膝が王の鳩尾を圧迫する。

「ぐ、ぅ…!!」

冷たい日本刀が、王の首筋にピタリと当てられた。

「…ここまでだ。」
「…!!」

霞の声が静かに響く。

王の視界が赤く染まる。気が狂いそうだ。
動かせる左手を、霞の首へ。

だがその手は、細く長い指に遮られた。

「…終わりです、頭領(ボス)。」

凪いだ水面のような声がした。そこにいるのは、女性と見紛う美貌の男。

情報屋(チンバオ)…!」

王は呻く。黙ってそれを聞くと、幸彦(ゆきひこ)はゆっくりと目を閉じた。
異能で見る、この建物の上階。

「兄さんが…警察や記者と一緒に…」
「…!!」
「…中、です。」

ワナワナと、王の手が震える。爪が、幸彦の薄い手のひらを裂いた。

「なぜもっと早く言わない…!!」
「…」

ゆっくりと幸彦は目を開く。人形のように従順だった男の目に宿るのは、確かな反抗の意思。

「…!!」

人は、道具ではなかった。

蚊の鳴くような声。そちらへ視線を向ければ、死にかけの男が1人。

「英国は…日本、と…手を…組む…」

そう囁く真誠の瞳も、未だ炎が消えていない。

「お、きな…流れ…は、…止ま、ら…なぃ…」
「…」

声は弱い。

「足掻い、ても…後ろ、盾…失くす…だ、け…」

だが彼の言葉は、王を抉った。

「アヘン、戦争…真似た、ところで…無駄、だ…!」
「ッ…!!」

足音が近づいてくる。
霞は血振りをし、刀を納めた。

「幸彦ぉ…!!」

場違いなほど明るい声が響き渡る。駆け寄るのは、女性と見紛う美貌の男。
ゆっくり立ち上がった幸彦に、幸人は飛びついた。

直後、真誠の身体は重く落ちていく。

「真誠さん…!!」

美雪の声が、地獄に垂れた蜘蛛の糸だった。



翌朝。欠伸と共に出社した幸人はあっという間に同僚たちに囲まれてしまった。
それもそのはず。朝刊にはデカデカと「阿片密売組織摘発」の文字。その記事には当然、「弟を探していた情報提供者」の話もでていた。

幸人が横浜に来た経緯は、同僚全員が知っている。
質問攻めに合わない方が無理な話。

「いや、それが…弟の姿を倉庫での暴動で見かけてから一気に動いて…。ほら、7月頭の…!」

繰り返し彼が語る筋書き。
台詞はもう、問題なく諳んじられた。

その物語に、真誠や美雪のことは一切出てこない。全ては幸人1人の功績だ。

チクリと痛む心。けれど演者は、台本通りに演じるだけ。
報酬は、弟との生活と安全だった。

空は青い。浮かぶ白はアヘンの煙ではなく、鮮やかな夏の雲だった。