その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件

最低限の光源の階段を下っていく、真誠、司、霞、陽。
一歩降りる度に濃くなるアヘンの匂い。

中頃まで来ただろうか。先を急ぐ真誠の肩を、司が止めた。

「待って組長。」
「…!」

その言葉に立ち止まる。そのまま、真誠は司に先頭を譲った。
彼の手は、袴に仕込んだ愛用武器に添えられている。

「お得意の毒霧で動きを封じようとしたんでしょうけど、残念ね。姑息さが隠しきれてないわよ?」

冷たく澄み切った司の声。階段の螺旋の先で、僅かに人影が揺れた。

「出てらっしゃい。…久堂?」

それは、裏切り者の名前。15年前の禍根。

音もなくぬっと姿を現した大男。その姿を見た途端、真誠の右脚がズキリと痛んだ。

「久しぶりだなぁ。…ご嫡男様ァ?」

卑劣さが息をしているような蠍のごとき男は、ジャラリと鎖鎌を掲げる。
真誠はゆっくりと、司の銀髪を見上げた。

「…任せるぞ?司。」

振り返りもせず、側近の男は答える。

「えぇ、もちろんよ。」

動き出したのは、同時だった。

司が久堂を石壁に強くぶつける。
久堂のうめき声を小耳に挟みながら、大男を押さえつけている司の背後を真誠は駆けた。

「てんめぇ!!ふざけてんじゃねぇぞ!!」

怒号が背後に響く。だが、先頭は一切足を止めない。

「…司さんが戦ってるとこ、私見たことないよ…?」

ボスと兄の背を追いながら、陽が声を潜める。
そんな妹へ、霞は答えた。

「…司様の鉄扇に、勝てた者はいない。」
「…!兄者も?」
「あぁ。」

それを聞いて、陽はにっこりと微笑んだ。

「じゃあ大丈夫だね!」

駆け下りる先はまさに地獄。鼻が曲がるほどのアヘンの匂いの中に、彼らは飛び込んでいった。



久堂の腕に血管が浮き出る。押し返す力は凄まじく、司は一旦身を引いた。

ひらりと舞うように、階段の下降に着地する司。久堂の行く手を明確に阻んだ。
ゆらりと、鎖鎌を手に立ち上がった久堂が叫んだ。

「どけや禅杖!あのクソガキ殺しゃあ、後継者への下剋上を果たしたんだから俺が組長だ!!」

久堂は言葉と共に、自身の武器を舌でなぞる。
するとその刃から、シュウゥと毒々しい煙が上がった。

「主の無念は…」

彼は鎖鎌を構え、司へと迫る

「果たしてやらねぇとなぁ…!!」

そうして振り下ろされた一撃。
司は動かない。パッと司が手をかざした時、刃同士がぶつかる甲高い音が響き渡った。

「…あらやだ。まだ自分にもその掟が適応されると思ってるの?」

鎖鎌の刃は、司の手に開かれた鉄扇に受け止められている。

「本当に頭がオツムね。それに下品。15年も前に謀反したアンタが、組長になんてなれるわけないじゃない。」

司の放つ正論が冷たく久堂を突き刺す。彼の左手に隠し持ったもう一本が久堂の手首めがけて舞う。

「チッ…!」

久堂の舌打ち。
身を引くと同時に振り回した鎖が鉄扇を弾いた。
右手の鉄扇で鎖の軌道を外側へ滑らせ、今度は司から足を踏み出す。

間合いさえ掴めばこちらのもの。
しかし行く手を遮るように鎖鎌の鎖が暴れまわる。

「ハッ…!近づかせるかよ!テメェとの手合わせなんざ、何度やったと思ってんだ!」
「あら。こっちの台詞ね。」

鎖を弾く扇。一歩踏み込む司の足を鎖が撃つ。
怯んだ足に鎖が絡み、引っ張った。

体勢を崩す司。

「くっ、」

首を目掛けて振り下ろされる釜を、彼は閉じた扇で受ける。
押し倒された状態のもつれ合い。鎖が軋み、刃が喉元に食い込む。アヘンの異臭が司の鼻の奥を突き刺した。
ニイと嘲笑って、久堂が話し始める。

「それにしても…俺の主の異能はまさに"呪い"だなぁ…?」
「…」

久堂の語る主とは、嫡男のスペアだった子供のこと。

「俺の主はあのクソガキの足を斬り落とした!藁人形に杭を打ちつけるように!以来、主の異能は呪い続けてる…!おかげで今、組長殿は銃1つ撃てやしねぇんだろぉ?」

久堂の語りは、聞くに堪えない。司は彼の腹を蹴り上げた。だが、半歩早く受け身をとる久堂。彼の鎌が、司の首の皮を裂く。

司が少し首を動かすのが遅ければ、バックリやられていただろう。

「ククク…こうやってお付ばっかり怪我させて、一人無傷で余裕ヅラしてよぉ…!」

ゆらりゆらりと、アヘン特有の脱力を残した久堂の身体が揺れる。
立ち上がる司へ向けて鎖で鎌を振るいながら、久堂は叫んだ。

「戦場に出れもしねぇくせに、(かしら)はってんじゃねぇぞ!!組の長に相応しかったのは、俺の主だ!!」

飛んでくる刃。蝶が羽を開くように司は鉄扇を開く。

「バカね。だからアンタは見る目ないのよ。」

舞うように回り、扇の面で鎌を叩き落とす。
そして間髪入れず、その刃を司は踏みつけた。

「アンタの主に、呪いなんてかける異能、ありはしないわ。」
「あぁん…?」

石壁の隙間に突き刺さった鎌。より深く踏みつけ相手の手を封じながら、司は続ける。

「あの子が戦えないのは罪の意識のせい。」

扇が司の口元を隠す。

「優しすぎるのよ…。」

見えぬ表情は僅かな光源に照らされ、慈愛と憂いの色を醸す。

「…でも、彼は先陣を譲らない。」

鉄扇が怪しく光る。
刹那、司は一気に間合いを詰めた。

久堂は鎖を引く。しかし鎌は外れない。
舌打ちと共に、彼は手を舐め毒を纏わせる。
そして組み手に切り替えた。

だがそれこそ、司の十八番。

司の襟を掴む久堂の手。開いた扇で敵の視界を遮ると、左手の閉じた鉄扇が久堂の手首を打つ。

「ぐぅ…!」

うめき声。同時に司の蹴りが久堂の身体を倒し、押さえ込んだ。

「…そんな真誠だから、アタシ達はついて行くのよ。」
「…!!」

蝶のように微笑む司。久堂の首筋に、詰めたい鉄扇が突きつけられていた。



鼻が曲がるような異臭が空間を支配している。
迷路のように入り組んだ通路を駆ける3人。

(美雪…!美雪、どこだ…!)

焦りに汗が滲む。真誠はアヘンの煙が充満する小部屋を一つ一つ確認するが、彼の桜はいない。

そこに、僅かに聞こえた荒い息遣い。鎖の擦れる音。
足を止め、方向を変える。彼は一直線に、そちらを目指した。

たどり着いたのは、開けた空間。

「漸くお出ましかぁ…」

悠々とソファに腰掛ける老骨。
経験の刻まれた手が握る手枷の鎖。
そこに繋がれた小さな手。頭上に掲げられ、痙攣している。
細い腕を辿る。ぼさぼさに乱れた黒髪。項垂れた顔。
身につけているのは、汚れて乱れた襦袢のみ。

「もっと早く来るかと思ったがなぁ?…クズ原。」

悪辣な笑みを浮かべる黒龍会の頭領(ボス)と、変わり果てた美雪の姿だった。

【続】