くゆりくゆりとたゆたう煙。
むせ返るような匂いの中、与えられたアヘンを吸う幸彦。
いつものように、彼は異能を使って外の景色を眺めていた。
生まれ育った富岡の街。製糸場は今日も賑やかだ。
家族で行った横浜の街。夏の海が港で輝いている。
そんな大事な思い出だけでなく、黒龍会に命じられて潜入した先々の様子も観察する。
山手の外国人居住区、横浜港、海辺の倉庫、中華街…。
「……ぁ」
小さく息を呑む。葛原院のご当主と、その部下の方々が中華街を歩いているのが見えた。
向かっている方面を見るに、恐らくこちらに向かっているのだろう。
「……。」
場面を切り替え、牢屋に囚われている妹分の様子を見る。
床に倒れ、ビクビクと痙攣する身体。振り乱されて散らばる髪。武器を渡せば最後、異能が暴走するに違いない。
本来なら、頭領へ報告するべきだ。
あなたの獲物が向かってます、と。
しかし幸彦は、ただ黙って煙を吐いた。
(どうか…彼女を助けて…)
だらりと力なく横たわる身体を、彼は動かそうとはしなかった。
◇
カランカランと軽快になるドアベル。
中華街の奥の奥にある石造りの建物に、真誠は足を踏み入れた。
「行くぞ。」
短い一言に、司、霞、陽が続く。
突然の来客を出迎えたのは、顔に傷のある辮髪の男。
「なんだお前ら?ここがどこか分かってんだろうな、日本人無勢が!」
その男は、真誠に向けて腕を振り上げる。
「…。」
微動だにしない真誠。だが、男の拳は主人の前に躍り出た司の掌に受け止められた。
「なん…!?」
「あらやだ。手荒な歓迎だこと…!」
組手の要領で相手を投げ飛ばす。トドメに鳩尾を踏みつけてやれば、簡単にその男は伸びた。
様子を伺っていたその他構成員。
彼らはこちらの敵意を理解したらしい。一斉に攻撃を仕掛けてきた。
「正当防衛に抑えろ。」
「承知よ。」
「承知。」
「はーっい!」
司の組み手、霞の刀、陽の銃。
それぞれが呼吸をするように構成員たちをいなしていく。
沸き起こる怒号、悲鳴、衝撃音に銃声…。意にも介さず、真誠は迷いなく進んでいく。
全ては、奪われた最愛を取り戻すため。
◇
階段を登る。
聞き出した通り、2階は大きな広間になっていた。
進もうとする真誠。ふと漂った粘りつくような甘く焦げた匂い。
彼は足を引いた。彼の目の前に、ハラリと散る斬られた前髪。
「陽」
「はぁい!」
返事と同時に真誠の横をすり抜けるように発砲した。
何もない空間。だが、明らかにその弾は何かをかすった。
「おや…おかしいですネ。なぜ私がここにいると気づいたのですか。」
声が聞こえたかと思えば、空気が煙のように揺らめく。そして姿を現したのは、辮髪に糸目の男性。
陽が真誠の前に躍り出る。銃を構える彼女を、その男はニヤニヤと見下ろしていた。
「貴様が幻術士か。姿は消せても、アヘンの匂いまでは消せないらしいな。」
真誠の言葉に、幻術士はゆうゆうと頷き呟く。
「なるほど…ネ。」
そして彼は、まさに煙のようにゆらゆらと姿を消した。
「匂いで私の攻撃を見抜くとは、恐れ入りますネ。」
揺蕩う声。それはまるで部屋全体から聞こえるように、空間が煙に巻かれていく。
「けれど…、見えなければ銃を構えたところで無意味。匂いだけでは、正確な狙いなど定められません。…ネ?」
「キーーーー!!!!!」
地団駄を踏む陽。霞が後ろからいさめるが、彼女の苛立ちは最もだ。
「ここで終いですネ。葛原院…!」
見えない攻撃に、3人が身構える。だが攻略方法は、見つかっていない。
その時、階段を駆け上がる煩い足音が響いた。
「白虎!力を貸せ!!」
ハリのある声。
パン、と空気を震わす柏手。
「臨める兵、闘う者、皆、陣列れて前に在れ!!急々如律令!!」
「…!?ぐ、ぅ゙…!!」
瞬間、真誠たちにもハッキリと分かるほど空気が弾けた。
何もないはずの壁に走る衝撃。そこに姿を現す幻術士。
全員が振り返る。そこにいたのは、この場に来れるはずのない人物。
「晴明…!?」
「…ちゃんと名前で呼んだの何年ぶりだ?…真誠。」
壁に手をつき、真っ青な顔色に脂汗をかいた安倍晴明だった。
「お前ッ…なんで来た!!傷は!!」
怒鳴りながら駆け寄る真誠。死にかけてからまだ1週間も経っていない。
「あんのクソ父上が焼いて塞ぎやがった!!術で!!」
「………は?」
意味がわからない。
だが、晴明は真誠の肩に手をつき前に出る。その手は熱く、汗が酷い。
「よくも毒付き短刀で刺してくれやがったな幻術士とやら…!!」
恨み言を言いながら、司の静止も聞かずさらに前へ。
「おかげで!!毒を無理やり吐かされ、傷口燃やされ…!許嫁には泣かれるわ、母上と姉上からグチグチ言われるわ…」
開いた口がふさがらない伊津兄妹を押しのけ、最前線へ。
「たっっっっぷりお礼参りしないと気が済まないんだこっちはァ!!!!」
ジャラリと数珠が揺れ、剣印を組んだ指を刀のように幻術士へと突き付ける晴明だった。
「……死にかけの恨みがそれでいいのか?お前。」
真誠のぼやきは、頭に血がのぼった本人には聞こえていなかった。
ガララ…と塵屑を落としながら、ゆっくりと幻術士が立ち上がる。
「面白い…ネ。殺し損なったのは私の落ち度。まずは貴方からお相手しましょうネ。」
どこからともなく煙が上がる。再び姿を消すつもりなのだろう。
「…朱雀。」
晴明は四神を呼ぶ。すると突如、広間の奥の壁が音を立てて豪快に崩れた。
そこに現れたのは、地獄の入口のような暗い階段。
「…行け。俺が用があるのはコイツだけだ。」
肩で息をする晴明の背中。本来なら、立っているのもやっとのはず。
「…行くぞ。」
だが、真誠は短く答えた。晴明の横を揃ってすり抜け、階段へ向けて駆けていく。
ツンと、鼻の奥を指すような甘い焦げ匂いが漂った。
「烈波!!」
「ぐぅ…!!」
直後、晴明の声が響く。続くうめき声は、幻術士。カランと、真誠の背後に短刀が転がった。
姿を現し、幻術士は取り落とした武器を拾う。
「なぜ…!」
糸目を釣り上げ、呻く幻術士。
悪友とその部下が全員隠し階段へ姿を消したのを見届けて、晴明は口角を上げた。
「人間の目は誤魔化せても、四神から隠れられる訳がないだろう!!貴様の紛い物の幻術など、俺達の前では無意味!!」
「…!!」
長くゆっくり息を吐く。痛みを無視するように踏ん張り、晴明は声をあげた。
「この俺が!1000年続く陰陽師が大家、安倍家嫡男、安倍晴明!!伝説の陰陽師の御名の下、貴様に引導を渡してやる!!」
むせ返るような匂いの中、与えられたアヘンを吸う幸彦。
いつものように、彼は異能を使って外の景色を眺めていた。
生まれ育った富岡の街。製糸場は今日も賑やかだ。
家族で行った横浜の街。夏の海が港で輝いている。
そんな大事な思い出だけでなく、黒龍会に命じられて潜入した先々の様子も観察する。
山手の外国人居住区、横浜港、海辺の倉庫、中華街…。
「……ぁ」
小さく息を呑む。葛原院のご当主と、その部下の方々が中華街を歩いているのが見えた。
向かっている方面を見るに、恐らくこちらに向かっているのだろう。
「……。」
場面を切り替え、牢屋に囚われている妹分の様子を見る。
床に倒れ、ビクビクと痙攣する身体。振り乱されて散らばる髪。武器を渡せば最後、異能が暴走するに違いない。
本来なら、頭領へ報告するべきだ。
あなたの獲物が向かってます、と。
しかし幸彦は、ただ黙って煙を吐いた。
(どうか…彼女を助けて…)
だらりと力なく横たわる身体を、彼は動かそうとはしなかった。
◇
カランカランと軽快になるドアベル。
中華街の奥の奥にある石造りの建物に、真誠は足を踏み入れた。
「行くぞ。」
短い一言に、司、霞、陽が続く。
突然の来客を出迎えたのは、顔に傷のある辮髪の男。
「なんだお前ら?ここがどこか分かってんだろうな、日本人無勢が!」
その男は、真誠に向けて腕を振り上げる。
「…。」
微動だにしない真誠。だが、男の拳は主人の前に躍り出た司の掌に受け止められた。
「なん…!?」
「あらやだ。手荒な歓迎だこと…!」
組手の要領で相手を投げ飛ばす。トドメに鳩尾を踏みつけてやれば、簡単にその男は伸びた。
様子を伺っていたその他構成員。
彼らはこちらの敵意を理解したらしい。一斉に攻撃を仕掛けてきた。
「正当防衛に抑えろ。」
「承知よ。」
「承知。」
「はーっい!」
司の組み手、霞の刀、陽の銃。
それぞれが呼吸をするように構成員たちをいなしていく。
沸き起こる怒号、悲鳴、衝撃音に銃声…。意にも介さず、真誠は迷いなく進んでいく。
全ては、奪われた最愛を取り戻すため。
◇
階段を登る。
聞き出した通り、2階は大きな広間になっていた。
進もうとする真誠。ふと漂った粘りつくような甘く焦げた匂い。
彼は足を引いた。彼の目の前に、ハラリと散る斬られた前髪。
「陽」
「はぁい!」
返事と同時に真誠の横をすり抜けるように発砲した。
何もない空間。だが、明らかにその弾は何かをかすった。
「おや…おかしいですネ。なぜ私がここにいると気づいたのですか。」
声が聞こえたかと思えば、空気が煙のように揺らめく。そして姿を現したのは、辮髪に糸目の男性。
陽が真誠の前に躍り出る。銃を構える彼女を、その男はニヤニヤと見下ろしていた。
「貴様が幻術士か。姿は消せても、アヘンの匂いまでは消せないらしいな。」
真誠の言葉に、幻術士はゆうゆうと頷き呟く。
「なるほど…ネ。」
そして彼は、まさに煙のようにゆらゆらと姿を消した。
「匂いで私の攻撃を見抜くとは、恐れ入りますネ。」
揺蕩う声。それはまるで部屋全体から聞こえるように、空間が煙に巻かれていく。
「けれど…、見えなければ銃を構えたところで無意味。匂いだけでは、正確な狙いなど定められません。…ネ?」
「キーーーー!!!!!」
地団駄を踏む陽。霞が後ろからいさめるが、彼女の苛立ちは最もだ。
「ここで終いですネ。葛原院…!」
見えない攻撃に、3人が身構える。だが攻略方法は、見つかっていない。
その時、階段を駆け上がる煩い足音が響いた。
「白虎!力を貸せ!!」
ハリのある声。
パン、と空気を震わす柏手。
「臨める兵、闘う者、皆、陣列れて前に在れ!!急々如律令!!」
「…!?ぐ、ぅ゙…!!」
瞬間、真誠たちにもハッキリと分かるほど空気が弾けた。
何もないはずの壁に走る衝撃。そこに姿を現す幻術士。
全員が振り返る。そこにいたのは、この場に来れるはずのない人物。
「晴明…!?」
「…ちゃんと名前で呼んだの何年ぶりだ?…真誠。」
壁に手をつき、真っ青な顔色に脂汗をかいた安倍晴明だった。
「お前ッ…なんで来た!!傷は!!」
怒鳴りながら駆け寄る真誠。死にかけてからまだ1週間も経っていない。
「あんのクソ父上が焼いて塞ぎやがった!!術で!!」
「………は?」
意味がわからない。
だが、晴明は真誠の肩に手をつき前に出る。その手は熱く、汗が酷い。
「よくも毒付き短刀で刺してくれやがったな幻術士とやら…!!」
恨み言を言いながら、司の静止も聞かずさらに前へ。
「おかげで!!毒を無理やり吐かされ、傷口燃やされ…!許嫁には泣かれるわ、母上と姉上からグチグチ言われるわ…」
開いた口がふさがらない伊津兄妹を押しのけ、最前線へ。
「たっっっっぷりお礼参りしないと気が済まないんだこっちはァ!!!!」
ジャラリと数珠が揺れ、剣印を組んだ指を刀のように幻術士へと突き付ける晴明だった。
「……死にかけの恨みがそれでいいのか?お前。」
真誠のぼやきは、頭に血がのぼった本人には聞こえていなかった。
ガララ…と塵屑を落としながら、ゆっくりと幻術士が立ち上がる。
「面白い…ネ。殺し損なったのは私の落ち度。まずは貴方からお相手しましょうネ。」
どこからともなく煙が上がる。再び姿を消すつもりなのだろう。
「…朱雀。」
晴明は四神を呼ぶ。すると突如、広間の奥の壁が音を立てて豪快に崩れた。
そこに現れたのは、地獄の入口のような暗い階段。
「…行け。俺が用があるのはコイツだけだ。」
肩で息をする晴明の背中。本来なら、立っているのもやっとのはず。
「…行くぞ。」
だが、真誠は短く答えた。晴明の横を揃ってすり抜け、階段へ向けて駆けていく。
ツンと、鼻の奥を指すような甘い焦げ匂いが漂った。
「烈波!!」
「ぐぅ…!!」
直後、晴明の声が響く。続くうめき声は、幻術士。カランと、真誠の背後に短刀が転がった。
姿を現し、幻術士は取り落とした武器を拾う。
「なぜ…!」
糸目を釣り上げ、呻く幻術士。
悪友とその部下が全員隠し階段へ姿を消したのを見届けて、晴明は口角を上げた。
「人間の目は誤魔化せても、四神から隠れられる訳がないだろう!!貴様の紛い物の幻術など、俺達の前では無意味!!」
「…!!」
長くゆっくり息を吐く。痛みを無視するように踏ん張り、晴明は声をあげた。
「この俺が!1000年続く陰陽師が大家、安倍家嫡男、安倍晴明!!伝説の陰陽師の御名の下、貴様に引導を渡してやる!!」
