その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件

くゆりくゆりとたゆたう煙。
むせ返るような匂いの中、与えられたアヘンを吸う幸彦。

いつものように、彼は異能を使って外の景色を眺めていた。

生まれ育った富岡の街。製糸場は今日も賑やかだ。
家族で行った横浜の街。夏の海が港で輝いている。

そんな大事な思い出だけでなく、黒龍会に命じられて潜入した先々の様子も観察する。

山手の外国人居住区、横浜港、海辺の倉庫、中華街…。

「……ぁ」

小さく息を呑む。葛原院のご当主と、その部下の方々が中華街を歩いているのが見えた。
向かっている方面を見るに、恐らくこちらに向かっているのだろう。

「……。」

場面を切り替え、牢屋に囚われている妹分の様子を見る。
床に倒れ、ビクビクと痙攣する身体。振り乱されて散らばる髪。武器を渡せば最後、異能が暴走するに違いない。

本来なら、頭領(ボス)へ報告するべきだ。
あなたの獲物が向かってます、と。

しかし幸彦は、ただ黙って煙を吐いた。

(どうか…彼女を助けて…)

だらりと力なく横たわる身体を、彼は動かそうとはしなかった。



カランカランと軽快になるドアベル。
中華街の奥の奥にある石造りの建物に、真誠は足を踏み入れた。

「行くぞ。」

短い一言に、司、霞、陽が続く。

突然の来客を出迎えたのは、顔に傷のある辮髪の男。

「なんだお前ら?ここがどこか分かってんだろうな、日本人無勢が!」

その男は、真誠に向けて腕を振り上げる。

「…。」

微動だにしない真誠。だが、男の拳は主人の前に躍り出た司の掌に受け止められた。

「なん…!?」
「あらやだ。手荒な歓迎だこと…!」

組手の要領で相手を投げ飛ばす。トドメに鳩尾を踏みつけてやれば、簡単にその男は伸びた。

様子を伺っていたその他構成員。
彼らはこちらの敵意を理解したらしい。一斉に攻撃を仕掛けてきた。

「正当防衛に抑えろ。」
「承知よ。」
「承知。」
「はーっい!」

司の組み手、霞の刀、陽の銃。
それぞれが呼吸をするように構成員たちをいなしていく。

沸き起こる怒号、悲鳴、衝撃音に銃声…。意にも介さず、真誠は迷いなく進んでいく。

全ては、奪われた最愛を取り戻すため。



階段を登る。
聞き出した通り、2階は大きな広間になっていた。

進もうとする真誠。ふと漂った粘りつくような甘く焦げた匂い。

彼は足を引いた。彼の目の前に、ハラリと散る斬られた前髪。

「陽」
「はぁい!」

返事と同時に真誠の横をすり抜けるように発砲した。
何もない空間。だが、明らかにその弾は何かをかすった。

「おや…おかしいですネ。なぜ私がここにいると気づいたのですか。」

声が聞こえたかと思えば、空気が煙のように揺らめく。そして姿を現したのは、辮髪に糸目の男性。
陽が真誠の前に躍り出る。銃を構える彼女を、その男はニヤニヤと見下ろしていた。

「貴様が幻術士か。姿は消せても、アヘンの匂いまでは消せないらしいな。」

真誠の言葉に、幻術士はゆうゆうと頷き呟く。

「なるほど…ネ。」

そして彼は、まさに煙のようにゆらゆらと姿を消した。

「匂いで私の攻撃を見抜くとは、恐れ入りますネ。」

揺蕩う声。それはまるで部屋全体から聞こえるように、空間が煙に巻かれていく。

「けれど…、見えなければ銃を構えたところで無意味。匂いだけでは、正確な狙いなど定められません。…ネ?」
「キーーーー!!!!!」

地団駄を踏む陽。霞が後ろからいさめるが、彼女の苛立ちは最もだ。

「ここで終いですネ。葛原院…!」

見えない攻撃に、3人が身構える。だが攻略方法は、見つかっていない。

その時、階段を駆け上がる煩い足音が響いた。

「白虎!力を貸せ!!」

ハリのある声。
パン、と空気を震わす柏手。

「臨める兵、闘う者、皆、陣列れて前に在れ!!急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!!」
「…!?ぐ、ぅ゙…!!」

瞬間、真誠たちにもハッキリと分かるほど空気が弾けた。
何もないはずの壁に走る衝撃。そこに姿を現す幻術士。

全員が振り返る。そこにいたのは、この場に来れるはずのない人物。

晴明(はるあき)…!?」
「…ちゃんと名前で呼んだの何年ぶりだ?…真誠。」

壁に手をつき、真っ青な顔色に脂汗をかいた安倍晴明(あべ はるあき)だった。

「お前ッ…なんで来た!!傷は!!」

怒鳴りながら駆け寄る真誠。死にかけてからまだ1週間も経っていない。

「あんのクソ父上が焼いて塞ぎやがった!!術で!!」
「………は?」

意味がわからない。
だが、晴明は真誠の肩に手をつき前に出る。その手は熱く、汗が酷い。

「よくも毒付き短刀で刺してくれやがったな幻術士とやら…!!」

恨み言を言いながら、司の静止も聞かずさらに前へ。

「おかげで!!毒を無理やり吐かされ、傷口燃やされ…!許嫁(ことこ)には泣かれるわ、母上と姉上からグチグチ言われるわ…」

開いた口がふさがらない伊津兄妹を押しのけ、最前線へ。

「たっっっっぷりお礼参りしないと気が済まないんだこっちはァ!!!!」

ジャラリと数珠が揺れ、剣印を組んだ指を刀のように幻術士へと突き付ける晴明だった。

「……死にかけの恨みがそれでいいのか?お前。」

真誠のぼやきは、頭に血がのぼった本人には聞こえていなかった。

ガララ…と塵屑を落としながら、ゆっくりと幻術士が立ち上がる。

「面白い…ネ。殺し損なったのは私の落ち度。まずは貴方からお相手しましょうネ。」

どこからともなく煙が上がる。再び姿を消すつもりなのだろう。

「…朱雀。」

晴明は四神を呼ぶ。すると突如、広間の奥の壁が音を立てて豪快に崩れた。

そこに現れたのは、地獄の入口のような暗い階段。

「…行け。俺が用があるのはコイツだけだ。」

肩で息をする晴明の背中。本来なら、立っているのもやっとのはず。

「…行くぞ。」

だが、真誠は短く答えた。晴明の横を揃ってすり抜け、階段へ向けて駆けていく。

ツンと、鼻の奥を指すような甘い焦げ匂いが漂った。

「烈波!!」
「ぐぅ…!!」

直後、晴明の声が響く。続くうめき声は、幻術士。カランと、真誠の背後に短刀が転がった。

姿を現し、幻術士は取り落とした武器を拾う。

「なぜ…!」

糸目を釣り上げ、呻く幻術士。

悪友とその部下が全員隠し階段へ姿を消したのを見届けて、晴明は口角を上げた。

「人間の目は誤魔化せても、四神から隠れられる訳がないだろう!!貴様の紛い物の幻術など、俺達の前では無意味!!」
「…!!」

長くゆっくり息を吐く。痛みを無視するように踏ん張り、晴明は声をあげた。

「この俺が!1000年続く陰陽師が大家、安倍家嫡男、安倍晴明(あべ はるあき)!!伝説の陰陽師の御名(おんな)の下、貴様に引導を渡してやる!!」