その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件

じっくり、まるで見世物を楽しむように(ワン)は柵の向こうを眺める。

「あぁ…!!っ、は…んあ…」

聞こえる喘ぎ声に、笑いが漏れた。

牢の中に横たわり震えているのは、武器屋だ。
鎖に繋がれた彼女は濃度の濃いアヘンの煙を貪っていた。

性行為の100倍は気持ちいいらしい。その俗説通り、彼女は歓喜に身を震わせていた。恍惚と悦楽に浸る表情は、今まで見たどんな人間よりも滑稽で醜悪だ。

極度の禁断症状の直後の、最高濃度のアヘン。

暴徒を作ることくらい、王の手にかかれば簡単なことだった。



安倍邸に向かうのが、こんなに怖かったことはない。

あの後、結局司と霞が屋敷に来るまで、真誠はうまく動けなかった。
霞が真っ先に美雪の捜索を開始してくれて、司が晴明の元へ行けと背中を押してくれた。
そのおかげで、なんとか歩けている状態だった。

最悪の想定が頭の中を駆け巡る。
もし、その最悪が本当になっていたとしたら。

(……俺のせいで、)

その言葉が足枷のように心に響く。

(俺が、巻き込んだから……)

本来なら、晴明が報復を受けるようなことはなかったはずなのに。

だが足を動かしてさえいれば、無意識にでも彼の家に到着できていた。
伯爵家としては小ぶりな平屋。その門に伸ばすべき手が、動かせない。

しかしカタンと、門の方から開かれた。
開けてくれたのは、見覚えのある使用人。

「葛原院様ですね。どうぞ中へ。」
「ぇ…あ、あぁ…。」

導かれるままに、門の横で塩水で口をゆすぐ。そして、湯飲み一杯の塩水を飲まされた。
今まで、一度も言われたことがない。

(悪霊吸引器…)

何度か晴明(はるあき)から言われた軽口が頭に浮かぶ。
そんな自分が足を踏み入れていいのか、真誠は怖くなった。

邸宅の中を進む。
ピンと張り詰めた空気の中に、お香の香りが滲む。
微かに聞こえる声は、晴明の父による祈祷だろうか。

通い慣れたはずの悪友の部屋に、真誠は通される。だが、そこはまるで異空間だった。

部屋の中央にかかる御簾。そこにうっすら映る人影。どうやら、布団に横たわっているらしい。
僅かに漏れるうめき声だけが、晴明が生きている証拠だった。

「っ……!!……、」

言葉が、出なかった。
いつだって晴明は、ハリのある声と大きな態度でこちらに踏み込んできた。皮肉の応酬が、途絶えないはずなのに。

夜道で刺されて、外堀の中で発見されたという。
普通だったら、死んでいる。

「……お、まえ……は……。」

崩れ落ちるように、御簾の前に膝をつく。
畳に落ちている電報は、彼の許嫁からの速達だ。

安倍晴明(あべのせいめい)なんだろ……伝説の………。」

夜道気ヲツケタレ。たったそれだけの予知を指でなぞり、御簾の端に触れる。

呼吸が、うまくできなかった。

「ぅ……ぐ、ゴホッ」

御簾の奥で咳き込む音に、真誠は思わず顔を上げた。

「ゲホッ…!ぅ、おぇ……ガハッ、は…っ、う」
「ッ…!!」

慌てて御簾を上げる。案の定、死人のような顔色の晴明の口元に嘔吐物が溢れていた。

「おい…!!」

声をかけながら身体を起こし、口の中に指を突っ込む。
慣れてしまった手つきで吐瀉物を処理すれば、晴明のまぶたが微かに揺れた。

「は……」
「…?」
「は、る…、あ、き…だ…バカ、やろ…」
「……!!」

それは、何百回も繰り返した軽口。

「…今言うことか…?それは。」

泣き笑いのまま、真誠が絞り出せたのもそんな軽口だった。

咳き込み、呻く晴明の背をさすり水を飲ませる。酷い発熱だ。
傷に触らぬように彼を横たえたところで、部屋の入り口を覗き込む人影があった。

「お、ちゃんと吐けたね。よしよし。真誠くんもありがとねー。」
「おじ様…!!」

それは、晴明の父だ。安倍家当主の登場に、最低限の礼を取ろうとする真誠。だが、そんな真誠を軽くせいして、当主は息子のそばに腰かけた。

「まったく、薬物由来の異能にやられるなんてねー?」

そう言いながらペシペシと晴明の額を叩く当主。
顔色最悪の晴明に、うっすら青筋が浮かんでいる。

「悪ぅ…ございましたねぇ……くそ、父上…殿ぉ…!!」

そんな息子の悪態を聞き流し、当主は電報を手にとりながら続けた。

「彼女がわざわざ速達で予知を届けてくれたというのに…全く生かせず、みすみすやられるとは情けない。それでもうちの嫡男か?」
「う゛っ…!!る、さ……ぐ、あっ!!」

軽口のように手厳しい言葉を浴びせながら、当主は息子の傷口をつつき始めるではないか。
晴明の方も、悲鳴を滲ませながらも憎まれ口が絶えない。

これには、さすがの真誠も開いた口がふさがらなかった。

「そういう訳だから、真誠くん。」
「!?は、はい。」

急に名を呼ばれ、居住まいを正す。
だが安倍家当主は、穏やかに笑って告げた。

「うちの愚息は大丈夫だから、君の大事の元へ行ってあげなさい。」
「え……!?」

驚きを隠せない。そんな真誠の頭を撫で、晴明の父は言う。

「ふむ…失せ物の相がでてるね。大きな流れに乗れば、道が拓けるよ。」
「……!!」
晴明(はるあき)なら大丈夫だから。」

ぽむぽむと、大きな手が頭上で跳ねる。柴犬のような垂れ目に宿る黒曜石に、何度助けられたことか。

確かめるように、悪友を見る。
横たわる晴明は、まるで真誠を追い返すようにしっしと手を振った。

呼吸を整え、真誠は改めて不格好ながらに頭を垂れた。

「ご助言、痛み入ります…!!」
「うんうん。頑張ってね。」

もしも父が生きていたら、こんな感じだったのだろうか。

そんな温かさを胸に宿して、真誠は安倍邸を後にした。



ガタンゴトンと、列車が揺れる。
憎らしいほどの青空を真誠は窓越しに眺めた。

列車が初めてだと目を輝かせていた美雪を、簡単に思い出せる。
けれど桜の花びらどころか、緑に茂った葉が1枚向かいの席に残るだけ。

(大きな流れに乗れば、道は拓ける…)

晴明の父、恐らく今現在で最強の陰陽師に告げられた言葉を反復する真誠。
この言葉に、美雪を助けるヒントがある。

滝のように過ぎる景色。
ふと、目に入ったのは日の丸だった。

(…大きな流れは…、国の流れ…?)

浮かんだ思いのままに、ここ最近の政治を振り返る。

金本位制の確立は、列強と同じ土俵に立つための制度だ。
けれど、台湾の統治はまだ不安定。
三国干渉を受けて、唯一獲得した海外領土だというのに…。

そんな考え事をしていると、いつの間にか神奈川を越え、横浜まで目と鼻の先になっていた。
煉瓦造の建物が増える。異国情緒漂う町並み。
真誠の目にとまったのは、青と赤と白の十字が重なった国旗だった。

ユニオンジャック。

「…!」

ダレていた身を起こす。一気に広がった仮説は、裏さえ取れれば確実に武器になるものだ。

地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸。
それを掴んでからは、もう登るだけだった。



暑さが本格的になってきた、とある朝。
五摂家や外交官筋、軍部の人物との会食を重ねた真誠。
美雪の居場所の目星はもちろんつけている。

決戦前、最後のアポはこの会長室でだった。

「し、失礼します…!」

ノックと共に、ゆっくりと扉が開く。
緊張した面持ちで現れたのは、水村幸人だ。

「……やぁ。よく来たな。」
「は、はぁ…。あの、まこちゃ…」
「ん?」
「会長様ッッッ…!き、今日はなぜこんな早朝に…?」

ふざけた呼び名を黙らせて、真誠は悠々と椅子に腰掛ける。
そして引き出しからとある紙束を出すと、机の上に無造作にそれを置いた。

「これは、お前の弟を誘拐した奴らの全貌だ。」
「……えっ……!?」

真誠の言葉に、幸人の目の色が変わる。
それもそのはず。約二十年探し続けたものが、目の前にあるのだから。

革張りの肘掛けに頬杖をつき、真誠は言い放つ。

「その書類の冒頭にある筋書き。貴様が一字一句その通りに行動すると誓うのなら、全て貴様にくれてやる。」
「……!?」

驚愕に揺れる瞳。ゴクリと唾を飲む小さな音さえ耳に入った。

即答しない慎重さに、真誠の唇が弧を描く。
見込み通り、仕事のできる男だ。

「会長…様、その筋書きを、事前に確認することは…」
「無しだ。」
「そんなぁ…!」

伺う言葉を一刀両断する。幸人は、明らかに怯んだ。

それを見逃さず、真誠は書類に手を伸ばしながら重い口を開く。

「…その程度なら…弟の件も、ここまでだな。」
「っ…!!」

その瞬間、駆け出す幸人。
彼の手は叩きつけられるように、真誠の手に重なった。

「従います!!筋書きに、一字一句…!!」
「……。」

交渉成立。
真誠はゆっくりと、書類から手を離した。

「ならさっさとそれをもって失せろ。この演目に、無駄な間はないぞ?」
「…!!」

慌てたように、幸人は鞄へ書類を詰め込む。そしてバタバタと、会長室の扉へ。

「…しっかりやれば、ちょっとは贔屓にしてやる。」

チラつかせたご褒美に、去り際の幸人は確かに頷いたのだった。