時刻は、20:00。
あまりにも何時もの日常過ぎて、葛の葉商会の本社で待機している実行部隊の面々は、呑気に食事を始めようとしていた。
だが、そこへけたたましく鳴る来客ベルの音。
それだけで、空気が張り詰めた。
「あ、あの、会長っ…!!司社長っ…!!」
血相を変えて駆け込んで来たのは、商会のイチ社員だ。真誠の指示で、今日は休日になっているはずの者。
「どうした。」
直ぐに対応にあたる霞。
普段接しない強面に一瞬怯んだが、彼は縋るように話し出した。
「海辺の倉庫で、人が沢山暴れてます!保管してた荷物を海に投げ捨てて…!しかもなんか、人間技じゃないような…燃えたりして!!」
「…!?」
「い、いま、警察が向かってるのを見ました!もう、どうしたらいいのか…!!」
霞は舌打ちがしたい気分だった。
社員の言葉から、恐らく暴れているのはアヘンによる暴徒だ。
(倉庫に…!?暴徒は統制が利かないと、組長は可能性を切ってらっしゃったが…!)
そう思う一瞬のなか、以前晴明が報告していた件が霞の脳裏をよぎる。
もし、緩やかに増えている行方不明者というのが、このための戦力増強だとしたら。
敵はどれだけ、人的被害を厭わないのか。
「…わかった。こちらで会長に連絡する。自身の身の安全を最優先にしてくれ。」
「わ、わかりました…!」
努めて冷静に答える霞。
その迫力に気圧されて、社員は会社を後にした
彼がある程度距離をとったのを確認して、霞は部下たちに指示を飛ばす。
「聞いてたな?暴徒の鎮圧、積み荷の損壊防止が優先!最悪殺しても構わん、警察には俺が対応する。行くぞ!」
その短く簡潔な言葉で、男たちはみな動き出した。
◇
20:30の、山手の丘の上。
ヒュルルルルル、パン…!
向こうの空にあがった小さな黄色い花火。気づいたパーティー参加者たちは、粋な演出だと喜んでいる。
しかし、司と美雪は互いに顔を見合わせた。
その光は花火ではない。こちらの想定外が起きた際に、霞が飛ばす狼煙だ。
「…倉庫の方ね。市街地よりは、戦いやすいけれど…。」
空を睨む司の瞳が冷たい。柔らかい声の中に潜む冷酷さに、美雪は小さく息を呑んだ。
太ももに括り付けている短刀に、スカートごしにそっと触れる美雪。
ワンピースに仕込んだ切り込みから、いつでも武器をとれる。
実動部隊の役に立ちたいと、あの雨上がりの夜に真誠に話してある。
彼の大木のような瞳が揺れ、伏せられ、「考えさせてくれ。」と、囁かれただけだった。
今、美雪がするべき事は、「会長夫人」としてこの場を乗り切ること。そして、自身を狙ってくるかもしれない幻術士に気づくこと。
ドレス越しに触れた、短刀の冷たさ。いつでも殺せることを確認して、美雪は顔を上げた。
(大丈夫…。異能者の纏うアヘンの匂いは、嫌でも覚えてる。)
自身にもこびりついている悪臭。それを鼻の奥に感じながら、美雪はゆっくりとパーティーに溶け込み直した。
◇
21:00、東京にて。
つまらない社交会の中で、王にとって葛原院の噂話は唯一の娯楽だった。
なんの前触れもなく結婚した妻のことは、ちょっとつつけば簡単に溢れてきた。
出自不明だとか、あの男が隠れて囲っていただとか、誘拐してきただとか。
渦中の女が今日は侯爵のそばに居ないことも、言い放題に拍車がかかっていた。
他の女と踊る彼の様子は、今までと変わりないらしい。
そこにちょっと、王は香辛料を振るう。
「…ご存じか?」
カランと、ウィスキーに浸かる氷が揺れた。
「葛原院侯爵殿のご夫人はアヘンを大変好んでいるらしい。彼女の部屋の様子は、まるで清の阿片窟…。」
たった一匙のこのスパイスで、日本の貴族たちは鼠を見るような視線をあの男に注ぐ。
(横浜では今頃、暴徒共が奴らの倉庫で暴れてる。阿片の密売容疑をでっち上げるくらい、簡単だ。)
ほくそ笑む王。喉を潤す蒸留酒が彼の体温を上げた。
視界に映る澄まし顔の邪魔者が、遺体になる。
王の目の奥に、その姿はハッキリと映っていた。
◇
一方その頃の麹町。葛原院邸にて。
庭の垣根を軽々と越えた爆弾魔。
彼女の姿が窓に映る。幻術士の異能が生きていればあり得ないその変化に、彼女は気づかない。
悠々と庭を横切る。祝賀会帰りのこの屋敷の当主を、直接爆破するのが彼女の仕事。
「キヒヒ…やぁっと殺せるなぁ…!く、ず、は、ら、い、ん…!」
既に二度、煮え湯を飲まされてる相手。
山手の屋敷を春先に襲った時には安否不明にまで追い込んだが、遺体はなし。
2カ月前の表向きの自陣爆破では、この男はいなかった。
漸く殺せる。その高揚感はアヘンと混じり、最高の多幸感を彼女にもたらしていた。
屋敷ごと爆破してやりたいが、それでは標的が祝賀会から帰ってこない。
待ち伏せをするため、爆弾魔は洋館へ侵入した。
その瞬間、空気が変わった。
「ぐぎ…!!い…!!!」
突如襲い来る、立てないほどの謎の圧力。
床に叩き伏せられ、肺が圧迫される。
息が、吐けない。最も近くにある物質さえ、爆弾に変えられない。
「な……ん、だ……ごれ゛え……!!!」
一見、何の仕掛けもない。
だが微かに聞こえた数珠が揺れる音に、彼女はハッと顔を上げた。
「漸くお出ましか、爆弾魔!!」
ハリのある声が屋敷に響く。
バサバサと風もなくたなびく真っ白な狩衣。龍のように細く長い黒髪が揺れ、剣印を組む指に絡む数珠が光る。
その姿はまるで、伝説の陰陽師・安倍晴明。
目の前にいる人物を、爆弾魔は信じられなかった。
しかも狩衣姿の後ろに控えている冷たい影は、彼女がずっと殺したかった男。
「あ゛んだら…!!なんで…!!」
2人とも、祝賀会の会場に入るのをこの目で見た。
「貴様らが見てたのは俺の式神だ!!白虎が葛原院、青龍が俺の姿を模してるんだよ!!疲れることやらせやがって…!!」
「…ハァァァ!?!」
そんな手があるなんて、聞いてない。爆弾魔は叫ぶ。だが謎の圧力に押しつぶされて、火花すらでない。
「薬物依存の異能など、所詮は紛い物!純粋な霊気の力を用いる陰陽術の方が、優位!!」
「ぎい…!!」
爆弾魔は手を伸ばす。散々取り逃がした男に向けて。あの首に食らいつき、吐息を吹きかけてやれば、簡単に爆発させられる。
しかし、呼吸が出来ない程の圧力に、指一本動かせない。
すう、と死刑宣告の前触れのように陰陽師が息を吸う。
なぜこんなことになっているのか、彼女は何も分からないというのに。
「オン アミリタ テイセイ カラ ウン、四神・玄武の名の下に下す!!」
黒曜石のような瞳の男が放つ呪文。それに呼応するように、ズシンと重くなる身体。
「臨める兵、闘う者、皆、陣破れて前に在れ!!急急如律令…!!」
「ぎゃあああああ…!!!」
黒い洪水に溺れるような感覚。それは爆弾魔の身体から熱気を剥がし、激痛を与え、多幸感を奪い去る。
彼女の悲鳴が止んだ時、屋敷のなかは静かで澄み切った空気に満たされていた。
「………」
相手が意識を失ったのを確認して、ゆっくりと剣印を下ろす晴明。
「っあーーーーーしんど……!!」
ジャラ、と数珠を揺らしながら、彼は両手を膝につくのだった。
その背後から鳴る、パチパチパチという気の抜けた拍手。
「…お前、本当に陰陽師なんだなー。」
完全に他人事な真誠の感想に、晴明は血管が切れそうだった。
「この二十年弱、俺のこと何だと思ってたんだ貴様は!!」
「んー………………」
「何とか言わんか!!というか!!本当に何もしてないなこの零戦力め!!」
「仕方ないだろう、俺は戦えないんだから。お前だって知ってるだろうが。」
「あーあーあー、知ってますとも!!」
いつもの軽口。晴明の前を真誠は通過すると、手際よく爆弾魔を縛り始めた。
爆弾魔が仕込んでいた武器をポイポイ捨てながら、真誠は尋ねる。
「俺には何も見えなかったんだが、結局何がどうなったんだ?何だったんだ、あの悲鳴。」
ふー…と息を吐いて壁に寄りかかりながら、晴明はそれに答えた。
「屋敷の外側に結界を張ってある。まずそれで敵の侵入を感知した。」
「あぁ…お前急に動き出したもんな。」
「幻術士だったか?姿消せるんだろ。感知も兼ねて、その異能を結界の中でだけ無効にした。」
「へー…。」
便利だな。そう真誠は思うが、縛りながら見上げる晴明は汗を拭っていた。顔色も悪い。
そのまま、彼の解説は続く。
「で、この女が室内に入ったところで霊圧をぶつけて動きを封じた。」
「れいあつ…?」
「あー……見えない大岩で物理的に押しつぶしたとでも言えばいいか?」
「…なるほど。だから爆弾魔が急にぺしゃんこになったのか。」
縄の強度を確認して、真誠は立ち上がる。
仕上げと言うように懐から御札を出した晴明。何かを札に向けて呟くと、彼はペシンと爆弾魔の口にその札を貼り付けた。
「最後に玄武の力を借りて、コイツの異能を封じ込めた。分かってると思うが一時的だからな?」
こちらを向いた晴明の言葉に、真誠は思案する。
思い出すのは、美雪がしていた腕輪の爆弾を彼が外したときの言葉。
「…1分か?」
「ここまでやってそんな短時間な訳ないだろ!!大体1日だ!!屋敷に張った結界が解けるまでは保つ。」
「ふーん…。」
力の差異は真誠にはさっぱり分からない。だが、それだけ時間があれば充分だった。
「明日の夜にここが爆発なんてしたらブチギレるからな!!」
「わかった、わかった。」
ふと、喚いていた晴明の視線が空中に移った。何もないところへ話しかけている。
真誠の目には見えないが、玄武とやらがいるのだろう。
額に滲む汗が、初めて見る彼の本気を伺わせた。
(…これも修行だと、朱雀とやらに丸め込まれて引き受けるんだから、コイツも大概人が良すぎるよな…。)
長年の悪友の姿に、ため息混じりの笑みが溢れる。許嫁と彼の仲くらい取り持ってやろうと、真誠は1度だけ会ったことのある女性の顔を思い浮かべていた。
「おい。」
「ん?」
使用人が爆弾魔を連れて行くのを見届けていると、晴明が硬い声で呼びかけてきた。
「白虎が言うには、王は美雪殿のアヘン吸引を噂立てしてるらしい。それと、情報屋とやらは貴様の読み通り王のそばにいる、と。」
「…そうか。」
「それから、横浜の貴様の倉庫周辺でアヘンの暴徒共が暴れてる。朱雀からの情報だ。」
「…そうきたかぁ…。」
夜闇を睨む真誠。今の話から、王の目的が透けて見える。 こちらにアヘン所持や密売をふっかけ、社会的に殺そうとしているのだろう。
(…霞は警察と繋がりがある。横浜は情報操作可能。社交界はまあ…。噂に踊らされるのはどうせ下級貴族だから、上から火消しをすれば問題ないだろう。)
盤面を整えて、真誠は悪友に尋ねた。
「…美雪は?」
「無事パーティーを終えたらしい。禅杖殿と共に、現場の援護に向かってる。到着する頃には荒事は落ち着いてる頃合いだと。」
サラリと遠方の様子を答えられる頼もしさたるや。
干し桃を噛じる晴明。彼の能力に、真誠は脱帽だった。
◇
駆けつけた倉庫で美雪が見たのは、彼女にとって地獄絵図だった。
葛原組の面々や、警察に捕縛されていく人々。
目は窪み、痙攣する生気のない腕。
獣のように暴れる彼らは、口々に叫んでいた。
クスリをくれ
アヘンを寄越せ
欲しい、欲しい
あの気持ちよさを返してくれ
潮風にこびりついている甘ったるさ。
焦げ臭くて、薬臭さが鼻の奥に張り付いてくる。
「ッ…!!」
思わず鼻を覆う美雪。だが、その匂いは彼女の前から消えない。
「…ぁ…。」
それも当然だ。同じ匂いが、美雪自身の手からするのだから。
ゆっくり、手を離す。
小刻みに震える手が、彼女の目に映る。
汗と共に吹き出す、アヘンへの渇望。
連れて行かれる、痩せこけた男性と目があった。
虚ろなその瞳が美雪に突きつけてくる。
お前も同じだ、と。
あまりにも何時もの日常過ぎて、葛の葉商会の本社で待機している実行部隊の面々は、呑気に食事を始めようとしていた。
だが、そこへけたたましく鳴る来客ベルの音。
それだけで、空気が張り詰めた。
「あ、あの、会長っ…!!司社長っ…!!」
血相を変えて駆け込んで来たのは、商会のイチ社員だ。真誠の指示で、今日は休日になっているはずの者。
「どうした。」
直ぐに対応にあたる霞。
普段接しない強面に一瞬怯んだが、彼は縋るように話し出した。
「海辺の倉庫で、人が沢山暴れてます!保管してた荷物を海に投げ捨てて…!しかもなんか、人間技じゃないような…燃えたりして!!」
「…!?」
「い、いま、警察が向かってるのを見ました!もう、どうしたらいいのか…!!」
霞は舌打ちがしたい気分だった。
社員の言葉から、恐らく暴れているのはアヘンによる暴徒だ。
(倉庫に…!?暴徒は統制が利かないと、組長は可能性を切ってらっしゃったが…!)
そう思う一瞬のなか、以前晴明が報告していた件が霞の脳裏をよぎる。
もし、緩やかに増えている行方不明者というのが、このための戦力増強だとしたら。
敵はどれだけ、人的被害を厭わないのか。
「…わかった。こちらで会長に連絡する。自身の身の安全を最優先にしてくれ。」
「わ、わかりました…!」
努めて冷静に答える霞。
その迫力に気圧されて、社員は会社を後にした
彼がある程度距離をとったのを確認して、霞は部下たちに指示を飛ばす。
「聞いてたな?暴徒の鎮圧、積み荷の損壊防止が優先!最悪殺しても構わん、警察には俺が対応する。行くぞ!」
その短く簡潔な言葉で、男たちはみな動き出した。
◇
20:30の、山手の丘の上。
ヒュルルルルル、パン…!
向こうの空にあがった小さな黄色い花火。気づいたパーティー参加者たちは、粋な演出だと喜んでいる。
しかし、司と美雪は互いに顔を見合わせた。
その光は花火ではない。こちらの想定外が起きた際に、霞が飛ばす狼煙だ。
「…倉庫の方ね。市街地よりは、戦いやすいけれど…。」
空を睨む司の瞳が冷たい。柔らかい声の中に潜む冷酷さに、美雪は小さく息を呑んだ。
太ももに括り付けている短刀に、スカートごしにそっと触れる美雪。
ワンピースに仕込んだ切り込みから、いつでも武器をとれる。
実動部隊の役に立ちたいと、あの雨上がりの夜に真誠に話してある。
彼の大木のような瞳が揺れ、伏せられ、「考えさせてくれ。」と、囁かれただけだった。
今、美雪がするべき事は、「会長夫人」としてこの場を乗り切ること。そして、自身を狙ってくるかもしれない幻術士に気づくこと。
ドレス越しに触れた、短刀の冷たさ。いつでも殺せることを確認して、美雪は顔を上げた。
(大丈夫…。異能者の纏うアヘンの匂いは、嫌でも覚えてる。)
自身にもこびりついている悪臭。それを鼻の奥に感じながら、美雪はゆっくりとパーティーに溶け込み直した。
◇
21:00、東京にて。
つまらない社交会の中で、王にとって葛原院の噂話は唯一の娯楽だった。
なんの前触れもなく結婚した妻のことは、ちょっとつつけば簡単に溢れてきた。
出自不明だとか、あの男が隠れて囲っていただとか、誘拐してきただとか。
渦中の女が今日は侯爵のそばに居ないことも、言い放題に拍車がかかっていた。
他の女と踊る彼の様子は、今までと変わりないらしい。
そこにちょっと、王は香辛料を振るう。
「…ご存じか?」
カランと、ウィスキーに浸かる氷が揺れた。
「葛原院侯爵殿のご夫人はアヘンを大変好んでいるらしい。彼女の部屋の様子は、まるで清の阿片窟…。」
たった一匙のこのスパイスで、日本の貴族たちは鼠を見るような視線をあの男に注ぐ。
(横浜では今頃、暴徒共が奴らの倉庫で暴れてる。阿片の密売容疑をでっち上げるくらい、簡単だ。)
ほくそ笑む王。喉を潤す蒸留酒が彼の体温を上げた。
視界に映る澄まし顔の邪魔者が、遺体になる。
王の目の奥に、その姿はハッキリと映っていた。
◇
一方その頃の麹町。葛原院邸にて。
庭の垣根を軽々と越えた爆弾魔。
彼女の姿が窓に映る。幻術士の異能が生きていればあり得ないその変化に、彼女は気づかない。
悠々と庭を横切る。祝賀会帰りのこの屋敷の当主を、直接爆破するのが彼女の仕事。
「キヒヒ…やぁっと殺せるなぁ…!く、ず、は、ら、い、ん…!」
既に二度、煮え湯を飲まされてる相手。
山手の屋敷を春先に襲った時には安否不明にまで追い込んだが、遺体はなし。
2カ月前の表向きの自陣爆破では、この男はいなかった。
漸く殺せる。その高揚感はアヘンと混じり、最高の多幸感を彼女にもたらしていた。
屋敷ごと爆破してやりたいが、それでは標的が祝賀会から帰ってこない。
待ち伏せをするため、爆弾魔は洋館へ侵入した。
その瞬間、空気が変わった。
「ぐぎ…!!い…!!!」
突如襲い来る、立てないほどの謎の圧力。
床に叩き伏せられ、肺が圧迫される。
息が、吐けない。最も近くにある物質さえ、爆弾に変えられない。
「な……ん、だ……ごれ゛え……!!!」
一見、何の仕掛けもない。
だが微かに聞こえた数珠が揺れる音に、彼女はハッと顔を上げた。
「漸くお出ましか、爆弾魔!!」
ハリのある声が屋敷に響く。
バサバサと風もなくたなびく真っ白な狩衣。龍のように細く長い黒髪が揺れ、剣印を組む指に絡む数珠が光る。
その姿はまるで、伝説の陰陽師・安倍晴明。
目の前にいる人物を、爆弾魔は信じられなかった。
しかも狩衣姿の後ろに控えている冷たい影は、彼女がずっと殺したかった男。
「あ゛んだら…!!なんで…!!」
2人とも、祝賀会の会場に入るのをこの目で見た。
「貴様らが見てたのは俺の式神だ!!白虎が葛原院、青龍が俺の姿を模してるんだよ!!疲れることやらせやがって…!!」
「…ハァァァ!?!」
そんな手があるなんて、聞いてない。爆弾魔は叫ぶ。だが謎の圧力に押しつぶされて、火花すらでない。
「薬物依存の異能など、所詮は紛い物!純粋な霊気の力を用いる陰陽術の方が、優位!!」
「ぎい…!!」
爆弾魔は手を伸ばす。散々取り逃がした男に向けて。あの首に食らいつき、吐息を吹きかけてやれば、簡単に爆発させられる。
しかし、呼吸が出来ない程の圧力に、指一本動かせない。
すう、と死刑宣告の前触れのように陰陽師が息を吸う。
なぜこんなことになっているのか、彼女は何も分からないというのに。
「オン アミリタ テイセイ カラ ウン、四神・玄武の名の下に下す!!」
黒曜石のような瞳の男が放つ呪文。それに呼応するように、ズシンと重くなる身体。
「臨める兵、闘う者、皆、陣破れて前に在れ!!急急如律令…!!」
「ぎゃあああああ…!!!」
黒い洪水に溺れるような感覚。それは爆弾魔の身体から熱気を剥がし、激痛を与え、多幸感を奪い去る。
彼女の悲鳴が止んだ時、屋敷のなかは静かで澄み切った空気に満たされていた。
「………」
相手が意識を失ったのを確認して、ゆっくりと剣印を下ろす晴明。
「っあーーーーーしんど……!!」
ジャラ、と数珠を揺らしながら、彼は両手を膝につくのだった。
その背後から鳴る、パチパチパチという気の抜けた拍手。
「…お前、本当に陰陽師なんだなー。」
完全に他人事な真誠の感想に、晴明は血管が切れそうだった。
「この二十年弱、俺のこと何だと思ってたんだ貴様は!!」
「んー………………」
「何とか言わんか!!というか!!本当に何もしてないなこの零戦力め!!」
「仕方ないだろう、俺は戦えないんだから。お前だって知ってるだろうが。」
「あーあーあー、知ってますとも!!」
いつもの軽口。晴明の前を真誠は通過すると、手際よく爆弾魔を縛り始めた。
爆弾魔が仕込んでいた武器をポイポイ捨てながら、真誠は尋ねる。
「俺には何も見えなかったんだが、結局何がどうなったんだ?何だったんだ、あの悲鳴。」
ふー…と息を吐いて壁に寄りかかりながら、晴明はそれに答えた。
「屋敷の外側に結界を張ってある。まずそれで敵の侵入を感知した。」
「あぁ…お前急に動き出したもんな。」
「幻術士だったか?姿消せるんだろ。感知も兼ねて、その異能を結界の中でだけ無効にした。」
「へー…。」
便利だな。そう真誠は思うが、縛りながら見上げる晴明は汗を拭っていた。顔色も悪い。
そのまま、彼の解説は続く。
「で、この女が室内に入ったところで霊圧をぶつけて動きを封じた。」
「れいあつ…?」
「あー……見えない大岩で物理的に押しつぶしたとでも言えばいいか?」
「…なるほど。だから爆弾魔が急にぺしゃんこになったのか。」
縄の強度を確認して、真誠は立ち上がる。
仕上げと言うように懐から御札を出した晴明。何かを札に向けて呟くと、彼はペシンと爆弾魔の口にその札を貼り付けた。
「最後に玄武の力を借りて、コイツの異能を封じ込めた。分かってると思うが一時的だからな?」
こちらを向いた晴明の言葉に、真誠は思案する。
思い出すのは、美雪がしていた腕輪の爆弾を彼が外したときの言葉。
「…1分か?」
「ここまでやってそんな短時間な訳ないだろ!!大体1日だ!!屋敷に張った結界が解けるまでは保つ。」
「ふーん…。」
力の差異は真誠にはさっぱり分からない。だが、それだけ時間があれば充分だった。
「明日の夜にここが爆発なんてしたらブチギレるからな!!」
「わかった、わかった。」
ふと、喚いていた晴明の視線が空中に移った。何もないところへ話しかけている。
真誠の目には見えないが、玄武とやらがいるのだろう。
額に滲む汗が、初めて見る彼の本気を伺わせた。
(…これも修行だと、朱雀とやらに丸め込まれて引き受けるんだから、コイツも大概人が良すぎるよな…。)
長年の悪友の姿に、ため息混じりの笑みが溢れる。許嫁と彼の仲くらい取り持ってやろうと、真誠は1度だけ会ったことのある女性の顔を思い浮かべていた。
「おい。」
「ん?」
使用人が爆弾魔を連れて行くのを見届けていると、晴明が硬い声で呼びかけてきた。
「白虎が言うには、王は美雪殿のアヘン吸引を噂立てしてるらしい。それと、情報屋とやらは貴様の読み通り王のそばにいる、と。」
「…そうか。」
「それから、横浜の貴様の倉庫周辺でアヘンの暴徒共が暴れてる。朱雀からの情報だ。」
「…そうきたかぁ…。」
夜闇を睨む真誠。今の話から、王の目的が透けて見える。 こちらにアヘン所持や密売をふっかけ、社会的に殺そうとしているのだろう。
(…霞は警察と繋がりがある。横浜は情報操作可能。社交界はまあ…。噂に踊らされるのはどうせ下級貴族だから、上から火消しをすれば問題ないだろう。)
盤面を整えて、真誠は悪友に尋ねた。
「…美雪は?」
「無事パーティーを終えたらしい。禅杖殿と共に、現場の援護に向かってる。到着する頃には荒事は落ち着いてる頃合いだと。」
サラリと遠方の様子を答えられる頼もしさたるや。
干し桃を噛じる晴明。彼の能力に、真誠は脱帽だった。
◇
駆けつけた倉庫で美雪が見たのは、彼女にとって地獄絵図だった。
葛原組の面々や、警察に捕縛されていく人々。
目は窪み、痙攣する生気のない腕。
獣のように暴れる彼らは、口々に叫んでいた。
クスリをくれ
アヘンを寄越せ
欲しい、欲しい
あの気持ちよさを返してくれ
潮風にこびりついている甘ったるさ。
焦げ臭くて、薬臭さが鼻の奥に張り付いてくる。
「ッ…!!」
思わず鼻を覆う美雪。だが、その匂いは彼女の前から消えない。
「…ぁ…。」
それも当然だ。同じ匂いが、美雪自身の手からするのだから。
ゆっくり、手を離す。
小刻みに震える手が、彼女の目に映る。
汗と共に吹き出す、アヘンへの渇望。
連れて行かれる、痩せこけた男性と目があった。
虚ろなその瞳が美雪に突きつけてくる。
お前も同じだ、と。
