その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件

薄暗い曇天が続く日々。新聞の中には梅雨入りの文字が躍っていた。

そんなある日、真誠は東京の自宅で沈んでいた。

「あの…大丈夫ですか…?」
「んー…」

書斎の椅子に真誠は座ったまま、美雪を抱きしめて離さない。
机の上には横浜から持ち帰った仕事の書類と、何やら中国語まみれの調書と、郵便物の束。
やることがあるのは明らか。だが美雪が書斎に来てから、真誠がこの位置から動く気配がない。

今朝の司の笑顔が美雪の脳裏によぎる。

「この時期って仕事も増えるのに古傷も痛むし義足も辛いみたいで、真誠様ったら無理しがちなのよ〜。今日無理やり帰らせるから、ちょっと癒してあげて頂戴ね!奥様!」

と、彼は目元にクマを作りながら笑顔で言って、屋敷を出ていった。

そんなことを言われていては、さすがに美雪からこの状況を打破はできない。

ぎゅっと抱きしめられ、胸元に微かにかかる吐息。
普段見ることの出来ないつむじが、彼の呼吸に合わせて上下する。
寝顔のように閉じた瞳。あどけない表情は、なんだか幼く見えた。

「…真誠さん…」
「…ん?」

胸元で身じろぎされ、何だかムズムズする。加えて、珍しい真誠の上目遣いは、気だるさも含んだ色気に満ちていて。
心臓が跳ねて仕方がない。人前での彼を以前より知ったからこそ、こんな姿を見れるのは自分だけだという優越感が心で疼く。

「えっと…その…」
「…?」

ぎゅ、と彼の背に美雪も手を回す。

「お…お疲れ様です…?」
「…。…ん。」

なんて言ったらいいか分からないまま声をかけたが、正解だったらしい。
満足げに目を閉じる真誠。まるで美雪の心音を聞こうとするように、さらに抱きしめられてしまった。

とりあえずそのままにしておく美雪。
だが微かに聞こえた音に扉の方を見ると、僅かに開いた隙間から覗く陽と目があってしまった。

「ひ…!!な、さ…!!」
「あっ、やべっ。」
「あの…!!」

パタン、と閉じられる扉。外からは何やら話し声が聞こえてくる。

「今入ったらお邪魔だから、今度にした方がいいかもー。」
「…美雪殿とか?」
「そうー!」

陽の話し相手は、晴明(はるあき)だ。
美雪も、慌てて真誠の肩を揺すった。

「ま、真誠さん。あの、晴明さんいらしてますよ…!」
「………。」

だというのに、余計に強くなる真誠の抱擁。

「真誠さん…!!」

美雪は抜け出そうと身じろぐが、流石に男女の力量差は大きな壁だ。

扉の向こうから聞こえてくる、遠慮の欠片もない声。

「…かまわん。アイツがいるうちに話しておきたい。」

その言葉と同時に、晴明が豪快に扉を開けた。

「もうそのままで良いから話だけ聞いてろ、この嫁馬鹿が。」

カツカツと革靴が床板を叩く。何事もないかのように話す晴明だが、美雪はもう顔が熱くて仕方がない。

「あ、ああのっっ!!は、晴明さん…!!このままは良くないんじゃ…!!」

扉の向こうで、陽が「ごめーん!」と言う様に手を翳しているのが見えた。

「…?どうした、美雪殿。」
「どうした、じゃなく…!!席は外しますから…!」

ぐいぐいと美雪は真誠の肩を押す。だが抵抗するように、真誠の腕に余計に力がこもっていく。
晴明の方を見向きもしない。

「あー、いい、いい。どうせ離れんだろ、そのひっつき虫。この時期にグダグダなのはいつものことだ、放っとけ。迷惑かけるな、美雪殿。」
「えぇ…?」

慣れた様子の晴明に、美雪の理解が追いつかなかった。

「……うるさいな、健康優良児体力馬鹿……。」
「それは嫌味のつもりか?皮肉にもキレがないな。」

真誠がボソボソ返すが、それも簡単に晴明に受け流されるのだった。

「で、お前。米国の祝賀会の招待状見たよな?」

晴明は本当に本題を話し始めてしまった。
美雪がチラと様子を伺えば、真誠は嫌そうに顔をしかめている。

「あー……そんな時期か……。」
「毎年のことだろうが。しっかりしろ。」

呻く真誠とすかさずツッコむ晴明。
いつもと少し違う調子に、思わず美雪は2人を見比べてしまう。

「米国の祝賀会…って…?」

ポツリと呟いた美雪の疑問に答えたのは、晴明だ。

「米国の独立記念日は7月4日だそうだ。毎年、外交官殿主催で祝賀会がある。その束の中に、招待状があるはずだ。」

大きな机の右側で、山になっている郵便物。
美雪がそちらへ手を伸ばすと、真誠は少し椅子を引いてくれた。
彼が身体を倒したおかげで、やっとその束を手にとれた。

「……いや離れろよ、お前なぁ……。」

そこまでするのに一切美雪へのハグを止めない腐れ縁に、晴明はもう呆れ顔だ。

一方、美雪は真誠の頭上で封筒を確認していく。
美雪宛も沢山ある茶会や晩餐会の招待状の中に、明らかに質感の違う国旗入りの封筒があった。

「あ…これ、かな。」

開封済みなのは司が確認したからだろう。封筒から出すと、英文で7月4日の詳細が書かれていた。

「…?横浜でもあるんですか…?」

机に残りの束を置いた際、目に入ったもう一つの英文の封筒。
そちらも同じ日付の招待状のようだが、場所は横浜だ。

美雪の言葉に、真誠が答える。

「そっちは商会の取引先だな…。毎年司がでてる。」
「そうなんですね。」

そしてもぞもぞと、美雪の胸の中で体勢を変える真誠。
そうしてやっと彼は、晴明の方を振り向いた。

そんな真誠の様子に、晴明はつい呟く。

「…酷い顔色だな。」
「ほっとけ。」

そんな悪友の心配を受け流し、真誠は尋ねた。

「…で。祝賀会がなんだ。」

その言葉に、晴明は声のトーンを落として答えた。

「…うちの許嫁から、その日に関して警告が届いた。」
「…へえ…?」

真誠の声色が変わる。やっと彼は美雪から手を離し、椅子に座り直した。
そんな旦那に、むしろ美雪の方が驚いてしまった。

「…あの…、晴明さんの許嫁さん、って…?」

話は聞いているが、会ったことはない。
安倍家に挨拶に行った際、晴明の母はその許嫁と晴明の仲がうまくいってないと心配していた。

「神職のご家庭のご令嬢だよな?」

真誠の確認に、頷く晴明。

「あぁ。…所謂巫女だ。」
「なるほど…?」

美雪は曖昧に納得してしまう。陰陽師の奥さんが巫女さんというのは、何となくイメージ通りだ。

そこに入る、真誠の補足。それは、耳を疑うような内容だった。

「彼女の予知で、この見習い陰陽師は3回は命拾いしてる。」
「…えっ!?予知…で、命拾いですか…!?」
「あぁ。それほど正確だ。」

驚いて晴明の方を見てしまう。彼が言い返さないのはつまり、肯定と同義だ。

「…お前の足の件も言い当ててた。」
「…は?」

気まずげに晴明が呟く。それには真誠さえ目を丸くした。

「当時聞いてないぞ?」
「…悪かったよ。むしろお前の件で、彼女の予知の怖さを思い知った。」

そんな女性からの、警告。なんだか恐ろしい予感がして、美雪はおずおずと口を開いた。

「そ、それで…どんな内容だったんですか…?」
「…。」

晴明は胸元から一通の手紙を出す。それを開くと、真誠の前へ無言で差し出した。

そこにあるのは、達筆な字の一行だけ。
いわく、「7月4日 葛原院様に危険 横浜と東京に警戒されたし」。

読み終えた美雪は、この場にいる2人を見渡してしまった。

「えっ…これだけ!?」

眉間に皺を寄せる晴明と、思案顔の真誠。

「……これだけ。まだ分かりやすくなった方だ。」
「そうだけどな?相変わらず許嫁と文通すら上手くいってないとはなぁ…。」
「おい、これ俺のせいか??」

頭の良い2人でさえ唸っている。これで分かりやすくなったということに、美雪は薄ら寒いものを感じた。

「それで…どうするんですか?この日…。」

おずおずと美雪は尋ねる。
ぎし、と真誠の座る椅子がしなった。

「まあ東京のは公的なものだから、アイツも来るだろう…。まさかアイツが直接俺を…?」

真誠の推理。それを聞いた美雪は、首を傾げた。

「アイツ…?」
「…(ワン)、だったか?」
「ッ…!!」

だが聞いたことを後悔してしまった。名前だけで全身に鳥肌がたつ。
真誠が背を叩いてくれて、やっと少し呼吸ができた。

「…今年は横浜のパーティーは司と美雪に任せようかと思ってたが…。横浜も警戒するなら、それも怪しくなってきたな…。」

口元に指を添えて真誠は思案する。
どちらも捨てがたいのは、晴明にも感じ取れた。

「…とはいえ、貴様が分身するなんぞ出来んだろうが。式神が使えるわけでもあるまいし…。」
「…!」

正論を説く晴明。その言葉に、真誠の眉が動く。

「……。」

その表情に晴明はヒクリと顔を引きつらせ、声が漏れた。

「…ん?」

真誠の無言が、彼には怖い。
真誠が身を乗り出して言う。

「…それだ。」
「…えっ?」

その言葉に一歩、晴明は後ずさる。
真誠はニヤリと笑った。

「お前…奴らに一泡吹かせるの協力しろ。」
「……!!」

もう、晴明に逃げ場は残されていなかった。



7月4日、アメリカ独立記念日。
日本の街中はいつもと変わらない日常だ。
けれど横浜・山手のとあるエリアは、まさにお祭り騒ぎ。

「To Liberty!」(自由に、乾杯!)

その掛け声と共に、グラスがぶつかり合う。
青と紫が混ざる空の下、音楽が奏でられ、人々が踊り、笑顔の花が咲く。

「凄い盛り上がり…。」

華やかなワンピースに身を包んだ美雪は、思わず呟いてしまった。
初めて見るアメリカ料理。肉の塊を焼いたものや、果物、ジャガイモの煮物のようなもの…どれも豪快に山盛りだ。

「凄いわよねぇ。去年は建国120周年記念で、もーっと派手だったのよ?」
「えぇ…!」

隣に並ぶ司が耳打ちする。これより派手とは、美雪には想像がつかない。

そこへ、聞き覚えのある明るい声が弾けた。

「あ!奥様〜!!」

人混みの中に響くそれは、幸人だ。

「幸人さ…えぇ!?」

振り向いた美雪は、目に入った光景に声を抑えられなかった。
幸人の手元には、まさに山になった料理の乗った皿。細い体のどこにそれほど入るのか、疑問でしかない。

「奥様、それだけしか食べてないの?」
「え?えぇ…っと…。」
「せっかく美味しいんだから、食べなきゃ損だよ!!」
「そ、そうですね…。」

満面の笑顔。美雪のよく知る幸彦とは、顔が同じだが表情筋の仕事量が段違いだ。

(なんだか、ホントに不思議な方…)

幸人を見ていると、今の幸彦の姿が痛々しくてならなかった。

真誠から聞いた話では、劉商を叩いた際、海辺の倉庫近くで幸人の目撃証言があったらしい。
つまり、幸彦がその辺りを見回っていたということ。

彼は異能で、一度足を踏み入れた場所を覗き見ることが出来る。真誠も、その能力で2箇所の敵が連携をとることを最も警戒していた。

「奥様。」
「はい。」

司に声をかけられ、身を寄せる。
彼の視線の先には、この屋敷の主人と話している幸人の姿。

「今ね、水村くんがこの間もここに来たよねって話をされてるわ。今日は清の商人と一緒じゃないのか、ってね。…本人は、そんな覚えないみたい。」
「…!!って、ことは。」

美雪の確認に、司は小さく頷いた。

こちらの動きは、黒龍会のボスに筒抜けということだ。



天井を飾るのは宝石のようなシャンデリア。
楽団が奏でる米国の軍歌が自由を歌う。
窓からの風に星条旗がひらりと揺れた、帝都・東京。

列強気取りの日本人たち。笑顔で自国を誇る米国人。英国人の姿は殆どない。
ウィスキーの樽香を楽しみながら、(ワン)はそれらを一つ一つ確かめていく。

その中に、彼の標的はいた。
葛原院真誠。横浜での密輸業に最も邪魔な存在。

英国本土は、露西亜牽制のためにこの国が欲しい。そのための手段は問わない。
ならばアヘン戦争で舐めた辛酸を日本で晴らしたって構わないだろう。王は、心からそう思っていた。

「向こうはどうだ。」

側近と称して連れてきた、見目だけが取り柄の情報屋に尋ねる。人形のように従順なこの男は、黙って目を閉じ、ゆっくりと口を開いた。

「…倉庫に異変なし…既に配置についています…。」

演奏に掻き消されそうなその声に、口角が上がる。

乾杯をするように、王はウィスキーを邪魔者に対して掲げた。

「お前の全てが…今夜までだ。」

あの男の全てを喰らう気分で、王はグラスを煽る。
その酒は、処刑台に向かう男の血の味だった。