その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件

ポツリ、ポツリと降る雨。
霧のような細かい雨粒が、建物にも石畳にも付着していく。どんよりとした湿気が包む夜。

会長室には再び、真誠を慕う4人が集っていた。
机を囲む美雪、司、霞、陽だ。
さらに今夜は、壁沿いで腕を組む仏頂面の晴明の姿も。

最初に話し出したのは、美雪だった。
すう、と意識して呼吸をして、彼女は話し始める。

「…ひなさんと一緒に、新橋、横浜の貨物列車を見てきました。けれど…特に、見覚えのある箱や荷物は見られず…。すみません、何も特定はできてないです。」

しょんぼりと眉を下げる美雪。付け加えるように、陽が口を開いた。

「昨日ぶっ潰したアヘン窟のね、荷物がいっぱいあるところも見てみたよ。でもわざわざ荷札は先に捨ててたみたい…。荷箱に黒龍会の紋章があったけど、それと同じのは新橋では見なかった。」
「そうか。」

静かに頷く真誠。彼にとっては、想定内だった。

「今後も気にかけておいてくれ、美雪、陽。」
「わかりました。」
「はーいっ!」

二人の返事を聞き届ける。次いで報告を始めたのは、霞だ。

「商会についての調査ですが、劉商(りゅうしょう)という小さな貿易会社が怪しいです。主に陶器・漢方を中心に輸入業を商いしているところです。」

その名前は、司によるリストにももちろん載っていた。そして真誠の睨んだ通り、英国とのパイプの強い会社。

「商談を持ちかけて、水村氏に同行してもらいました。彼を見て、代表者は一瞬驚いた様子を見せました。代表者の特徴は、奥様からの話にあった幹部の一人と一致しています。」

霞の視線に、美雪は静かに頷いた。
もちろん、ここに来る前に二人の間で情報を確認している。

「さすがに人身売買、阿片売買の決定的な証拠まではでてきてません。…が、漢方なんていくらでも阿片を混ぜられます。うちと取引はありませんが、彼らが使用している倉庫は、商売規模の割に少々大きすぎるかと。加えて、夜間の搬入が異様に多いです。」

手元の報告書に視線が移る。そこに記された詳細は、霞の発言を裏打ちしていた。

「で?お前はどうなんだ。官僚殿?」

ニヤリとした笑みに期待をのせて、真誠は壁際を見やる。
はー…と特大のため息をついて、晴明は重たい口を開いた。

「…あくまで伊東から聞けた限りだが、行方不明者は直近数ヶ月にかけてじわりと数が増えているらしい。全部は拾えていないが、だいたいは多摩川沿いだ。」
「伊東ってあの性悪警官か?」
「人の悪友に対する言い方ぁ…。まあ、そうだが。」

真誠の確認に、晴明は顔をしかめる。だが、肯定の言葉しかだせない。

「残念ながら人攫いの被害は、何も黒龍会に限ったことじゃない。だが、お前が喧嘩を売って以降でこの数字なら、多少は絡んでるんだろう。」

彼の解説はつまり、わざわざ人を確保している可能性があるということだ。

(…向こうも、何か仕込んでいるか。)

真誠は静かに、冷たい目で告げた。

「今晩、その劉商を叩け。霞、陽、部隊は山手の屋敷に揃えてある。倉庫と本店、その代表者宅の三ヶ所を潰せ。条件は尻尾を残さないこと。それと…幹部の生け捕り。」
「承知。」
「はーいっ!」
「細かい動きは任せる。」

背筋を伸ばす霞と、元気に挙手する陽。
対照的な兄妹は、すぐに動き出した。

「司、今夜は美雪についててくれ。」
「了解よ。」
「あの…」

真誠の指示に、美雪はそっと身を乗り出した。

「私、そこまで過保護にされなくても…。」

だが、そんな彼女を諭すように真誠は目を細めた。

「…無理をするな。」
「っ、」

ぎゅ、と美雪は手を握りしめる。
小刻みに震える手先と、止まらない汗。今日はまだ、アヘンを吸えていない。

「…す、みません…。」

苦しげに息を吐く美雪。司に支えられ、彼女は会長室を後にした。

残ったのは、耳を塞いで窓の雨を眺める晴明と、真誠。

「何してんだお前。」

可笑しそうに笑って、真誠が声をかける。
耳からゆっくり手を離しながら、じと…と晴明は真誠を睨んだ。

「…聞きたくもない犯罪予告を垂れ流しやがって…。」

だがそんな小言も、真誠にとってはどこ吹く風だ。

「10年以上前に自分から首を突っ込んで来ただろうが。何を今更。」
「犯罪の片棒だとは当時聞いてないぞ!!」
「乗りかかった船だろうが、腹くくれ。夜道で襲われるなよ?」
「恐ろしいこと言うな馬鹿者が!!」

一通り憤慨したうえで、ふーっと息を吐く晴明。
がしがしと頭をかきながら、彼は話題を変えた。

「…で?美雪殿の調子はどうなんだ。」

移動に備えて義足を付けようとした手が止まる。
腐れ縁の何とも言えない表情を一瞥し、彼は答えた。

「…見ての通りだ。2日は耐えられない。当初に比べれば、多少はマシだが…。」
「……。」

視線が落ちる。視界に入った欠けた足。それは、暴徒となった同じ顔を嫌でも思い起こさせた。

中毒というのは、恐ろしい。

そこへコツコツと、靴が床板を叩く音が雨音に混ざった。

「…やる。」
「…?」

ばさりと、雑に机におかれた紙束。その音に真誠は顔を上げた。

「清にいる警察のツテに聞いた、向こうでのアヘン中毒者と異能の実態調査の結果だ。…あっちじゃ長年、治安維持に直結する話題だからな。実例が多い。」
「はあ…!?」

カタンと音を立てて義足が倒れる。真誠はひったくるように分厚い束を手に取った。

真誠の様子を横目に、晴明は執務机に寄りかかる。何でもないことのように、彼は続けた。

「俺も目を通したが、異能発現と暴徒化の条件は分からんらしい。だがまあ…、重度の中毒者ほどそうなる率は高い。」
「っ…!!」
「…異能を消す、中毒を治す方法も、向こうですらまだ不明。どうやら、吸わなけりゃいいってことでもないみたいだなぁ…。」
「……。」

真誠の眼の前に並ぶ、中国語と数字、詳しい症例や記録。紛れもなく、国家規模のものだ。

「…お前、どうしてこんな。」

喉から手が出るほど欲しかったもの。
衝撃のままに悪友を見上げるが、彼との視線は交わらない。

「どうせ貴様も調べてるだろうから余計な世話だろうがな。…美雪殿を娶ると言ったから、念のためだ。」
「……。」

晴明が美雪の腕輪を外したあの夜は、もう3ヶ月も前だ。その頃から手を打っていたと言うのか。

言葉が、喉に詰まってうまく出てこなかった。

「分かってるだろうが、バレるなよ?アヘンの所持も吸引も、本来なら重罪だ。」
「……あぁ。」

耳の痛い忠告に、辛うじて返事をする。
深く眉間に皺を寄せた不機嫌顔が、苦しい真誠を射抜いた。

「お前はただの商人じゃなくて、侯爵家当主。いくら美雪殿の出自が子爵家だと分かったとはいえ、そんなもの、社交界(あの魔窟)じゃアテにならん。急所を突かれれば転落までは一瞬だ。」
「……。」
「…ただでさえ貴様は目立つ。」
「……。」

くしゃりと、大事な調書に皺が走る。

「……礼を言う。」
「…ふん。」

尻尾のような黒髪がふわりと揺れる。
冷たく閉じた扉の大きな音が、重たい会長室の中に木霊した。



横浜でまた爆発。日清戦争の禍根か。

そんな一文が、翌朝の一面を堂々と飾った早朝。

「……結果は。」

歯を食いしばりながら、真誠は伊津兄妹に視線を送る。
しょぼくれる妹に代わって、口を開いたのは霞だった。

「……突入と爆発はほぼ同時でした。こちらの殺害を狙ってのものでしょう。爆弾魔との交戦はなく、捕虜も掴めてません。」
「っ……!」

無理やり息を吐く真誠。昨夜のうちに対応には当たっているが、改めて彼は尋ねた。

「…被害は。」
「軽傷多数、重傷三名、うち危篤一名です。全員、病院での処置は受けています。」

陽の包帯に血が滲む。添え木に支えられる彼女の利き腕が痛々しい。
じわりと、彼女の目元に浮かぶ涙。

ズキンと、右脚が痛んだ。

「…わかった。二人ともまずは傷を癒せ。病院には俺が向かう。」
「…承知。」

妹の背を押して、霞が退室する。
彼らの気配が遠のくまで、動けなかった。

「クソ…!!」

真誠は拳を机に叩きつける。痣が出来そうなほどの勢いで。

読まれていた。

昨夜から手元にある調査報告書を、睨むしかない。

窓を打ちつける土砂降りの雨。雷鳴が、まるで(ワン)の高笑いのように耳障りだった。