完全に西洋風な会長室。
金額を弾くのが怖いくらい上質なソファに幸人は腰掛けているが、お尻が浮く感じがする。
向かいにいるのは、いかにも大和撫子といった雰囲気の会長夫人。向こうも緊張しているのか、困り眉が可愛らしい。
そして、部屋の奥に鎮座する大魔王。…いや、葛の葉商会の会長様。
「美雪と話したいんだろう?」と言って、彼は二人を向かい合わせると、なんと自身の仕事に戻ってしまった。
興味のない風を装っているが、存在感が半端ない。とてもじゃないが、彼を放って話せる気が幸人はしなかった。
汗が吹き出す。今にも殺されるような感覚がして、喉がカラカラだ。
「あ、あの…」
「…!!はいっ!」
そんな中、話し始めてくれたのは会長夫人こと美雪だった。
まさに鶴の一声。裏返りながらも返事をした幸人に告げられたのは、彼がずっと探していた一言。
「水村さん…は、ゆき兄…えと…幸彦さんの………双子のご兄弟…です、よね?」
「っ………!!!」
血が一気に身体を駆け巡る感覚がした。
暗中模索のところに、初めて差した一筋の光。
「そう…!!そうなんだ…!!やっぱり奥様は、弟の…幸彦のことを知ってるんですね…!!」
「…!」
既に涙で視界が歪む。思いっきり腕で目元を拭ってから、幸人は艶のある机に額を擦り付けた。
何度も練習した言葉に、懇願を乗せて。
「お願いします。幸彦について、知ってることを何でもいいから教えてください…!!幸彦は、18年前に誘拐された僕の双子の弟です。僕はずっと、彼を助けたくて探してるんです…!!」
「じゅう、はち年…前…。」
その数字は、美雪にずしりと重く伸し掛かった。
美雪でさえ、黒龍会の闇に囚われていたのは8年間だった。だが彼女が慕う兄貴分は、彼女の予想を遥かに上回るほど長い期間、暗く冷たい場所にいたのだ。
しかも、全て失っていた美雪と違い、こんなに温かい肉親が兄貴分には居る。
チラリと、美雪は真誠の表情を伺う。
彼は小さく首を振った。
それを確認すると、美雪はそっと深呼吸をした。
「…私も、ゆき兄と同じように誘拐された子供でした。だからゆき兄を知っているけれど…。ゆき兄がいまどこに居るのかは、分からないんです…。」
「っ…!」
美雪はそっと、幸人の身体に手を伸ばす。その手に支えられて顔をあげた彼は、ぐしゃぐしゃに濡れた目をしていた。
「だから…幸人さんが覚えてる、ゆき兄との最後の日を、詳しく教えてくれませんか…?」
「えっ…?」
静かに紡がれる美雪の声。
「私の時と共通点があれば…誘拐犯を追い詰める道筋が、見つかるかもしれませんから。」
「っ…!!」
それは、幸人にとって目から鱗の提案だった。
天女って本当に居るんだな、なんて、現実味のない感想が脳裏に浮かんでしまった。
「…ありがとう、奥様。」
そう呟いて、彼はまるで昨日のことのように語り始めた。
「両親に連れられて、この辺りに旅行に来てたんです。うちは群馬だから、それはもう一世一代の家族旅行で…。でも、幸彦がいなくなったのは、ホントに一瞬の間だった。両親を追いかけて、僕らは馬車道を渡ろうとした。幸彦だけが転んじゃって、僕は先に渡って…。馬車2台くらいが通過したと思ったら、向かいで転んでたはずの幸彦が…いなかった。」
「…そんな、ちょっとの間に…?」
人間技とは思えない早業だ。いくら相手が子供とはいえ、真っ昼間の往来で抱えれば、嫌でも目立つはず。
「もうそっからは、旅行どころじゃ…。僕はすぐに両親を引っ張って。来た道に戻ったけど、どこにもいない。警察にも行ったし、横浜中探し回ったのに…。」
「…道路を渡る前に、怪しい人…なんて…。」
「…見てたら、きっともっと探しやすかったんだけど…。」
「…そう、ですよね。」
二人の話を聞きながら、霞が書き直した報告書を真誠は静かにめくった。
異能者のリストの中にある、”幻術士”という名前。
幻覚を用い、姿を隠すことも可能だという。対象は術士自身だけでなく、他者も含まれる。
幸人の言う現場を実現するのに、うってつけの能力だ。40代くらいの男性だとあるので、当時も前線を張っていたのだろう。
話題はいつの間にか、美雪が知る幸彦に移っていた。
異能やアヘンには触れず、美雪の味方をしてくれていたエピソードばかり。弟の様子を聞いて、幸人は当初の怯えなんてなかったように輝いていた。
(…あんな双子も、いるんだな…。)
無意識に右足をさする。義足は外しているのに、刺されたように痛い。
幸人の語る弟とは、警戒度の高い異能者。
“情報屋”と言われている、黒龍会屈指の諜報部員だった。
◇
月もない暗闇は、星の輝きがよく見える。
普段なら東京の本邸に戻っているような深い夜に、美雪はまだ横浜にいた。
会長室だけに灯るランプの灯り。昼間の幸人の熱の余韻が僅かに残るこの部屋で、世界地図が敷かれた机を囲む美雪、司、霞、陽の四人。
執務机から精鋭たちを見渡すと、真誠は重い口を開いた。
「いい加減、向こうも爆弾魔による襲撃が失敗していることは気づいてるだろう。そろそろ、こちらから仕掛ける。そのための情報共有と方針の確認だ。」
低く、淡々と告げる。美雪のよく知る彼の温かさは、微塵もなかった。
「まずは黒龍会の資金源である表の顔を潰す。そのために、香港系・中国系、そして英国に繋がる商会を洗ってくれ。」
「はい!!」
簡潔な指示を遮るように、元気な挙手があがる。
陽は真誠と目が合うと、首を傾げながら発言した。
「黒龍会って、香港マフィアだよね?なんで英国の商会も怪しいの?」
ランプの炎が揺れる。真誠の眉間の皺が深い。
そこからか……という頭痛の種を飲み込んで、真誠は短く陽の兄を呼んだ。
「1842年まで清と英国でおきた戦争の結果、香港はいま英国領だからだ。」
「そーなんだ!」
合点のいった顔の陽。霞の言葉を引き継ぐように、司は世界地図のイギリスを指さした。
「ついでに言うとね?陽。その英国と清の戦争っていうのも、アヘンを巡って起こったのよ。」
「そーなの?」
「そう。アヘンを清に売って莫大な利益を得ていたのが、英国。今でも清には英国が大量にアヘンを売りつけてるし、その一部がこの国にも密輸されてるの。」
「ふーん…。」
司の艶のある爪先が、英国から清、清から日本へと世界地図の上を航海する。
その流れを見て、陽はポンと手を叩いた。
「そっか!黒龍会もアヘンで稼いでるから、アヘンをいっぱい売ってる英国が後ろにいるかもしれないんだ!しかも黒龍会は香港の組で、香港は英国の場所!」
「…そうだ。」
やっと理解が追いついた陽に、真誠は苦笑混じりに頷く。
美雪もこっそり、霞と司の解説に感謝していた。こう言う辺りは、彼女も疎い。
全員の認識が一致したところで、改めて真誠は各自に役割を伝え始めた。
「司、調査対象を表にまとめてくれ。いつまでにできる。」
「情報の精査も含めて〜…3日かしら。」
「なら明々後日の昼には寄越せ。目を通す。」
「了解。」
納期を明確にし、側近へ言い渡す。司は表向きには、商会の代表役でもある。同業他社のリストアップは簡単だ。
「霞はその表をもとに3日後の夜から動け。人員は好きに使っていい。」
「承知しました。」
実行部隊長は短く返事をする。敬愛する組長からの信頼を仇で返す真似はしない。
そして真誠は、女性二人に視線を送る。
「美雪と陽は、麹町に戻る際に貨物列車周りを見てきてほしい。」
美雪からの情報を元に、最も実態を知る彼女を現場へ投入する判断。だがそれは、敵に見つかる可能性もある綱渡りだ。
「美雪、もしも幹部らしき人物を見たら、どの路線かだけ覚えておいてくれ。…決して、接触はしないように。」
「わかりました。」
「…分かってるだろうが、可能な限り目立たない格好でな。残念だが侯爵夫人では、貨物列車の周りには近づけない。美雪も隠密は十八番かもしれないが、陽、援護は任せたぞ。」
「はーいっ!」
大事な人が二度も奪われることのないよう、念入りな指示を伝える。その声音にのる心配と信頼を、美雪と陽はしっかりと受け取った。
ぎし、と真誠の座る椅子が軋む。
そして彼は、この場には居ないもう一人の精鋭にも触れた。
「誘拐周りについては、晴明に調べさせる。そこから活動範囲や拠点、運搬経路を炙り出せれば御の字だがな…。」
「…?あの、なんで晴明さんに…?」
だがその発言に、美雪は首を傾げた。
陰陽術で調べられるのだろうか。そう思ったが、真誠の返事は違っていた。
「あれで帝大卒の官僚だ。警察の知り合いくらいゴロゴロいるだろ。…確か、ガラの悪いのが一人はいたはず。」
「……えっ……!?」
美雪はつい、驚愕の声が漏れてしまった。
そんな反応に真誠はキョトンとしているが、司はクスクスと笑っていた。
「びっくりでしょ〜?晴明様って、実は超有能官僚なのよ、宮内省の。」
「ええ…!?」
帝国大学卒の、宮内省勤務。政治に疎い美雪でも分かるほどのエリート官僚だ。
晴明といえば、侯爵家当主な真誠に容赦なく軽口を叩き、口は悪いし言動は荒いが世話焼き。美雪の中ではそんな印象だ。とても、官僚のイメージには結びつかない。
だが思い返して見れば、安倍家は皇居まで歩いて行ける距離にある。よく見る仕事着の晴明は、フロックコートにズボンといった、まさにエリート官僚そのものの姿だ。
それなら確かに、警察や軍に知り合いや学友がいてもおかしくない。
「私、晴明さんってたまに言ってること難しすぎて苦手ー。」
机に向けて伸びをしながら、陽がぼやく。
「ふ…。まあな。話す相手に合わせられるほどアイツは器用じゃない。」
軽く笑って陽に同意し、親友を酷評。そんな真誠の顔は、いつもどこか楽しそうだ。
ランプの灯りが揺れる。
「本格的に抗争に入る。…気を引き締めていけよ?」
その灯りの中で、真誠の不敵な笑みが異様に冴えていた。
◇
くゆりくゆりとたゆたう煙。
むせ返るような匂いの中、与えられたアヘンを吸う青年。
肩にかかる黒髪。長いまつげと、女性と見紛うような美貌。細く綺麗な身体は、色気を伴いだらりと横たわる。
水村幸彦は、異能を使って外の景色を眺めていた。
生まれ育った富岡の街。製糸場では、父と母が変わらずに働いている。
家族で行った横浜の街。あの頃よりも西洋風な建物が増えた気がする。
そんな大事な思い出だけでなく、黒龍会に命じられて潜入した先々の様子も観察する。
山手の外国人居住区、横浜港、海辺の倉庫、中華街、アヘン窟の周辺、横浜駅…。
この拠点周辺に、敵対する人物はいま、見えない。
「情報屋ぁ」
向かいの椅子から、間延びした女の声がかかる。
ゆっくり瞬きをして、千里眼の異能を幸彦は閉じた。
爆弾魔を見つめる。彼女はだらしなく椅子に横たわりながら、幸彦に尋ねた。
「結局葛原の頭領はいたのかよぉ。特徴は教えただろぉ?」
「…」
長く長く煙を吐く爆弾魔。その白からは、パチパチと火花が散っている。
「結局遺体見つかってねぇんだよぉ。さっさと始末しねぇと、まーたボスからどやされるだろ?」
くすんだ視界の中に、爆弾魔の目がギラギラと光る。
幸彦は、静かに目を伏せた。
「…いま、探してる。」
「チッ。早くしろよ?」
そのまま返事を返さず、目を閉じる。
幸彦はこの暗闇から見つけていた。葛原院真誠が、幸彦の妹分と一緒に桜が舞う山手の坂を登る様子を。
ならば、それを爆弾魔に伝える義理はない。
幸彦はただ黙って、目を閉じた。
金額を弾くのが怖いくらい上質なソファに幸人は腰掛けているが、お尻が浮く感じがする。
向かいにいるのは、いかにも大和撫子といった雰囲気の会長夫人。向こうも緊張しているのか、困り眉が可愛らしい。
そして、部屋の奥に鎮座する大魔王。…いや、葛の葉商会の会長様。
「美雪と話したいんだろう?」と言って、彼は二人を向かい合わせると、なんと自身の仕事に戻ってしまった。
興味のない風を装っているが、存在感が半端ない。とてもじゃないが、彼を放って話せる気が幸人はしなかった。
汗が吹き出す。今にも殺されるような感覚がして、喉がカラカラだ。
「あ、あの…」
「…!!はいっ!」
そんな中、話し始めてくれたのは会長夫人こと美雪だった。
まさに鶴の一声。裏返りながらも返事をした幸人に告げられたのは、彼がずっと探していた一言。
「水村さん…は、ゆき兄…えと…幸彦さんの………双子のご兄弟…です、よね?」
「っ………!!!」
血が一気に身体を駆け巡る感覚がした。
暗中模索のところに、初めて差した一筋の光。
「そう…!!そうなんだ…!!やっぱり奥様は、弟の…幸彦のことを知ってるんですね…!!」
「…!」
既に涙で視界が歪む。思いっきり腕で目元を拭ってから、幸人は艶のある机に額を擦り付けた。
何度も練習した言葉に、懇願を乗せて。
「お願いします。幸彦について、知ってることを何でもいいから教えてください…!!幸彦は、18年前に誘拐された僕の双子の弟です。僕はずっと、彼を助けたくて探してるんです…!!」
「じゅう、はち年…前…。」
その数字は、美雪にずしりと重く伸し掛かった。
美雪でさえ、黒龍会の闇に囚われていたのは8年間だった。だが彼女が慕う兄貴分は、彼女の予想を遥かに上回るほど長い期間、暗く冷たい場所にいたのだ。
しかも、全て失っていた美雪と違い、こんなに温かい肉親が兄貴分には居る。
チラリと、美雪は真誠の表情を伺う。
彼は小さく首を振った。
それを確認すると、美雪はそっと深呼吸をした。
「…私も、ゆき兄と同じように誘拐された子供でした。だからゆき兄を知っているけれど…。ゆき兄がいまどこに居るのかは、分からないんです…。」
「っ…!」
美雪はそっと、幸人の身体に手を伸ばす。その手に支えられて顔をあげた彼は、ぐしゃぐしゃに濡れた目をしていた。
「だから…幸人さんが覚えてる、ゆき兄との最後の日を、詳しく教えてくれませんか…?」
「えっ…?」
静かに紡がれる美雪の声。
「私の時と共通点があれば…誘拐犯を追い詰める道筋が、見つかるかもしれませんから。」
「っ…!!」
それは、幸人にとって目から鱗の提案だった。
天女って本当に居るんだな、なんて、現実味のない感想が脳裏に浮かんでしまった。
「…ありがとう、奥様。」
そう呟いて、彼はまるで昨日のことのように語り始めた。
「両親に連れられて、この辺りに旅行に来てたんです。うちは群馬だから、それはもう一世一代の家族旅行で…。でも、幸彦がいなくなったのは、ホントに一瞬の間だった。両親を追いかけて、僕らは馬車道を渡ろうとした。幸彦だけが転んじゃって、僕は先に渡って…。馬車2台くらいが通過したと思ったら、向かいで転んでたはずの幸彦が…いなかった。」
「…そんな、ちょっとの間に…?」
人間技とは思えない早業だ。いくら相手が子供とはいえ、真っ昼間の往来で抱えれば、嫌でも目立つはず。
「もうそっからは、旅行どころじゃ…。僕はすぐに両親を引っ張って。来た道に戻ったけど、どこにもいない。警察にも行ったし、横浜中探し回ったのに…。」
「…道路を渡る前に、怪しい人…なんて…。」
「…見てたら、きっともっと探しやすかったんだけど…。」
「…そう、ですよね。」
二人の話を聞きながら、霞が書き直した報告書を真誠は静かにめくった。
異能者のリストの中にある、”幻術士”という名前。
幻覚を用い、姿を隠すことも可能だという。対象は術士自身だけでなく、他者も含まれる。
幸人の言う現場を実現するのに、うってつけの能力だ。40代くらいの男性だとあるので、当時も前線を張っていたのだろう。
話題はいつの間にか、美雪が知る幸彦に移っていた。
異能やアヘンには触れず、美雪の味方をしてくれていたエピソードばかり。弟の様子を聞いて、幸人は当初の怯えなんてなかったように輝いていた。
(…あんな双子も、いるんだな…。)
無意識に右足をさする。義足は外しているのに、刺されたように痛い。
幸人の語る弟とは、警戒度の高い異能者。
“情報屋”と言われている、黒龍会屈指の諜報部員だった。
◇
月もない暗闇は、星の輝きがよく見える。
普段なら東京の本邸に戻っているような深い夜に、美雪はまだ横浜にいた。
会長室だけに灯るランプの灯り。昼間の幸人の熱の余韻が僅かに残るこの部屋で、世界地図が敷かれた机を囲む美雪、司、霞、陽の四人。
執務机から精鋭たちを見渡すと、真誠は重い口を開いた。
「いい加減、向こうも爆弾魔による襲撃が失敗していることは気づいてるだろう。そろそろ、こちらから仕掛ける。そのための情報共有と方針の確認だ。」
低く、淡々と告げる。美雪のよく知る彼の温かさは、微塵もなかった。
「まずは黒龍会の資金源である表の顔を潰す。そのために、香港系・中国系、そして英国に繋がる商会を洗ってくれ。」
「はい!!」
簡潔な指示を遮るように、元気な挙手があがる。
陽は真誠と目が合うと、首を傾げながら発言した。
「黒龍会って、香港マフィアだよね?なんで英国の商会も怪しいの?」
ランプの炎が揺れる。真誠の眉間の皺が深い。
そこからか……という頭痛の種を飲み込んで、真誠は短く陽の兄を呼んだ。
「1842年まで清と英国でおきた戦争の結果、香港はいま英国領だからだ。」
「そーなんだ!」
合点のいった顔の陽。霞の言葉を引き継ぐように、司は世界地図のイギリスを指さした。
「ついでに言うとね?陽。その英国と清の戦争っていうのも、アヘンを巡って起こったのよ。」
「そーなの?」
「そう。アヘンを清に売って莫大な利益を得ていたのが、英国。今でも清には英国が大量にアヘンを売りつけてるし、その一部がこの国にも密輸されてるの。」
「ふーん…。」
司の艶のある爪先が、英国から清、清から日本へと世界地図の上を航海する。
その流れを見て、陽はポンと手を叩いた。
「そっか!黒龍会もアヘンで稼いでるから、アヘンをいっぱい売ってる英国が後ろにいるかもしれないんだ!しかも黒龍会は香港の組で、香港は英国の場所!」
「…そうだ。」
やっと理解が追いついた陽に、真誠は苦笑混じりに頷く。
美雪もこっそり、霞と司の解説に感謝していた。こう言う辺りは、彼女も疎い。
全員の認識が一致したところで、改めて真誠は各自に役割を伝え始めた。
「司、調査対象を表にまとめてくれ。いつまでにできる。」
「情報の精査も含めて〜…3日かしら。」
「なら明々後日の昼には寄越せ。目を通す。」
「了解。」
納期を明確にし、側近へ言い渡す。司は表向きには、商会の代表役でもある。同業他社のリストアップは簡単だ。
「霞はその表をもとに3日後の夜から動け。人員は好きに使っていい。」
「承知しました。」
実行部隊長は短く返事をする。敬愛する組長からの信頼を仇で返す真似はしない。
そして真誠は、女性二人に視線を送る。
「美雪と陽は、麹町に戻る際に貨物列車周りを見てきてほしい。」
美雪からの情報を元に、最も実態を知る彼女を現場へ投入する判断。だがそれは、敵に見つかる可能性もある綱渡りだ。
「美雪、もしも幹部らしき人物を見たら、どの路線かだけ覚えておいてくれ。…決して、接触はしないように。」
「わかりました。」
「…分かってるだろうが、可能な限り目立たない格好でな。残念だが侯爵夫人では、貨物列車の周りには近づけない。美雪も隠密は十八番かもしれないが、陽、援護は任せたぞ。」
「はーいっ!」
大事な人が二度も奪われることのないよう、念入りな指示を伝える。その声音にのる心配と信頼を、美雪と陽はしっかりと受け取った。
ぎし、と真誠の座る椅子が軋む。
そして彼は、この場には居ないもう一人の精鋭にも触れた。
「誘拐周りについては、晴明に調べさせる。そこから活動範囲や拠点、運搬経路を炙り出せれば御の字だがな…。」
「…?あの、なんで晴明さんに…?」
だがその発言に、美雪は首を傾げた。
陰陽術で調べられるのだろうか。そう思ったが、真誠の返事は違っていた。
「あれで帝大卒の官僚だ。警察の知り合いくらいゴロゴロいるだろ。…確か、ガラの悪いのが一人はいたはず。」
「……えっ……!?」
美雪はつい、驚愕の声が漏れてしまった。
そんな反応に真誠はキョトンとしているが、司はクスクスと笑っていた。
「びっくりでしょ〜?晴明様って、実は超有能官僚なのよ、宮内省の。」
「ええ…!?」
帝国大学卒の、宮内省勤務。政治に疎い美雪でも分かるほどのエリート官僚だ。
晴明といえば、侯爵家当主な真誠に容赦なく軽口を叩き、口は悪いし言動は荒いが世話焼き。美雪の中ではそんな印象だ。とても、官僚のイメージには結びつかない。
だが思い返して見れば、安倍家は皇居まで歩いて行ける距離にある。よく見る仕事着の晴明は、フロックコートにズボンといった、まさにエリート官僚そのものの姿だ。
それなら確かに、警察や軍に知り合いや学友がいてもおかしくない。
「私、晴明さんってたまに言ってること難しすぎて苦手ー。」
机に向けて伸びをしながら、陽がぼやく。
「ふ…。まあな。話す相手に合わせられるほどアイツは器用じゃない。」
軽く笑って陽に同意し、親友を酷評。そんな真誠の顔は、いつもどこか楽しそうだ。
ランプの灯りが揺れる。
「本格的に抗争に入る。…気を引き締めていけよ?」
その灯りの中で、真誠の不敵な笑みが異様に冴えていた。
◇
くゆりくゆりとたゆたう煙。
むせ返るような匂いの中、与えられたアヘンを吸う青年。
肩にかかる黒髪。長いまつげと、女性と見紛うような美貌。細く綺麗な身体は、色気を伴いだらりと横たわる。
水村幸彦は、異能を使って外の景色を眺めていた。
生まれ育った富岡の街。製糸場では、父と母が変わらずに働いている。
家族で行った横浜の街。あの頃よりも西洋風な建物が増えた気がする。
そんな大事な思い出だけでなく、黒龍会に命じられて潜入した先々の様子も観察する。
山手の外国人居住区、横浜港、海辺の倉庫、中華街、アヘン窟の周辺、横浜駅…。
この拠点周辺に、敵対する人物はいま、見えない。
「情報屋ぁ」
向かいの椅子から、間延びした女の声がかかる。
ゆっくり瞬きをして、千里眼の異能を幸彦は閉じた。
爆弾魔を見つめる。彼女はだらしなく椅子に横たわりながら、幸彦に尋ねた。
「結局葛原の頭領はいたのかよぉ。特徴は教えただろぉ?」
「…」
長く長く煙を吐く爆弾魔。その白からは、パチパチと火花が散っている。
「結局遺体見つかってねぇんだよぉ。さっさと始末しねぇと、まーたボスからどやされるだろ?」
くすんだ視界の中に、爆弾魔の目がギラギラと光る。
幸彦は、静かに目を伏せた。
「…いま、探してる。」
「チッ。早くしろよ?」
そのまま返事を返さず、目を閉じる。
幸彦はこの暗闇から見つけていた。葛原院真誠が、幸彦の妹分と一緒に桜が舞う山手の坂を登る様子を。
ならば、それを爆弾魔に伝える義理はない。
幸彦はただ黙って、目を閉じた。
