その花嫁、元殺し屋につき ――暗殺先で標的から求婚された件


桜に代わり、芽吹いた若葉の緑が鮮やかな日々。
過ごしやすい天気にも関わらず、真誠は商会の会長室で缶詰になっていた。

葛の葉商会の主軸は、海沿いの貸し倉庫運営と、海運業者と商会の仲介業。そのどちらも、この時期の決定が年度全体の利益を大きく左右する。
資料とにらめっこをし、午前中に見てきた現場の様子を思い返して、真誠は万年筆を走らせた。

八王子で起こった大火事。その影響が少なかったことに安堵する。街の復興にむけて大きく公共事業が動く分、取引先によっては関わるものもあるだろう。

清との戦争が終わって二年が経ち、台湾の統治による現地とのやりとりも増えている。どの航路を持つ船を取引先とするかは、国際情勢も目が離せない。

机の周りに積まれているのは、大量の書類と種類も言語も豊富な新聞。
真誠がいる横浜の一室は、世界を股にかけた戦場の第一線だった。

「ん…」

万年筆をおき、椅子の上で身体を伸ばす真誠。
気がつけば、窓から差し込む光が橙色に染まっていた。

タイミングを見計らったように、扉がノックされる。
短く答えれば、入ってきたのは司だった。

「お疲れ様、会長。」

そう言って差し出される、紅茶とビスケット。
自然と菓子に手が伸びる真誠。サクサクと簡単に砕ける焼き菓子。砂糖の甘さがほどよく舌に溶けた。

その西洋菓子は、花見の日を思い出させた。
あの菓子屋の店主のおかげで、美雪は生家の思い出を沢山取り戻すことができた。

彼女の父が扱っていたという陶磁器や、母が好んでいた西洋の本。数少ない遺品はいま、本邸の美雪の部屋にある。
お墓参りにまで一緒に行けたことは、記憶に新しい。

これまで以上に丸田菓子屋を重用するのも、当然だった。

「…何件か報告しても?」
「あぁ。」

司の言葉で、思い出から現実に引き戻される。
全て見透かしたような微笑みを司は浮かべていた。これが晴明ならムカつくが、司に関しては足掻くだけ無駄だ。

ビスケットのおかわりまでしつつ、彼の報告に耳を傾ける。重要なものから些細なものまで様々だ。

「最後に…うーん、実はこれが一番の困りごとなんだけれどぉ…。」
「ん?」

メモしていた手を止め、司を見上げる真誠。
眉を下げて曖昧な笑みで、彼は声を落とした。

「水村さんが…毎日商会の受付にいらっしゃるそうなのよ。奥様にお会いしたい、お話を聞きたい、って仰っててねぇ…。」
「……あの男か。」

お花見の夜、美雪から声をかけたという優男。
彼女の話では、黒龍会の異能者と瓜二つだったそうだ。

もう酔っ払い多数の無礼講になっていた時間帯だった故に、真誠が駆けつけたのをやれ三角関係だの庶民による略奪愛だの、オヤジ共が騒いで仕方なかった。
ああいう煽りは真誠も苦手なので、どれほど頭を抱えたことか。晴明が仕事に戻った後だったことが唯一の救いだ。

渋い顔をする真誠に、司の報告が続く。

「東亜生糸貿易会社の社員みたいね。高商卒の出世頭。彼と商談したうちの社員が言うには、明るくて人懐っこい、よく食べる方だそうよ。無茶な恋愛する男じゃないのにって、驚いてたわ。」
「ふーん…。」

ぬるくなってしまった紅茶を一口。高商こと東京高等商業学校を出ているなら、商売の知識を備えたうえで現場で叩き上げられた者。
そんなのが、妻に合わせろと1ヶ月近く通い詰めているという。なんと傍迷惑な話か。

「…なんで美雪に会いたがってるんだ、そいつ。要件はなんだ。」

ティーカップをおく音が、かすかに部屋に響いた。

「…弟さんを探してるんですって。奥様が知り合いかもしれないから、って言ってるそうよ。」
「……。」

ピンと空気が張り詰める。
恐らくその弟というのが、黒龍会の異能者だ。

「…ところで、陽は予定通り本邸に向かったのか?」

最後のビスケットを齧りながら、真誠は尋ねる。
サクサクと軽快な音に微笑んで、司は報告書を閉じた。

「えぇ、もちろん。今頃、奥様から聞いた話をまとめているはずよ。」
「なら…。」

最後の一口を食べ終える。残り少ない紅茶に映る真誠の顔が揺れた。

「その内容次第だな。」
「…了解よ。もうしばらく、適当に追っ払っておくわ。」

そう告げて、ティーカップたちを下げる司。
真誠は再び万年筆を手に取り、書類との格闘を始めるのだった。



真誠が缶詰になっている頃、東京・葛原院邸にて。
庭先ではチチチとスズメが呑気に草をつついている。

そんなのどかさとは裏腹に、美雪の私室の空気は重く張り詰めていた。

文机ごしに向かい合う、二人の女性。
陽はじと…と、美雪を値踏みするように見つめた。

「…なんで、私に話すなんて言ったの?」

直球の言葉を投げる陽。彼女には、「奥様」の真意が分からない。

黒龍会のことを奥様から聞いてくるように。
そう司から指令を受けた時は、銃を暴発させそうなほど手元が狂った。
しかも、美雪からの名指しだというではないか。

グルグルと思考が巡りながら乗った列車の、居心地の悪かったこと。
しかも今日に限って、兄の霞は仕事から離れられない。そういう日を選んだ真誠の意地悪さには、膝カックンをしてやりたかった。

品のいい着物姿の「奥様」は、何でもないことのように陽に告げる。

「陽さんなら、もし私が嘘をついていたら私のこと殺せると思ったから。」
「………へ?」

そよそよと風がそよぐ。表情ひとつ変えずに微笑む美雪と、鼻を突くアヘンの異臭。
纏う雰囲気と彼女の立場のチグハグさに、陽の背中に嫌な汗が落ちた。

「私が真誠さんを問い詰めに行った日、陽さんはちゃんと私に銃を向けてくれたでしょう?それに、私が真誠さんを襲うって分かってたはずなのに、実際に動くまではずっと待っててくれた。」
「それは…」
「そんな陽さんなら、私が真誠さんに相応しくなかったら、迷わず撃てるでしょ?」
「……。」

美雪の話は確かに事実だ。だがあの夜陽が向けた銃口には、扉越しに放たれた美雪の短刀が突き刺さった。
殺しの実力と瞬発力は美雪が上。真誠からの寵愛は彼女が独占。

陽が欲して止まないものを全て持っている相手からの、「殺せるでしょ」という全幅の信頼。
そんな覚悟を見せられて、肝が冷えた。

「んあーーーもうっ!!」
「…?」

負けを認めたくなくて、陽は叫ぶ。
これが、真誠が想い続け、選んだ女性。

ガサガサと風呂敷から紙と筆と硯などを取り出し乱雑に机に並べていく。
そして陽は筆を手に取り、美雪に向けて宣言し返した。

「お望み通り!ボスの不利益になること喋ったら殺してあげるから!!」
「…!」

美雪の目は細められ、恭しく礼をする。

「よろしくお願いします。」

そして彼女は、知っている情報を全て陽に託したのだった。

(ワン)にされたこと
アヘン窟の様子
幹部の特徴
異能者たちの顔と名前、能力の全て

それは、いくら外から調べてもたどり着けないような内部情報たち。

辺りが暗くなるまで、殺し屋二人の対談は続いていった。



「……これは……。」

夜の帳が降りた頃。いつもより和気あいあいとした夕食を終えた後の書斎にて。

真誠は報告書を前に頭を抱えていた。

「陽……もう少しどうにかならなかったのか…?」

彼の視線の先にあるのは、まさに暗号文字。これはこれで、万が一敵に見られても心配はなさそうだが。

「えーっ!!けっこう頑張ったよ、私!?」
「………………。」
「えーんっ!ボスーっ!!なんか言ってよ!!」

パラリ、パラリと紙をめくる音だけが響く。
この報告書は、黒龍会との抗争における要石だというのに。
真誠はため息を飲み込むので精一杯だった。

「…みゆちゃん、私がんばったよね?」
「…は?みゆちゃん?」

涙ぐむような声に、思わず真誠はパッと顔をあげる。

書斎机の前で、陽は縋るように美雪の腕にしがみついていた。
美雪も嫌がる素振りはなく、陽の頭を撫でている。

「うーん…字は…もう少し練習しようか、ひなさん。」
「今日いっぱい練習したもん!?」
「今日のは…本番だよ…。ひなさんが良ければ、教えてあげるから。ね?」
「うぅ…みゆちゃんの鬼ぃ…。」

真誠は開いた口がふさがらない。
霞以外にこんなに甘え、真誠以外にこんなに素直な陽が存在するなんて。

「…真誠さん。読めないところは、何度でも話しますから…。」

申し訳なさげな美雪の声にハッと我に返る。

「あぁ、いや…。霞に解読させる。最悪二度手間をかけるかもしれないが、その時は頼む。」
「わかりました。」

微笑む美雪。その背中に陽が隠れているせいで、まさに使用人を守る女主人といった立ち姿。

「…美雪。陽の字の矯正、ホントに頼んでいいか?」

ポロッと溢れた言葉。言ってから彼女たちの予定を真誠は頭に描いたが、陽がここに残って困ることはなさそうだ。

ぴええ!と、ヒヨコのような悲鳴が美雪の背後から聞こえてきた。一方、美雪はくすくすと笑っている。

「はい、かまいませんよ。」
「えーーーっっ!!ボスぅ!せめて兄者!兄者がいいーっ!!」
「ダメだよ、ひなさん。お兄様はひなさんの字を読めるから、今でもこんな字なんでしょう?」
「兄者が読めればいいよぉ!!」
「…真誠さんを困らせても?」
「……………。」

唇を尖らせ黙った陽。これは彼女が嫌々ながらも承諾した証拠だ。

「じゃあ、真誠さん。失礼します。」
「あぁ…。」

綺麗な礼をし、陽と共に退室する美雪。二人の話を聞く限り、さっそく手習いを始めるようだ。

「…すっかり仲良しよねぇ。腹割って話したかいがあるわ。」

彼女たちと入れ違いで入ってきた司。
彼に件の報告書を手渡しながら、真誠はぼやいた。

「…主人の嫁に”みゆちゃん”はダメじゃないか…?」
「ンフフ。」

体裁として言いはする。だが年齢の近い同性なんてお互い以外いないのだから、美雪本人が受け入れているのなら誰も何も言えない。

「よかったわねぇ、真誠様。陽が霞の弟じゃなくって。」
「……うるさい。」

本音としては、司の言う通りだった。



空は高く、風が歌うように吹き抜ける、晴天。
壁のように反り立つ煉瓦造の店舗前で、水村幸人(みずむら さちひと)はゴクリと唾を飲み込んだ。

毎日、忙しい仕事の合間に通い詰めた1ヶ月半。その結果やっと通達された、会長夫人との面会許可。
今日これから、この建物の最上階で、彼は念願の女性に会えるのだ。
もちろん、旦那様の監視の下で。

(ひー…心臓飛び出そう…)

大騒ぎになってしまった、あの花見以来のご対面。懇意にしている葛の葉の社員から、会長夫妻の話を今回は事前に聞いていた。

幸人よりも若い会長は、10年以上商会を軌道に乗せている敏腕経営者。そのうえ、侯爵家当主。
命令、指示に隙がなく、冷酷無慈悲な合理主義。
悪霊に呪われてるだとか、実は足がないだとか、一度死んで生き返っただとか言われているが、それは真偽不明。

ご夫人とはつい最近電撃婚だったらしい。
美雪さんというお名前しか知られておらず、社員ですら姿を見たのは先日のお花見が初めて。存在自体を疑われていたそうな。

これまで数々の商談を切り抜けてきた幸人だが、今回ばかりは膝が笑っている。
それでも、彼は逃げ出す訳にはいかなかった。

(しっかりしろ、俺〜〜!!このために横浜にある商社行きをもぎ取ったんだろ!!やっと見つけた幸彦(ゆきひこ)に繋がる糸口!!)

そう自分を叱咤して、頰を思い切り叩く。
会長夫婦が好んでいると聞いたお店の甘味を、手元に確認。

「…よしっ!」

そして彼は、葛の葉商会の重たい扉を開いた。