焼け焦げた梁が剥き出しのまま残る、ボロボロの家屋。ようやく瓦礫や木材をどかすことができた事件現場。焦げていたり、踏み潰されていて荒れた庭園。
しかし大きな戦闘があった場所とは思えないほど、多くの人達がそこに集い、談笑していた。
「会長!先に始めてしまってますよ!!」
「遅いですよ、会長〜!いらっしゃらないと本格的に始まらないじゃないですか!!」
「さあさあ真誠会長!奥様もこちらへ!!」
葛の葉商会の従業員や、取引先であろう人達が笑顔で迎えてくれる。
桜の花と同じくらい満開の笑顔たち。
自然とその中心にいる真誠。美雪も、妻としての挨拶が板についてきた。突然の結婚を驚かれるのも、もうお決まりのパターンだ。
司や霞、陽の姿もある。社交会と違って和気あいあいとした空気感に、美雪は心も身体も軽かった。
桜の大木たちが庭に華やかな傘を差している。
見上げれば一面の薄紅色。この景色を、美雪はよく知っているような気がした。
胸の奥から聞こえてくる優しい声。「年に1回の特別だよ」と教えてくれたのは、ぽってりとしたお腹とお餅のような手の男性。
「ボスー!はい、お菓子!!この桜の模様のかすていら、美味しいよ!!」
耳をうつ明るい声に、美雪はハッと我に返った。
意気揚々と、洋菓子がのったお皿を持ってくる陽。真誠が彼女に礼を言い、一切れ手に取る。
その様子を隣で眺めていると、パチンと陽と目が合った。
「…食べる?」
「…!…ありがとう、陽さん。」
おずおずと差し出されたお皿から、同じかすていらを手に取る美雪。
陽はそのまま、何も言わずに他の仲間の元へ駆けていってしまった。
手を添えて、美雪は焼き菓子をかじる。
とても舌に馴染む、懐かしくて柔らかい甘さが口の中いっぱいに広がった。
「あ、あの…。」
「はい…?」
そこへ、恐る恐る声をかけてきた恰幅のいい男性。振り向いた美雪の顔を見るなり、彼はまるでお化けでも見たように目を見開いた。
「あ…!あぁ…!」
「え…?」
「も、もしかして…美雪お嬢ちゃんかい…?冷泉のお家のお嬢さん…?」
「え…!?」
突然の言葉に、美雪は身構えてしまった。
見知らぬおじさんから名前を呼ばれて、怯えるなと言う方が無理がある。
そんな彼女の肩を、頼もしい手が抱き寄せた。
「失礼。妻に何か?」
「真誠さん…!」
爽やかな笑顔が男性を射抜く。
美雪が読んだ名前に、ぽかんと口を開けて男性はたじろいだ。
「ま、まこと…さん…?」
質のいい袴を着こなす美丈夫を、男性はまじまじと見つめる。
「も、もしかして…」
目の前の青年がこの会の中心にいた人物だと理解し、声が震えた。
「葛の葉の、か、会長様…?」
一歩、二歩、後ずさる男性。
「そうだが、あなたは?」
「……!!!」
真誠の言葉に、男性は飛び上がって驚いた。
大きな身体を縮こまらせ、大慌てで頭を下げるしかない。
「しっ!失礼いたしました!まさか会長殿がこれほどお若い方とは思わず…!!私、この辺りで菓子屋を営んでおります、丸田と申します…!!」
「…あぁ。」
真誠はただ頷いて答えた。
「丸田菓子店か。…ちょうど、かすていらを頂いたところだ。」
「さ、左様でございますか…!!」
真誠の言葉に、美雪は手に持ったままのカステラに視線を落とす。懐かしさを感じたこの洋菓子を作ったのが、目の前で萎縮している男性。
そう分かると、なぜだか彼への不安感が砂糖のように溶けていった。
「悪くなかった。…な?美雪。」
優しく呼ばれ、美雪は必死に首を縦に振る。
今にも泣き出しそうな男性へ、美雪は何とか言葉を紡いだ。
「懐かしい…くらい、美味しいです。」
「…!!あぁ…。」
すると、ぽろりぽろりと男性の丸い瞳から雫が溢れてしまった。
何かに祈るように、そおっと美雪の手に触れる皺のある職人の手。
「美雪お嬢ちゃん…!小さな頃も…かすていら、美味しい美味しいって…食べてくれてたもんなぁ…!!」
「…!」
カサカサしたその手触りと、お砂糖の甘い香り。
それは美雪の脳裏に、とある人物を蘇らせた。
「…まるたの、おじさま…?」
「…!!あぁあ…!!」
うちに来る度に、きらきらした洋菓子を持ってきてくれた人だ。ぽってりとした父と話す姿をよく見ていた。
女学校からの帰り道、ガラス窓から眺める彼の調理風景は、まるで魔法のようだった。
「そうだよぉ、丸田のおじさんだよぉ…!!美雪お嬢ちゃん…!!よかった、本当によかった…!!ご両親のご遺体も酷い有様だったから、おじさんてっきり、嬢ちゃんもかと…!!」
「な、泣かないで…。」
「あぁ、うん…、ごめんなあ…。」
ずず、ずず、と鼻をすする音がする。けれどあまり効果はなさそうだ。
おろおろしている美雪に、真誠が紺色のハンカチを差し出してくれた。
「ありがとうございます…。」
お礼を言って受け取り、丸田の涙に押し当てる。
その気遣いが余計に彼の涙腺を刺激してしまい、堂々巡りだ。
「…美雪。」
名前を呼ばれ、美雪は顔を上げる。
「彼と話してくるといい。…屋敷に戻ったら、君のご両親の話を聞かせてくれ。」
彼の言葉が、じわりと美雪の胸を打つ。
「はい…!」
そして彼女は、泣き崩れるおじさんの手をひいていく。
彼の作った甘味のそばで、空いた席が二人を待っていてくれていた。
◇
人混みから少しだけ離れて、屋根の崩れた縁側に真誠は腰掛けた。
袴の中に手を入れ、こっそり義足を外す。ふう…と、無意識に詰めていた息が漏れた。
そよそよと揺れる風が花びらを運ぶ。
囮にした屋敷はまだまだボロボロだが、この場所に集ってくれた人々の笑顔は何ひとつ変わっていない。
家の当主兼組長として、自分が導き、守らなければいけない使用人や部下たち。
商会の会長として、導き、生活を保障しなければいけない従業員たち。
そして、真誠のことを受け入れてくれる取引先や地元の人々。
そんなかけがえのない人達が談笑し、酒を酌み交わす姿。薄紅色に彩られたこの景色を見ると、何かが満たされるような感覚がする。
真誠の視線の先には、菓子屋の主人と話している美雪の姿。昔のように、他の誰でもなく彼女ばかりを目で追っていた。
彼女がこの輪の中にいる。ぽっかり空いてしまっていた空白に、あるべきものが戻ってきた。
それを実感するだけで、自然と頰が綻んでいった。
そこへ、真誠と同じように宴から距離をとった者が一人。
「…足は平気か。」
それはもちろん、晴明だ。
昔から毎年、仕事や学校をわざわざ抜け出してここまで足を運ぶ彼。真誠の文句は既に出尽くしていた。
「…心配されるほどじゃない。」
「なんだ。絶対王者気取りが珍しく弱ってるかと思ったんだが。」
「ほっとけ。」
こんな憎まれ口も、心配の裏返しだ。義足を一旦外していることも、今更彼には隠そうとも思わない。
同じ景色を眺める二人。
長年並び立った悪友の視線の先に気づき、晴明は口元に笑みを浮かべた。
「……よかったな。」
「…は?」
唐突な言葉に、真誠は悪友の顔を見上げた。
宴の様子を眺めていた晴明の視線が、怪訝な顔をした真誠に移る。
黒曜石のような瞳が生暖かい。
「…美雪殿だろう?昔お前が眺めてた少女は。」
「……。」
したり顔の晴明。彼らの間で思い出されるのは、10年ほど前のこの花見。学生時代の二人の何気ないやりとり。
「なっ………!!」
あのかくれんぼ以来、毎年この花見でだけ美雪の姿を確認していた真誠。その視線に気づいた晴明から、あの日はからかわれたのだ。
「お前…覚えて…!?」
誰にも見せていないつもりだった、長年募っていた想い。
それを暴かれてしまい、かあっと真誠の顔が火照った。
滅多にないポーカーフェイスの崩れに、晴明は人の悪い笑みを浮かべ口を開く。
「覚えてるに決まってるだろ?妙にムキになるなとあの時思ったが、やっぱりなぁ…。」
「止めろそのニヤニヤ顔…!!」
「紫の上かぁ…。やるな、光源氏。」
「囲って育てたのは俺じゃないぞ!!」
「知ってる。むしろ手元に置かなかったのに、よくこうなったよなぁ。」
「貴っ、様…!!」
身勝手な夜桜花見の意趣返し。晴明のニヤニヤは止まらない。
睨み上げる真誠は、早々に戦から降りることにした。ぷいと視線を外して、彼は吐き捨てる。
「俺が光源氏なら貴様は頭の中将だな。」
「ふはっ、それは光栄だなぁ?」
「…負け続けを認めるのか?」
「お前と俺じゃ戦場が違う。そもそも負けも何もない。」
くくくと晴明は笑う。
「そうかぁ、頭の中将ほどの出世を俺に期待してくれてるのか、お前は。」
「…もう勝手に言ってろ。」
今日の晴明には、皮肉ひとつさえ効かない。
真誠は、肩ひじを組むことしかできなかった。
◇
丸田は、美雪が封じ込めていた宝箱の鍵を開けてくれた人物となった。
景徳鎮などを扱う輸入業を営んでいた父。読書好きの賢い母。二人をよく知る丸田が言うには、美雪は彼らの自慢の娘だったと言う。
8年前の冬、殺された両親を埋葬してくれたのも丸田だった。
「まさか、美雪お嬢ちゃんが葛の葉の会長夫人だなんて…!!ご両親もきっと、天国でぶったまげただろうなぁ。」
そう言って丸田は、何度も深く頷いた。
「あぁでも…、冷泉は毎年この花見を楽しみにしてて、奥方や美雪お嬢ちゃんも連れて来ていた。」
「…!父様が連れて来てくれていたのは、ここ…?」
「そうだよぉ。亡くなるまで、毎年だ。」
そして彼は、まるで天に話しかけるように桜を見上げる。
「もしかしたら…美雪お嬢ちゃんのお父さんが、会長様と美雪お嬢ちゃんを引き合わせてくれたのかもしれないなぁ。」
桜は答えない。薄紅色の雫たちが、ただ風にのって空へと昇っていった。
空にはすっかり星が輝いている。
この時間にもなると、宴も酣…では、なく。
なんとお酒もたくさん回り、もはや無礼講の様相になっていた。
提灯の灯りが春風に揺れる。笑い声が響き渡り、あちらこちらから聞こえる乾杯の音。
丸田を見送った美雪は、真誠を探して酔っ払いたちの合間を縫っていた。
(真誠さん、どこだろう…)
沢山の話し声に、真誠の気配はない。背の高い外国人に遮られ、残念ながら庭の反対側まで視界に入らない。
辺りを見渡す美雪。
そんな彼女の前を、1人の男性が横切った。
肩にかかる黒髪が風に揺れる。長いまつげと、女性と見紛うような美貌。細く綺麗な身体と、優雅な立ち姿。
(…えっ…!?)
美雪は、咄嗟にその男性を追いかけた。
(ゆき兄…!!)
なぜなら、黒龍会の中で唯一信頼していた異能者の姿だったからだ。
水村幸彦という彼は、美雪よりも前からアヘンに侵されていた。
何度も、美雪をアヘン窟から逃がそうとしてくれた。そして美雪が連れ戻される度に、折檻を受けてしまっていた。
彼の腕にも爆弾魔の腕輪がついている。けれど彼の能力故に、比較的自由が許されていた。だから、この場に彼がいても、おかしくはない。
幸彦の能力は、千里眼。彼が行ったことがある場所の様子を、どこからでも見ることができる。
つまりこのまま彼が黒龍会に戻れば、このお屋敷を囮にした真誠の情報戦は水の泡になってしまう。
「ゆき兄…!!」
彼の細い手を握りしめた美雪。
「…あれ…?」
けれどその瞬間、彼女は違和感に気がつく。
腕輪が、ない。
「ね、ねえ!!きみ、もしかして…!!」
「っ…!?」
振り向いた男性。整った顔立ちに驚愕の色が見える。大きく見開かれた目と、興奮したように上気する頰。
別人だ。同じ顔だが、目の前にいるのは美雪のよく知る兄貴分ではない。
慌てて手を離す。だが、今度は相手が美雪の手をしっかりと握り締めた。
「幸彦のこと知ってるの…!!」
「……えっ」
男性の言葉に、何と答えるべきか分からない。
困惑する美雪。けれど恐怖はない。
それは、凄い形相で駆けてくる真誠の姿が見えたおかげだった。
しかし大きな戦闘があった場所とは思えないほど、多くの人達がそこに集い、談笑していた。
「会長!先に始めてしまってますよ!!」
「遅いですよ、会長〜!いらっしゃらないと本格的に始まらないじゃないですか!!」
「さあさあ真誠会長!奥様もこちらへ!!」
葛の葉商会の従業員や、取引先であろう人達が笑顔で迎えてくれる。
桜の花と同じくらい満開の笑顔たち。
自然とその中心にいる真誠。美雪も、妻としての挨拶が板についてきた。突然の結婚を驚かれるのも、もうお決まりのパターンだ。
司や霞、陽の姿もある。社交会と違って和気あいあいとした空気感に、美雪は心も身体も軽かった。
桜の大木たちが庭に華やかな傘を差している。
見上げれば一面の薄紅色。この景色を、美雪はよく知っているような気がした。
胸の奥から聞こえてくる優しい声。「年に1回の特別だよ」と教えてくれたのは、ぽってりとしたお腹とお餅のような手の男性。
「ボスー!はい、お菓子!!この桜の模様のかすていら、美味しいよ!!」
耳をうつ明るい声に、美雪はハッと我に返った。
意気揚々と、洋菓子がのったお皿を持ってくる陽。真誠が彼女に礼を言い、一切れ手に取る。
その様子を隣で眺めていると、パチンと陽と目が合った。
「…食べる?」
「…!…ありがとう、陽さん。」
おずおずと差し出されたお皿から、同じかすていらを手に取る美雪。
陽はそのまま、何も言わずに他の仲間の元へ駆けていってしまった。
手を添えて、美雪は焼き菓子をかじる。
とても舌に馴染む、懐かしくて柔らかい甘さが口の中いっぱいに広がった。
「あ、あの…。」
「はい…?」
そこへ、恐る恐る声をかけてきた恰幅のいい男性。振り向いた美雪の顔を見るなり、彼はまるでお化けでも見たように目を見開いた。
「あ…!あぁ…!」
「え…?」
「も、もしかして…美雪お嬢ちゃんかい…?冷泉のお家のお嬢さん…?」
「え…!?」
突然の言葉に、美雪は身構えてしまった。
見知らぬおじさんから名前を呼ばれて、怯えるなと言う方が無理がある。
そんな彼女の肩を、頼もしい手が抱き寄せた。
「失礼。妻に何か?」
「真誠さん…!」
爽やかな笑顔が男性を射抜く。
美雪が読んだ名前に、ぽかんと口を開けて男性はたじろいだ。
「ま、まこと…さん…?」
質のいい袴を着こなす美丈夫を、男性はまじまじと見つめる。
「も、もしかして…」
目の前の青年がこの会の中心にいた人物だと理解し、声が震えた。
「葛の葉の、か、会長様…?」
一歩、二歩、後ずさる男性。
「そうだが、あなたは?」
「……!!!」
真誠の言葉に、男性は飛び上がって驚いた。
大きな身体を縮こまらせ、大慌てで頭を下げるしかない。
「しっ!失礼いたしました!まさか会長殿がこれほどお若い方とは思わず…!!私、この辺りで菓子屋を営んでおります、丸田と申します…!!」
「…あぁ。」
真誠はただ頷いて答えた。
「丸田菓子店か。…ちょうど、かすていらを頂いたところだ。」
「さ、左様でございますか…!!」
真誠の言葉に、美雪は手に持ったままのカステラに視線を落とす。懐かしさを感じたこの洋菓子を作ったのが、目の前で萎縮している男性。
そう分かると、なぜだか彼への不安感が砂糖のように溶けていった。
「悪くなかった。…な?美雪。」
優しく呼ばれ、美雪は必死に首を縦に振る。
今にも泣き出しそうな男性へ、美雪は何とか言葉を紡いだ。
「懐かしい…くらい、美味しいです。」
「…!!あぁ…。」
すると、ぽろりぽろりと男性の丸い瞳から雫が溢れてしまった。
何かに祈るように、そおっと美雪の手に触れる皺のある職人の手。
「美雪お嬢ちゃん…!小さな頃も…かすていら、美味しい美味しいって…食べてくれてたもんなぁ…!!」
「…!」
カサカサしたその手触りと、お砂糖の甘い香り。
それは美雪の脳裏に、とある人物を蘇らせた。
「…まるたの、おじさま…?」
「…!!あぁあ…!!」
うちに来る度に、きらきらした洋菓子を持ってきてくれた人だ。ぽってりとした父と話す姿をよく見ていた。
女学校からの帰り道、ガラス窓から眺める彼の調理風景は、まるで魔法のようだった。
「そうだよぉ、丸田のおじさんだよぉ…!!美雪お嬢ちゃん…!!よかった、本当によかった…!!ご両親のご遺体も酷い有様だったから、おじさんてっきり、嬢ちゃんもかと…!!」
「な、泣かないで…。」
「あぁ、うん…、ごめんなあ…。」
ずず、ずず、と鼻をすする音がする。けれどあまり効果はなさそうだ。
おろおろしている美雪に、真誠が紺色のハンカチを差し出してくれた。
「ありがとうございます…。」
お礼を言って受け取り、丸田の涙に押し当てる。
その気遣いが余計に彼の涙腺を刺激してしまい、堂々巡りだ。
「…美雪。」
名前を呼ばれ、美雪は顔を上げる。
「彼と話してくるといい。…屋敷に戻ったら、君のご両親の話を聞かせてくれ。」
彼の言葉が、じわりと美雪の胸を打つ。
「はい…!」
そして彼女は、泣き崩れるおじさんの手をひいていく。
彼の作った甘味のそばで、空いた席が二人を待っていてくれていた。
◇
人混みから少しだけ離れて、屋根の崩れた縁側に真誠は腰掛けた。
袴の中に手を入れ、こっそり義足を外す。ふう…と、無意識に詰めていた息が漏れた。
そよそよと揺れる風が花びらを運ぶ。
囮にした屋敷はまだまだボロボロだが、この場所に集ってくれた人々の笑顔は何ひとつ変わっていない。
家の当主兼組長として、自分が導き、守らなければいけない使用人や部下たち。
商会の会長として、導き、生活を保障しなければいけない従業員たち。
そして、真誠のことを受け入れてくれる取引先や地元の人々。
そんなかけがえのない人達が談笑し、酒を酌み交わす姿。薄紅色に彩られたこの景色を見ると、何かが満たされるような感覚がする。
真誠の視線の先には、菓子屋の主人と話している美雪の姿。昔のように、他の誰でもなく彼女ばかりを目で追っていた。
彼女がこの輪の中にいる。ぽっかり空いてしまっていた空白に、あるべきものが戻ってきた。
それを実感するだけで、自然と頰が綻んでいった。
そこへ、真誠と同じように宴から距離をとった者が一人。
「…足は平気か。」
それはもちろん、晴明だ。
昔から毎年、仕事や学校をわざわざ抜け出してここまで足を運ぶ彼。真誠の文句は既に出尽くしていた。
「…心配されるほどじゃない。」
「なんだ。絶対王者気取りが珍しく弱ってるかと思ったんだが。」
「ほっとけ。」
こんな憎まれ口も、心配の裏返しだ。義足を一旦外していることも、今更彼には隠そうとも思わない。
同じ景色を眺める二人。
長年並び立った悪友の視線の先に気づき、晴明は口元に笑みを浮かべた。
「……よかったな。」
「…は?」
唐突な言葉に、真誠は悪友の顔を見上げた。
宴の様子を眺めていた晴明の視線が、怪訝な顔をした真誠に移る。
黒曜石のような瞳が生暖かい。
「…美雪殿だろう?昔お前が眺めてた少女は。」
「……。」
したり顔の晴明。彼らの間で思い出されるのは、10年ほど前のこの花見。学生時代の二人の何気ないやりとり。
「なっ………!!」
あのかくれんぼ以来、毎年この花見でだけ美雪の姿を確認していた真誠。その視線に気づいた晴明から、あの日はからかわれたのだ。
「お前…覚えて…!?」
誰にも見せていないつもりだった、長年募っていた想い。
それを暴かれてしまい、かあっと真誠の顔が火照った。
滅多にないポーカーフェイスの崩れに、晴明は人の悪い笑みを浮かべ口を開く。
「覚えてるに決まってるだろ?妙にムキになるなとあの時思ったが、やっぱりなぁ…。」
「止めろそのニヤニヤ顔…!!」
「紫の上かぁ…。やるな、光源氏。」
「囲って育てたのは俺じゃないぞ!!」
「知ってる。むしろ手元に置かなかったのに、よくこうなったよなぁ。」
「貴っ、様…!!」
身勝手な夜桜花見の意趣返し。晴明のニヤニヤは止まらない。
睨み上げる真誠は、早々に戦から降りることにした。ぷいと視線を外して、彼は吐き捨てる。
「俺が光源氏なら貴様は頭の中将だな。」
「ふはっ、それは光栄だなぁ?」
「…負け続けを認めるのか?」
「お前と俺じゃ戦場が違う。そもそも負けも何もない。」
くくくと晴明は笑う。
「そうかぁ、頭の中将ほどの出世を俺に期待してくれてるのか、お前は。」
「…もう勝手に言ってろ。」
今日の晴明には、皮肉ひとつさえ効かない。
真誠は、肩ひじを組むことしかできなかった。
◇
丸田は、美雪が封じ込めていた宝箱の鍵を開けてくれた人物となった。
景徳鎮などを扱う輸入業を営んでいた父。読書好きの賢い母。二人をよく知る丸田が言うには、美雪は彼らの自慢の娘だったと言う。
8年前の冬、殺された両親を埋葬してくれたのも丸田だった。
「まさか、美雪お嬢ちゃんが葛の葉の会長夫人だなんて…!!ご両親もきっと、天国でぶったまげただろうなぁ。」
そう言って丸田は、何度も深く頷いた。
「あぁでも…、冷泉は毎年この花見を楽しみにしてて、奥方や美雪お嬢ちゃんも連れて来ていた。」
「…!父様が連れて来てくれていたのは、ここ…?」
「そうだよぉ。亡くなるまで、毎年だ。」
そして彼は、まるで天に話しかけるように桜を見上げる。
「もしかしたら…美雪お嬢ちゃんのお父さんが、会長様と美雪お嬢ちゃんを引き合わせてくれたのかもしれないなぁ。」
桜は答えない。薄紅色の雫たちが、ただ風にのって空へと昇っていった。
空にはすっかり星が輝いている。
この時間にもなると、宴も酣…では、なく。
なんとお酒もたくさん回り、もはや無礼講の様相になっていた。
提灯の灯りが春風に揺れる。笑い声が響き渡り、あちらこちらから聞こえる乾杯の音。
丸田を見送った美雪は、真誠を探して酔っ払いたちの合間を縫っていた。
(真誠さん、どこだろう…)
沢山の話し声に、真誠の気配はない。背の高い外国人に遮られ、残念ながら庭の反対側まで視界に入らない。
辺りを見渡す美雪。
そんな彼女の前を、1人の男性が横切った。
肩にかかる黒髪が風に揺れる。長いまつげと、女性と見紛うような美貌。細く綺麗な身体と、優雅な立ち姿。
(…えっ…!?)
美雪は、咄嗟にその男性を追いかけた。
(ゆき兄…!!)
なぜなら、黒龍会の中で唯一信頼していた異能者の姿だったからだ。
水村幸彦という彼は、美雪よりも前からアヘンに侵されていた。
何度も、美雪をアヘン窟から逃がそうとしてくれた。そして美雪が連れ戻される度に、折檻を受けてしまっていた。
彼の腕にも爆弾魔の腕輪がついている。けれど彼の能力故に、比較的自由が許されていた。だから、この場に彼がいても、おかしくはない。
幸彦の能力は、千里眼。彼が行ったことがある場所の様子を、どこからでも見ることができる。
つまりこのまま彼が黒龍会に戻れば、このお屋敷を囮にした真誠の情報戦は水の泡になってしまう。
「ゆき兄…!!」
彼の細い手を握りしめた美雪。
「…あれ…?」
けれどその瞬間、彼女は違和感に気がつく。
腕輪が、ない。
「ね、ねえ!!きみ、もしかして…!!」
「っ…!?」
振り向いた男性。整った顔立ちに驚愕の色が見える。大きく見開かれた目と、興奮したように上気する頰。
別人だ。同じ顔だが、目の前にいるのは美雪のよく知る兄貴分ではない。
慌てて手を離す。だが、今度は相手が美雪の手をしっかりと握り締めた。
「幸彦のこと知ってるの…!!」
「……えっ」
男性の言葉に、何と答えるべきか分からない。
困惑する美雪。けれど恐怖はない。
それは、凄い形相で駆けてくる真誠の姿が見えたおかげだった。
