ならんせ


 昼頃に列車は終着駅に到着した。
 遠い地まで無事に運んでくれた青い列車を労うように、千陽はその場ではやぶさを見送った。東京駅を出発したときは、初めての寝台車に気もそぞろであまり列車を観察する余裕がなかった。
(一回しか乗ってないけど、結構愛着が湧くもんだなぁ)
 周囲を見渡すとホームで一眼レフカメラを構えている乗客が何人もいた。(てっ)ちゃんってやつだろうか? 自分も手持ちの携帯で写真を撮っておけば良かったと少し後悔した。
 列車が線路からいなくなると、乗客たちはカメラをバッグに片付けて改札へ向かって行く。
「え、あれ? 宗一」
 ふと一緒に列車を見送ったはずの宗一がいないと気づく。電車を降りる時は確かに一緒にいたはずだ。もしかして置いて行かれたのだろうかと焦った。
 人がまばらになったホームで視線を巡らせていたら突然右手首を掴まれた。
「どこ行ったのかと思った」
「え? あ……お、おう?」
 千陽はそれは自分のセリフだと言いたかった。
「なんだよ変な声だして」
「いや、さっき隣見たときは宗一いなかったから、急に現れてびっくりした」
「俺もずっとここにいたけどなぁ」
「そう……か?」
 突然目の前に宗一が現れた。まるで人体消失のマジックショーだ。ずっとここにいたと言われてもどこか腑に落ちない。
「ほら、行くぞ。バスの時間まであんまりないんだって」
 なんで千陽は外で宗一を見つけられないのだろう。
 出発地の東京駅のホームでも千陽は宗一を発見できなかった。(未来の)芸能人だし、十人が見て十人がイケメンだと答えるような顔立ちだ。こんなに目立つ色男なのに見つけられないなんて不思議だ。
「ほら、ちーはーる! なに、ぼーっとしてんだよ」
「ごめんって!」
 宗一に右手首を引かれた。左肩にはそこそこ重いボストンバッグをかけているので、バランスを崩して転びそうになった。体幹が弱くて情けない。
 結構な長旅なのは最初から分かっていた。宗一の家に泊まるんだし、荷物を送らせてもらえばよかった。そんなことを思いながら千陽はホームの階段をサクサクと上がる宗一の顔を斜め後ろから盗み見ていた。
(本当……顔がいいんだよなぁ)
 階段を上がり切ったところで、宗一は一度足を止めた。
「どした、寝不足か? それともまだ具合悪い?」
「あ、平気平気。寝台車初めてだったし、ほら酒も飲んでたから眠り浅くて寝不足なんだよ」
 宗一は千陽をからかうように口端を上げて笑う。
「寝不足ねぇ、じゃあ次乗るときは、俺が子守唄でも歌ってやろうか?」
「えぇ」
「俺、結構歌上手いぞ?」
 宗一は得意げに顎をくいと上げた。なんだかその自信満々な仕草が懐かしかった。昔の宗一だった。千陽は宗一に再会してから昔の彼の面影ばかり探している気がした。
「車内で歌うとか、普通に迷惑だろ」
「それ言うなら、お前の昨日の声の方がヤバかったんじゃねーの? ホラー映画かと思った」
「あれは……マジで悪かったよ。お前の部屋で寝落ちて、しかもうなされてさ」
「別にいいってことよ。車掌さん飛んでこなくて良かったよ」
 宗一はくつくつと笑った。酒酔いのせいで記憶があやふやになっていたが、悪夢にうなされて宗一に迷惑をかけたのは事実だ。
 あと、キスされたことも。
(つか俺……昨日宗一にキス……されたんだよなぁ)
 千陽は宗一の隣を歩きながら、昨晩のことを少しの気まずさとともに思い出していた。別にどういうつもりでキスなんてしたんだ! とぎゃーぎゃー騒ぎたいわけじゃないし、その答えはすでに宗一からもらっている。宗一が千陽にキスしたのは過呼吸の治療のためだ。
 重ねてセクシュアリティの話をするなら、おそらく宗一はこちら側の人間だ。可愛いと言われてキスされたなら、間違いなくそういう意味だろう。別に珍しいことじゃないし、ゲイもバイも普通にそこらじゅうにいる。自分だってゲイだが、わざわざ口に出して言わないだけだ。
 いずれにせよ、大人になった宗一は千陽と同じ種類の人間になっていた。でも、それが分かったところで、スタンスとしては相容れない。
 向こうは陽キャで役者なんてキラキラした職を目指していて、その上、宗一は性にオープン過ぎる。仮に千陽と宗一が同じ側でも、グラデーションなら端と端くらい色が違う。
(俺は好みの人間がいたからって、いきなりキスできるような男じゃないし。……ああいうキラキラしてガツガツしてるタイプって無理だ)
 再会してから一晩たち、どうして閉鎖的な村の人間だったお前が、今そこにいるんだよと何とも言えない蟠りが心の中で残っていた。
 もしかして千陽と宗一は磁石なんだろうか。子供の頃あれほど同じになりたいと願っていて、いざ同じになったと分かった途端、相容れない。これが悲劇じゃなかったら一体なんなのだろう。
 千陽はいつだって世間から弾き飛ばされている。自分がいたかった場所に、いつも宗一がいる気がした。
 何も知らなかった頃の方が、同じ方向を向いている分幸せだったかもしれない。
 思考の海で漂っていたら、いつの間にか改札の外にいた。外気に熱された湿った空気の匂いはするが、昨日の雨はすでに上がっている。頭上から降り注ぐ太陽の光が目にまぶしかった。肩のボストンバッグはこんなに重いのに、中には傘もなければ帽子も入ってない。今の千陽には雨も太陽も防御するすべがなかった。
「ほら千陽、走れ! でないと途中乗り換えになるし、バス停のベンチで持久戦だからな」
「え、持久戦?」
「直通が一日に三本なんだよ」
「マジで」
 走る宗一の後ろに続く。――ホームからずっと、千陽は宗一と手を繋いだままだった。
(そもそも……俺が好きだった宗一って、こんな男だっけ?)
 例の滑落事故で記憶を半分以上失っている現在、本当に宗一が好きだったのか自分の心さえ曖昧だった。宗一に対する執着心だけが歪な傷として残っている。それが、昨日の夢の正体だ。
 付き合う相手が村の外か内か、よそ者をどこまで村に受け入れるかなんて、今の宗一にとって些細な問題なのだろう。それが時代の変化なのか、あるいは宗一自身の考え方の変化なのかは分からない。
 十年ぶりに会った宗一は千陽にとって「都合がいい人間」になっていた。
 少なくとも今の宗一は自然体で、千陽のありのままを受け入れている。
 こんな世界が現実にあっていいのだろうか。
 千陽は未だ酒の残っている頭を軽く振った。大人になった宗一と手を繋ぐなんて、昔は想像もしていなかった。当時は、最初から選択肢にもなかった。
「どした? 急に頭振って」
「酒のせい」
「そ? てかこれさ、なんとなく掴んじゃったけど、手繋いでていいのか」
 宗一が二人の胸の前まで上げてきた手を、ぎゅうぎゅうと握ってくる。
「……宗一したいなら、俺は別に気にしないけど」
「ふーん。じゃーそうする。バス来たら離すよ」
「おー」
 バス停で待っていると程なくして村に向かうバスがやってきた。宗一の骨ばった手が離れていくのが少し名残惜しかった。
(あぁ、もう。名残惜しいってなんだよ……そういうガツガツでキラキライケメンタイプは無理なんじゃないのかよ、俺は)
 ターミナル駅から乗ったのは千陽たちだけだったが、市街地を走っている間は、何度か他の客が乗り降りを繰り返していた。
 当時はまだ電車が走っていたので、千陽はバスで村に行ったことがない。
 市街地を抜け山を越えたあたりで、乗客が一人、また一人と降りて、最後は自分たちだけになった。
 寝不足の千陽に気を遣ったのか宗一は途中から静かに外を眺めていた。
 千陽は宗一と反対側の窓を見ていたのだが、心地いいバスの揺れで眠気に誘われ、いつの間にか目を閉じていた。