呪われた鬼と言祝ぎの贄嫁


「かけまくも(かしこ)き並び立つ鬼神(おにかみ)御前(おんまえ)
 言の葉をあやつる者(・・・・・・・・・)の、かしこみかしこみて申さく!
 鬼神の堅磐(ときわ)(さきわ)えまつる、この宮にては
 和御魂(にぎみたま)のみ(・・)により平らけくしろしめしたまいて
 民を安くあらしめたまえとかしこみかしこみて申す――!」

 琴乃は「安全のため、ここでは喧嘩しちゃ駄目です!」と宣言したのだ。しかも「これは言霊であり、縛りとなる」との注釈付きで。
 端折り気味の祝詞だが形式の基本は押さえている。こうされると格の高い鬼であるがゆえに、鬼灯と静月は言葉からの制限を受けてしまい――。

「ぐっ……琴乃、おまえぇっ!」

 鬼灯の炎が弱まる。静月も戦意が削がれていくのを感じた。

「なま、いきな……」

 ハアハアと息をしながら、双子の鬼は立ちどまる。しかし口は止まらなかった。

「琴乃のこと生意気とか言うな、馬鹿静月!」
「鬼灯を篭絡するなど大罪人だ! 色にくらむとは、こんな小娘に情けなかろう!」
「そんなもの、俺がこれから育てる!」
「育つのか? 小鬼と木霊の血のちっぽけな女だぞ!」

 失礼な口喧嘩に琴乃の頬が引きつった。鬼灯も鬼灯だ、色気のない小娘だということは否定しないらしい。

「鬼灯さま――」

 地を這うような声が琴乃から発せられて、鬼灯はハッとした。

「こ、琴乃。その、怪我はないか」
「私はなんとも――でも建物も庭も荒れ果てておりますよ? ここは鬼灯さまのために静月さまがととのえられた宮。それをお二人で壊してしまうとは、なんという乱暴狼藉!」

 国の頂に立つ鬼の双子を叱りつけ、琴乃は昂然としていた。
 もう何も気にならなかった。さっきから暴風のようにいろいろなことが起こって感覚が麻痺している。なるようになれ。
 鬼灯はあたりを見回して気まずそうな顔をした。我に返った静月も青ざめる。せっかく雅に造った庭園が台無しだ。鬼灯は頭を抱えた。
 
「やっちまった――ほらな静月、こういうことをやらかすから、俺がいたら王としての静月の邪魔になると思ったんだよ」

 天を仰ぐ鬼灯の前で、静月はくしゃりと顔を歪めた。これは泣きそうなのか。

「だが――だが鬼灯がいないと、私は」
「あーまあ、まあな。静月がキレた時に止められる奴が他にあまりいないし困るよな……」

 今の静月はまさに、募る寂しさと琴乃への嫉妬でキレたところ。鬼灯はポリポリと頬をかく。
 この双子が互いを思い合っているのは確かなのだ。鬼灯は思案しながら口を開いた。

「――都はどうなってる。うまく回っているのか」
「もちろん。私の子らもよく育った」
「おお。じゃあ――静月も隠居したらどうだ?」

 意表を突かれて静月は目を見開いた。もうずっと、あちこちに気を配り采配してきたのに、そんな。

「私がいなくなっては……」
「大丈夫だろう。子もよく育ったと自分で言ったじゃないか。静月は細やかに国を治めてきたのだろうが、もう誰かに任せてもよかろうよ」

 それが子どもたちでも、他のあやかしを交えてでも、あるいは人間の手を加えても。

「静月は真面目だからな。琴乃の話を聞いただけでも、民にきっちり法を守らせていたのがわかった。だが、それじゃ面白くない」
「面白く……?」
「琴乃は面白いだろう?」

 ぐい。
 いきなり横に立たされて、琴乃はおろおろした。その肩を抱き、鬼灯は微笑む。

「木霊と人がうっかり恋をしなければ、琴乃は生まれなかった。(ほうり)に俺の声を聞く嫁など出てこなかったはずだ。あやかしと人が交わって何が悪い? 争いはなくなるかもしれんが、つまらんじゃないか」

 豊穂足の国の行く末。面白い、つまらないで決めることでもないような気がする。
 だが鬼灯は、片手に琴乃の肩を抱いたまま反対の手を静月に差し出した。

「隠居しろ。それで、俺と一緒にいよう」
「――その琴乃も一緒にか」

 静月の眉間に険が宿る。にらまれて琴乃は困った顔で鬼灯を見上げた。
 鬼灯と共に――ありたい。琴乃だって、鬼灯のことを想ってしまったから。
 だけど静月と鬼灯の間にある絆を邪魔できない気もする。

「問題ない」

 鬼灯は琴乃の困惑も静月の難色も笑い飛ばした。

「俺と静月は兄弟だ。強い絆で結ばれている。そうだな?」
「ああ」
「そして俺は琴乃の夫だ。違うか?」
「鬼灯さま……」

 強く引き寄せられて琴乃は頬を染めた。逃がさない、とでもいうように手が肩をつかんでいる――そして琴乃も逃げたくなかった。

「はい――私は、鬼灯さまの妻です」
「よし! 今、二人はまったく別のものとして言葉にされた。言霊が働いたはずだ。そうだろう琴乃?」
「まあ!」

 先ほどの琴乃のやり口を逆手に取って、鬼灯は三人のありようを定義する。琴乃と静月はぶつかるべき存在ではないと。静月はため息をついた。

「ほら、おまえはいつもそうだ……誰のことも丸め込んでいく」
「それで豊穂足ができあがったんだから文句言うなよ」

 照れくさそうに鬼灯が笑った。笑うところなのかどうか、琴乃にはぜんぜんわからなかった。でも場が和んだのを感じたのか、おそるおそる宮の者たちが顔を出す。

「そちらにあらせられるは、もしや静月さま――?」

 うなずかれ、居並ぶ者たちがザザッと頭を下げた。うやうやしい熱気が荒れた庭に満ちる。
 鬼の夫と、鬼の王。二人に挟まれながら、琴乃はその礼を受け取った。


  ✻ ✻ ✻


 無事に残っていた北の対へ引き取って、琴乃は鬼灯に酒を注いでいた。
 夜。琴乃の部屋には宮の者たちからの心づくしの膳が並ぶ。
 静月は都へととんぼ返りしていた。何も告げずに出てきたから大騒ぎになっているだろうと気をつかったのだ。壊れた平良宮を直す手配もしておく、と言い置いた静月はどこまでも細やかな統治者なのだ。

 二人になって、琴乃は落ちつかない気分だった。こうして対面し、鬼灯の姿が見えていると勝手が違う。

「どうした」
「いえ……」

 琴乃は今、鬼灯の様子が良くて困っている。
 暴虐の鬼と噂されるほどの強さを誇った鬼灯のこと。むくつけき体格かもしれないと思っていたのに、封を解いてみれば端正な面立ちでしなやかな細身の鬼が現れた。こんな人が夫だと言われても照れてしまう。

「さて、まずは都へ行くわけだが――」
「はい」

 二人は明日か明後日かに都へと旅立つことになる。そこに欠の宝珠があるから。鬼灯のものである宝珠を取り戻さねば静月に負担がかかるはず。

「それからどうしたい? 琴乃の好きにしていいぞ」
「私の?」

 いきなり話を振られて琴乃は戸惑った。それを鬼灯は楽しげに見ている。

「琴乃はこれまで祝の館と、ここしか知らないよな? だから俺がどこにでも連れていく。都で遊びたいならそれもよし、俺がめぐってきた山でも海でも見に行くか? 俺がいれば危険はないからな。もちろんここを建て直したら、帰ってくるにやぶさかではないが」

 鬼灯は二人がこれからできることを数え上げる。
 琴乃が平良宮に来た時には一生がついえたように感じていた。命尽きるまでここに縛られるのだと思っていた。
 なのに鬼灯は、どこにでも行けと言ってくれる。自分が守るから、と。

「だが、何をするにも静月がくっついてくるのは辛抱してくれ」

 大真面目な冗談が幸せ過ぎて琴乃は泣きそうになる。
 鬼灯は妻の泣き笑いに微笑みを返した。そっと頬に手を伸ばす。

「まあ今は、二人きりなのだが――」

 意味ありげな言葉とともに、腰が抱き寄せられた。琴乃の心臓が跳ねる。

「鬼灯さま――」
「琴乃は俺の妻だ。そうだったな?」

 念を押しながらも有無を言わせぬ鬼灯の腕。琴乃もあらがうつもりはない。
 だってこれは、琴乃が選んだ道だから。鬼灯の妻になり、鬼灯を愛すると決めたのは琴乃だから。

 そっと重ねられた唇に、琴乃はすべてをゆだねた。


    了