呪われた鬼と言祝ぎの贄嫁

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「琴乃、いいかげん貼り紙をしろ」

 鬼灯が苛々と叱りつけたのは「琴乃は嫁として認められていない」宣言書のこと。都から文が戻るのを待つ間も結局、お勤めだと言って毎日本殿にやってくる琴乃が面倒くさかったのだ。
 突き放されたにもかかわらず、琴乃はもじもじと言い返した。

「……ここに来させて下さいませんか」
「なんだと?」
「あの……私、鬼灯さましかお話できる方がいなくて。皆から素っ気なくされていて居たたまれないんです」

 訴えてから、琴乃はとても情けなくなった。鬼灯は夫でもなんでもない。頼っていい相手ではないのに。
 宮の者たちは相変わらず無言で接してくる。そして琴乃の一挙手一投足を見張るがごとく、冷たいまなざしを向けられているのだ。針のむしろにいるように思えて琴乃は日に日に追い詰められていた。

「チッ」

 鬼灯の舌打ちが小さく聞こえ、琴乃の心臓は凍りつきそうになった。やはり失礼だと思われただろうか。

「……琴乃は木霊の血を引くのだったな」
「はい」

 話しかけてもらえ、琴乃は安堵した。だが鬼灯は世間話などするつもりはない。

「木霊たちの住む森を知っているか」
「行ったことはありません。私は(ほうり)の館で育ちましたので……森はあやかしのものですから近づいてはならぬ、と」
「そこに祖父がいるかもしれんのに薄情なものだ」

 鬼灯の口調は冷ややかだった。
 だが言われたことはまったくの正論。祖母は里に連れ戻されひっそりと子を産み、その後は森へ行くことすら禁じられたという。木霊の血のことは公にされていない。

「静月が定めたのだろう? それぞれの分を守り、関わるな、争うなと。たまに人とあやかしの間に子が生まれたりすれば白い目で見られる。そんなの俺はごめんだ。暮らしが平らかであっても、隣にいる者を知らぬふりして生きるなどつまらん」

 言うだけ言って、鬼灯はフイと気配を消した。琴乃は動けなくなる。

 突きつけられたのはたぶん、鬼灯にすがるなど筋違いだということ。
 宮にいる人間と話せずに逃げている琴乃など、つまらぬ人間だと鬼灯は断じたのだ。

「……おっしゃる通りです」

 ズンと沈む胸を押さえ、琴乃はうなだれる。物思いで胃が痛んだ。しかし同時に――下腹も鈍い重さにおそわれてしまったのだ。


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 琴乃はそれから、本殿に七日も姿を見せなかった。
 やっと足を運ぶと鏡の前に手先をつき、言いにくそうに挨拶する。

「鬼灯さま――おはようございます」

 しばしの間。返ってきた声はいぶかしげだった。

「なんだ琴乃か。顔を見せぬから宮を出たのかと思っていた」
「とんでもありません。あの……月のもので」
「ああ」

 血は忌むもの。理由が女として不可抗力であっても、潔斎を求められる。

「そうか。これまでの女たちも同じだったろうが、しばらく誰とも話さなかったので忘れていた」

 こちらの声を聞けない嫁たちが何をしていても興味がわかない。お勤めに来ようが来まいが、鬼灯は無視を決め込んでいたのだった。
 しかし鬼灯が軽く流してくれたことで琴乃はほっとする。姿は知らないが男性とおぼしき相手に体のことを説明するのは嫌だった。だが鬼灯の方も、ちゃんと妻にしたわけでもない琴乃のそんな事情は知りたくもない。わざと話を変えた。

「それで、静月からの返書は」
「まだです」
「ふん」

 ひと言だけで、鬼灯の気配はかき消える。琴乃は拍子抜けした。しばらくお勤めを怠ったことや文のやり取りが遅れていることなどを怒られるかと思っていたのだ。

 ――もしかしたら鬼灯は、そんなに恐ろしい鬼ではないのかも。そう思った。
 だってこれまで、鬼灯の怒りを買った嫁が殺された例は聞かない。宮の者たちも同様だ。彼らがどうして声を発するのを怖れるまでになったのか、琴乃にはわからなかった。

「昔の嫁に比べれば、だんだんと短命になってきているけど……」

 (ほうり)に残された記録を読むかぎりではそう。だが鬼の血が薄れ、ただの人に近づいたせいだろうと思う。人は弱い生き物だから。それに宮の中で居場所がない琴乃だって、このまま暮らしていけば心がふさいで死にそうな気がする。

「――とにかくお勤めをいたしましょう」

 暗い考えを振り払い、琴乃は微笑みを浮かべた。やることがあれば気は晴れるものだ。
 目の前の鏡を布越しにそっと抱え、くるくる磨く。こうしていると楽しかった。北の対でうやうやしく閉じ込められているよりも、ずっと。
 祭壇をすっかりととのえ直し、琴乃は背を伸ばす。祝詞をあげよう。

 言葉を捧げる相手、鬼灯のことを心に念じた。
 低い声。つっけんどんな話し方。姿も知らない「夫」。
 でもきっと、いろいろな想いを抱えているのだろう――。

「かけまくも(かしこ)きかけるの鬼神(おにかみ)御前(おんまえ)
 この身を(たてまつ)りかしこみかしこみて申さく……」

 スウゥ――。
 祝詞の途中なのに、また力が抜けた。琴乃は倒れそうになるのをこらえる。途切れかける言葉を必死につむいだ。

「……この宮に(よさ)したまい神留(かむづ)まり()したまえと
 かしこみかしこみて申す――」

 なんとか最後まで言い切ってからうずくまる。息をととのえ、ようやく上げた顔は青白かった。
 最初に祝詞をあげた時のように体がふわふわと頼りなく、つらい。その後毎日お勤めをするようになってからは大丈夫だったのに。どうして。



 ――それを、鬼灯は見ていた。鏡の裏から。
 微笑んで楽しげな琴乃。
 キリリと鬼神に向き合おうとする顔。
 言葉をつむぐ唇。そして――生気を失っていく頬。

「何が起こっている?」

 鼻にしわを寄せ独りごちる。不機嫌を追い払うように深呼吸したら、反対に鬼灯には力がみなぎる気がした。

「――まさか」

 静月の仕掛けた封印の術。
 そこで生かされている鬼灯。
 かわるがわる与えられてきた形だけの妻たちは、そういえば勤めの間が空いた後に倒れそうになることがあったような――。

 そのからくりに思い至って鬼灯は総毛立った。女たちの生気を捧げられ、自分はここにいるのかもしれない。
 代替わりや月のもので勤めがなかった期間、鬼灯の力は弱る。それを補うように多量に吸い上げられる生命力――というのがさきほどの琴乃の姿なのでは。

 祝から来た嫁たちは次々に死んでいった。人としての寿命もあったのだろうが、彼女らは鬼灯を生かすための、まさに贄として静月が用意したのだ。低くうめく。

「琴乃も――死ぬのか」

 鬼灯は、自分の命の罪に倦んだ。


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「もうここへは来るな」

 鬼灯が琴乃を拒んだのは翌日だった。本殿へいそいそ足を運んだ琴乃が戸を開けるなり、そう告げたのだ。
 待ちかまえていたような鬼灯の言葉に琴乃は立ちすくむ。

「……どうなさいました?」
「どうもこうもない。返書などどうでもいいから宮を去れ。今後はいっさい嫁など寄越すなと祝の家に伝えろ」

 にべもない言い方をされ内心泣きそうだったが、琴乃は引かなかった。鏡の前に座り、抱えてきた書をそっと置く。

「昨日の日暮れ、都より文が届きまして」
「……そうか」
「静月さまは、祝の者の妖力が弱っていたことをご存じなかったそうです。私が鬼灯さまと話せることを喜んで下さいました。嫁という立場でなくともよいから、話相手として宮にいて祝詞を捧げ続けてくれぬかと。鬼神を祀るという体裁はなくすことができないそうです」
「静月め――!」

 声だけでもあふれ伝わる鬼灯の怒気に琴乃は身をすくませた。
 だが鬼灯の中で確信が生まれる。琴乃たちは、静月の力だけでは支えきれないものを背負わせるための贄だ。

「それで、あいつはここに来るのか」
「いえ……しばらくはお忙しく、時間が取れないと」
「ふん、逃げたな」

 鬼灯は苛々と吐き捨てる。

「そんな奴の文などどうでもいい。琴乃、おまえは俺の嫁だと言った。ならば俺の言葉をまず聞くべきじゃないのか」
「そうですが……」
「よし。では宮から出ていけ」
「そんなことできません! 静月さまの命にそむくなど」

 血の気が引いて白くなった琴乃の顔を鏡越しに見た鬼灯は、怒りに駆られて怒鳴った。

「ならば、俺が出ていく。こんな封印などブチ壊してくれよう!!」

 鬼灯は胸の前で印を結んだ。
 琴乃からは見えないが、黒かった瞳が赤に染まる。

「ふぬぅっ!」

 裂帛の気合い。しかしそれに応じてか、封印の術が強まる。静月の気配。

「ぐぅっ、静月……貴様!」

 ――鬼灯。
 懐かしい声に名を呼ばれた気がした。
 その気配に迫ろうと鬼灯はあがく。しかし。

「きゃあぁっ!」

 琴乃の悲鳴が鬼灯を引き戻した。
 封印が揺らいだことで、宮そのものも揺れたのだ。捧げられた神酒が倒れ、天井はミシミシ鳴っている。床に伏す琴乃の上に屋根が落ちてきたらと思った鬼灯はとっさに叫んだ。

「鏡を抱け!」

 声を聞いた琴乃は、ゴトゴトと揺れていた鏡に手を伸ばし、胸に抱きしめた。
 うずくまると琴乃の中から清冽な力があふれる。
 いや、これは琴乃ではなく――鏡から放たれる鬼の妖力。鬼灯の力がふわりと琴乃の全身を包んだ。

 ――――シン。
 しばらくして静まった本殿は、潰れてはいなかった。我に返った鬼灯が封印に挑むのをやめたからだ。
 だが何が起こったのかわからない琴乃はこわごわ辺りを見回し、鏡を抱えたまましばらく座り込んでいた。