呪われた鬼と言祝ぎの贄嫁

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 翌朝も琴乃は本殿に向かった。おずおず中に入ると先に鬼灯(ほおずき)から声をかけられる。

「まだ用があるのか」
「……お騒がせして申し訳なく思いますが、宮の者たちに送り出されてしまいまして。私はお勤めをするものだと思われておりますから」
「おまえは俺の嫁ではないと言……書いて貼り出しておけ」
 
 「言え」と言いかけたのだろうに、それができない琴乃の状況を思い出してくれたのか。鬼灯の意外に柔軟なところが琴乃は嬉しくなった。

「さようですが……それだと私はただの穀潰しになってしまいます。宮にいる間だけでも、お仕えさせて下さいませ」

 生真面目に申し出た琴乃に、鬼灯は「フン」と言ったきり。強く拒まれなかったことで琴乃は布を取り出した。鏡を磨くのだ。

「……あと、お訊きしたいことが」

 そっと鏡を捧げ持ち、手を動かしながら琴乃は尋ねた。

静月(しづき)さまへの文といっても、どう記したものやら迷ってしまいまして」
「まだ書いていないのか」
(ほうり)の家に宛てては書き上げました。でも都へとなると……」

 琴乃にとって静月は雲の上の存在だ。都の大正殿にて政を行っていると聞くが、実感はない。
 鬼たちは軒並み長命で力が強く、中には空を飛んだり物を動かしたりと異能を使う者もいるのだとか。そんな存在、物語じみていて琴乃には想像もつかなかった。

「ふん。俺は封印の中でのたうち回り苦しんでいるとでも書けばいい」
「そんな……」

 刺のある言葉が返ってきて琴乃は絶句した。
 だが確かに、鬼灯が封じられた時に静月と何があったのかなど知らない。人の時間でいえば何代も前のことだから。

「ご無礼を。嫁が送られるのは鬼灯さまの無聊をおなぐさめするためだと教えられましたので……お二人には何がしかの情があるものかと」
「おまえは本当に苛つく女だ」

 吐き捨てる鬼灯の声に苦さがあった。
 琴乃のこの言いよう。いくら嘘がつけないといっても明け透け過ぎて、記憶の底を引っ掻かれる。

「――俺は昔、暴れた。相手があやかしでも人でもだ。静月はそれを国作りの邪魔に思った。そして俺をだまして閉じ込めた。俺がいなくなってせいせいしているだろうよ」

 あいまいに告げた声にはかすかな揺らぎが乗っていた。鬼灯と静月はきっと近しい間柄だったのだと琴乃は感じた。

「それは……おつらいことでしたね」
「別に」

 昔を語るなどして気恥ずかしかったのだろうか、鬼灯の気配が消えかける。琴乃は急いで引き留めた。

「静月さまにこちらへお運び願ってみても、よろしいでしょうか」
「なに?」
「昨日、ここへ呼ぶようにと……お話なさりたいのでは?」
「――ふん、勝手にしろ」

 売り言葉に買い言葉を残し、今度こそ鬼灯の声は消える。

「では……お伝えしてみます」

 琴乃は生真面目に頭を下げた。なんでも字面通りに受けとめがちな琴乃のことを、鬼灯はまだ理解していなかったのだ。


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 鬼灯はもうずっと長い間、静月により封じられたまま過ごしてきた。
 それは時の波間に揺蕩(たゆた)うような生。

 初め鬼灯は、静月にだまされたことで大荒れに荒れた。封印を破ろうともした。
 本来なら鬼灯と静月の妖力は拮抗している。しかし鬼灯は、力を分けてこめた宝珠を奪われていた。ゆえに静月の封を破ることができなかった。
 捨て身の力を振り絞れば可能かもしれない。だがそれでは静月にも術がはね返るはずだ。共倒れになってしまえば豊穂足(とよほたり)の国はまた混沌に叩き込まれるかもしれない。
 
「俺など……のんびり朽ちていけばよいと思っているのに」

 閉じ込められたままなのに腹がすくわけでも、体が衰えるでもない。これは静月のそういう術なのか。殺さずに、ただ鬼灯を捕らえる檻。

「静月め、何を考えている」

 顔をしかめたら、ギリと奥歯が鳴った。

 雑に着た黒い小袖からのぞく赤い襟。包まれた体は引き締まり筋肉質だ。
 顔にハラリとかかる黒髪は結えないほどの短さだった。かき上げる指先が二本の角をかすめる。短い角はホオズキの実のような赤。

 この姿は代々の花嫁にも見えないらしい。鬼灯の方からは鏡に映る範囲が認識できるのだが。
 それにしても言葉すら通じなくなった頃には、はらわたが煮えくり返ったものだ。祝の女たちはなんのために鬼灯の嫁を名乗っているのか。

「琴乃……」

 新しくやってきた嫁は、木霊の血を引くとかで鬼灯の声が聞こえている。これを逃す手はなかった。琴乃がいるうちに、くだらない嫁入りなどやめさせてやる。

「手も触れられず、向こうからはこっちが見えもしない妻などうっとうしいだけだ。独りの方がいい」

 歴代の嫁たちは毎日無表情に祝詞をあげながら年老い、死んでいった。
 そんなものを見せられ続けるなど、静月の嫌がらせとしか思えないじゃないか。

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 琴乃が差し向けた文は、何日かしてきちんと静月の元に届けられた。
 礼を失するかと琴乃は気をもんでいたが、静月にとって鬼灯は重要な存在なのだ。その嫁からの知らせとあらば、突き返すことなどあり得ない。

「祝は妖力を弱めていたのか……」

 文に目を通し、静月は独りごちた。
 ここは大正殿の奥の間。この国を統べる静月の私室だ。しかしそのしつらえは華美ではない。
 おろした御簾の内で畳にしどけなく座り、脇息にもたれた静月はため息をついた。

「人のうつろいを甘くみていた。使えぬな」

 冷ややかな言葉をサラリと言い放つ。どうりで近ごろは嫁たちの代替わりが早いわけだ。鬼の長命を喪って、ただの人になっていたとは。

 静月は飾られている二つの宝珠に目をやった。

 静月の力がこもる、(みちる)の宝珠。
 そしてもう一つは、(かける)の宝珠。

 月が満ちるのを数えて生き物は命を育む。
 体を欠いた魂は黄泉へと帰る。
 その理を守るのが静月と――鬼灯だった。

「おまえがいけないのだ鬼灯。誰にも本気でぶつかっていく、おまえが」

 静月の背を流れ落ちる長い黒髪は、夜のように艷やかだった。そこに突き出す二本の角は氷月のごとき白。
 濃紺の下衣の上に白い綾の直衣(のうし)をまとった姿は幾年経とうと若々しく――鬼灯と似ているかもしれない。

「鬼灯――助けてくれと泣きついて心をあらためればいいものを」

 強情な悪鬼は、静月の仕掛けた罠に甘んじ過ごしている。それはまあ気分のいいことだったが、鬼灯を閉じ込める結界を封じ続けるのは静月に無理を強いていた。
 そのうえ満ち欠け二つの宝珠を静月ひとりで背負わなくてはならない。それも、苦しい。
 最近は政務に出るのも億劫な日があるほどだった。王としてうわべを取りつくろっているものの、ここへ帰ったとたん膝をつくようなこともあった。

「私は……強くあらねばならぬのに」

 不調はおそらく、鬼灯の元に嫁がいなかったせいだ。文を寄越した琴乃という娘が宮に入った頃からやや楽になった気がする。

「よく鬼灯を支えよ、と返してやらねば。嫁などいらないと鬼灯が言おうが、そんなのは許さない」

 鬼灯を生かす役目はそちらに負わせ、静月は結界と国の政に注力したい。
 騙し討ちで封印したのは、鬼灯に欠の宝珠を任せるのは危ないと思ったのがきっかけだ。だから奪った宝珠は静月が責任を持つしかなかった。

 生まれ落ち、死んで眠る。
 命のうつろいは淡々と繰り返されるものだと静月は考えていた。
 だが鬼灯はあちこちの人やあやかしの間を放浪した。そこで仲間も作ったが、喧嘩も絶えない。何があったのか種族の違うあやかし同士が戦になり、片方が滅びかけることもあった。

 暴風のごとく生み出される死。
 欠の力を鬼灯に与えてはならない。それが静月の至った結論だ。

「私に会いたい――か」

 静月は満足げに微笑む。鬼灯が自分を求めてくるのは心地よかった。

 懇願するがいい。ここから出せ、と。
 そしてすがりついてくれ。会いたかったと。

 だがそうはならないだろう。鬼灯は不遜で傲慢で、奔放な心を持つ鬼だ。

「まだ、会えぬ」

 しばし焦らしてやろう、と静月は考えた。
 会うのを怖れているみずからの心は、見ないふりをして。