呪われた鬼と言祝ぎの贄嫁


 鬼灯(ほおずき)に「去れ」と言われた琴乃(ことの)だが、それを誰かに伝えることはできなかった。
 宮にいる者が口をきいてくれないからだ。

 本殿で「夫」との対面を終えた琴乃は、有無を言わせず北の(たい)へと案内された。
 北の対は主の妻が寝起きする建物。本人が口を挟む隙もなく、琴乃はすでに女主人として扱われている。

(鬼灯さまには花嫁として認められていないのに……)

 琴乃を妻とするならば「沈黙をもて(いら)えたまえ」と鬼灯には申し入れた。そして「うるさい」と怒鳴り返されたのだ。つまり婚姻は成っていない。

 平良宮(ひららのみや)には近年、鬼灯の声が聞こえる嫁など来なかったはずだ。鬼灯はずっと嫁たちを拒否し続けていたのに誰にも通じなかったということか。

(それは……鬼灯さまも、お腹立ちでしょうね)

 だがそんな事情を知らない宮の者たちは皆、この形式的な婚礼を止めるなど思いもよらないのだ。琴乃が話しかけることを頑なに拒み、目を合わせることもせず淡々と手順をこなしていくのみ。

 無言の侍女にかしずかれ花嫁衣装を脱ぐ。そして着せかけられた小袿(こうちぎ)は柔らかな絹で、二つ色の(かさね)――華やかで晴れがましいよそおいだ。
 その後にしずしずと運ばれてきたのは婚礼祝いの食事だった。強飯(こわいい)、吸い物椀、蒸し魚、塩漬けの菜、干し果物。赤漆の膳に並ぶ料理は申し分ない。
 だが琴乃が膳の前に座ると、ささ、と人が下がっていった。広い部屋にポツンとひとりになる。

 だって琴乃は、悪鬼・鬼灯の妻。
 世に災いをもたらす鬼につながる女だ。

「誰も……私とかかわりたくないの? 私も怖れられているということ?」

 丁重に扱われ、良い着物と食事を与えられているのに。人々の中にあるのは琴乃への隔意だけ。
 思い知って琴乃の心は押しつぶされそうだった。


  ✻ ✻ ✻


 婚礼後にやるべきこととして琴乃が教えられているのは閨のつとめなどではなく、鬼灯を祀る作法だけだった。具体的には鬼灯と通じる鏡を守り磨き、祝詞(のりと)を捧げるお勤めについて。
 しかし当の鬼灯からは「帰れ」と言われてしまった。そんなことになるとは誰も思っていなかったので、どうすればいいやらわからない。
 しかし琴乃の戸惑いなどまったく無視し、翌日からお勤めが行われることになった。朝から本殿へ送り出されてしまったのだ。

「鬼灯さま……」

 仕方なく平伏して呼びかける。

「帰れとのお申しつけ、重々承知です。でも鬼灯さまのお言葉を伝える相手が宮にはおりません」
「――どういうことだ」

 応えてくれた鬼灯の声は昨日よりもうんざりしていた。琴乃は恐縮しながら説明する。

「宮の者たちが口をきいてくれないのです。(ほうり)の家に言伝てを頼むことも、まだできておらず……」
「阿呆どもめが!」

 轟くような怒号が響いて、琴乃は座ったまま跳び上がった。そこにはいない鬼の目にギラリとにらまれたような気すらした。

「それはあれか、俺があいつらを取って喰うと思っているからか。ここを清めに来るにも息をひそめて死にそうな顔をする失礼千万な奴らだ」
「……鬼灯さまが力ある御方だからです。人は弱いもの。(おそ)れ多くて近寄るのをはばかるあまり、嫁に来た私のことも遠巻きにするのでしょう」

 怒りに満ちた鬼灯の声に気おされながらも、琴乃は抗弁した。宮の者たちが祟られては哀れだ。

「ほう? おまえをないがしろにする者のことまで庇うのか。おろかな」
「……そうかもしれません」
「で、そのお優しい琴乃はこれからどうするつもりだ。俺はおまえに出ていけと言ったはずだが」

 せせら笑うように訊かれ、琴乃は考えていたことを述べた。

(ふみ)をしたためようと思います。祝の家と……都にあらせられる静月(しづき)さまへ。私などの文を大正殿(だいせいでん)の奥まで届けてもらえるかはわかりませんが」

 大正殿は静月の御在所(ございしょ)
 ここに鬼灯を封じたのは静月だ。そして平良宮へ贄のような嫁入りを命じたのも静月だというならば、鬼灯の拒絶を伝える相手だって静月であるべき。

「宮の者は私に話しかけられるのを嫌がりますが、幸い紙と硯はありました。筆談ならばできましょう」

 琴乃は文を記し、その届け先も書き付けて使用人の誰かに渡すつもりなのだ。まどろっこしいが仕方ない。

「すぐに手配いたしますので……返書が来るまではここにいさせていただけないでしょうか。私の勝手で出て行くことはできません」
「ふん……まあいい」

 切々と訴える琴乃に、鬼灯は投げやりな答えをよこした。そしてそのままの調子でひどいことを言う。

「ただし、文を出すというのが嘘だったなら、おまえを殺す」
「ご安心下さいませ。嘘は苦手ですので……」

 琴乃は困った顔でほんの少しだけ笑った。これは本当のことだ。

「私の母は……木霊(こだま)の血を引いているそうです」
「……ほう」

 人里と森の境い目で出会った、人間の娘と木霊の男。二人が恋をして生まれたのが琴乃の母らしい。
 つまり琴乃が人ならぬものの声を聞き、鬼灯とも話せるのは木霊の力のおかげなのだ。

「ご存知のとおり、木霊は言葉を受けとめて返すものです。ゆえに言霊(ことだま)を知り、言葉にこめられた本質を好みます。嘘をつくのは下手だそうです」
「知っている。木霊たちはろくに冗談も通じなくてな。面倒くさい連中だった」

 真剣な論評が鬼灯から返ってきて琴乃は一瞬言葉に詰まった。そうなのか。

「……木霊の親族に会ったことがないので、わかりませんが」
「そういうところだ。俺の与太話を真面目に考えなくていい」
「は? え……あの、冗談……だったのですか」

 琴乃はあっけに取られる。その反応に容赦なく哄笑を浴びせると、鬼灯の気配は消えてしまった。

「そんな……」

 さすが非道の鬼というべきか。気まぐれにからかって、勝手にいなくなるとは。鬼灯にどう接すればいいのか琴乃にはわからなくなった。

「……せめて、祝詞ぐらい捧げてもいいですか」

 小さくつぶやいても鬼灯の返事はない。今これ以上話すことはないという意思表示だろう。ならば琴乃にできるのは言いつけられたお勤めだけだ。気を取り直して鏡の前に座ると背すじを伸ばす。
 鬼灯に捧げるための言葉はいくども繰り返して覚えてきた。心をこめ、ゆっくり告げる。


「かけまくも(かしこ)きかけるの鬼神(おにかみ)御前(おんまえ)
 この身を(たてまつ)る者のかしこみかしこみて申さく――
 鬼神の堅磐(ときわ)(さきわ)えまつり()()す里々には
 荒御魂(あらみたま)によりて平らけくしろしめしたまいて
 民の安く(おだ)いに立ち栄えしむるため
 この宮に(よさ)したまい神留(かむづ)まり()したまえと
 かしこみかしこみて申す――」


 これは鬼灯をたたえる内容だった。
 鬼の力を持つ荒ぶる御方のおかげで里には争う者もいなくなった。これからは民が穏やかに暮らすのを、宮から見守っていてほしい……ぐらいの意か。「かけるの鬼神」という言い方は意味がよくわからないが。

 悪鬼をなだめ持ち上げて、鎮めおく。それが琴乃のすべきこと。
 わかっているが、おべんちゃらのような言葉を口にするのはあまり嬉しくなかった。これも琴乃に受け継がれた木霊としての性質なのかもしれない。

「――あっ」

 下げていた頭を戻した琴乃は、ふと目まいを感じて床に片手をついた。力が抜けるような感覚。
 ふう。ふう。
 深い息を繰り返し、落ち着いてきた琴乃はそっと立ち上がってみる。どうやら大丈夫のようだ。

「緊張していたのかしら」

 居着いていることを鬼灯に言い訳しなければならなかったから。
 それに昨夜は初めての宮で居心地悪く過ごしたのだ。良く眠れたとは言いがたい。目まいぐらい当然だろう。

「さて、じゃあ文を書かなくちゃ」

 鬼灯と話せたこと。嫁入りを拒まれたこと。帰らなければならないこと。
 それらの何をどう伝えればいいのか――特に都の静月へなど、無作法な文章を書いてしまわないか心配だ。

 書き損じがたくさん出るだろうな、と琴乃は覚悟した。