呪われた鬼と言祝ぎの贄嫁


 春らんまんの今日、琴乃(ことの)は花嫁となる。
 嫁ぐ相手は平良宮(ひららのみや)(やしろ)におわします――悪鬼だ。


  ✻ ✻ ✻


「よいな琴乃。鬼灯(ほおずき)さまによくお仕えし、(しず)め奉るように」

 館を出る琴乃に父がかけた言葉は冷ややかだった。だがそれも琴乃にとってはいつものこと。
 一族の中でも琴乃は、みんなに薄気味悪がられていたから。

 人ならぬものの声が聞こえる。それが琴乃だ。
 虚空にいる見えない何かと語り合う癖のある娘など、さっさと遠ざけてしまいたかったのだろう。父の顔色には琴乃の先ゆきを案じる様子はみじんも見られなかった。

「かしこまりました……」

 琴乃は表情を殺して床に指先をそろえる。
 寿ぐべき結婚の朝とは思えない、陰鬱な気分だった。今後、琴乃の人生に一切の自由はなくなる。

 琴乃の夫になるのは鬼灯という名の――鬼。
 しかも世を荒らしてこの地に封じられたと伝わる悪鬼だった。今は深い木々の中にある宮に祀られている。
 婚姻という形を取ってはいるが琴乃は、鬼灯が祟らぬよう機嫌を取るため宮に差し出される生け贄のようなものだった。

 今となっては存在も定かでなく伝説でしかない、鬼灯。
 琴乃は鬼をなぐさめ封じる祝詞を捧げながら一生を過ごすことになる。そこから逃げるな、と父は念を押した。

「くれぐれも(ほうり)の名を汚さぬように」
「承知しております」

 鬼の贄嫁を差し出す。それが祝の一族に課された役目だ。
 代々そうしてきて、今回は琴乃に白羽の矢が立った。それだけ。琴乃は父に従うしかない。

 遥か昔、鬼の血が入ったと言われる祝の家。
 一族はその血の力をもって鬼道を使っていたと伝わる。しかし人の間に交わって幾代も重ねるうち、祝の者はただの人と成り果てていた。
 ただひとり、琴乃をのぞいては。


  ✻ ✻ ✻


 平良宮の社は清らかな空気に満ちた場所だった。
 玉垣をめぐらせた中に歩み入った琴乃は静かに深呼吸する。門の脇には大きな(ひのき)がそびえ、細かい葉が(さや)かな風に揺れていた。
 視線の先に広がる広壮な社殿は、都で高貴な人が住まう寝殿造りのようだった。
 中央の大きな屋根が鬼灯の祀られている本殿なのだろう。その周りの建物は渡殿で結ばれている。空を映す池がしつらえられた庭も優美だ。

「……」

 琴乃を迎えに出た者たちは無言でうやうやしく琴乃に頭を下げた。
 だが白い花嫁装束を目にして誰ひとり笑みもしない。この嫁入りは祝われるべきものではないから。

 彼らは基本的にしゃべらないという。宮に封じられた悪鬼に声を聞きつけられるのを怖れているのだ。
 鬼灯に声を覚えられ名を知られたら取って喰われる。里の人々の間でまことしやかにそう噂されているのを琴乃も承知だ。
 だが琴乃は、その悪鬼・鬼灯にこれから名乗りをあげなくてはならない。嫁として参りました琴乃です、と。
 だから鬼に声を聞かれてもかまわなかった。そっと口を開いてみる。

「これから、よろしく頼みます」
「……」

 そこにいた者たちが落ち着かなげに顔を見合わせた。眉をひそめる者もいる。
 結局誰も応えることなく、本殿を手で示された琴乃は仕方なく歩き出した。
 シャリ。シャリ。
 軽く玉砂利を踏む音だけが、かそけく響く。人に囲まれているのに音がほとんどなかった。
 空に吸い込まれるような気がして琴乃はめまいに耐える。殺されるために刑場へ引き出される罪人とはこのような気分だろうか。


 手水を使い、昇った本殿に人々はついてこなかった。
 ここからは決められたしきたりに添って、琴乃がひとりで嫁入りの挨拶をすることになる。といっても夫たる鬼灯の姿などどこにも見えないのだが。
 白木の柱。板張りの床。幕が回された祭壇の中に鎮座するのは、一枚の鏡。
 それが鬼灯の封じられた異界と現世(うつしよ)をつなぐものなのだという。
 琴乃は用意されていた玉串と神酒(みき)を捧げ、鏡の前にひざまずいた。淡々と問いかける。

「かけまくも(かしこ)(たけ)き御方の御前(おんまえ)
 (ほうり)の内より出でし琴乃の、かしこみかしこみて申さく――
 我は()なたの妻とならんとし、この宮へ参りたてまつる
 この(おとな)いはありやなしや
 ありならば沈黙をもて(いら)えたまえと
 かしこみかしこみて申す――」

 つまり、嫁になるために来たので受け入れるなら黙っていてね、という内容だ。
 琴乃もどうせ鬼灯から返答があると思っていない。だが力のある神だの鬼だのというものには筋を通し礼儀を守るべきなのだ。でないと、いつどんな障りが起きるかもしれない。

「――うるさいっ!」

 苛立った男の声が聞こえた。静寂が破られて琴乃の肩がビクンとはねる。

「また祝の女か? とっとと出ていけ――と言っても聞こえないのだろうな」

 男の声はいまいましげに言い放つ。

「鬼と通じることもできなくなった人間ごときがウロチョロと。ここで何人朽ち果てさせれば気が済むのか!」
「――あの。もしや、鬼灯さま?」

 突然の声に驚いた琴乃は、かしこまることを忘れて問いかけた。ここに祀られているのは神にも等しい力を持つ鬼のはずだが、苛々と文句を言われて調子が狂う。
 怒りがあからさまだった男の方も、琴乃の反応で怪訝な声色になった。

「――なんだおまえ。俺の声がわかるのか」
「は、はい」

 琴乃はきょろきょろした。誰かがいるわけではない。
 男の声は耳に入るというよりは胸から湧き上がるように感じ取れたものだった。きっとうつつの者ではなく――とうことは、やはり鬼灯なのか。

「なんてこった――」

 鬼灯は引きつった笑いをもらしたようだ。

「祝に先祖返りが現れたか。これはいい」

 何がいいのかわからないが、琴乃は念のため確認した。

「おそれながら。このお声は、どなたさまでございましょうか」
「俺は鬼灯だ」

 やはりそうか。悪鬼と言われる存在と言葉を交わしていることで琴乃に緊張が走る。だが鬼灯はぞんざいに言い放った。

「琴乃とかいったな」
「はい」
「祝の連中に伝えろ。俺に嫁はいらない」
「え。それ、は……」
「おまえも家に帰れ。邪魔だ」

 断固とした拒絶を突きつけられ、琴乃は黙ってしまった。
 帰れと言われても困る。おそらく家に琴乃の居場所はもうないだろう。鬼灯に帰されたと訴えても、どうせ嘘だと断じられるだけ。

「……私は」

 琴乃は声をふるわせた。鬼灯に言い返してもいいものか。いったいどうすれば。
 うなだれる琴乃の気配がわかったのだろうか、鬼灯は吐き捨てる。

「ああ、おまえに強いているのは祝ではないのか。命じた大もとは静月(しづき)の奴だろう? あの馬鹿野郎め」

 罵倒の言葉に、琴乃は真っ青になった。

 静月。それはあやかしの王。
 この豊穂足(とよほたり)の国を統べる、長命な絶対者のことだ。
 あやかしたちの頂点に立ち、人とあやかしが並んで生きる国を作った王が静月。彼は鬼の一族だそうだが怜悧な智者だと聞く。

「静月は今も国を治めているのか」
「は……はい。都にいらっしゃるのだと思いますが」
「ふん。豊穂足はさぞかし平らかな国になったのだろうよ、くだらん」

 鬼灯は鼻で嗤う。
 そうか、静月は鬼。鬼灯も鬼だ。
 鬼灯が静月に封じられたというのなら、互いに争ったことがあるのだろう。
 だが人々の安らかな暮らしを「くだらない」と言われるのは心外だ。琴乃は控えめに訴えた。

「里の者は静月さまに感謝しております」
「――そうか」

 鬼灯の声がさらに冷え、琴乃はふるえあがる。
 だが静月に従うことで人々が穏やかにいられるのは本当なのだ。

 この国には、さまざまなあやかしが住んでいる。もちろん人も。
 だがそれぞれが暮らす所はわりと異なっていて、あまり衝突もなかった。人は里に。あやかしは森や山、川や原に。
 人は弱く、はかない生き物だ。しかしあやかしだってそんな生き物にかまうほど暇ではない。目に入らなければそれでいいのだった。

 この棲み分けは、互いに極力かかわらず暮らすべし、と定めた静月のおかげだった。でなければ鬼のたわむれで里のひとつやふたつ、消えてしまいかねないから。
 実際この鬼灯がまさに、戦で大暴れして人を困らせたあげく静月によって封じられた鬼ではないか。暴虐の鬼、呪いの鬼と恐れられたのだと伝わっている。

「……帰ることなどできません」

 琴乃は泣くのをこらえてつぶやいた。

「祝の者には鬼灯さまのお言葉が聞こえません。私が勝手なことをしたと思われましょう」
「そんな事情、俺は知らん。琴乃がどうにもできないというなら静月をここに呼べ」
「そのような……」
「琴乃を嫁とは認めん。とっとと()ね」

 鬼灯はにべもない。そしてそれきり、「夫」の気配は途絶えてしまった。
 取り残された琴乃はひとり、床から立ち上がることもできずにいた。