冷徹軍医の最愛嫁 ~無能の妻は、夫の愛に気付かない~

 息苦しさに意識が浮上し、目を瞬く。

(あれ、私昨日……?)

 焦点の合わない目がようやく機能した頃、見慣れない天井が目に入った。
 その上、お腹に重みを感じる。
 回らない頭のまま視線移すと、千鶴を抱きしめる腕が見えた。
 腕の持ち主へと目を滑らせる。
 真っ先に飛び込んでくるのは、はだけた着流しから見える肌色だ。
 目に毒なそこから慌てて視線を外す。
 男性らしい喉仏やすっとした輪郭に艶やかな黒髪が流れ、色気を放っている。

「ひぇっ」

 口から漏れてしまった音は、僅かに紫苑の睫を震わせた。
 思わず両手で口元を覆う。
 恐る恐る様子を窺うと、彼は規則正しい寝息を立てていた。
 ほっと息を吐き、紫苑の顔から視線を逸らした直後。
 くすくすと笑い声が鼓膜を揺さぶる。
 ばっと見上げれば、紫苑が楽しげに笑っていた。

「い、いつから、起きて……」
「千鶴が僕の肌を見つめてたあたりだな」
「最初からじゃないですか……起きてるなら起きてると仰ってくださればいいのに」
「拗ねないでくれ。可愛い千鶴が寝ている僕に何をしてくれるのか、興味があったんだ」
「っ、そんな、戯れを……」

 お腹に回っていた手が千鶴の頬をなぞり、羞恥で俯きかけた顎を持ち上げる。
 浅葱色の瞳と視線が絡むと、彼の目元が和らいだ。

「妖毒を浄化した影響はないようだな」

 心底安堵したような声色に、千鶴は昨夜からの疑問を投げかけた。

「昨夜からずっと気になっていたのですが、妖毒とはどのようなものなのですか? それに私が浄化したって、どういう……?」
「……そうか、君は知らないのか」

 僅かばかり驚いたような声色に、千鶴の体が強ばった。
 震える唇から流れるように謝罪の言葉が漏れる。

「不勉強で申し訳……」
「謝らなくていい。1つずつ知っていけばいいんだ」

 途中で遮られたかと思うと、幼子をあやすように頭を撫でられた。
 叱られなかった安堵からか穏やかな空気を震わせるように、千鶴の腹の虫が鳴った。
 肌が触れあうほどの近さにいたため、紫苑の耳にも届いているだろう。
 恥ずかしさでどうにかなってしまいそうで、千鶴は両手で顔を覆った。
 穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだ。
 千鶴は顔を隠したまま、消え入りそうな声で呟く。

「すみません……」
「君は息をするように謝るな。いい。先に食事にしよう」
「はい」
「千鶴が疑問に思っていること、僕の喋れる範囲で答えよう。まぁ食事中にする話でもないが、君が気にならないのであれば」
「もちろんです」

 こくりと頷くと、紫苑は少し困ったように微笑み起き上がった。
 彼にならい千鶴も起き上がる。
 紫苑が側置卓子(サイドテーブル)の端に置かれていた呼び鈴を鳴らすと、間髪入れず扉がノックされた。
 彼が許可を出すと側仕えが入室する。
 側仕えは千鶴を視認すると目を見張っていたが、何事もなかったかのように頭を下げた。

(さかき)。食事を二人分だ」
「こちらでお召し上がりになりますか?」
「居間でいい」
「御意」

 非常事項だけを確認した榊と呼ばれた側仕えは、すぐに部屋から出ていた。

(やっぱり旦那様の側仕えとなると、優秀な方なのね)

 千鶴はその様子をぼんやりと眺めていたからか、差し出された手に気がつかなかった。
 声を掛けられ、方が跳ねる。

「千鶴?」
「へ? は、はい!」
「手を」

 いつの間にか差し出されていた手に、おずおずと自身のそれを乗せる。
 すると軽々と手を引かれ、紫苑の胸元に飛び込むような形で立ち上がってしまった。
 慌てて離れようとする千鶴だったが、腰に回った紫苑の腕に阻まれて身動きが取れない。

「し、紫苑様……?」
「……三ヶ月も一人にさせてしまってすまない」
「いえ。お勤めご苦労様でございました」
「食事の後、寂しい思いをさせてしまった埋め合わせをさせてくれ」
「え?」
「だめか?」

 伺いを立てる紫苑の声色は、どこか儚げで、千鶴は二つ返事で頷いた。