何事もなかったように食事を終えた後、軍部で開かれる祝勝会への参加を告げられた。
見慣れない女中に化粧を施され、身支度を整えられたかと思うと、早々に祝勝会へと連れて来られてしまった。
煌びやかなシャンデリアの下、オルケストラが奏でるワルツはどこか別の世界に迷い込んだ気にさせる。
色とりどりのドレスや振袖が参加客の格を表しているようで、千鶴は萎縮してしまいそうだ。
そっと着物に視線を落とす。
女中に着せられた着物はハレの日に相応しく扇や鞠といった縁起物があしらわれている。
質の良いそれに着られていると思われないよう、千鶴は背筋を伸ばした。
緊張を貼り付けた千鶴とは反対に、紫苑は涼しい顔をしている。
三つ揃えを着こなし、凜としている紫苑は注目の的のようで、ご婦人方から熱い視線を集めていた。
(紫苑様、かっこいいものね)
千鶴は内心頷きながら紫苑を見上げる。
彼の少しかさついた唇に視線が吸い寄せられるのは仕方のないことだろう。
なにせ、紫苑から想いを告げられた際に、彼から口づけられそうになったのだから。
しかし身構えた千鶴に何を思ったのか、紫苑は額に唇を寄せただけだった。
(わ、私、口づけされなかったこと、残念に思っているなんて……)
顔を赤らめ百面相をする千鶴に、紫苑は小さく微笑んだ。
それだけで心が温かくなる。
「千鶴。これから挨拶回りに行くが、体調が悪くなったら教えてくれ」
「はい。紫苑様。病弱と言われておりますが、実は私、ちゃんと健康体なんです。最後までお付き合いします」
「ふっ。頼もしいな」
千鶴の心は、紫苑の妻として役に立てると嬉しさでいっぱいだ。
紫苑に連れられて、色々な人達に挨拶をしていく。
紫苑は同期から、後輩、軍を統括をする総司令官にまで声をかけ、千鶴を妻だと紹介した。
総司令官に紹介されたときは、緊張で心臓がまろびでそうだった。
(粗相がなければいいのだけれど)
東雲家に嫁ぐ際、受けさせてもらえなかった淑女教育を詰め込まれたが、付け焼き刃でしかない。
緊張で張り詰めていた千鶴に休憩しようと提案したのは、紫苑の優しさだろう。
ダンスホールから離れた場所に置かれたソファーへと千鶴をエスコートした紫苑がそっと頭を撫でてくる。
気持ち良さから目を閉じてされるがまま温かな手を受け入れた。
小さく笑った音が聞こえる。
「飲み物を取ってくる。少し離れるが、いい子にできるか?」
「はい」
離れていく紫苑の背中を眺めていると、不意に影が落ちた。
それを見上げれば、ほぐれていたはずの緊張が一気に戻ってきた。
「お、お姉様」
「あら。千鶴」
今気がついたと言わんばかりの小夜は、さっと視線を走らせ、この場に千鶴しかいないことを確認していた。
彼女の行動に、千鶴はこの後口にされるであろう言葉を想像し、口を一文字に結ぶ。
「こんなめでたい日に貴女の顔を見ないといけないなんて嫌だわ」
「……」
「あんた、夜中に東雲様の寝室に潜り込んだって聞いたわ。まったく、はしたない。もっと節度を持ちなさい」
「……でも」
「なに? 無能が私に反論しようって?」
「っ」
「そうそう。身の程をわきまえた行動をしなさい」
反論できないまま小夜を見つめていると、カツカツとヒールの音が聞こえてきた。
その音は千鶴と小夜の近くで止まる。
音のした方へ目を向けると、流行のモガと呼ばれるような装いの女性が佇んでいた。
ひらりと舞った和洋折衷のドレスに見惚れていると、女性は綺麗な微笑みを浮かべる。
「薬師寺さん、こんなところにいらっしゃったの?」
「お久しぶりです。巴様」
「えぇ。その子でしょう? 東雲君の目に入れても痛くない伴侶って」
視線を向けられ、千鶴は慌てて立ち上がろうとする。
しかし、いいのよと制止され浮いた腰をまた下ろすこととなってしまった。
「この子は私の妹なのです。病弱なので気になってしまって……」
「あら、そうなの? 健康そうに見えるのだけど、今日は体調がいいのかしら」
「そのようです。姉として少し安心してます」
「そう。あ、そうだ。少将の奥さんが薬師寺さんを探していたわよ。なんでも貴女に診てもらいたいのだとか」
「わかりました。そちらに伺いますね。じゃあ千鶴。またね」
千鶴の返事も聞かず、小夜は少将の奥さんを探しにホールの中心へと戻っていく。
小夜の振袖から一瞬赤黒い靄が立ち上ったように見え、千鶴は目を凝らす。
しかし、瞬きをした時にはもう見えなくなっていた。
(気のせい……? それともお姉様が妖毒に……?)
一縷の不安が胸に沈む。
千鶴が小夜を凝視していると、巴がくすくすと笑い出した。
彼女の反応に、千鶴ははっと我に返る。
「あの子、よほど貴女の事が嫌いなのね」
「っ!?」
「そんなに身構えなくてもいいわよ。わたくしはどちらかというと貴女の味方。東雲千鶴さん」
「申し訳ありません。私まだ自己紹介させていただいてないと思うのですが……」
「あら。そうだったわね。わたくしは久我巴。総司令官の妻です」
「! そ、そんな方を立たせっぱなしなんて……! ど、どうぞ座ってください!」
飛び上がるようにして立ち上がった千鶴に、巴はまたくすくすと笑い始める。
目を細める彼女の視線はどこか優しげだ。
「東雲君が大切にする理由が分かるわね。とっても素直ないい子だわ」
「へ?」
「ねぇ、東雲君」
巴の視線を追うと、洋盃を両手に持ち、固まっている紫苑がいた。
紫苑は少し目を見開いていたが、すぐに立て直して千鶴の隣に立った。
「はい。僕の唯一です」
「紫苑様っ!?」
「あらあら。じゃあしっかりと守ってあげなさい。……近いうちにあの子、暴走するわよ」
あの子、と告げた巴の目線の先には朗らかな顔で談笑する小夜がいた。
千鶴が言葉の意味を理解する前に、紫苑から疑問が飛ぶ。
「それは……先読みとしての言葉ですか」
「ふふ、女の勘よ」
「……わかりました」
「ということで、千鶴さん」
「は、はい!?」
いきなり自身へと向いた声に、千鶴は盛大に肩を揺らした。
それが面白かったのかまた巴はくすくすと笑う。
「男は度胸。女は愛嬌だと言うけれど、女にも度胸が必要な時があるわ」
「はい」
「逃げ続けてきたことに向き合わないといけない日がきっとくる」
「……はい」
「でも大丈夫よ。貴女にはこんなに頼もしい旦那がついているんだもの」
巴に優しく肩を叩かれる。
真っ直ぐに千鶴を見つめる巴から目が離せない。
「何があっても、東雲君が守ってくれるわ」
「あぁ。頼ってくれていい」
「ほら、本人もそう言ってるでしょ? だから遠慮せず、寄りかかっちゃいなさい」
「えっと……」
「それにもし貴女になにかあったら、東雲君が露払いをしてくれると思うわ。でも男はね、加減ができないのよ」
「?」
「夫の手綱は妻が握らないとね」
ウインクをして告げられた言葉は、淑女教育で学んだことと正反対だ。
夫の三歩後ろを歩く。それが淑女としての作法。
しかし、なぜかしっくりくる。
「ぜ、善処します」
「ふふ、楽しみにしているわね」
巴はそう言ってふらりとどこかへ行ってしまった。
残された千鶴と紫苑は互いに顔を見合わせる。
「意味深な方ですね」
「あぁ。先読みの異能を持つお方だからな。底知れないが、千鶴はいたく気に入られたようだ」
言葉の隅にほんの少し乗った嫉妬に、千鶴は笑ってしまう。
不本意だと言わんばかりの顔をした紫苑に睨まれたが、まったく恐怖を感じなかった。
むしろなぜだか愛おしくて、千鶴は笑みを深くした。
見慣れない女中に化粧を施され、身支度を整えられたかと思うと、早々に祝勝会へと連れて来られてしまった。
煌びやかなシャンデリアの下、オルケストラが奏でるワルツはどこか別の世界に迷い込んだ気にさせる。
色とりどりのドレスや振袖が参加客の格を表しているようで、千鶴は萎縮してしまいそうだ。
そっと着物に視線を落とす。
女中に着せられた着物はハレの日に相応しく扇や鞠といった縁起物があしらわれている。
質の良いそれに着られていると思われないよう、千鶴は背筋を伸ばした。
緊張を貼り付けた千鶴とは反対に、紫苑は涼しい顔をしている。
三つ揃えを着こなし、凜としている紫苑は注目の的のようで、ご婦人方から熱い視線を集めていた。
(紫苑様、かっこいいものね)
千鶴は内心頷きながら紫苑を見上げる。
彼の少しかさついた唇に視線が吸い寄せられるのは仕方のないことだろう。
なにせ、紫苑から想いを告げられた際に、彼から口づけられそうになったのだから。
しかし身構えた千鶴に何を思ったのか、紫苑は額に唇を寄せただけだった。
(わ、私、口づけされなかったこと、残念に思っているなんて……)
顔を赤らめ百面相をする千鶴に、紫苑は小さく微笑んだ。
それだけで心が温かくなる。
「千鶴。これから挨拶回りに行くが、体調が悪くなったら教えてくれ」
「はい。紫苑様。病弱と言われておりますが、実は私、ちゃんと健康体なんです。最後までお付き合いします」
「ふっ。頼もしいな」
千鶴の心は、紫苑の妻として役に立てると嬉しさでいっぱいだ。
紫苑に連れられて、色々な人達に挨拶をしていく。
紫苑は同期から、後輩、軍を統括をする総司令官にまで声をかけ、千鶴を妻だと紹介した。
総司令官に紹介されたときは、緊張で心臓がまろびでそうだった。
(粗相がなければいいのだけれど)
東雲家に嫁ぐ際、受けさせてもらえなかった淑女教育を詰め込まれたが、付け焼き刃でしかない。
緊張で張り詰めていた千鶴に休憩しようと提案したのは、紫苑の優しさだろう。
ダンスホールから離れた場所に置かれたソファーへと千鶴をエスコートした紫苑がそっと頭を撫でてくる。
気持ち良さから目を閉じてされるがまま温かな手を受け入れた。
小さく笑った音が聞こえる。
「飲み物を取ってくる。少し離れるが、いい子にできるか?」
「はい」
離れていく紫苑の背中を眺めていると、不意に影が落ちた。
それを見上げれば、ほぐれていたはずの緊張が一気に戻ってきた。
「お、お姉様」
「あら。千鶴」
今気がついたと言わんばかりの小夜は、さっと視線を走らせ、この場に千鶴しかいないことを確認していた。
彼女の行動に、千鶴はこの後口にされるであろう言葉を想像し、口を一文字に結ぶ。
「こんなめでたい日に貴女の顔を見ないといけないなんて嫌だわ」
「……」
「あんた、夜中に東雲様の寝室に潜り込んだって聞いたわ。まったく、はしたない。もっと節度を持ちなさい」
「……でも」
「なに? 無能が私に反論しようって?」
「っ」
「そうそう。身の程をわきまえた行動をしなさい」
反論できないまま小夜を見つめていると、カツカツとヒールの音が聞こえてきた。
その音は千鶴と小夜の近くで止まる。
音のした方へ目を向けると、流行のモガと呼ばれるような装いの女性が佇んでいた。
ひらりと舞った和洋折衷のドレスに見惚れていると、女性は綺麗な微笑みを浮かべる。
「薬師寺さん、こんなところにいらっしゃったの?」
「お久しぶりです。巴様」
「えぇ。その子でしょう? 東雲君の目に入れても痛くない伴侶って」
視線を向けられ、千鶴は慌てて立ち上がろうとする。
しかし、いいのよと制止され浮いた腰をまた下ろすこととなってしまった。
「この子は私の妹なのです。病弱なので気になってしまって……」
「あら、そうなの? 健康そうに見えるのだけど、今日は体調がいいのかしら」
「そのようです。姉として少し安心してます」
「そう。あ、そうだ。少将の奥さんが薬師寺さんを探していたわよ。なんでも貴女に診てもらいたいのだとか」
「わかりました。そちらに伺いますね。じゃあ千鶴。またね」
千鶴の返事も聞かず、小夜は少将の奥さんを探しにホールの中心へと戻っていく。
小夜の振袖から一瞬赤黒い靄が立ち上ったように見え、千鶴は目を凝らす。
しかし、瞬きをした時にはもう見えなくなっていた。
(気のせい……? それともお姉様が妖毒に……?)
一縷の不安が胸に沈む。
千鶴が小夜を凝視していると、巴がくすくすと笑い出した。
彼女の反応に、千鶴ははっと我に返る。
「あの子、よほど貴女の事が嫌いなのね」
「っ!?」
「そんなに身構えなくてもいいわよ。わたくしはどちらかというと貴女の味方。東雲千鶴さん」
「申し訳ありません。私まだ自己紹介させていただいてないと思うのですが……」
「あら。そうだったわね。わたくしは久我巴。総司令官の妻です」
「! そ、そんな方を立たせっぱなしなんて……! ど、どうぞ座ってください!」
飛び上がるようにして立ち上がった千鶴に、巴はまたくすくすと笑い始める。
目を細める彼女の視線はどこか優しげだ。
「東雲君が大切にする理由が分かるわね。とっても素直ないい子だわ」
「へ?」
「ねぇ、東雲君」
巴の視線を追うと、洋盃を両手に持ち、固まっている紫苑がいた。
紫苑は少し目を見開いていたが、すぐに立て直して千鶴の隣に立った。
「はい。僕の唯一です」
「紫苑様っ!?」
「あらあら。じゃあしっかりと守ってあげなさい。……近いうちにあの子、暴走するわよ」
あの子、と告げた巴の目線の先には朗らかな顔で談笑する小夜がいた。
千鶴が言葉の意味を理解する前に、紫苑から疑問が飛ぶ。
「それは……先読みとしての言葉ですか」
「ふふ、女の勘よ」
「……わかりました」
「ということで、千鶴さん」
「は、はい!?」
いきなり自身へと向いた声に、千鶴は盛大に肩を揺らした。
それが面白かったのかまた巴はくすくすと笑う。
「男は度胸。女は愛嬌だと言うけれど、女にも度胸が必要な時があるわ」
「はい」
「逃げ続けてきたことに向き合わないといけない日がきっとくる」
「……はい」
「でも大丈夫よ。貴女にはこんなに頼もしい旦那がついているんだもの」
巴に優しく肩を叩かれる。
真っ直ぐに千鶴を見つめる巴から目が離せない。
「何があっても、東雲君が守ってくれるわ」
「あぁ。頼ってくれていい」
「ほら、本人もそう言ってるでしょ? だから遠慮せず、寄りかかっちゃいなさい」
「えっと……」
「それにもし貴女になにかあったら、東雲君が露払いをしてくれると思うわ。でも男はね、加減ができないのよ」
「?」
「夫の手綱は妻が握らないとね」
ウインクをして告げられた言葉は、淑女教育で学んだことと正反対だ。
夫の三歩後ろを歩く。それが淑女としての作法。
しかし、なぜかしっくりくる。
「ぜ、善処します」
「ふふ、楽しみにしているわね」
巴はそう言ってふらりとどこかへ行ってしまった。
残された千鶴と紫苑は互いに顔を見合わせる。
「意味深な方ですね」
「あぁ。先読みの異能を持つお方だからな。底知れないが、千鶴はいたく気に入られたようだ」
言葉の隅にほんの少し乗った嫉妬に、千鶴は笑ってしまう。
不本意だと言わんばかりの顔をした紫苑に睨まれたが、まったく恐怖を感じなかった。
むしろなぜだか愛おしくて、千鶴は笑みを深くした。

