「千鶴。君はこの結婚に異議はないのか?」
祝言を挙げた日の夜。
初夜と呼ばれるこの瞬間に、夫が紡いだ言葉はまるで異議があるのだと言わんばかりのものだった。
同じ寝台に腰掛け、隣に座っているというのに、突き放された気になってしまう。
夫の真意を探ろうとそっと見上げると、浅葱色の瞳がこちらを伺っていた。
切れ長の瞳を隠すように伸ばされた髪は夜の闇よりも深い色をしている。
彼が返事を促すように小首を傾げると、艶やかな髪が輪郭をなぞり、男の人らしい喉仏が見え隠れする。
小首を傾げるだけで傾国できそうな美貌に、千鶴はこの時ほど己の平坦な体を恨めしく思ったことはない。
逸れそうになる思考を呼び戻し、否定の言葉を舌に乗せた。
「いえ、東雲様。私は異議も、後悔もありません」
「そうか。君はもう東雲家の人間なのだから、僕のことは名前で呼ぶといい」
「……よろしいのですか?」
千鶴の問いかけに、夫――東雲紫苑が僅かに眉を寄せた。
「いいもなにも、君は僕の妻だ。妻が夫の名を呼ぶのは不思議なことではないだろう」
紫苑の返答に、千鶴は目をぱちくりさせた。
てっきり業腹なのだと思っていたからだ。
二人の婚姻は、異能を掛け合わせ、よりよい異能を生み出すための異能婚であり、さらには皇家の勅令での政略結婚。
当人達の意思は度外視したものであるため、腹に据えかねても不思議ではない。
だが千鶴にはもう、この結婚に縋るしかなかった。
予想外の優しい申し出に、千鶴は膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。
「かしこまりました。……紫苑様」
「あぁ」
頷いた紫苑が柔らかく微笑む。
握りしめたこぶしに彼の大きな手が重なり、びくりと肩が跳ねた。
忍び笑いが聞こえ、耳の先まで赤くなってしまう。
硬くなった千鶴を安心させるように、紫苑は柔和な声色で提案を口にした。
「千鶴が嫌なことはしないから安心してほしい。君の心が伴うまで、僕はいつまででも待つから」
「……お気遣いありがとう存じます」
いつまでも待つ。
それは暗に白い結婚を指した言葉だ。
だがそれを是とすれば、この屋敷で千鶴の立場はなくなるだろう。
品定めをするような女中達の目を思い出し、千鶴は眉に力を込めた。
「ですが、覚悟は出来ています」
「……わかった」
紫苑は子どもに駄々をこねられた親のように笑って、千鶴の頬に指を滑らせる。
かさついた指先に、ぴくりと体が震えた。
「口づけても?」
「は、はい」
千鶴がぎゅうっと目を瞑ると、紫苑がまた小さく笑う。
おずおずと紫苑が千鶴へと唇を寄せ、二人の影が重なろうとした、その瞬間。
控えめなノック音が響いた。
驚きのまま大きく跳ねた千鶴の肩を優しく撫でた紫苑が、扉に顔を向け口を開く。
「どうした」
「旦那様。申し訳ありません。妖が暴れ、急患が出たとの知らせが入りまして……」
「……薬師寺はどうした」
「それが……大規模な戦になるやもしれぬと、軍部からの招集だそうで」
「わかった」
紫苑は大きなため息をつくと、千鶴へと向き直る。
心底申し訳なさそうな顔の彼は、言いにくそうに謝罪の言葉を口にした。
「すまない」
「……いえ。お仕事ですから、仕方ありません」
近づいていた二人の距離を離すように、千鶴は紫苑の胸を押す。
すると、気乗りしなさそうな雰囲気のまま彼は立ち上がった。
離れていったぬくもりが、僅かに寂しさを感じさせる。
伸ばしかけた手を引っ込めた千鶴は、彼の背に小さく「いってらっしゃいませ」と声をかけた。
紫苑の耳にも届いたのか、彼は扉の前で一度止まると、千鶴へと振り返った。
「この埋め合わせは、必ず」
祝言を挙げた日の夜。
初夜と呼ばれるこの瞬間に、夫が紡いだ言葉はまるで異議があるのだと言わんばかりのものだった。
同じ寝台に腰掛け、隣に座っているというのに、突き放された気になってしまう。
夫の真意を探ろうとそっと見上げると、浅葱色の瞳がこちらを伺っていた。
切れ長の瞳を隠すように伸ばされた髪は夜の闇よりも深い色をしている。
彼が返事を促すように小首を傾げると、艶やかな髪が輪郭をなぞり、男の人らしい喉仏が見え隠れする。
小首を傾げるだけで傾国できそうな美貌に、千鶴はこの時ほど己の平坦な体を恨めしく思ったことはない。
逸れそうになる思考を呼び戻し、否定の言葉を舌に乗せた。
「いえ、東雲様。私は異議も、後悔もありません」
「そうか。君はもう東雲家の人間なのだから、僕のことは名前で呼ぶといい」
「……よろしいのですか?」
千鶴の問いかけに、夫――東雲紫苑が僅かに眉を寄せた。
「いいもなにも、君は僕の妻だ。妻が夫の名を呼ぶのは不思議なことではないだろう」
紫苑の返答に、千鶴は目をぱちくりさせた。
てっきり業腹なのだと思っていたからだ。
二人の婚姻は、異能を掛け合わせ、よりよい異能を生み出すための異能婚であり、さらには皇家の勅令での政略結婚。
当人達の意思は度外視したものであるため、腹に据えかねても不思議ではない。
だが千鶴にはもう、この結婚に縋るしかなかった。
予想外の優しい申し出に、千鶴は膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。
「かしこまりました。……紫苑様」
「あぁ」
頷いた紫苑が柔らかく微笑む。
握りしめたこぶしに彼の大きな手が重なり、びくりと肩が跳ねた。
忍び笑いが聞こえ、耳の先まで赤くなってしまう。
硬くなった千鶴を安心させるように、紫苑は柔和な声色で提案を口にした。
「千鶴が嫌なことはしないから安心してほしい。君の心が伴うまで、僕はいつまででも待つから」
「……お気遣いありがとう存じます」
いつまでも待つ。
それは暗に白い結婚を指した言葉だ。
だがそれを是とすれば、この屋敷で千鶴の立場はなくなるだろう。
品定めをするような女中達の目を思い出し、千鶴は眉に力を込めた。
「ですが、覚悟は出来ています」
「……わかった」
紫苑は子どもに駄々をこねられた親のように笑って、千鶴の頬に指を滑らせる。
かさついた指先に、ぴくりと体が震えた。
「口づけても?」
「は、はい」
千鶴がぎゅうっと目を瞑ると、紫苑がまた小さく笑う。
おずおずと紫苑が千鶴へと唇を寄せ、二人の影が重なろうとした、その瞬間。
控えめなノック音が響いた。
驚きのまま大きく跳ねた千鶴の肩を優しく撫でた紫苑が、扉に顔を向け口を開く。
「どうした」
「旦那様。申し訳ありません。妖が暴れ、急患が出たとの知らせが入りまして……」
「……薬師寺はどうした」
「それが……大規模な戦になるやもしれぬと、軍部からの招集だそうで」
「わかった」
紫苑は大きなため息をつくと、千鶴へと向き直る。
心底申し訳なさそうな顔の彼は、言いにくそうに謝罪の言葉を口にした。
「すまない」
「……いえ。お仕事ですから、仕方ありません」
近づいていた二人の距離を離すように、千鶴は紫苑の胸を押す。
すると、気乗りしなさそうな雰囲気のまま彼は立ち上がった。
離れていったぬくもりが、僅かに寂しさを感じさせる。
伸ばしかけた手を引っ込めた千鶴は、彼の背に小さく「いってらっしゃいませ」と声をかけた。
紫苑の耳にも届いたのか、彼は扉の前で一度止まると、千鶴へと振り返った。
「この埋め合わせは、必ず」

