おじいちゃんは、警察官にも剣道を教えているような、ものすごく厳格な人だった。お父さんもおじいちゃんの教え方に必死で食らいついたらしいけど、才能が本当になかったらしく、小学生のときには剣道を辞めてしまったらしい。
対して私は、おじいちゃん曰く「目がものすごくいい」と褒められる程度には、剣道の才能があったらしい。私は段を取って、こつこつ上がっていく程度には、剣道が強くなっていったものの。
私には正義感が強過ぎたらしい。
毎年毎年、春になったら新しい習い事として、剣道を選んで入門する人たちが出てきたけれど、だいたいはゴールデンウィークを過ぎる頃には辞めていた。
あまりにも乱暴者だから、礼儀作法を学ぶために剣道を習わせる親もいれば、剣道で段を取るとなにかと都合がいい職業を目指している子を応援する親、健康のためという理由の子もいて、普段は温厚なおじいちゃんの激高に耐えきれない子たちは辞めてしまっていたんだ。
今時激高なんてと言われたこともあったけれど。基本的に剣道はどうしても竹刀や木刀を持つ……つまりは武器を持って戦うものだから、きちんと最低限の礼儀作法……道場に入るときには挨拶をするとか、防具も着けてない子に武器を振り回してはいけないとか、そういうのを心身に叩き込まないと、どんな暴力に発展するかわからないというのがおじいちゃんの主張だった。
実際に、おじいちゃんは暴力で訴える子には本当に辛抱強く説教するし、礼儀作法を覚えるまで竹刀も持たせないという徹底ぶりだったけれど。その年に入ってきたのは本当によろしくなかった。
「おまえ、ここできがえろよ。見ててやるから」
「やめてよ」
「なんで」
その年道場に入ってきたひとりは、体が弱いから体力づくりのためにやってきた女の子と、とにかく乱暴者だからなんとかしてほしいと親が訴えてきた男の子だったけれど。
その男の子がとにかくひどかった。
女性門下生のスカートを捲ろうとする、乱暴でどれだけおじいちゃんに叱られても道場に入るときに挨拶をしない、挙げ句の果てに、すぐに「つまんない」「あきた」とおじいちゃんの許可もなしに勝手にどっかに行くし、更衣室は覗く。
あまりにひど過ぎて、とうとう女の子は泣きながら「もう無理です……」とゴールデンウィークを前に辞めてしまった。
残された男の子は、最初はヘラヘラしていたものの。だんだん竹刀を持たせてもらえないことに不満を持つようになってきた。
「なんでおれに竹刀もたせてくれないんだよ」
とうとう練習中の私に苦情を言ってきた。私は返す。
「あのね、君は全然なにもできてないでしょう? 師範も言ってたでしょ。礼節がなかったら武を覚えたって駄目って」
「つよいほうがえらいにきまってるじゃん」
「だから、それだけじゃ駄目なんだってば」
何度話をしても平行線で、私もだんだんとくたびれた中、とうとう事件が起きた。
その子はその日も「つまんない」と道場を抜け出してしまったため、私が仕方なく探しに行ったのだけれど。その子はよりによって女子更衣室に入っていたのだ。
「ちょっと! なにしてるの!」
「なにって、ひまつぶし」
「やっていいことと悪いことがあるでしょ!? だから君は竹刀持たせてもらえないんだよ!?」
「いいじゃん。持たせてくれねえんだったらいいよ。おれはここであそぶから」
「だから、やっていいことと悪いことがあるでしょ!?」
私はとうとう、竹刀を振り上げてしまった。
それからは大騒ぎだった。当然ながら勝手に女子更衣室に入った男の子は親に連絡された上で破門にされた。元々この子の乱暴癖に手を焼き続けていた親御さんは、こちらが申し訳なくなる程度に頭を下げ続けていた。その子がその後どうなったのかはわからない。たしか地元から引っ越したと思う。
そして私も、防具を着けてない子に竹刀を振るったということで、当然ながら破門になった。
「つね、どれだけ正しくっても、やっていいことと悪いことがある。わかるな?」
「はい……防具を着けてない人に得物を向けてはいけません……」
「わかってるならいい。お前は本当に目がいいのに、残念だ」
それ以降、私はいろんなもののやる気がなくなってしまった。
自分にたまたま向いていて、剣道をしているときは皆に褒められたけれど、それ以降私は滅多に褒められることはなくなったし、本当に駄目な人に立ち向かおうとするときも、得物を使おうとするときは体が竦む。またおじいちゃんに怒られるかもしれないし……私のほうが間違っているのかもしれないと躊躇する。
目がよくって、そのおかげでMAKOTOの皆を見つけることができて、今はすっかりとうちの居候になってくれているけれど。それを素直に喜んでいいのかどうかは、未だにわからない。
ふわふわした気持ちと一緒に、常に罪悪感が付きまとう。
****
私の話を聞いたとき、「ふうん」と沖田さんは言った。
「そのクソガキ、叩きのめして破門になったんだって? やるじゃん。もっと暴力に身を任せてだと思ったのに。おじいさまの教えがよかったんだね」
「よくないです。私がちゃんと言って追い出せてたら……」
「ふうん。それ、人に対して全体的に信用し過ぎ。世の中口で何度話をしても聞いてない奴っているからさ。こっちの世界だってそうじゃないの?」
私はポカンと沖田さんを見ていた。
この人はずっと塩対応だと思っていた沖田さんが、私に対して本当に珍しく話を肯定してくれたことに、かなり驚いていた。
沖田さんは怜悧な顔で、そっと路地裏を見ていた。この人は私の話を聞いているときでも、一度も柄から手を離していない。ずっと警戒体勢のまま、私の話を聞いていたんだ。
「沖田さんは……そのう。こちらの世界でも嫌な目に遭ったんですか?」
「まあいろいろ? 花街みたいに脱がないのかとか、その方が女受けがとか、いい加減な人たちに好き勝手言われ続けてた。近藤さんがいなかったら、今頃いい加減な奴らの首ひとつやふたつ飛んでたんじゃないかな」
「ぶ、物騒ですよ! こちらの世界では殺人は重罪です」
「別に僕たちの世界でも普通に殺人は重罪なんだけどね。普通に物の怪に罪を擦り付けてただけだし」
「サラリととんでもないこと言わないでくださいよ!?」
お母さんが新撰組オタクだから知ってるけど。新撰組の歴史は半分は盛大な内輪もめだし、倒さないといけない不逞浪士は皆捕縛してきちんと奉行所に突き出していたのに対して、実際に手をかけたのは身内の粛正だったと聞いているけれど。
もしかしなくとも、マルチバースの新撰組も、手にかけた人たちの過半数は物の怪退治にかこつけた身内の粛正じゃなかろうな……。
私は思わずじっとりと沖田さんを見つめてしまったら、ふいに沖田さんは刃を閃かせる。私は思わず沖田さんから後ずさりし、刃の軌道から逃げると、沖田さんは「フッ」と笑った。
「いい子。ちゃんと見えて避けられるんだ」
「い、今の……」
「物の怪だね。ほら」
そう言って沖田さんが刃を振る前に私に刃に残ったものを見せてくれた。
近藤さんはその手のものを私に一切見せずに振り払って鞘に収めているし、藤堂さんも丁寧に懐紙で拭き取ってから鞘に収めているけれど。こうやって物の怪を見せてくれたのは沖田さんが初めてだった。
黒い霧のようなもので、これがなんなのかは、新撰組の皆からも詳しいことは聞いてない。そもそもこの黒い霧が斬れるのは霊験あらたかな刀だけとは説明で聞いているけれど。
「……これ、生きてたんですか? それとも、幽霊みたいな概念みたいなもの?」
「さあね。うちで詳しい学者先生たちも調べてくれてるけど、これが生き物なのか化け物なのかもよくわかってないみたい。少なくとも、僕たちの世界でも洛陽動乱がばら撒くまでは、こんな黒い霧みたいなものを物の怪なんて読んでなかったんだけどね」
「そうだったんですか……」
私が言葉を失っている中、やっと沖田さんは刀を振ると鞘に収めた。
「まあ、僕は君みたいなのは嫌いじゃないけどね」
「え……?」
思わずドキリと心臓が跳ねた。今まであまりに塩対応だったために、少し優しい言葉をかけられた途端に嬉しくなるのは、さすがに我ながらどうかしていると思う。
「僕は近藤さんに命令されてなかったら、すぐ暴力で訴えるからさあ。君みたいに叱られて暴力を取り上げられても、それで自棄を起こさない君は普通にすごいよ。そしてその暴力だって普通に正義のため。格好いいじゃん」
「……そんな、私は別に格好いいことなんて……でも、ありがとうございます」
私はそう言って頭を下げると、沖田さんは破顔した。
「やっぱり君ってちょっと変」
これは塩対応なのか、ファンサなのかどっちなんだろう。
ただ私は沖田さんに釣られるまま笑うだけだった。
対して私は、おじいちゃん曰く「目がものすごくいい」と褒められる程度には、剣道の才能があったらしい。私は段を取って、こつこつ上がっていく程度には、剣道が強くなっていったものの。
私には正義感が強過ぎたらしい。
毎年毎年、春になったら新しい習い事として、剣道を選んで入門する人たちが出てきたけれど、だいたいはゴールデンウィークを過ぎる頃には辞めていた。
あまりにも乱暴者だから、礼儀作法を学ぶために剣道を習わせる親もいれば、剣道で段を取るとなにかと都合がいい職業を目指している子を応援する親、健康のためという理由の子もいて、普段は温厚なおじいちゃんの激高に耐えきれない子たちは辞めてしまっていたんだ。
今時激高なんてと言われたこともあったけれど。基本的に剣道はどうしても竹刀や木刀を持つ……つまりは武器を持って戦うものだから、きちんと最低限の礼儀作法……道場に入るときには挨拶をするとか、防具も着けてない子に武器を振り回してはいけないとか、そういうのを心身に叩き込まないと、どんな暴力に発展するかわからないというのがおじいちゃんの主張だった。
実際に、おじいちゃんは暴力で訴える子には本当に辛抱強く説教するし、礼儀作法を覚えるまで竹刀も持たせないという徹底ぶりだったけれど。その年に入ってきたのは本当によろしくなかった。
「おまえ、ここできがえろよ。見ててやるから」
「やめてよ」
「なんで」
その年道場に入ってきたひとりは、体が弱いから体力づくりのためにやってきた女の子と、とにかく乱暴者だからなんとかしてほしいと親が訴えてきた男の子だったけれど。
その男の子がとにかくひどかった。
女性門下生のスカートを捲ろうとする、乱暴でどれだけおじいちゃんに叱られても道場に入るときに挨拶をしない、挙げ句の果てに、すぐに「つまんない」「あきた」とおじいちゃんの許可もなしに勝手にどっかに行くし、更衣室は覗く。
あまりにひど過ぎて、とうとう女の子は泣きながら「もう無理です……」とゴールデンウィークを前に辞めてしまった。
残された男の子は、最初はヘラヘラしていたものの。だんだん竹刀を持たせてもらえないことに不満を持つようになってきた。
「なんでおれに竹刀もたせてくれないんだよ」
とうとう練習中の私に苦情を言ってきた。私は返す。
「あのね、君は全然なにもできてないでしょう? 師範も言ってたでしょ。礼節がなかったら武を覚えたって駄目って」
「つよいほうがえらいにきまってるじゃん」
「だから、それだけじゃ駄目なんだってば」
何度話をしても平行線で、私もだんだんとくたびれた中、とうとう事件が起きた。
その子はその日も「つまんない」と道場を抜け出してしまったため、私が仕方なく探しに行ったのだけれど。その子はよりによって女子更衣室に入っていたのだ。
「ちょっと! なにしてるの!」
「なにって、ひまつぶし」
「やっていいことと悪いことがあるでしょ!? だから君は竹刀持たせてもらえないんだよ!?」
「いいじゃん。持たせてくれねえんだったらいいよ。おれはここであそぶから」
「だから、やっていいことと悪いことがあるでしょ!?」
私はとうとう、竹刀を振り上げてしまった。
それからは大騒ぎだった。当然ながら勝手に女子更衣室に入った男の子は親に連絡された上で破門にされた。元々この子の乱暴癖に手を焼き続けていた親御さんは、こちらが申し訳なくなる程度に頭を下げ続けていた。その子がその後どうなったのかはわからない。たしか地元から引っ越したと思う。
そして私も、防具を着けてない子に竹刀を振るったということで、当然ながら破門になった。
「つね、どれだけ正しくっても、やっていいことと悪いことがある。わかるな?」
「はい……防具を着けてない人に得物を向けてはいけません……」
「わかってるならいい。お前は本当に目がいいのに、残念だ」
それ以降、私はいろんなもののやる気がなくなってしまった。
自分にたまたま向いていて、剣道をしているときは皆に褒められたけれど、それ以降私は滅多に褒められることはなくなったし、本当に駄目な人に立ち向かおうとするときも、得物を使おうとするときは体が竦む。またおじいちゃんに怒られるかもしれないし……私のほうが間違っているのかもしれないと躊躇する。
目がよくって、そのおかげでMAKOTOの皆を見つけることができて、今はすっかりとうちの居候になってくれているけれど。それを素直に喜んでいいのかどうかは、未だにわからない。
ふわふわした気持ちと一緒に、常に罪悪感が付きまとう。
****
私の話を聞いたとき、「ふうん」と沖田さんは言った。
「そのクソガキ、叩きのめして破門になったんだって? やるじゃん。もっと暴力に身を任せてだと思ったのに。おじいさまの教えがよかったんだね」
「よくないです。私がちゃんと言って追い出せてたら……」
「ふうん。それ、人に対して全体的に信用し過ぎ。世の中口で何度話をしても聞いてない奴っているからさ。こっちの世界だってそうじゃないの?」
私はポカンと沖田さんを見ていた。
この人はずっと塩対応だと思っていた沖田さんが、私に対して本当に珍しく話を肯定してくれたことに、かなり驚いていた。
沖田さんは怜悧な顔で、そっと路地裏を見ていた。この人は私の話を聞いているときでも、一度も柄から手を離していない。ずっと警戒体勢のまま、私の話を聞いていたんだ。
「沖田さんは……そのう。こちらの世界でも嫌な目に遭ったんですか?」
「まあいろいろ? 花街みたいに脱がないのかとか、その方が女受けがとか、いい加減な人たちに好き勝手言われ続けてた。近藤さんがいなかったら、今頃いい加減な奴らの首ひとつやふたつ飛んでたんじゃないかな」
「ぶ、物騒ですよ! こちらの世界では殺人は重罪です」
「別に僕たちの世界でも普通に殺人は重罪なんだけどね。普通に物の怪に罪を擦り付けてただけだし」
「サラリととんでもないこと言わないでくださいよ!?」
お母さんが新撰組オタクだから知ってるけど。新撰組の歴史は半分は盛大な内輪もめだし、倒さないといけない不逞浪士は皆捕縛してきちんと奉行所に突き出していたのに対して、実際に手をかけたのは身内の粛正だったと聞いているけれど。
もしかしなくとも、マルチバースの新撰組も、手にかけた人たちの過半数は物の怪退治にかこつけた身内の粛正じゃなかろうな……。
私は思わずじっとりと沖田さんを見つめてしまったら、ふいに沖田さんは刃を閃かせる。私は思わず沖田さんから後ずさりし、刃の軌道から逃げると、沖田さんは「フッ」と笑った。
「いい子。ちゃんと見えて避けられるんだ」
「い、今の……」
「物の怪だね。ほら」
そう言って沖田さんが刃を振る前に私に刃に残ったものを見せてくれた。
近藤さんはその手のものを私に一切見せずに振り払って鞘に収めているし、藤堂さんも丁寧に懐紙で拭き取ってから鞘に収めているけれど。こうやって物の怪を見せてくれたのは沖田さんが初めてだった。
黒い霧のようなもので、これがなんなのかは、新撰組の皆からも詳しいことは聞いてない。そもそもこの黒い霧が斬れるのは霊験あらたかな刀だけとは説明で聞いているけれど。
「……これ、生きてたんですか? それとも、幽霊みたいな概念みたいなもの?」
「さあね。うちで詳しい学者先生たちも調べてくれてるけど、これが生き物なのか化け物なのかもよくわかってないみたい。少なくとも、僕たちの世界でも洛陽動乱がばら撒くまでは、こんな黒い霧みたいなものを物の怪なんて読んでなかったんだけどね」
「そうだったんですか……」
私が言葉を失っている中、やっと沖田さんは刀を振ると鞘に収めた。
「まあ、僕は君みたいなのは嫌いじゃないけどね」
「え……?」
思わずドキリと心臓が跳ねた。今まであまりに塩対応だったために、少し優しい言葉をかけられた途端に嬉しくなるのは、さすがに我ながらどうかしていると思う。
「僕は近藤さんに命令されてなかったら、すぐ暴力で訴えるからさあ。君みたいに叱られて暴力を取り上げられても、それで自棄を起こさない君は普通にすごいよ。そしてその暴力だって普通に正義のため。格好いいじゃん」
「……そんな、私は別に格好いいことなんて……でも、ありがとうございます」
私はそう言って頭を下げると、沖田さんは破顔した。
「やっぱり君ってちょっと変」
これは塩対応なのか、ファンサなのかどっちなんだろう。
ただ私は沖田さんに釣られるまま笑うだけだった。



