嘘から出たMAKOTO

 次の日、私は朝廊下に出て洗面所に向かおうとしている中、既に私服に着替えている近藤さんに出会い、私は顔を思わずタオルを被って隠した。寝起きの情けない顔は、さすがに見せられなかった。

「おはよう……つね殿? いきなりタオルを被ってどうかしたか?」
「おはようございます……すみません、まだ顔を洗ってなくって」
「ふむ……いやすまない。母屋の方に来ていたら、女人の身だしなみのことにまで気が回らず」
「……でも、どうしたんですか? 道場のほうでなにか足りなくなりましたか?」

 基本的にアイドル活動していた分のお金はちゃんと管理しているらしく、彼等がお金で困っているような様子は見受けられなかった。だから母屋にはなにか用がないことには会わないはずなんだけど。
 そう思っていたら近藤さんはいつもの実直な様子で答える。

「うむ。ここで長いことお世話になったから、当主殿にお礼を言った後、ここを出ようと思ってな」
「え……」

 思わず私は声を上げた。頭に被っていたタオルもポロリと落ちた。

「どうしてですか……?」
「うむ。洛陽動乱の動きが活発になってきた以上、いよいよここでの活動では支障を来すやもわからぬから、皆で話し合った末に」
「大丈夫ですよ? 私の場合は皆さんがいますし、私は目がいいから逃げ切れますし」
「もちろん、つね殿の目がいいことは知っている。学問所で呪符を見つけ出すことができたのも、つね殿のおかげだし、そのおかげで洛陽動乱の動向も掴むことができたのだからな」

 そりゃ近藤さんの気持ちもわかる。世話になった人間にこれ以上甘えてはいけないと思って、ここを立とうとする気持ちはわかるけど。でも。

「じゅ、銃刀法違反になってしまいますから、外にのこのこ出す訳にはいきませんよ」
「新八が実験してくれたからな。当主殿に許可を取って、何枚か竹刀袋をいただければ、カモフラージュはできよう」
「ですけど……皆さん、もう一度どこに行くんですか!?」
「つね殿」

 私の気がどれだけ高ぶっていても、近藤さんは実直で暖かい声を出すばかりだった。実直なのはいいことだと思ったし、暖かい声だって大好きなのに、今はその声音が憎らしい。きっとそれを優しさと私は取れないからだろう。
 近藤さんは長い髪をひとつにまとめ、長くて細身のトレーナー、デニムと、あっさりとした姿なのに異様に様になっていた。背丈があるから、刀だって簡単に扱える……そんな人が穏やかな顔で私と目線を合わせてくれるのが気まずくて、思わず目線を逸らした。

「つね殿も、我らをここに招いてくれたのは、銃刀法違反で我らが捕まらぬよう、洛陽動乱を捜すためには拠点が必要だろうと場所を提供してくれた。優しい人だと常に思っている」
「……優しかった訳では」
「でも、我らのファンだからという理由だけでは、わざわざ場所を提供なんてできんだろう? それは、つね殿が親切だからだ」

 下心があるからなんて、あまりに近藤さんが眩しくて言えなかった。
 MAKOTOが活動休止になってしまい、悲しくてやりきれなくって嘆いていたところで、MAKOTOの局長である近藤さんに出会ってしまったら、もうまたいなくなってほしくなくて必死だった。本当にそれだけだったんだ。
 近藤さんだって、私たちの世界は完全に見ず知らずの世界なのに、そこで物の怪がのさばらぬよう見廻りまでして街の皆を守ってくれた。もし元の世界に帰りたいってだけならば、洛陽動乱だけ捜せばいいはずなのに、彼はそれをよしとはしなかった。
 優しいのはどっちだっていう話だ。
 私のやましさを知ってか知らずか、近藤さんはただただ優しく続ける。

「だから我らはおぬしの日常を守りたい。洛陽動乱は必ず捕縛して、我らは元の世界に物の怪ごと帰るから、どうか心配しないでほしい」
「……心配になりますよ。本当に、この先の宛はあるんですか?」

 何度尋ねても、近藤さんはニコニコと笑うだけで、私にはなにも言わずにおじいちゃんのところに言ってしまった。
 私はトボトボと洗面所に向かい、顔を綺麗に洗って、美容液を塗る。せめてもの抵抗で口にはリップクリームを塗った。
 近藤さんになにか言いたいけど、私はあくまで大家の家族であり、近藤さんを止めるだけの関係性なんてないもんな。
 そうひとりでモヤモヤとしていたら。

「あれ、近藤さんもう行っちゃった?」
「沖田さん……おはようございます。今日は皆さん道場からすぐ出てきますね?」
「んー、僕は単純に洗濯物が乾いてなかったから、タオルの替えをもらえないかなと聞きに来ただけ」
「あー……昨晩雨が降ったみたいですから、乾きが悪かったのかもしれませんね。待ってください」

 私は替えのタオルを差し出すと、沖田さんは「ありがと」と手に取ってくれた。

「どうしたの? 泣きたそうな顔してるじゃない」

 沖田さんは素っ気ない声で聞いてくれる。ここが藤堂さんだったらもっと優しく聞いてくれたんだろうになあと私はもんにょりとする。

「……皆さん、ここを出られるんですか?」
「まあね。僕たちの目標は洛陽動乱の捕縛だし、どっちみち僕たちが元の世界に帰るには、そこの術者を捕まえない限り無理だし」
「……そうでしたね」
「で、君は? なに? 近藤さんと離れるのがそんなに寂しい訳?」
「なっ……そりゃ寂しいですよ。MAKOTOの皆さんは、私にとっては救いですし。そんなこと言ってもしょうがないですけど、推しがいなくなった世界に放り出されたあと、新しい推しができるのが一番心に優しいんですから」
「ふーん、僕。その推しっていう奴いまいちわかんないけど」

 アイドル生活そこそこ長かったはずなのに、未だに理解できてなかったのか。思わず衝撃的な顔をしているものの、沖田さんは全く気にする素振りなく続ける。

「僕からしてみたら、君が近藤さんに恋してるように見えたから。そういう潤んだ瞳で追いすがるっていうのは、うちには女泣かせ大量にいるから、その手の話浮いてる僕でもわかるし」
「は……」

 思わず声が裏返った。沖田さん、なんてこと言ってくれたんだ。

「だ、駄目です、そういうのは、絶対に駄目です」
「なにが」
「推しに恋っていうのは、アイドルオタクが絶対にやっちゃ駄目なやつです」
「だからなんで。僕、いわゆるガチ恋勢とか、推し活とか、その違いがいまいちわからないんだけどさ。しばらく業界の世話になってたけど、最後までよくわかんなかったし」
「あ、あのですね! 推しっていうのは概念です。好きな人を性的に見るというよりも、こう概念として昇華して、神のように祭壇つくって祀ってみたりとか、推しの幸せを願ったりとか、そういうものです! 恋は……祀ったり讃えたりとか、そんな軽はずみにはできないものです! そして、推し活と恋は一緒くたにするのは無理です! 駄目です!」
「……やっぱり全然わかんないけど、要はあれでしょ」

 沖田さんは相変わらず素っ気なく言う。

「恋して失うのが嫌ってことでしょ。あいにく君の話って無茶苦茶よくある話で、特別でもなんでもないんだよね」
「……なんでそんなこと言っちゃうんですか」

 沖田さんがなんでそこまで私を追い詰めようとするのか、意味がわからず、思わず目尻が熱くなる。沖田さんは私が泣きたいのを堪えているのを、心底面倒臭そうに言った。

「僕、君のやけにお節介でなんにも知らない癖にズケズケと踏み入るところ、そこそこいいところだと思ってたんだけど。近藤さんにぐちゃぐちゃして見て見ぬふりしてるくらいならさっさと言えばいいのにとイラついただけ。別に応援する気もないけど、なんだか放っておいても面倒臭くなりそうだから」

 この人……本当に天邪鬼だなと、イラッとした。