枯れ木に花が咲く頃 ――不要と言われた正室の、静かな大逆転――

光が目を覚ました翌朝、秀隆は大奥に全員を集めた。

御台所の間に、大奥の女中たちが集まった。上臈御年寄から下働きの女中まで、全員だった。諸藩の奥方に知らせが行き、後日改めて知らせを届けるということになったが、今日ここにいる者たちには直接告げると秀隆は言った。

光は秀隆の隣に座っていた。

白銀になった髪を、今日も白いままにしていた。隠す必要はないと光は思った。これが自分だから。

秀隆が立ち上がった。

「御台所・片桐光は、将軍家の道具ではない」

その言葉が、静かな部屋に広がった。

「俺が、選んだ妻だ。今から、そう扱え」

女中たちが、一斉に頭を下げた。

上臈御年寄が顔を上げた。涙をこらえている顔だった。「……御意」

それから上臈御年寄は光の方を向いて、深く頭を下げた。

「御台所様、これまでの非礼、お許しください」

光は少しの間、その頭を見ていた。

「顔を上げてください」と光は言った。

上臈御年寄が顔を上げた。

「これからよろしくお願いします」

部屋が、静かに揺れたような気がした。泣いている女中が、何人もいた。

水野頼久はその日、遠島の沙汰が言い渡された。茶器のすり替えのことも、女中への工作のことも、全て明るみに出た。水野の娘に関する話も出たが、娘自身は何も知らなかったので、咎めは水野だけとなった。

茶会で光を嘲笑した奥方たちには、後日、秀隆から直々に書状が届いた。その書状の内容を知った奥方たちが青ざめたのは言うまでもなかった。

お夕は、大奥の別の棟に移ることを自ら申し出た。将軍の側室ではなく、大奥に仕える女として残りたいと言った。秀隆は一度断ったが、お夕が「これが私の望みです」と言ったので、受け入れた。お夕は引っ越しの前日に光の部屋に来て、長い時間、二人で話した。何を話したかは、二人だけが知っていた。

雅吉は、水野の件で手柄を立てたとして、昇進の話が来た。雅吉はそれを断って、引き続き御台所付きの御用人として残ることを希望した。秀隆は不思議そうな顔をしたが、光は「入江様らしいですね」と言って、そっと笑った。

その笑顔を、雅吉は生涯忘れなかった。

六月の終わりに、陸奥から玲が帰った。

帰る前日の夜、母と娘は長い時間、二人で話した。

「なぜ教えてくださらなかったのですか」と光は聞いた。

「怖かった」と玲は言った。「お前が、曽祖母様のように……」

「私は死にませんでした」

「ああ」玲が光の手を握った。「お前は強い子だった。母が思っていたより、ずっと強かった」

「将軍様が、支えてくださいました」

玲が光の顔を見た。その顔をしばらく見て、それから微笑んだ。

「……よかった」

光も微笑んだ。

翌朝、玲が出立した後、光は庭に出た。

枯れた桜の木が、満開だった。

神力を使ってから、その木はずっと花を咲かせていた。季節外れの花だったが、誰もそれをおかしいとは言わなかった。

光は木の前に立った。

後ろから、足音がした。

「ここにいたか」

秀隆の声だった。

秀隆が光の隣に来た。二人で並んで、桜の木を見た。

「あの夜のことを、ずっと覚えていた」と秀隆は言った。「この木が花を咲かせた夜のことを。声をかけられなかった」

「知っていました」と光は言った。

「なぜ声をかけなかったのか、自分でもわからなかった。今はわかる」

「なぜですか」

「怖かったんだ」と秀隆は言った。「声をかけたら、もう知らないふりができなくなる気がして」

光は秀隆の顔を見た。

「将軍が、正室の妻を恐れるのですか」

「俺は今でも少し怖い」

「私は、怖くありませんか」

「恐ろしい女だ」

光はくすりと笑った。秀隆がその顔を見た。

「お前が笑うのを、初めて見た」

「大奥では笑ったことがありませんでした」

「なぜだ」

「笑う理由がありませんでしたから」

「これからは、ある」と秀隆は言った。「俺が、作る」

光はまた笑った。

秀隆が光の手を取った。そのまま、桜の木の前に立っていた。

「一つ、聞いてもいいか」

「はい」

「あの木を、なぜ伐らせなかった」

光はしばらく桜の木を見た。

「あの木がここにいる限り、私もここにいていいと思ったのです。枯れていても、そこに立っている木のように」

秀隆は光の手を握ったまま、しばらく何も言わなかった。

「馬鹿を言うな」とやがて秀隆は言った。「お前がここにいていいのは、あの木があるからではない」

「では」

「俺が、いてほしいからだ」

光は秀隆の横顔を見た。秀隆は桜の木を見ていた。耳が少し赤かった。

「……遅うございますね」

「わかっている」

「六年分、遅うございます」

「わかっている」

「どうなさるおつもりですか」

秀隆がようやく光の方を向いた。

「取り戻す。六年分」

光は声を出して笑った。秀隆が、その顔をじっと見た。飽きることなく、ただじっと見ていた。

庭に、夏の風が吹いた。

満開の桜の花びらが、二人の上に静かに降った。

季節外れの花びらは、白く、あたたかかった。

光は秀隆の手を、そっと握り返した。

六年間、誰にも選ばれなかった女が、今日、この国でただ一人の将軍に選ばれた。

それは、始まりだった。

飾り物でもなく、道具でもなく、お飾りの正室でもなく、ただ、選ばれた妻として、この城に生きていく始まりだった。

枯れ木は、もう枯れ木ではなかった。

桜は、咲き続けていた。


   ――了――