年下将軍閣下の戦利品花嫁〜この婚姻、ワケありで歓迎もされてないようなので、逃亡しようと思います。


 身支度を手伝ってもらっている間、莎夜香はカナエに尋ねた。

「閣下はお怒りなのでしょう?」

 心の準備として聞いておきたい。

「え?」

 カナエは驚いた表情で莎夜香を見つめて言った。

「いいえ。坊ちゃんは怒ってはいませんよ。奥様のこと、とても心配なさっていたんですから」

「とても⁉」

(信じられない)

「私に坊ちゃんの真意はわかりませんが。でも坊ちゃんは幼い頃から感情を抑えてしまうところがありましたから。魔性を持つせいで、いろいろと悩みもあるのだと思います。そんな坊ちゃんの良き理解者が詩織様でした。でも詩織様が亡くなってから、坊ちゃんは……緇綺様は変わりました。いつも怖い顔をして、笑顔も見られなくなって……」

──ああ、そうだった。閣下も私と同じで母親を亡くしているのだ。

 信頼を寄せていた人、自分をわかってくれる人、愛してくれた大切な人を亡くすことは本当に辛い。

「私たち使用人は、魔性のある緇綺様のことを、どうしても恐ろしいと思ってしまいます。でも……不思議な力のある奥様なら、坊ちゃんと分かり合えることもあるのではと思うのですが……。緇綺様は本当はお優しい方なのですよ」

 こう言って、カナエは部屋の外で待つ緇綺を呼びに行った。

♢♢♢

 莎夜香が円卓のある部屋で待っていると、やがて戸が開く音がして緇綺が姿を現した。

 カナエは下がるよう命じられたのか姿はなかった。緇綺は円卓を挟んで椅子に腰を下ろした。

 とても気まずい空気がしばらく流れて、緇綺が口を開いた。

「どこかへやってくれないか」

「は?」

「あなたのそばにいるその妖のような鳥と、蛾と蜘蛛をどこかへ……。私の目の届かないところへ移動させてほしい」

 さやかはムッとしながら答えた。

「アヤカシではないと言ったはずです!それにミカゼは蝶々ですから。この子達が私と一緒にいては何か問題でも?」

「気が散る。落ち着かない。目障り、邪魔。鬱陶しい、気に障る。私はあなたとだけで話がしたい。その鳥と虫たちがあなたを護っているというなら、私があなたに危害を加えることはないと約束します」

「ではこの子達のことを二度と〈あやかし〉とは呼ばないという約束もしてください」

「……わかりました」

 緇綺の返答は渋々だった。緇綺の言葉や反応に腹が立って仕方がない莎夜香だったが、冷静でいなければと思いながら神獣虫たちに視線を向けた。

「ナギ、ミカゼ、マオト。私は大丈夫だから。あなた達、しばらく姿を消して離れていて」

 ミカゼとマオトは姿を消したが、ナギはバサバサと翼を動かしながら莎夜香の肩の上で怒鳴った。

「なによこいつっ、あたしたちだってお前みたいな陰気野郎、鬱陶しくて目障りだよっ!」

「ナギ、落ち着いて。少しだけ我慢して」

「なんです?ギャァギャァと、何を言ってるんですか、このアヤ………神獣は」

 莎夜香はハッとして気付いた。

(そうか。彼はナギたちの姿が見えるだけで、言葉を理解し、会話することはできないんだ)

「閣下には関係のないことです」

 ナギとの会話を緇綺に教えるつもりはない。

「ふんっ。莎夜香に意地悪したらタダじゃおかないからねっ」

 ナギは緇綺に向かって乱暴な風をブワッと吹かせてから消えた。

「あいつ!」

 緇綺はナギが消えた方を睨みながら、乱された前髪に手をあてた。今日の緇綺は髪を後ろで結ばずに下ろしている。顔立ちが美しいせいもあり、男性なのに女性のような雰囲気もある。指先で前髪を掻き上げる仕草が、なんだか妙に艶っぽい。
 ついついじっと見てしまい、目が合って慌てて視線を逸らす莎夜香に緇綺は不機嫌に言った。

「なぜあんなことをしたのです?」

「あんなこと……」

(それって、やっぱり抱きついたこと⁉)

「そ、それは……」

「危険な妖獣に攻撃を仕掛けるなんて」

(ん?)

「カナエから聞きました。あの場で妖獣と向き合わなくても。結界などであなたを守護する力くらい、神獣にもあるでしょう?それで時間を稼いでいればよかったんです。カナエが囮になったんですから」

「そんな……。それはカナエさんがどうなってもよかったということですか?犠牲になってもいいと?そんなのひどいわ!」

 緇綺は優しいひとだとカナエは言ったが、絶対違う。噂通りの冷血将軍閣下だ。

「あなたは逃げるだろうと思っていました」

(……そ、そりゃ、逃亡はしようと思ってましたけど!でもね!)

「私は………カナエさんを守りたかったから。だから力を使ったんです。囮になるとか、犠牲になるとか。命を簡単に扱ってほしくないです!」

 強い怒りの感情を向ける莎夜香に、緇綺は気まずさを感じたように眉を寄せた。

「べつに、あなたの行動が間違っていたとは言ってません。カナエを危険から守ってくれたことには感謝しています。私がもっと早くあの場に行くべきでした。ですが結界が弱まっていなければ、あれほどの数の妖獣が現れることもなかった。……結界の弱まりは、あなたの力が働いたせいです。このまま強化を続けても長持ちしません。今後のためにも、あなたには力を抑制してもらいたい。できますよね?」

「わかりません……。そんなこと、意識してやったことありませんから。でも、そうしなければならないのなら、神獣と相談して早急に対処します」

「しかしなぜあなたは平気なのですか?」

(──あ、またこの言葉)

「平気って、何がです?」

「異能を持つ者は私の魔性の影響を受けやすいので。しかも魔性には毒があります、あなただって感じているはずでしょう?」

 毒という言い方は初めて聞くが、緇綺の魔性に含まれる邪気や瘴気のせいで息苦しく感じたり、目眩が起こることが毒の影響だというのかもしれない。

「私の毒性はかなり強く、そのせいで………病になり早死にした兄弟もいます。私が毒で殺したようなものです。関われば呪われると噂され、家族からも恐れられた……。なのにあなたはあのとき、私の暴走を抑えようと行動した。なぜ平気であんなことを?」

「それは………あなたが苦しんでいたから。あなたの苦痛と一緒に伝わってきたものが、私の知ってるものと同じ気がして。……それで」

「同じ?」

 莎夜香は頷いた。

「苦しみや辛さ、寂しさが同じ。だから放っておけなかったの」

 緇綺も大切なひとを亡くしている。でもその悲しみだけじゃない。異能に対しての不安、殺戮を好む魔性力を持つことの苦しみ。他者から受けてきた怒りや恐れや理不尽な差別的感情。ひとりぼっちの寂しさも。緇綺の苦痛の中に、莎夜香は同じものを見つけた。

「勝手なことして謝るわ。抱きついてしまって不快な気持ちにさせたのなら」

「いえ、不快ではありませんでした。それどころか心地よかったです」

(え……そんな。でもそれ不機嫌な顔で言うこと⁉)

「そ、それじゃあ、あのとき私、閣下の苦痛を和らげることができたんですか?」

「そう、なるようですね。不本意ですが」

(ほらまた機嫌の悪そうな顔で言う!どうしてそう素直じゃないの?……なにその顔、まるで膨れっ面じゃないの!子供か!──あ、でも。そういえば、このひとまだ二十歳だった。私より年下で)

 そう気付くと、彼の態度に苛立っても仕方ないかもと思えた。

「そうですか、よかったです。役に立てたのなら」

「変なひとですね。私はあなたの(かたき)のような者でしょう。聆ノ国を侵略した」

「確かにそうだけど。でも私、閣下を恨んでません。祖国にも親族たちにも未練とかないので。……薄情な女なんですよ、私」

 このひとと似た、冷たい感情が、私の中にもあるのだ。

 緇綺はしばらく黙っていたが、莎夜香を見つめて言った。

「あなたからは常に放たれている不思議な霊気があるようですね。心地良い風のように感じられる」

 こう語る緇綺からは穏やかな気配が感じられた。

 邪気や瘴気や息苦しさ。緇綺の言った強い毒性など、今は感じられない。

(もしかして、私が放つ巫女の力『浄化の気』が、影響してるのかしら)

 あとでナギにいろいろ聞かなくては。

「私は今も、あなたのその力に癒されているようです」

 緇綺はこう言って、莎夜香から視線を外すと席を立った。

「あなたに望むことなど、何もないはずだったのに。今はなぜかあなたの異能以外にも興味がある。──では」

 緇綺はサッと身を翻し、足早に部屋を出て行った。

(は?……え?どう言う意味?──なんなの?もう行っちゃうの?)

 莎夜香は困惑しながらも、なぜか胸が早鐘を打っているのに気付いて、落ち着かない気分になるのだった。