年下将軍閣下の戦利品花嫁〜この婚姻、ワケありで歓迎もされてないようなので、逃亡しようと思います。


 花嫁衣裳を身に着けた莎夜香は支度部屋から大きな広間へ通された。

 広間の扉が開けられると、左右から大勢の視線が莎夜香に向けられた。

 来賓たちからざわめきが起こるが、中央にいた人物がゆっくりと莎夜香の方へ歩き出すのと同時に、辺りはすぐに静まり、張り詰めた空気が室内を満たした。
 その人物こそあの日、離宮で莎夜香を戦利品として引き取ると言った男だった。
 名は黒曜(こくよう) 緇綺(しき)。貴族として名高い黒曜家の当主でもあり、将軍でもある。

 蒼琰国の男性が着る正装姿の緇綺は、濃紺と銀色を基調とした衣装に身を包み、莎夜香の目の前で立ち止まった。
 その容姿は長身で逞しく、肩よりやや長めの黒髪を後ろで束ねている。
 切れ長の瞳は薄い青色で鋭さがあり、眼差しには温かみが感じられない。
 無表情で莎夜香を見下ろすその顔立ちは、精悍さに加え華やかな秀麗さも併せ持っているが、氷の花のように冷たげな美しさだった。

 莎夜香は離宮で拘束された後、蒼琰国の黒曜家に引き取られた。それからまだ三日しか経っていないが、神獣(ナギ)からの情報によると、彼の年齢はまだ二十歳だということがわかった。
 若くても戦果の功績は多く、軍事においては傑出した指揮能力を発揮しているという。

(だったらどうして………)

 貴族の当主で出世もしていて、若くて美丈夫であれば縁談話はさぞ多いだろうに。
 それなのに彼は、なぜ自分のような者を妻にするのだろう。
 冷遇生活を送り、忘れられたような存在だった姫なのだ。しかも歳上で行き遅れで。加えて異能まであるのだ。
 戦利品と言うのなら、せいぜい妾だろうと思っていたのに。

(まさか正妻だなんて)

 きっと何か理由があるに違いない。
 けれどこの三日間、与えられた部屋は快適だったが軟禁状態で、緇綺に会うことはなかった。

 使役霊でもあるナギも、この屋敷には怪しい結界が張られていると言い、その影響のせいか詳しい情報を探り得ることができなかったようだ。どうやらその結界には、邪気や呪気の込められた術が使われているらしい。

 昨日、使いの者が「あなたは黒曜の当主である緇綺様の花嫁に決まり、明日に婚儀を行なうことになりました」とだけ伝えに来て。なぜそうなったのかも、婚儀に関しての説明もなかった。
 この三日間、食事の配膳や入浴時の案内と、今日の花嫁衣装の着付けなどは、愛想もなく名乗ることもしない女性の使用人たちが数人「シキ様の言い付けにより参りました」と言って来て、自分たちの仕事を黙々と進めていくだけだった。
 莎夜香が事あるごとに「ありがとう」と言っても、使用人たちは無言だった。
 そしてなぜか皆、表情が硬く、怯えたような様子を見せる者もいて、好意的な態度で接する者はひとりもいなかった。

(どうやら私、歓迎されてないみたいね)

 とはいえこういった扱いには慣れているので、辛くも悲しくもなかった。

 莎夜香は緇綺の冷たい眼差しから目を逸らすことなく受け止めた。

 黒曜 緇綺は無表情のまま、莎夜香に右手を差し出した。

 このまま進むと広間の最奥には祭壇のような空間がある。

 あそこまで手を繋いで歩けということか。

 莎夜香は仕方なく、出された手に自分の手を乗せた。

 大きな手にそっと握られたまま莎夜香は歩いた。

 蒼琰国の帝城は聆ノ国の皇城や宮殿とは違う建築様式だったが、この広間は聆ノ国にもあった〈神殿〉に、どこか似た雰囲気があった。

(でもここ、帝城ではなくて黒曜家。個人宅の一室なのよね)

 黒曜家は城並みに広いと教えてくれたのは『神霊虫』たちだ。
 神霊虫というのは神獣の眷属なのだが、見た目が虫に似ていたり、中には昆虫のような翅があるため〈獣〉というより〈精霊〉のようだと思い、莎夜香が勝手に付けた呼び方だ。

 今も婚礼衣装の胸元に一匹、そして肩にもう一匹止まっている。

 胸元に止まっている子は手のひらほどの大きさで、蝶のような姿だった。薄紫色の翅には光沢がありとても美しく、宝石飾りのように煌めいている。そして左の肩に乗っているのは蜘蛛のような姿で、これも握りこぶしくらいの大きさがある。四ツ眼は炎のような緋色に、体の色は珍しい銀緑色で優しい輝きを放つ。触れると綿毛玉のように柔らかくモコモコしていて、とても可愛い子だ。
 二匹とは軟禁状態でいた間に仲良くなった。
 小さな窓から毎晩、莎夜香に会いに来てくれたので、使役霊となるように名前と血を与えた。
 蝶に似た子はミカゼ。蜘蛛に似た子はマオトと名付けた。〈風〉の要素があるナギとは違い、ミカゼは〈光〉、マオトは〈火〉の要素がある。
 二匹には今日、ナギの代わりで傍に来てもらった。
 ナギは今、この広間の高い天井の片隅で莎夜香を見守っている。
 ナギは緇綺から穢れの気配がすると言っていた。
 本当は肩に止まり、緇綺から莎夜香を護りたいとも言っていたが、緇綺の前にナギの姿をあまり晒したくなかった。
 それに彼が本当に神獣を見る力があるのなら、ミカゼとマオトも見えているはず。

 彼の異能をもう一度確認したい。

 ナギを見たとき、あまり良い反応ではなかったから。様子を見るためにもナギには離れて待機しているように命じたのだ。

 祭壇が近くなると左右の来賓席はなくなり、周りは広がりのある空間に変わった。

 閉塞感が薄れたせいか、緊張が少し緩いで呼吸が楽になった。

「今日は鳥ではなく薄気味悪い蛾と蜘蛛か」

 祭壇の手前で立ち止まった緇綺が口を開いた。

(やっぱり見えてるのか)

「蛾ではなくて蝶です。この子たちは二匹とも神霊虫といって神獣の眷属です。薄気味悪くなんてありません」

 はっきり答えた莎夜香に、緇綺は鋭さが増した眼差しを向けたが、すぐに視線を逸らすと祭壇に置かれたものを取り、莎夜香に差し出した。
 目の前のそれは盃で、中には透明な液体が注がれている。

「誓いの盃だ。私からあなたへ。一口飲んでから次はあなたから私へ。それで婚儀は終了する。本来なら来賓たちの紹介や挨拶、その後に祝宴もあるが。形だけの儀式にそこまでの必要はないから省く」

 緇綺には言いたいことや聞きたいことが山のようにあるのだが。婚儀の最中のため、莎夜香は無言で一呼吸置いてから、盃を受け取り口元へ近付けた。

(花の香りのするお酒か。毒はなさそうね)

 毒入りであればミカゼとマオトが騒ぎ出すはずだ。

 莎夜香は一口飲んで盃を緇綺に渡した。

 緇綺はそれを受け取ると残りを飲み干し、盃を祭壇へ戻した。

「来賓たちへ顔を向けろ」

 緇綺は莎夜香にこう言ってから、自分も同じように向きを変え、来賓達に向かって言った。

「皆、ご苦労であった。我が妻の名は莎夜香だ。今日から黒曜家の女主人であることをここに告げる。私が多忙ゆえ省きの多い婚儀だが許せ。───行くぞ」

 再び莎夜香の手を取った緇綺だが、祭壇の正面へ向きを変えると、そのまま莎夜香を引っ張るように歩き出した。

(えっ⁉ ちょっ───どこ行くの⁉)

 歩いてきた通路を再び戻って行くのかと思っていたのに。

 よく見ると祭壇の脇には細い通路があった。

 来賓席からは見えにくいと思われるその通路へ、緇綺は莎夜香を連れてどんどん進んでいく。

 後方では緇綺を呼ぶ声や、あまり良い感じのしないざわめきが響いていた。